番外編
アニサカ家騒動顛末(1)
(おい、マジかよ、
憤怒の表情の老人の後ろには、銀色に鱗をきらめかせた巨体がある。
(生身の人間相手に出していい術じゃないだろ……)
ケインの顔が引きつる。
「お館様、お鎮まり下さい! 魔術師同士の私闘はご法度です。お
必死に言い募る周囲をよそに、老人のぎらぎらとした緑色の瞳にはケインしか映っていない。
「覚悟しろ、小僧」
さすがのケインの背中にも、冷たい汗が流れる。
*
さわさわと風が吹き抜ける。
晴天の初夏の湖畔の風は、木陰のひと時にはことさらに心地よい。
「またいたわ」
ひょいと顔を出したウサギの姿をした精霊に、ベスがはしゃいだ声を上げる。
「あいつ、なかなか触らせてくれないんだよ」
ケインは本から目を上げて答える。
「やってみるわ」
ベスがそっと手を伸ばす。ウサギはそろそろとその手に鼻先を寄せるが、指先が触れる直前で飛びのいた。
「やっぱりな」
笑いを含んだ声で赤毛の魔術師は立ち上がる。
「欲しいんなら、捕まえてあげるよ」
彼が目を細めて手を伸ばすと、ウサギは静かにその手に引き寄せられる。そっと抱き取りベスに差し出す。
「ほら、その辺の草でもあげてごらん。そうすれば、この子は君のものだ」
「……いいわ。自由がないのは、かわいそうだもの」
ベスのつぶやきに、ケインは微笑みウサギを放つ。
*
傀儡の王との戦いから3か月。あの戦いでの傷を治してもらいながら、子供のように泣きじゃくってケインに慰められ、ベスは次からどんな顔をして彼に会えばいいのか分からなかったが、3日後に王宮魔術師の詰め所で顔を合わせた彼は、以前と変わらない態度だった。
ケインがベスを湖畔の草原に連れて来てくれたのは、ベスの使い魔を探すためだ。
ベスが、今の自分の課題と考えているのは、防御力だ。完全な攻撃型である彼女は、「攻撃は最大の防御」の信念の元、基本的には広範囲に飛び道具の攻撃を行うことで、防御に変えていた。
しかし、空間を支配するような大掛かりな魔術を使われてしまうと、きちんと自分の周りを囲って攻撃を防ぐ基本的な防御結界でないと、対応が難しい。傀儡の王との戦いで、空間を貫く棘の攻撃を経験したベスは、自分の防御についての考え方を改めざるを得なかった。
ただ、全方向の防御と同時に水を使って威力を増した近接攻撃を行おうとすると、どうしても攻撃のスピードが落ち、単調になってしまう。ベスは行き詰まりを感じていた。
そのことを、王宮魔術師の詰め所で雑談中に、ポロリとケインに漏らしたところ、
「使い魔を使えばいい」
と彼は助言した。攪乱要素を使うことで、攻撃を多彩にできる、と。
「使い魔……」
ベスは困惑してつぶやく。知識として学んではいたが、彼女は、精霊を使役する技の経験がない。これまで、常に姉やリアなど、精霊を惹きつける能力に極端に長けた存在が側にいたせいか、彼女自身には、精霊と特別な関係を結ぶ機会はなかった。
「……それなら、使い魔が見つかる特別な場所に、連れて行ってあげるよ」
そして連れてきてくれた場所が、この湖畔だった。
「君、息抜きも必要そうだからな」
笑いを含んだ言葉に、あの日を思い出してベスはうつむく。
*
(今日は来てない、か)
ケインは木陰に目をやり独り言ちる。直後に顔をしかめた。
(いや、『来てない』ってなんだよ)
成り行きで元教え子に精霊の狩場を案内して半年になる。
生徒たちに実技実習で大量の使い魔を提供しなければいけないケインにとって、この場所は使い魔補充の貴重な狩場だった。気の流れが良いのか、ここには性質の良い精霊が常に大量に集まっている。ほとんどが野生の動物の姿をしたそれを、ケインは定期的に狩り取っては、育てて授業に使っている。
「育てる……」
初めて自分の使い魔を持ったベスは、戸惑ったようにつぶやいた。
「いや、普通にかわいがってあげればいいんだよ。君の魔力を少しずつ与えられて、この子は段々君の魔力に適応していく。そうして、強固な主従関係の構築と、使役の精度を上げていくんだ」
ベスの膝にリスの姿の精霊を乗せて、ケインは微笑む。
(彼女にも、未開発の技の余地があったなんて、面白い)
完全に育成ゲームの境地である。ケインにとって、人を育てるのは常に最高の娯楽だった。
それが、この狩場で度々ベスと顔を合わせ、のんびり過ごすようになって半年、ケインは自分の心持ちに、不吉な変化があることを否定しきれなくなっていた。
(いや、会えること期待してるよな、これは。……マジか。変な癖がついちまったか)
抜けるような青空の元、空を振り仰いでケインは嘆息する。
(いやいや、ケイン・アシシュガ。お前の唯一の取り柄は、自分の心に正直なことだろ。認めろ、受容しろ。お前はあの子に惚れている)
直後、ケインはがくりとうつむく。
(いや、さすがに、無理だな。……アニサカ家。俺には、キャパオーバーだ)
*
それを見た時、ベスの背筋に衝撃が走った。そのまま目を離せずにいると、ケイン先生の声がする。
「どうしたの。……それ、何か面白い?」
自分が我を忘れてケイン先生の私物に見入っていたことに気づき、ベスは羞恥で飛びのく。
「すみません、……あまりきれいなので」
ケイン先生の筆記具入れから転げだしていたそれは、小さな魔石が埋め込まれた、金色の指輪だった。麻ひもで無造作にくくられたそれから、理由もわからないが、どうしても目を離せない。しばらく様子を見ていたケインが、静かに申し出る。
「……そこまで気になるんなら、あげようか、それ」
ベスはぱっと顔を上げる。
「でも、……大事なものなのでは、ないのですか」
いや、ただの金具だし。ケインは笑う。彼は、それが指輪だとは思ってもいないようだった。
「……ありがとうございます」
そっとその指輪をポケットに忍ばせて、ベスは湖畔を後にした。
出来心、だったのだ。指輪なら、はめてみたいと誰もが思う。つい、左手の薬指に、その指輪を滑り込ませてしまった。……その後、二度と指輪は外れなかった。
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