第25話 エピローグ

 その日の夕方、ミレーユ様がフォクシー侯爵家を辞去し、地平線に夕日が沈みそうになったころ。

 庭でそれをボンヤリと見ていた私の元へギルム様がやって来た。


「こんなところにいたのか」

「ギルム様。最近、元気がないと奥様が心配しておりましたよ。もちろん私もですが」

「それは俺のセリフだ。ドロシーの元気がないと、父上と母上が心配していたぞ。もちろん俺もだ」

「……」


 使用人の身分でフォクシー侯爵夫妻に心配をかけるとは。なんという身の程知らずなのだろうか。このままでは良くない。やはり身を引くべきだろう。身を引いて冒険者になろう。そしてゴブリン軍団やオークの一族を全滅させるのだ。

 

 ギルム様の瞳が夕焼けで赤く染まっている。瞳だけじゃない。顔も同じような色になっていた。ジッとこちらを見つめる瞳にいたたまれなくなって目をそらせた。


「ドロシーはこれで良いのか?」

「ミレーユ様との婚約のことですか? ギルム様がお幸せになるのであれば、それに越したことはありません」


 ギルム様と目が合った。ここで目をそらせば、今の話がウソだと思われてしまうだろう。そらすわけにはいかない。

 ジッとギルム様を見つめていると、不意にその顔が柔らかくなった。久しぶりに見るギルム様の笑顔である。


「それなら決まりだな。ドロシーの幸せが俺の幸せだ」

「ギルム様?」

「ドロシー、俺についてきてくれないか? 頼りない俺だが、そんな俺をそばで支えて欲しい。俺にはドロシーの力が必要だ」


 ギルム様が私の手を握った。出会ったころの細くて簡単に折れそうな手とは違う。ゴツゴツとしてマメのある、大きくて頼りがいのある手だ。


「頼りないだなんて、そんなことはもうありませんわ。こんなに立派になっているではないですか」


 ギルム様の手を握り返した。本当に立派になった。私の手助けなど必要ないくらいに。数年もすれば、私の力など完全に必要なくなるだろう。それだけ物覚えも早く、優秀なのだ。学園で嫉妬されるのもうなずける。


「それじゃあ……」


 ギルム様の顔が寂しげにゆがんだ。そんなお顔になっても凜々しく見えてしまうのはズルイと思う。そんな不安げな顔に笑顔を向ける。


「ギルム様が私の力を必要として下さるのなら、いくらでもお貸ししますわ。もちろん、利息など取るつもりはありませんから、遠慮なく使って下さいませ」

「ドロシー!」


 ギルム様がおおいかぶさって来た。周囲に人気があるのになんと大胆なのだろうか。もしかして気がついていない? そのままギルム様は唇を重ねて来た。

 これがキスと言う名の体液交換。なんという幸福感なのだろうか。


 人間はやはり素晴らしい生命体だ。それなのにどうしてお互いに争い、一番であることを望むのだろうか。そのようなことをしなくても、こうして触れ合うだけで幸福感に満たされるというのに。




「ギルム、あまり積極的に行き過ぎると、ドロシーちゃんに嫌われるわよ」

「まったく、世話のかかるやつだ。ここまで追い込まなければ自分で決断することができないとはな。ときに貴族は冷静で的確な素早い判断が必要になるのだぞ。もたもたして他のやつらに先を越されたらどうするつもりだ」

「すみません」


 奥様と旦那様で言っていることが矛盾しているような気がするが、それは置いておこう。二人に怒られたギルム様は塩をかけられたスライムのようになっていた。これはあとで慰めてあげなければならないだろう。


「ミレーユ嬢には直接言ったようだが、私からも改めてバロム伯爵へ断りを入れておこう」

「本当に申し訳ありません」

「うふふ、謝る必要はないわよ。ねえ? ずっと気をもんでいらしたもの。そんな風になるのなら、決めてあげたら良かったのに」

「そうはいかん。ギルムにとっては大事な選択だ。私か決めなければならないほど子供ではないからな」


 まだ十五歳とはいえ、この国では立派な成人である。いつまでも親に頼っていられないのは確かだ。だが、まだ親に依存したい年頃でもあるだろう。失敗したときの責任を取りたくない。そう思う人も多いはずだ。


「ドロシーちゃんにもやきもきさせちゃったわね」

「いえ、私は別に……」

「ドロシーにも迷惑をかけてしまったな。すまない」

「旦那様! おやめ下さい。私に頭を下げるなど」

「何を言っている。未来の娘に頭を下げるのは当然のことだ。嫌われたくないからな」


 顔が熱くなってきた。きっと今の私の顔は、夕日に照らされたギルム様のお顔よりも赤くなっていることだろう。

 その場に自然な笑い声が響いた。さっきまでの重くて暗い雰囲気が、まるで呪いでも解かれたかのようにきれいさっぱりどこかへ行ってしまった。


「夕食まではまだ時間があるな。ギルムはしっかりとドロシーに謝っておくように」

「二人とも、夕食の時間に遅れることがないようにね」


 夫人がなんでもないように言いながら笑っている。それを聞いたフォクシー侯爵は苦笑いしている。だが、止めるとこはなかった。つまりそれは、何をやってもオッケーということである。


「母上、ドロシーを挑発するような発言はやめて下さい!」


 ギルム様が悲鳴をあげた。どうやら夫人の発言の真意を察したようである。さすがに知らないフリはできなかったようである。ある意味で私は信頼されているということだろう。


「心配はいりませんわ。手早くギルム様を慰めて差し上げますので」

「ほらぁ!」


 ギルム様が頭を抱えた。それを見てみんなが笑う。ようやく元のフォクシー侯爵家らしくなってきた。

 さて、夕食までにはそれほど時間はない。どの技にするべきか決めなくては。なんと言っても、私は超一流の侯爵夫人になるのだから。




 ――Fin

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