ヒーラーと魔法使いだけのパーティーじゃ「逃げる」しか選べない
文月イツキ
ある日、少年は森の中で黒猫と出会った
月明かりの一つも入らない深い森の中、少年が一人歩いている。歳は十か十二か。
ボロ着のマントを羽織り、フードは目深に被って小さな
そんな彷徨い歩く少年は一匹の黒い猫と出会った。
少年は手に持っていたランタンで目の前でじっとしている黒猫を照らすと、小さな前足は木の枝で切ってしまったのか、切り傷から出血していた。
「だ、大丈夫!?」
ランタンを地面に置き、少年は黒い猫を抱きかかえる。
黒猫は前足の傷が祟ってか、しばらくこの場を動けないでいたようだ。
「ちょっとだけ我慢してね」
少年は黒猫を左腕で抱きかかえながら優しく声を掛け、少年は自身の荷物からまだ口を付けていない水筒を取り出し傷口を洗い流して傷口に手をかざす。
「我は自らの知に自惚れぬ、ただ主に身を委ね、正しきを成す。我が祈りが届くなら、彼の者に癒しを。――『ファーストエイド』」
かすかな光が黒猫の傷を包む。すると出血は収まり、生乾きの傷口が露わになる。
「ごめんね。今は応急処置の祈りしか使えないんだ」
さらに、これ以上傷が広がらないよう、自分の服のすそを千切り、簡易的な包帯を作り、黒猫の前足に巻きあげた。
「止血だけだけど、傷はこれ以上悪化はしないと思うよ」
黒猫は何が起こったのか分からないといった様子で少年と自分の足を交互に見やった。
傷を負い、引き摺っていた足の痛みは癒え、歩くには十分な程の回復を見せていた。
「みゃー……」
何はともあれ、黒猫は自分の理解に及ばないとわかったのか、少年を見つめながら一声上げた。
「みゃー、どういたしまして。君は見たところ飼い猫かな?」
少年が黒猫をよく観察すると、首には青いリボンが巻かれていた。
「出来ることなら君の飼い主を探してあげたいけど、この森に迷い込んだってことは……」
少年は一つの方角に目を向ける。
「……明るくなったら、きっと飼い主も探しに来てくれるよ。
しばらく考え込んだ素振りを見せると、抱きかかえていた黒猫を傍の木の根元に放してあげた。
「それじゃあ、元気でね」
黒猫に別れを告げて少年は先を急ぐように再び歩みを進める。
少し進んだところで、少年は歩みを止めた。
「こっちの方で灯りが見えたぞ。きっと近くにいる」
「たく、ようやく手がかりか」
「ガキ一人にこんな夜遅くまで付き合わされるとは運がねぇよな」
話声だ。少年は声が近づいてくるより先に、ランタンの火を消して草木の陰に身を潜める様に屈みこむ。
声がした方には少年と同じようにランタンを持って林道を歩く二人の男の姿があった。大人だ、しかも腰には剣を携えている。
深くゆっくりと呼吸を整える。決して物音を立てないよう、一寸さっきもまともに視界が確保できない暗闇を這うようにして、声から離れようとした。
――パキッ。
「――――!」
少年の心臓が跳ねる。反射で漏れ出そうになった声を無理やり、両手で塞ぎこみ黙らせた。だが、時はすでに遅い。
「聞こえたか!」
「ああ! 近くにいるぞ!」
話し声達はわずかな物音を聞き逃してはくれなかった。
彼らの持つ灯りは少年のいる方へ向けられる。
「っ!」
少年は立ち上がり一心不乱に走り出した。
もたもたと物音に気を使いながら移動していても意味がないと判断し、とにかく男達から距離を離すために。
「いたぞ! こっちだ!」
少年の走り去る背中を見つけた男二人はすぐさま走り出す。
公園で追いかけっこをする親子とは話が違う、大人の側に手加減なんてない。基本的な体力の差は歴然だ。
このままでは少年が逃げ切れる可能性は万に一つもない。
「立ち止まって」
「はっ、はっ! 誰が止まるもんか!」
落ち着いた少女の声に息を切らした少年は返事をする。
「え?」
思わず立ち止まった少年は、声のした方を見上げた。
「樹にぶつかるよ」
暗がりで見えていなかったようだが、少年の鼻先すれすれには大木がそびえたっていた。
そしてその樹の枝には、暗がりでしっかりと見えないが、確かに人の姿があった。
「よっ、と」
その人影は、二メートルほどの高さの枝から飛び降りたように見えた。
「あ」
「え?」
少年は木の傍、そして、失礼、「飛び降りた」などといったが故に語弊が生まれるのは避けよう、訂正だ。滑り落ちた人。結果は明らか。
「ちょっ、待っ――」
「ぎゃっ!」
少年の尊い犠牲で見事不時着を決めた人物は、彼の背中に腰かけるような恰好で腰をさすっていた。
「いった……まじでごめん、だが私も見掛け以上にダメージを受けてるから、痛み分けで許していただけると助かる」
「許しますから……早くどいてください……」
「それもそうだな」
どっこいしょと立ち上がった人物は、おそらく少年を呼び止めた声の主。
「な、なんだ!」
「くそっ仲間がいたのか?」
そんなこんなしているうちに少年を追っていた男達が追いついてしまった。
「仲間、ではないが……なんだろうな……まあ、助っ人だよ。受けた恩があるからな」
「助っ人? 貴様、何者だ!」
「なにって、ただの――」
男達が持つ明りが、降ってきた人物の正体を照らす。
「かわいい、かわいい、とってもかわいい、魔法使いだよ」
ちょうど今日のような夜空のように深い紺黒の眠たそうな瞳が印象的だった。
裾の長い真っ黒なマントと青いリボンを巻いた真っ黒なとんがり帽子を身に着け、絵本に出てくるいかにもな魔女の恰好をした、真っ黒な髪の少女の姿がそこにはあった。歳は少年より一つ二つ上くらいだろうか。
「魔法使い? 王都東のはずれの森に魔法使いの民家があるなどという報告は受けていないぞ」
「そりゃここが住処じゃないし」
「なら、子供は帰ってお眠の時間だ。とっとと家に帰ることだな」
「そうそう、俺たち用があるのは後ろの坊ちゃんだけ。そこをどいてくれないかな」
「そうしたいのもやまやまだけどね」
少女は帽子を少しずらし、頭を掻くそぶりをする。
「言ったろ。助っ人だって」
帽子の中から出された手にはペン程の大きさの杖のようなものが握られていた。
「杖を出した!」
「敵対行動だ。急ぎ無力化するぞ!」
男たちもそれに反応して腰の剣に手を掛ける。
「立てる?」
少女は半身を引いて、戦闘の構えをしながら少年だけに聞こえるように声を潜めながら語りかける。
「はい」
「なら上等。私が詠唱始めたら、すぐ後ろに向かって走れ。十数メートル程ならまっすぐ走っても障害物はない」
「けど、それじゃあすぐに捕まるんじゃ……」
「会ってすぐに信頼しろとは言わないよ。けど、何もしないにしろ、行動を起こすにせよ、どちらにしても絶体絶命なら、ダメ元で私に賭けてみるのも悪くないだろ?」
「……分かりました」
「こそこそ話は終わったか?」
「追いかけっこじゃ勝ち目はない、大人しく――」
「捕まるわけがないんだなぁ、これが」
少女は杖の先を男たちに向ける。
『
「詠唱だ! 魔法を撃ってくる、杖の先に気をつけろ!」
「分かった!」
少女が杖を指揮棒のように振り始めたことで、呪文を唱え始めたと察した少年は言われた通り走り出した。
「目標が逃げたぞ!」
「今は放っておけ、温室育ちの坊ちゃんだ。魔法使いを対処してからでも間に合う」
男二人は少女の杖の先を凝視する。魔法使いが魔法の発射の直前まで射出口である杖先を動かすのはもはやセオリーであるからだ。
『手を取って、ぐるぐるぐるぐる、くるみ割り、はてさてキミの立ち位置は?』
澱みない詠唱の終わりがけに、少女は杖のグリップを握りこむ。
「スポットライトが逃げるよ――『
呪文を唱え終わると同時に杖から、パチッと音が鳴った。
「杖が光って、うおっ、眩し!」
「くそっ、目眩ましか!」
「……」
にやりと、ゆがんだ口角を男たちは見ることは叶わない。
杖の先から発せられた閃光は、ほの暗い闇に慣れ切った男たちの網膜に突き刺さる。
その隙に少女も少年の逃げた方向へと駆けていく。
「ま、待て!」
「め、目がぁ! 目がぁ!」
足音を聞き、男たちは少女が走り去ろうとしていることに気付き、耳を頼りに追走を始める。
「え、どういうこと?」
少し走ったあと後ろを確認していた少年は何が起こったのか分からずにいた。
少女の杖が光ったのは分かった。その光源を直接見ていた男二人が目をやられたのも分かる。
分からないのは、男たちが音だけを頼りにしているとはいえ、少年や少女が逃げた方向とはまるで見当違いの方向へ、しかも二人ともバラバラに走っていってしまったことだ。
「お、いたいた」
「あ」
目の前の出来事に唖然としている少年に少女が追いついた。
よく見ると彼女の杖の先端はまだ光っている。これを灯りにして少年を見つけたらしい。
「ね、賭けてみるものでしょ?」
「あ、あの! 今の何を、どうしたんですか?」
少年は少女の手を掴み、感激したように声を跳ねさせる。なんなら、体も跳ねてる。
跳ねた拍子に少年の顔を隠していたフードが取れる。
「……」
その顔は非常に丹精で多少土汚れがあるものの真っ白ですべすべな肌に、この国ではよく見る蒼い瞳もぱっちりと二重のせいかどこか澄んでおりとても愛嬌がある。少女が一瞬可愛さ勝負で負けたかもと見惚れるくらいには浮世離れしている。
今はフードを被っていたせいでぼさぼさだが、しっかり櫛を入れてやれば銀色の髪も大層映えることだろう。
「お、おう、言ったろ、私は魔法使いだって。魔法でちょちょいとアイツらの前後左右の視覚と聴覚を混乱させたんだよ」
「へぇ! やっぱり魔法って凄いですね! もっと派手にぶっ飛ばしたりするものかと思ったのですが。思っていたより地味……いえ繊細なことが出来るんですね!」
「いや、まあ地味だろ。強い攻撃魔法は私覚えてないし。こんなもんでも逃げるのには役に立つ」
「それに、一度に二つも魔法が使えるなんてカッコイイです! 僕の知り合いにも魔法使いはいますがそんなことできる人は一人もいません!」
「そんなん私も見たことないが……てか、すげえぐいぐいくるな」
「けど、今も杖を光らせてるじゃないですか。目眩まししながら混乱魔法も使うなんて凄いです!」
「ああ、これのことか。てか、これ杖じゃないし」
少女は辺りを照らしていた杖のグリップを再び強く握る。すると、光は消え、再び握り締めカチッと音が鳴ると再び光が灯った。
「ペンライトだよ。杖も兼ねてるけど」
「ペン……ライト……?」
「えっと、ようは万年筆と日の光を蓄えて光る魔法石をくっつけて持ち運び安くしたランタンだよ。一々マッチ擦らなくても点け消ししやすいし。こうすることで魔法が当てやすくなる、さらに人間相手なら目潰しにも使える」
「なるほど……確かに魔法使いは杖を持つものという先入観がありました。言われてみれば知り合いの魔法使いの中には本を持ってたり、剣を使う方もいらっしゃいました」
「原理は本と同じでインクを触媒に――って話し込んでる場合じゃない。簡単な混乱魔法だから十五分もすれば解ける。今のうちに距離を取って撒くぞ」
「あ、そうでした。僕、今追われてるんでした」
少年は手を離すと、少女に頭を下げる。
「今回は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「あ、うん……随分丁寧ね」
「ここでは大したお礼も用意できなくて申し訳ないのですが、全て落ち着いたら必ず――」
「ああ……そういうのはいいよ。というか、礼の話って、キミ、もしかしてここで解散するつもり?」
「え?」
「え? じゃないでしょ」
少女は呆れたように溜息をつく。
「闇雲に逃げて自分の現在地も分かってないんじゃない?」
「えっと、そんなことは……あ、いや、例えそうだったとしてもこれ以上ご迷惑を掛けるわけには」
「はぁ……私は別に迷惑じゃない。それに、キミ、森を抜けようとしてるみたいだけど――そっちは王都の方角じゃない」
「あ、え、そ、それは……」
少女からの指摘に、少年は思わず口ごもる。
「なら、目的は一緒、私も王都から帰る途中で森に迷い込んだの。なぜかキミは追われてるみたいだけど、さっきみたいにのっそりこそこそじゃ夜が明けて見つかる確率も上がるよ」
「あの……どうして、僕を手助けしてくださるんですか? 王都から離れて追われている得体のしれない身なのに」
「当然の疑問だけど。さっき言ったろ? 私の理由」
「えっと……目的地が一緒……」
「あ、ごめんもっと前、目的地が一緒なくらいで足手まといを連れ歩くほど、私もお人よしではないよ」
「あ、足手まとい……まあ、間違ってはいませんが。えっとそう言えば「受けた恩」がどうとかって、いやけど、アナタとは初対面のはず」
「ああ、そうか、失念していたよ。私の地元じゃ鶴とかが定番なんだが、あ、ペン持っててくれる」
少年にペンを渡し、灯りを受けた少女は服の裾で顔を三回擦る。
「みゃあ」
気のない声で鳴いた。
「え? ……って、えええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
するとどうでしょう、先ほどまで少年の目の前にいた少女は青いリボンの黒猫に姿が変わってしまったではありませんか。
「え、どういう、というか、アナタ、もしかして前足を怪我していたあの時の猫ちゃんですか?」
「みゃあ」
黒猫になった少女は一鳴きしたあと、同じ仕草をして、「みゃあ」と鳴くと、人の姿に戻った。
「そう、あの時、助けていただいた黒猫です。恩返しの為に馳せ参じましたってね。これぞまさに猫の恩返し。あ、いやあれだと猫は人にならんか」
「……今のも魔法ですか?」
驚きのあまり尻もちをついた少年は、少女にペンを返しながら立ち上がる。
「部分的にそう。実はあの時結構ピンチだったんだ。寄りによって前足を怪我しちゃったからさっきの変身の仕草が出来なくなって人になれなくなってた。だから、キミには感謝してる。ありがとう」
「あ、いえ。僕は大したことは……治療したといっても応急処置ですし」
「けど、私が助けられたのは事実。分かったら黙って恩返しを受けなさい」
「押しが強い……そういうことでしたら、忍びないですが、お言葉に甘えてもいいですか?」
「さっきからそう言ってる。とは言っても、基本は逃げ隠れながらよ、直接戦闘になったり囲まれたりしたら流石に逃げ切れない」
「は、はいわかりました。森を抜けるまで、よろしくお願いします。微力ながら、僕も出来る限りの力になります。……そうだ、まだ名乗ってませんでしたね」
本当に今更ながら、少年は名乗る。
「僕はルク……っ、あ、いえその、ル、ル、ル……ルナ! ルナと申します」
「……そう、よろしくね、ルナ。私はフェスタ、知り合いはみんなフェスって呼んでる。まあ呼び方は好きにして構わないわ」
「はい、よろしくお願いします。フェスタさん」
少年改めルナがつっかえたことを少し訝しみながらも、少女改めフェスは名乗り返す。
「そうと決まったら早く移動しましょ、さっきの連中が戻ってくるかもしれないし」
「それもそうですね。行きましょう」
「お、おい、急に手を掴むな、てか、先導するのはライトを持ってる私がだな……」
こうして目的を一つにした少年と少女、ルナとフェスは森の外を目指す、謎の追っ手から逃げながら。
(……まだ、早いな。大丈夫、夜明けまではまだ時間がある)
ペンライトの光の先には、銀色の髪、背中、心臓。
(……絶対に逃げ切って見せるから。この森からも、この国からも)
視線の先には、雲が晴れ顔をのぞかせた白銀の満月。
((必ず、救い出して見せる))
目的を一つに、向いている視線は交錯して、それぞれの腹に一物を抱えたまま。
二人はいざ東へと歩を進める。
ヒーラーと魔法使いだけのパーティーじゃ「逃げる」しか選べない 文月イツキ @0513toma
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