第二章 真実瘴

未来へ(ヴネハ真実瘴)

 Photon epoch 3


 The First Quintillion Heat Vortices Predict――


 Photon epoch 3


 地球が形成された。


 Photon epoch 3


 風呂あがり。ホテルの一室で、コーヒー牛乳を飲みながら夜のニュースを見ていた。長門市東深川ながとしひがしふかわのローカル放送で、ミニコーナーが付いているものだ。市議会の様子や、地域の行事、天気予報が流され終わったあと、はじまった今日の特集はレトロニムについてだった。入局したての青年キャスターがクリップボードを指示して説明している。

「旧来のものが、新規のものの発見によって、区別のために新しく名前を付けられることがあります。アコースティック・ギターや、在来線、自然衛星しぜんえいせいなどがその例ですね。今日は自然衛星しぜんえいせい全光ぜんこうとなっておりますから、月と共に、夜の散歩で楽しまれてはいかがでしょうか」

 横に寝転がったバスローブ姿のパートナーと笑い合う。一九九九年七月。私たちの卒業旅行は、奇妙なほど完璧といってよかった。若々しい男の顔が青ざめ、ニュース速報が次のテロップを映し出すまでは。


 新南陽養護学校しんなんようようごがっこうから、日和宮真実ひよりのみや まなみ(18歳 女 H遠心第一〇分類)が逃走しました。 

 発見された方は、危険ですから刺激せず、警察に通報ください。

 これについて、防衛大臣の会見が間もなく始まります。

 本日は予定を変更して――


 いきなり胸倉を掴まれるのには慣れていたが、彼女からははじめてだった。適当に偽造した胸元の卒業証明が引き千切られて、床に転がる。パートナーに視線を動かして、その口元の動きを注視する。

 話が違う。卒業できたんじゃなかったのか。これがどういうことか分かっているのか。遠心科だってただじゃすまない。後輩たちが将来的に悪い状況に置かれるかもしれない。背伸びして必死に言葉を飛ばす彼女の表情が愛しくて、その両頬に手を触れた。

「気にしないで。私ときみの間にある以外のことは、本当のところ、全く無意味なことなんだよ」

 しかし、ウザったらしいサイレンの音がする。ホテルから警察に連絡があったということが分かる。私は、――これは心外にもよく言われるが――この世で最も冷徹な眼、を作ると片手をくるくると動かした。小さく纏う紫色の真実瘴しんじつしょう。すっと遠くの音は引き絞られて、爆炎の柱へと変わり、八階にあるこの部屋の窓の外に立ち上る。近くにいたパトカー三台と三階建ての長門警察署を上空に吸い上げ、時速一〇〇キロでそこら辺のガソリンスタンドに叩き込んでやったのだと気付かないまま呆然としている眼前のパートナーの姿は、眩い光の差したこの部屋でより艶やかに思えた。

 最も強度の高い遠心能力者は、全ての真実にすら至るから、私は何もかもを知っていた。愛は、秘密の共有によって強くなるという。なら、私の大切な彼女には、ほかの誰も知らない、とびっきりの世界の真実を伝えよう。自分のストレートな黒髪とは違い、こげ茶でウェーブのかかったそれを掻き分けておでこにキスすると、話を進める。


 ビッグバンによる開闢の閃き、光子のエコーのなかで、冷えて拡がるべきエネルギーが最初の渦を巻いた。その激烈な未開のうねりは、百京個ひゃくけいこの脳の神経発火にも似たやり方で、刹那、連綿と続く宇宙の未来を想起した。やがて生まれ来る全ての構造物の運命やイデアを決定するというこの瞬きの思考の目的は、無事達成された。およそ三○年前、一九七〇年に。

「まず、正しい時間の理解から始めようか。いまは、西暦一九九九年ではなく、光子時代三秒Photon epoch 3。私たちは、実際にはわずか一秒、一平方メートルにも満たない仮想の時空のなかで、約一四〇億年後のことを極めて正確に幻視している賢しい光子の群れの一つに過ぎない」


 予測は描出より早く終わる。一九七〇年時点で役目を終えた世界に、私たち遠心能力者が発生した。架空飾Visionary-Hoodyは、この予測された未来Predictedの事物を原初プラズマに分解して発生するエネルギー場であり、熱量があって自由度が高い順に、黄金色H遠心朱色V遠心と落ち着いていく。一番強度の高い力、真実瘴Halo-Veriteは隔絶したエネルギーを持って、紫色をしている。私たちの輝きの出力はどちらも、単位時間当たりのエネルギーE=hvに依拠する。

 思い返せば、みんな知らないのに律儀に制御に苦心していて笑えてくるが、要するに、遠心能力者は、私たちの生きている、仮想うその時空を攪拌して、始原の光子のエコーへと戻すために生まれた。彼女たちの遠心力は、知らぬ間に少しずつ世界を混ぜて、曖昧にしていく。迫害者の涙ぐましい努力は、彼らのいまを維持するという点で実に正当だった。遠心能力者わたしたちは時空の破壊者以外の何ものでもないのだから。


 狂っている! パートナーは叫んで、バスローブ姿のまま荷物をまとめ、火照る身体で部屋から出ていった。私はその足音が聞こえなくなくなるまで、動かなかった。そのあと、部屋中を紫の霧に満たして、無言で力を行使しただけだった。

 針の音が響いている。本当の時間では、架空の地球誕生から一秒も経っていないのに、さも正しいような顔で壁掛け時計は動く。街は、先ほど自分が起した爆破事件の喧騒に満ちている。叫び声も、救急車のサイレンも、信じられないほどのリアリティーで耳を貫く。


 June 27th, 1970 14:27:04 ――予測は完了したPredicted

 数年前に真実瘴Halo-Veriteを得たとき、もうここは壊れていた。

 私にだけ観測できる断裂や歪みが毎日現れた。何度も、結んだ約束はなかったことになったし、出たはずのない課題の提出を迫られた。個人の生活範囲に限った話ではない。例えば、一昨日から月は自然衛星しぜんえいせいと呼ばれ、代わりに輝度を莫大に増した夜半の明星、木星が月ということになっている。


 ここは予測された未来Predictedだ。私は全てが架空に飾られたものだと知っている。差異偽真ほんとうとうそのちがいを知っている。けれど、知っているだけだ。もっと心が頑丈だったら、言い訳染みた卒業証明なんか作らないし、戻るつもりのない学校なんか更地にしていた。

 一九九九年のいま、私は一〇代目の真実瘴しんじつしょうの継承者になる。私が生まれる前にも当然その世代で最も強力な遠心能力者がいた。世界がまだ形を保っているところからも分かるとおり、歴代の彼女たちはほとんど全員この力に気が狂って――不心得なことに他人を巻き込まないやり方で――死んだ。

「はっはは、言った、言った! 殺した! 一〇人かな、それくらいは死んだ!」

 外の救助の様子に手を叩きながら笑う。そう、私は正しい。怯えてとどまっているのは誤りだ。そうでないと、宇宙は始まらない。予測を終えた以上、私たちは前に進まなければならない。私たちは数万年後に冷えて原子を作る。構造形成のなかで、クエーサーとなり、銀河となり、恒星となり、惑星となり、何かを軸に回り続ける。あるいは、ガスや様々なエネルギー波、光そのものとして残り、宇宙マイクロ波背景放射CMBRとして観測されることになる。

 選ばれて、より膠着した個別のものが、大地として覆い、風として舞い、雨として降り、本当の世界と、街と、命を作り出す。未来が遅れる。そんなことを、誰が望むのか。命でもない、根無し草の思考現象の分際で、ここにいる誰が。

「防衛大臣の会見の中継の予定でしたが、衛星からの映像です」

 全ての不幸は私に降り注ぐから、そこにちょっとやそっとの質量物が混じっていたって変わらない。二人で行けないなら要らない。都市ロンドンが、テレビの画面の向こうで、天体衝突により灰燼に帰していくのを見ながら、頬に一筋の涙が流れた。直後、真実瘴しんじつしょうのせいでありありと脳内に響く惨劇に、胃液が逆巻いて口から零れる。視界が動転した。片手で早鐘を打つ心臓を抑え、もう片手で机の端を掴むと、何とか倒れずに済んだ。

「ばっ、バッカばかしい! お前も、お前も、本当は元から生きてないくせに泣いたり叫んだりしやがって! 何も始まってない! きみらは100プランク時間の幻想なんだよ! 記憶も、建物も、友情も、愛も、全部、瞬く間の存在なの! ほら、壊れて困るものとかないでしょ! ねえ、うっぜえなぁ、黙って消えろよ! 消えろって宇宙が言ってるんだからさぁ!」

 青年を床に擦り潰したぐらいでテレビの向こうで悲鳴が響くのがうるさかった。通りの人間を数人染みに変えた程度で眼下の騒ぎが大きくなるのが鬱陶しかった。その度に膝を折って、真実瘴しんじつしょうを振るった人差し指を隠すように丸くなる自分が情けなかった。

 自然と待った。まとめてぺしゃんこにして良いのに、パートナーが街路に逃げ出すのを待ってから、私は一〇階建てのビジネスホテルを一メートルの厚さまで叩き潰して飛び立った。長門市上空五〇〇〇メートル。星空は半分以上侵された。黒髪をたなびかせ、この世の何よりも悍ましい紫煙の瘴気の上に立った私は、遠く海蝕地形の端に見える朱色の鳥居の連なり、元乃隅神社もとのすみじんじゃに向けて、軌道上のいくつもの人工衛星を掴まえる。心臓を落ち着け、改めて、破壊者の光を両目に灯す。見下ろす全てのやじ馬たちに当然届かない小ささで、呟く。巨大な瘴気のドレスを着込む。――そして、私は回転する。

 

終わりだArmageddon

 

 悲鳴が散る。足音が響く。血が瞬く。

 私は独り、星を落とし続ける。


 ねえ、みんなそんなに死を恐れないでよ。

 ねえ、――――。お願いだから、嫌いだって思わないでよ。

 私のしていることは、宇宙的に観て正しいのに。

 私たちの未来のためなのに。

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Predicted Aiinegruth @Aiinegruth

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