未来へ(干渉波架空飾)

 Photon epoch 3


 Centrifugal-Class of 2020. Veronica Vaillancourt 

 Vertical-Category7

 遠心科 令和二年度卒  ヴェロニカ・ヴィランコート

 V遠心 第七分類

  

 アイボリーのワンピースとニット帽は、成長してさらに整った顔立ちに温かさを加えている。必然的に集まる周囲の視線も気にせず、卒業証明を豊かな胸に揺らしながら、女性は大きな伸びをする。いまや懐かしい徳山駅までは、羽田空港に降りてから新幹線でも四時間以上かかった。二○二三年三月。アメリカ土産の紙袋を床に降ろした二〇歳のヴェロニカは、駅前のスタバで三周年割引のコーヒーを飲んでいた。

 ふと、昔のことを思い出す。卒業式の日、デマロリことカメラちゃんにキャンドルを貰った。小学部の授業で制作したものだった。彼女はカフェでの一件をずいぶん後悔していたようだった。花瓶を落とされた日にあんなところにいたのも謝罪のためだったらしい。絶交したと聞いて以来声がかけられなくなり、卒業式にまでなってしまい申し訳ないと泣いた。


 あたしは本当に真実なんて何も知らない。噂は嘘だよ。だから、きみがしっかり調べて。誰かを正しく助けてあげられるような、立派なジャーナリストになりなね。


 そういって頭を撫でると、アドリアノーヴァは更に止めどない涙を流した。式で涙腺が緩くなっていたヴェロニカがあえなくもらい泣きしたのを、日和宮たち教員は微笑ましそうに眺めていた。

 スマホに目を落としてみるメール画面。一週間前に届いた文面は、日和宮真実ひよりのみや まなみから、以下の通りだ。――フタヒメ・ハーレンレファーの卒業が決まった。

 先にカフェ・ビビッドによって土産の一つを渡すと、学校の事務室に顔を出した。時刻は午後四時丁度で、待ち合わせにはあと一時間ある。校内入場証を貰って校内を見て回ろうかと思っていたヴェロニカだったが、背後からかけられる声がある。

 振り向くと、それほど離れていない駐車場から、一組の教員と生徒がこちらに手を振っている。押す一人と、車椅子に乗った一人。少しも変わらない様子の日和宮と、小学六年生になってわずかに大人びた長い白髪を流すアドリアノーヴァだ。手元には小型のタブレットが置いてある。

「久しぶりだな、変わりはないか」

「先生、本当に、本当にありがとうございます。あたしはいま、父の事務所で非正規の会計をしています。帳簿多くて大変です」

「そうか、立派になったな」

「ヴィランコートさん、お久し振りです」

「おおーっ、美人になったじゃんカメラちゃん!」

「えへへ、褒めたら全部出ます」

「何が!?」

 恩師にハグし、可愛い後輩の頭を撫でたあと、フタヒメことについてヴェロニカは尋ねた。外出中で、もうすぐ到着するらしい。思えば、二年で卒業だ。それは、ヴェロニカが思い描いていたなかでほぼ最良の奇跡だった。どんなことがあったのか、詳しく聞きたい。会えなかった時間のことを知りたい。でも、どうやって声をかけようか。絶交は終わっていない。自分たちは離れることを選んだままだ。はじめに何を言うか、どう謝るか。長かった往路のなかで手帳が半分埋まるくらい整理してきたはずなのに、いまここに至ってどれも正しくなく思える。

 ところで先生、アドバイスを頂きたいんですけど……。日和宮に口を開きかけて、ヴェロニカの言葉は止まった。車椅子に座った教え子と話していた教師の表情がほんの一瞬恐ろしいほど青ざめた直後、周南市の防災無線が響いた。

 警報。旅客機がエンジントラブルを抱えたまま徳山上空を通過するらしい。見上げれば、雲の奥に下松市くだまつし方面から機影が見える。ウェブニュースでは最寄りの自衛隊防府北基地ほうふきたきちに緊急着陸予定だというが、カメラちゃんが咄嗟に開いたタブレットのページが状況のより致命的であることを明らかにする。それは雲間が裂けた徳山沖の漁船からのライブ配信映像で、いま、左右二発ずつのエンジンの内、左側の一つが脱落し、右側の一つが炎上し始めるところが映っている。

 念のため屋内に避難してくださいという周回遅れの放送が響くなか、混乱するヴェロニカの視界の向こう、徳山駅から蛍光色Highlighted in Yellowの爆塵が上がった。その昇る稲妻は、何度も屈折しながら分厚い雲海を貫いて機体を抜き去って、一瞬静止する。架空飾かくうしょくだ。ライブ配信のカメラの拡大を確認するまでもない。中層雲以上の高度に至ることのできるのは、第七分類以上のそれだけだ。

 咆哮があって、能力が轟き、天上に何重もの波濤が拡がる。市内に墜落するはずのエンジン一基を横に浮遊させたまま、航空機が、南へと航路を変える。向かう先は海だが、安定していない。V遠心とH遠心、軸と指向性。二つの遠心力が揃って初めて何かを制動し、運ぶことができる。機体の周囲に黄金を巡らせて飛び回り、超高速で遠心方向を切り替え続けても、片方だけではもたない。

「先生」

 自分たちの奇跡の代償とでも言いたげなありさまだった。警察も、消防も待てない。アドリアノーヴァが表示しているニュースの続報で分かる。あれはジャンボジェットで、乗務員を含めて一〇〇人以上を乗せている。いま、助けられるのは、自分しかいない。あそこにはフタヒメがいる。


 ――落とすな。


 他の遠心科の卒業生たちに緊急連絡を取りながら、日和宮は迷いを押し殺した目をヴェロニカへと向けた。ありがとうございます。一礼したあと、今日のために買ってきたワンピースと帽子を恩師に預け、二人と距離を取る。

 とびっきりの救出ニュースを見逃さないでね。不安そうな表情の車椅子の少女に笑顔を咲かせて手を振り、スタートダッシュを切る。息を整えて躍動する手足に合わせて、およそ六歩でほとんど学校全体を覆うほど吹き上がる朱色の塵埃。小さな待ってて、の言葉と共にぐるん回る身体。最後のターンにより一瞬で架空飾を縮退し、パーカとして身に着けたヴェロニカは、足元に極光を落とすと、ロケットに等しい推進力で飛び立った。

 少し下がって高度五〇〇〇メートル。酸素濃度も、身を裂く寒さも、分厚い朱の着物を召した彼女には関係がない。注視するのは、鋼を軋ませながら彼方で旋回する一つの機影。その上で一人回る女性。名前は――

「フタヒメ! こっちだよ!」

 全ての想いを込めて叫ぶ。V遠心第七分類。振り上げた手が世界を叩く。紅蓮の虚空Voidに似て、空に刻まれる架空飾の亀裂。すると、瞬く間に、近づいてくる。ヴェロニカの方向へ、巨大な鋼が迫る。十分気付かれていたから、接触までは三秒しかなかった。それを、ずっと待っていた。炎上する鉄に煽られる黒髪も、照らされる凛とした白い肌も、吸い込まれそうな濃紺の瞳も、一瞬のうちに眼前にある。

「ヴェロニカ! 手を!」

 減速した旅客機の巡航速度、時速六〇〇キロメートルで正面衝突する二つの身体。爆音を伴って、全天を侵す衝撃波のなかで、互いに掴んだ手を放さない。ぐるんと景色が廻る度に、二色の粒子が全ての雲を吹き飛ばしながら拡がって、同心円状の環を刻む。ふざけた轟音の落ちる空は水面だった。架空飾かくうしょくは天地を粉虀ふんせいする。筆となった足元に滑る輝線。彼女たちが何重にも描く楕円の面が伸び上がって栄え、それぞれに無限数の星々に似たミクロの光をはらんで宇宙が張られていく。炎上し、いまにも爆散しそうな乗り物の上。パーカーも翻り、髪の逆巻く中空で、複雑怪奇な五次元球を描きながら回転が続く。風切り音。地上も、天上もあまりに遠い火のなかで、二人は踊る。いつか踊り切れなかった、ヴェーニーズワルツを。

「卒業をおめでとう!」

「めでたくない! 二年もかかった!」

「花瓶、助けてもらったとき、お礼言えなくてごめん!」

 何度も何度も軌跡を重ねて、いまや数万枚の銀河色の葉がそよぐ海上。ぶちまけられた架空飾の絶景。全ての超常が根差すエネルギー波の激動のなかで、彼女たちはそれでも声を張り上げた。

「お父さんと会えた!?」

「会えたよ、ありがとう! フタヒメとも早く会いたかった!」

「よかった! うん、僕も! ――寂しかった!」

「あたしも!」

 剝離した右翼を新たに周回軌道に投入する。機体に穴は開いていない。乗客たちは無事のはずだ。数秒ごとに、遠心能力操作の対象が増え、制御が困難になる。無数の瓦礫片を巡らせて踊り続けるが、速度を落とすには距離がいる。減速分も含めて、八分、約一〇キロ。標地点は、フェリーの路線を避けた、南東。下松市、笠戸島かさどじま西海岸三キロメートル地点だ。息が上がり、心拍も激しい。この壮絶な奇跡の宇宙の回転は長くは持たない。眼下は、周南市から垂れ下がった緑一色の半島が映る。もうすぐだ。せめて、海に。次第に頭痛の響く脳に無数の方程式を描きながら制動を続けていると、ふと、間近で声がかかった。

「お久し振り! ヴァーミリオンちゃん。こっからはうちらに任せっし」

「イエロー、よく頑張ったね、ありがとう」

 高度が十分下がったおかげで、新しい三つの回転体が二人に追いついた。日和宮が連絡を入れたらしい。徳山工場群コンテナ運搬班、第六分類の遠心能力を持つ六人が、代わりに空を支配して、全てのエンジンと片翼を失った航空機を運んでいく。

「……ヴェルサイユさんは、僕を唯一制御できるV遠心として、先生が会わせてくれた。ビビッドの店長もそう。基礎は出来ていたらしいんだ。おかげで二年で卒業できた。失礼なこと、とてもたくさんしちゃったけど……」

 まだ息が荒い。何を言って良いのだろうか、あれだけ張れていた声が出ない。二回の冬を跨いだ空白。近場の砂浜で寝転んだ二人の沈黙を破ったのは、賑やかでないもう一人の声だった。クリーム色の髪の彼女は、隣で空を向いたパートナーの横顔を見ながら答える。そこから、流れるように言葉が続く。

「……良かった」

「うん」

「あたしが一緒に卒業させてあげられなかったのが、ちょっとまだ悔しいけど」

「意外と根に持つんだ」

「根に持つってなんだよ、めっちゃ学校じゃ斜に構えてたくせに」

「あー、それいったら泣き虫何にも直ってないじゃん」

「は? あれ、あたしいま泣いてる? あれ、フタヒメ?」

「はいはい、なに」

「フタヒメも、泣いてる?」

「……え?」

 ヴェロニカは、寝転んだパートナーの頬を指で拭った。それは、間違いなく涙だった。

 透明で、嘘のない、数年ぶりの、涙だった。

「はは、泣いてる、僕泣いてる」

「うん」

「一人で卒業しやがってさぁ」

「うぇえー、いってることめちゃくちゃじゃん」

「ヴェロニカも卒業できること黙ってた」

「分かった」

「黙ってた!」

「うわ、分かったから、耳元でうっさ!」

 信じられないくらい張り上げられた声に顔をそむけたヴェロニカは、しかし、すぐに戻って小柄なパートナーを抱きしめた。ぎゅっと、抱き返される。肌に食い込む指の痛さが感じられるほど、もう離さないように、お互いを強く掴む。落ち着いていく息遣いの背景となるように、遠くから音と光が注ぐ。二人で身体を起こして、その景色を視る。

 カツンと鳴る鉄の重奏。三つの閉曲線。舞うVermillion蛍光色Highlighted in yellowの粒子。望む海の奥、航空機の無骨な肌から漏れだすオーロラにも似た二色の力場が、鎮火した晴天の機影を包み、尾を引き、推進していく。

 世界が虚飾に塗れても、どこかに輝く真実がある。遠心力は、猜疑心によって遠くなってしまった心を連れ戻す力だ。愛を、優しさを、諦めないで。どんなに行き過ぎてしまっても、きっと帰って来られるのだから。

「フタヒメ、迎えに来たよ。アメリカに戻ろう」

「うん」

 触れた額に伝わる温かさと、ざらざらの砂の感覚が心地よかった。言いたいことも、聞きたいこともたくさんあった。けれど、いま、もう言葉は要らない。架空飾パーカーを脱げばシャツ一枚だ。三月のまだ冷たい風、海岸線に桜の散るなか、すりよせた肌と心拍を感じるまま、二人の涙は混ざって温かく意味を変える。これから未来に向けて、生きていけるように。


 『Centrifugirls2――遠心少女たち――』が放映されるのは、

 それから四年後のことになる。

 

 ――Predicted 第一章 架空飾 了

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