指導教官室ー2
Photon epoch 3
煤煙のネビュラ、作業灯の海。
星を地に敷けば、この景色をほかに、描かれるべきものはない。
日付が変わるころ、四階建ての新校舎の
遠心能力って、どこから来たの。幸せってなに。生きる、死ぬって、どういうこと。怖い夢ばかり見る。自分たちについて、未だ何も解明されてない。希望を与えるというのは傲慢だった。頑張ったけど、あの嘘っぱちのドラマが救ったのは自分だけだ。フタヒメは引き籠っていたあたしを主役にしようとしてくれようとしたけど、あたしたちは世界の背景みたいなものだ。想い出は瞬く間に真っ黒になった。架空を演じても何ものにもなれない。未来なんて、特別なあたしたちにはない。それが、先生にも、きっと分からない。遠心能力を持たない先生には。――ごめんなさい。
指導教官室を満たした言葉たちを思い返しながら、
「遠心力は、原始の時代に生まれた未来に向かう力だ。どんな明日も可能性に溢れすぎているから、お前はまだ何ものにもなれるよ」
直後、水際に倒れた台地の奥に、蛍光色と朱色の粒子が吹き上がる。花火の炸裂に等しく、凄まじい逆光に背を叩かれた日和宮は知っていた。
ヴェロニカは声を失っていた。美しかった。眩く、なにより温かかった。凄まじい技巧だ。ひとを楽しませたいという気持ちがなければ、出せない輝きだ。同じ遠心能力者のはずなのに、どんな前向きな強い心があれば、
彼方、半島状の
空の轍が途切れた先を呆然と眺めるヴェロニカ。降りてきて日和宮と話しているのは、二人の女性だった。特別性の車椅子の一人を、右目に眼帯をしたもう一人が押している。ヴェロニカと同じく、どちらも日本人に顕性の顔立ちではない。二○代前半に見える彼女たちが咲かせる、鮮やかな笑顔。胸元の卒業証明が、孤独のなかに立つ少女の目に映る。
Multiple-Class of 2014 Hallelujah
Horizontal-Category6
重複学級 平成二四年度卒 アレルヤ
H遠心 第六分類
Multiple-Class of 2014 Versailles
Vertical-Category6
重複学級 平成二四年度卒 ヴェルサイユ
V遠心 第六分類
重複学級。つまり、遠心能力以外の障害を持った眼前の女性たちは、そのことを全く抱えている様子がない。いまに至るまで、どれほどの力強さが彼女たちのなかに流れていたのか分からなかった。眩い歓声のなかでさらに輝く、別宇宙のひとだ。居場所のないヴェロニカが数歩後退ると、日和宮に別れを告げた二人は真っ直ぐ向かってきた。
「そろそろ戻るかっ……て、ヴァーミリオンちゃんじゃん! うえーい、初めまして!」
「え? は、はじめまっ」
「あれ? 泣いてっし? 素敵な美人さんなのに勿体ないっしょ、えーい!」
「や、やめてください、あたしなんかに……」
「何いってんの、なんかじゃないよ! だって、ねえ」
逃げられなかった。先に滑り込んで来たのは車椅子だった。北欧系の白い髪に、上目遣いのアイシャドーがきらめく。アレルヤと名乗った眼前の女性の手が伸び上がり、翻って色付くはずの自らの惨めさえ、触れる肌の柔らかさに溶けていく。引け腰で涙の線が残る頬をなされるがままにもちもちされていると、もう一人の女性が後ろからきゅっと抱き締めてきた。同じ北欧系で、ヴェルサイユという眼帯をした方だ。
背に押し付けられる豊かな胸、肩口を抱く細い腕、正面に相変わらず咲く優しい笑顔、そのグレーの双眸。摂氏四度。いま、夜は鮮やかだ。満天の星々と灯る工場夜景を背景に、遠く、コンテナを巡る二つの輝きがある。全ての動きが、スローモーションに映った。通りから響く拍手や、カメラのシャッター音に混ざって、声が耳元に響く。
初めはひどい作品だと思った。創作未満だとなじる子もいた。
誰かにわたしたちのことを代弁されるのは不快だった。
でも、あなたは本気だった。一生懸命で、真っ直ぐだった。注意深く全てのことがらにケチを付けてやろうと見張っていたわたしたちは、すっかり魅了されてしまった。最終回が終わって、学校の仲介があって、みんなこの仕事に就くことになった。
あなたが『Centrifugirls』で勇気をくれたから、わたしたちは自分を好きになった。
素晴らしい歓声を呼び、徳山をより鮮やかにすることができた。
ありがとう。素敵な後輩さん。みんなあなたが、大好きだよ。
「こらー! うわー、泣かしちゃだめっしょ! ヴェルサイユ」
「ごめんなさい。そんな、そんなに!?」
人間からまだこんなに水が搾れるんですねというくらい泣き散らかしたヴェロニカの周囲で一通り慌てたあと、第六分類の二人は仕事に戻った。陸屋根の端、パラペットから飛び出す車椅子は、朱に黄金の差した回転体となって吹き上がり、彼方の二つの円の軌道に加わった。
星辰の位置が静かに巡っていく。しばらくして泣き終わった少女は、教師に向き直った。涙を拭い、鼻を鳴らしていう。
「あたし、今年度で卒業したいと思います」
現在、教員と生徒に第五分類以上のV遠心能力者がいないことを知っていたヴェロニカは、白い息を吐きがら視線を上げる。学校から出ていく。フタヒメを一人不自由のなかに残すことになる。宇宙がどれだけ広くても、いま自分たちを理解できるのは自分たち以外にいない。卒業後の進路として考えたことだが、ヴェロニカが四年をかけて教員免許を取って学校に戻る前に、パートナーの将来は閉ざされているだろう。その前に、絶交までしておいて、手伝うことをフタヒメが認めてくれるとは思えない。
「先生」
真実染みた確信がある。眼前の教師に、能力制御を手伝うことは出来ない。遠心力は、ほとんど未知であって、人間がUFOに飛び方を教えるくらいの不可能がそこにはある。この力は、本来どんな綺麗ごとも届かないところに位置する。聞いた全ての迫害の過去と自分たちのいまが嘘でないのだから。
さらに、ヴェロニカは知っている。日和宮もまたささやかながら障害を持っている。この学校の友達にも少なくない、脳の障害だ。いつも厳格に振る舞う釣り眼の美人は、自分の行ったことをしばしば記憶してないことがある。付き合いが長くなっていくにつれて、ヴェロニカたちはそのブレに気付くようになった。何度か与えた課題を覚えていなかった。初めに尋ねたときに思い詰めた表情で精神障害を告白されたことから、それ以来何も追及することはなくなったが、第七分類の二人にとっての共通認識はこうだ。目の前の女性は優しく熱心だけれども、必ずしも頼りになる大人というわけではない。前の卒業試験模試でドームに現れなかった理由についても、クリーム色の髪の彼女は尋ねていない。
泣いて、泣いて、想いが募るばかりで、結局何も解決していない。目を開けば、不可能だけが色付いている。考えれば考えるほど、何もかもがダメだと分かる。けれども、自分した演技のように、希望はあるのかもしれない。先輩たちが織り成す景色のように、未来はあるのかもしれない。だから、ヴェロニカは、ほかの何も眼に入れない力強さで眼前の指導教官の蒼い瞳を見つめた。パンっと、手を掴む。――限りないほどの祈りを込めて、盲信の言葉を口に出す。
「日和宮先生。どうか、フタヒメをよろしくお願いします」
「任された」
返答は直ぐに、短かくあった。
それ以上は、二人とも誰も何も言わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます