指導教官室ー2

 Photon epoch 3


 煤煙のネビュラ、作業灯の海。

 星を地に敷けば、この景色をほかに、描かれるべきものはない。

 日付が変わるころ、四階建ての新校舎の陸屋根おかやねから見下ろす海岸線は、光と音に満ちていた。空を掻くクレーンも、煙突に灯る航空機除けの照射光も、視界を薙ぐ徳山工場群とくしゃまこうじょうぐんの手足となって、夜を賑やかしている。二〇二二年一二月二四日、終業式を今日に控えたの冷たさが、雲のない空の下の二人を包む。、降りた月の灯りが、世界を淡くする。

  

 遠心能力って、どこから来たの。幸せってなに。生きる、死ぬって、どういうこと。怖い夢ばかり見る。自分たちについて、未だ何も解明されてない。希望を与えるというのは傲慢だった。頑張ったけど、あの嘘っぱちのドラマが救ったのは自分だけだ。フタヒメは引き籠っていたあたしを主役にしようとしてくれようとしたけど、あたしたちは世界の背景みたいなものだ。想い出は瞬く間に真っ黒になった。架空を演じても何ものにもなれない。未来なんて、特別なあたしたちにはない。それが、先生にも、きっと分からない。遠心能力を持たない先生には。――ごめんなさい。


 指導教官室を満たした言葉たちを思い返しながら、日和宮ひよりのみやは足を進める。端のせり出したパラペット部分に乗ると、鮮やかさに目を見開いたまま固まっているヴェロニカの視界の中央で振り返った。波音。天にも地にも星々を湛えた夜を裏面に控えさせて、一人の教師は生徒に手を伸ばした。全ての喧騒は蒼の双眸にもだす。一呼吸ほどの空白を置いて、日和宮は心からの穏やかさで言う。

「遠心力は、原始の時代に生まれた未来に向かう力だ。どんな明日も可能性に溢れすぎているから、お前はまだ何ものにもなれるよ」

 直後、水際に倒れた台地の奥に、蛍光色と朱色の粒子が吹き上がる。花火の炸裂に等しく、凄まじい逆光に背を叩かれた日和宮は知っていた。新南陽しんなんようコンビナートでは超大型コンテナ運搬のために、深夜勤務の遠心能力者が雇われている。カメラのシャッター音と、多くの歓声が学校前の通りから聞こえてくる。架空飾かくうしょくで夜をいろどる六人は、全員新南陽総合支援学校しんなんようそうごうしえんがっこうの卒業生たちだった。浮かぶ巨大な貨物を囲んで、踊る。三つのツートンカラーの回転体がそれぞれ軌道を共鳴させて、三次元的に空中に生み出される様々な幾何学模様の図形。この光景は、『輝ける周南プロジェクト』として、先進的な市の観光政策に一役買っているほどだ。

 ヴェロニカは声を失っていた。美しかった。眩く、なにより温かかった。凄まじい技巧だ。ひとを楽しませたいという気持ちがなければ、出せない輝きだ。同じ遠心能力者のはずなのに、どんな前向きな強い心があれば、架空飾パーカーをこんなに正しく使えるんだろう。伸びる影。輝線から零れる明かりの洪水が、自分の浅ましさを黒く色づけて拡げる。流れる涙を散らしながら首を振る。ごめんなさい、やっぱり手を取れない。クリーム色の髪をくすませて数歩後退った彼女の目が、さらに開かれたのは、その少し後だった。

 彼方、半島状の荷捌き地コンテナヤードの上に三つの閉曲線によって描かれていた造形が解かれる。もっと正しく言えば、最も外径を回っていた一つが、さらに大きく離心して周南バルクターミナルを軸に弧を描いた。混ざる朱色と蛍光色。内湾を照らしながら駆ける相克の軌跡。それは、海側から迫って徳山工場群の煤煙を潜り抜けると、減速し、新南陽総合支援学校しんなんようそうごうしえんがっこうの屋上に滑り込む。

 空の轍が途切れた先を呆然と眺めるヴェロニカ。降りてきて日和宮と話しているのは、二人の女性だった。特別性の車椅子の一人を、右目に眼帯をしたもう一人が押している。ヴェロニカと同じく、どちらも日本人に顕性の顔立ちではない。二○代前半に見える彼女たちが咲かせる、鮮やかな笑顔。胸元の卒業証明が、孤独のなかに立つ少女の目に映る。


  Multiple-Class of 2014   Hallelujah

  Horizontal-Category6

  重複学級 平成二四年度卒  アレルヤ

  H遠心 第六分類

 

  Multiple-Class of 2014  Versailles

  Vertical-Category6

  重複学級 平成二四年度卒  ヴェルサイユ

  V遠心 第六分類


 重複学級。つまり、遠心能力以外の障害を持った眼前の女性たちは、そのことを全く抱えている様子がない。いまに至るまで、どれほどの力強さが彼女たちのなかに流れていたのか分からなかった。眩い歓声のなかでさらに輝く、別宇宙のひとだ。居場所のないヴェロニカが数歩後退ると、日和宮に別れを告げた二人は真っ直ぐ向かってきた。

「そろそろ戻るかっ……て、ヴァーミリオンちゃんじゃん! うえーい、初めまして!」

「え? は、はじめまっ」

「あれ? 泣いてっし? 素敵な美人さんなのに勿体ないっしょ、えーい!」

「や、やめてください、あたしなんかに……」

「何いってんの、なんかじゃないよ! だって、ねえ」

 逃げられなかった。先に滑り込んで来たのは車椅子だった。北欧系の白い髪に、上目遣いのアイシャドーがきらめく。アレルヤと名乗った眼前の女性の手が伸び上がり、翻って色付くはずの自らの惨めさえ、触れる肌の柔らかさに溶けていく。引け腰で涙の線が残る頬をなされるがままにもちもちされていると、もう一人の女性が後ろからきゅっと抱き締めてきた。同じ北欧系で、ヴェルサイユという眼帯をした方だ。架空飾パーカーを邪魔しないヒートテックの薄着が服越しに触れる。同じ薄着だったら心拍が聞こえただろう。

 背に押し付けられる豊かな胸、肩口を抱く細い腕、正面に相変わらず咲く優しい笑顔、そのグレーの双眸。摂氏四度。いま、夜は鮮やかだ。満天の星々と灯る工場夜景を背景に、遠く、コンテナを巡る二つの輝きがある。全ての動きが、スローモーションに映った。通りから響く拍手や、カメラのシャッター音に混ざって、声が耳元に響く。


 第六分類の半ダースHexad VIアレルヤHallelujahと、ハルシオンHalcyonと、ヘリックスHelixと、ボヤージュVoyageと、ヴォルテックスVortexと、わたし。この六人が、新南陽総合支援学校しんなんようそうごうしえんがっこうで名字の分からない最後の世代だった。みんな世界に希望が持てなくて、遠心能力のない人たちに対する猜疑心に満ちていた。けれど、ある日、ドラマが始まった。

 初めはひどい作品だと思った。創作未満だとなじる子もいた。

 誰かにわたしたちのことを代弁されるのは不快だった。

 でも、あなたは本気だった。一生懸命で、真っ直ぐだった。注意深く全てのことがらにケチを付けてやろうと見張っていたわたしたちは、すっかり魅了されてしまった。最終回が終わって、学校の仲介があって、みんなこの仕事に就くことになった。

 あなたが『Centrifugirls』で勇気をくれたから、わたしたちは自分を好きになった。

 素晴らしい歓声を呼び、徳山をより鮮やかにすることができた。

 ありがとう。素敵な後輩さん。みんなあなたが、大好きだよ。


「こらー! うわー、泣かしちゃだめっしょ! ヴェルサイユ」

「ごめんなさい。そんな、そんなに!?」

 人間からまだこんなに水が搾れるんですねというくらい泣き散らかしたヴェロニカの周囲で一通り慌てたあと、第六分類の二人は仕事に戻った。陸屋根の端、パラペットから飛び出す車椅子は、朱に黄金の差した回転体となって吹き上がり、彼方の二つの円の軌道に加わった。

 星辰の位置が静かに巡っていく。しばらくして泣き終わった少女は、教師に向き直った。涙を拭い、鼻を鳴らしていう。

「あたし、今年度で卒業したいと思います」

 現在、教員と生徒に第五分類以上のV遠心能力者がいないことを知っていたヴェロニカは、白い息を吐きがら視線を上げる。学校から出ていく。フタヒメを一人不自由のなかに残すことになる。宇宙がどれだけ広くても、いま自分たちを理解できるのは自分たち以外にいない。卒業後の進路として考えたことだが、ヴェロニカが四年をかけて教員免許を取って学校に戻る前に、パートナーの将来は閉ざされているだろう。その前に、絶交までしておいて、手伝うことをフタヒメが認めてくれるとは思えない。

「先生」

 真実染みた確信がある。眼前の教師に、能力制御を手伝うことは出来ない。遠心力は、ほとんど未知であって、人間がUFOに飛び方を教えるくらいの不可能がそこにはある。この力は、本来どんな綺麗ごとも届かないところに位置する。聞いた全ての迫害の過去と自分たちのいまが嘘でないのだから。

 さらに、ヴェロニカは知っている。日和宮もまたささやかながら障害を持っている。この学校の友達にも少なくない、脳の障害だ。いつも厳格に振る舞う釣り眼の美人は、自分の行ったことをしばしば記憶してないことがある。付き合いが長くなっていくにつれて、ヴェロニカたちはそのブレに気付くようになった。何度か与えた課題を覚えていなかった。初めに尋ねたときに思い詰めた表情で精神障害を告白されたことから、それ以来何も追及することはなくなったが、第七分類の二人にとっての共通認識はこうだ。目の前の女性は優しく熱心だけれども、必ずしも頼りになる大人というわけではない。も、クリーム色の髪の彼女は尋ねていない。

 泣いて、泣いて、想いが募るばかりで、結局何も解決していない。目を開けば、不可能だけが色付いている。考えれば考えるほど、何もかもがダメだと分かる。けれども、自分した演技のように、希望はあるのかもしれない。先輩たちが織り成す景色のように、未来はあるのかもしれない。だから、ヴェロニカは、ほかの何も眼に入れない力強さで眼前の指導教官の蒼い瞳を見つめた。パンっと、手を掴む。――限りないほどの祈りを込めて、盲信の言葉を口に出す。

「日和宮先生。どうか、フタヒメをよろしくお願いします」

「任された」

 返答は直ぐに、短かくあった。

 それ以上は、二人とも誰も何も言わなかった。

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