指導教官室ー1
Photon epoch 3
また同じ夢を見る。満天の星を湛えた草原から立ち上がって、彼方、神社を構えた小高い丘の上に、炎を上げる飛行機が落ちていく。母の乗ったものだ。羽を拡げた大きな鉄の影しか見えないそれは、爆音と地鳴りをご立派に響かせて、遠い黒煙の下で四散する。どんな機体に乗って、何処に落ちたか知らないので、夢の度に機影も場所も変わる。ただ、コンクリートと鉄に満ちた街中でも、
お母さん、お母さん。焼け焦げた残骸に辿り着いたころには、たいてい雨が降ってきて、自分の擦り傷から漏れる血を洗い流してくれる。今回は二つに中折れしたジャンボジェット機だった。鉄板の影に入った途端に、鳴る警報。枝垂れた酸素マスクを掻き分け、散らばった亡骸に顔をしかめながら、探す。何処の座席から順番に、あるいはランダムに調べていっても、最後の最後、――もしかしたら乗っていないのかもしれない、と思い始めた段になって、母は見つかる。記憶が過去のものになるにつれて、より原型を残さない無惨さで、シートベルトに縛られている。
今回も、あと一人、空予約を除いた最前のH1番席を残すのみになった。ベージュの服の女性の背中がある。ヘッドレストは外れ、晒された首元から肉と骨が覗いている。あれだ。進みながら、床に満ちた血と瓦礫に何度も足をすくわれ、死臭が肌と服にこびりつく。正面に立って、母と判って、絶叫して、この夢は終わる。いつもの繰り返しと分かっていても、頭のなかのぐちゃぐちゃした色は変わらない。中学のときに卒業していれば、こんなことにはならずに済んだのだろうか。失うことも、うなされることも、怖い思いをすることもなく、ただいま、と伝えられただろうか。
「おい」
母の亡骸の引力に導かれる身体の後ろから、声がする。伸ばされて、力強く自分の肩を掴む手がある。うるさい。誰だ――。振り返らず、血肉に錆びた床を踏みつける。一息の間に顕現した
奇妙な静寂のなか、いい加減振り向く。女性だ。強い意志と威厳を顔に浮かべた女性が、蛍光色のドレスに身を包んで目の前に君臨している。汗にべたつく自分とは反対に、冷気を伴った白い頬が動く。赤黒い臓腑の散っていた鉄板の上。超然は相手のものだった。グロテスクさだけが満ちる雨天。一切の穢れのない様子より、続いて発される言葉より、ヴェロニカは、見慣れた女性の胸元に下がった名刺ほどのアクリル板の文字に目を奪われた。
「いい加減起きろ」
Centrifugal-Class of 1998. Manami Hiyorinomiya
Horizontal-Category10
遠心科 平成一〇年度卒
H遠心 第一〇分類
「え……?」
「一番恥ずかしいもので目覚めたか、おはよう」
おぞましい闇の色彩が解かれ、明度を取り戻した瞳。身体の熱っぽいままのヴェロニカは、指導教官室のソファーに座らされていた。ぼんやりと眼前に垂らされたアクリルの小物をすっと袖にしまった教員が、安堵の息と共に小さな笑顔を向けてくる。
冬コスメ雑誌、ご当地デザートカタログ、『Centrifugirls』の特装版DVD、歴史研究書、天文図鑑、ほか様々。長身を折り曲げ、山積みにされた書物をテーブルの上から片付けるスタイルの良い女性に、教え子はぼんやりした頭のまま言葉をかける。
「先生、いまのそれ、何なんですか、第一〇分類なんて――」
「あぁ、気分を悪くしないでほしいんだが、これはただのオモチャだ。高校時代、友人の卒業証明を真似て作った。私に
「それは……」
「訓練ドームの録画は確認している。会話の内容もだ。隠して辛いなら、ここで終わらせよう。私はお前たちが大切だ。まずは顔を洗ってこい」
体育座りをしている自分の腕と足に包帯が巻かれているのに気付いて、ヴェロニカははっと目を開いた。淡く照らされた指導教官室。もっとよく見まわせば、腰を下ろした長いソファの横には、ビニール袋が置いてある。顔に水を浸しながら、思い出す。
「フタヒメと絶交して、全部捨てようと思ったんです、それ」
小学部の体験学習で作った
綺麗なコップを成型してみせたあの笑顔が、金箔を使い過ぎてほぼ黄色になったのをちょっと居心地悪くしていた様子が、お互いの秘密を少しずつ分け合っていった筆致が、間違ったもの買っちゃった、とお揃いで色違いのプレゼントを同時に申し訳なさそうに差し出したことが。
自分がかけた言葉と共に、甦る。
――えー、あたしの方がつるつるしてて綺麗だよ。
――気にしないで、ゴージャスでいい感じじゃん。
――身体測定のときにちょっと浮いて盛ってたの何でばれてんの!??
――ははは、
試験ドームから出たヴェロニカは、亡霊の足取りだった。寄宿舎から持ち出した荷物を抱えたまま、自分たちの教室に戻って、自分の椅子に座って、これからどう接していいか分からない隣のフタヒメの幻想をみていた。四時間そのままだったことは、時計を見て初めて分かった。
ようやく記憶が鮮明になる。顔を拭いていたタオルが手元から落ちて、込み上げてくる絶望。無言のまま数歩進んで、ソファーの隣。強く床を蹴る音と共に、ビニール袋を床に叩きつけようとしたところで、振り上げた腕が止まる。
「落ち着け」
ワルツのピクチャーポーズのような動静があった。風を切って乱雑に踏み出される右足と、静かに引かれる左足。蛍光灯の光を甲に浴びて凶暴に伸び上がった右手と、その手首を優しく掴む左手。もう、みんな壊すしかない。全てがさらなる破滅の動に繋がろうとした一瞬を、少し高い目線から見下ろす教師の静が緩やかに霧消させる。
再び柔らかなソファーに腰をかけさせられたクリーム色の髪の彼女は、吐き戻すように、今日の出来事を語った。噎せ、あれだけ流しても枯れていない涙を浮かべながら、時折途切れるその話に、日和宮は口を挟まなかった。
あらかた説明し終わったところで、はっと顔を上げたヴェロニカは、いままで以上に青ざめた表情になった。彼女がまた思い出していたのは、フタヒメとの時間を、一一年を、後ろで見守っていた一人の恩師の姿だった。絶交をした原因、卒業できることを黙っていることは、自分だけが損をすることだと思っていた。けれども、本来ほかの生徒に使える時間を、目の前の教師から奪っていたとしたら。
見る間にまたくしゃくしゃになっていく女子高生の顔をみて、日和宮は部屋奥の冷蔵庫に向かった。取り上げられる、何十本ものひんやりとした
「落ち着け。私はどんな損もしていない」
「でも、もっ……もっ……」
「お前は若く操作能力に長けた優秀な遠心科生だ。大喧嘩したまま絶交した親友なら私にもいるし、行った悪事など指の数では足りんわ」
「だけど、もっ……もっ……」
「世界の底はお前の思っているよりずっと深いし、お前は生涯それに触れることはない」
「もっ……がっ……ちょ……」
「どうした、抹茶味の方が好きだったか」
「ぶっはっ、死ぬ、死ぬって!!」
ねじ込んで、ねじ込んで、ねじ込んだ。何かしら反論しようとするたびに次から次へと外郎を口のなかに放り込まれたヴェロニカは、涙の意味を全く別のものに変えて喚いた。日和宮から手渡されたペットボトルの水を受け取って飲み切ると、ぷはぁと息を吐く。ぶるぶると振られる首。汗が散り、舞うクリーム色の髪。闇に、しかしやや光を取り戻した瞳で相手を見て、未だ自分の地獄にいるままのヴェロニカは口を開いた。
「聞いてください。あたしのことを、もう少し」
「ああ。思うことはすべて話してしまえ。外で見せたいものもあるしな」
目線が合い、二人だけの世界が始まる。そのとき、一つのものがその部屋から消えたことに、生徒は気付かなかった。机に積まれた道具類の一番下に埋まっていた黄色の手帳。彼女を目覚めさせるために最初に眼前に翳された一冊の表紙に刻まれた以下の文字列が、女子高生の目に入ることはない。
June 27th, 1970 14:27:04 ――
「先生。遠心能力って、何なんですか」
問われた言葉が、彼女たちの時間を乗せて進んでいく。
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