絶交

 Photon epoch 3

 

 どうして世界に怪物がいないのだろうと思うときがある。自分たちの能力でしか倒せないような、強大な敵のあることを祈るときがある。そうすれば、確固たる居場所が与えられる。みんなと協力して、遠心力に前向きな意味を背負って、頑張れるのに。

 しかし、いまのところ自分たちの敵は、意地悪な同級生だったり、二択以降絞れない国語の選択問題だったり、未だ決まっていない就労先だったり、冬の寒さだったりしている。


 重力がそうであるように、遠心力もまた、未開の力であり続けている。

 自分たちの特別さなんて、本当はほとんど何処にも置く余地がない。

 最も合理的でない架空こそが、現実なのだろうか。

 宇宙からひとりはじかれたような異質さだけが、いつも変わらず隣にいる。 


 事件から一週間が経った。建物の破損などは特になく、怪我人も出なかったらしい。日和宮ひよりのみやに正しく事情を説明すると、話は一瞬で教育委員会まで行き、能力を行使した二人は数時間の説教だけで赦された。周南で一番の店のコロッケパンセットと一緒に手元に戻った、二八〇円。親に連れられた三人組は、応接室で思ったよりずっと真剣な様子で頭を下げて来たため、クリーム色の髪の彼女の方が反対に慌ててしまうほどだった。もふもふのコートに身を包んだヴェロニカは、すぐにいつもの調子を取り戻す。悪態をついたり、嫌がらせをしたりしてきた多くの生徒の謝罪に対して、許しますが『Centrifugirls』がめちゃめちゃ面白いとTwitterで呟きまくってトレンドに乗せてくださいというやや不正なマーケティングをかましすぎたせいで、困った顔をした日和宮にたしなめられる事態にまでなっていた。

 ただ、悪影響が何もなかったわけではない。学校の敷地に入らんばかりの抗議団体に、今日も今日とて事務員が対応している。特別支援学校は知的障害や、四肢障害ほかを持つ子どもたちのためのものであり、遠心科は介助員や看護師等が多いことから新たに付設されたに過ぎない。設立から二〇年以上たっても、変わらずよそ者だ。一般障害生の保護者からの抗議の電話は、遠心科が卒業のために活動を活発にする、冬のこの時期に多くなる。いつも挨拶をする重複学級や知的単独の友達も、少しずつ学校を離れていく。遠心科以外は将来的に徳山に再編が決まっているせいで、今日も転校生のお別れ会が開かれている。

「一昨日、第八分類になったんですよ。だから、さよならを言おうと思っただけなのに」

「急に殴って来るからじゃん!」

「三年間騙してたことが、お咎めなしとでも思ったんですか」

「さ、最近止められるようになったの!」

「本当ですか」

「嘘ですけどぉ……」

 開館ギリギリの夕刻。呼びつけられたドームで、ヴェロニカに向かって奔ったのは、蛍光色Highlighted in yellowのパンチだった。直ぐに朱色Vermilionを着込んで後ろに飛び退ると、加速の爆音を響かせて激しい追撃が始まった。蛍光色が駆り立て、朱色が身を翻し、二色は回る。会話を乗せて巡る軌跡。それはまるで踊りのようで、ついには彼女たちは互いを掴んで壁に何度か激突し、もみ合いながらドーム中央の床に落ちた。北面に深く埋め込まれたモニターには『シンプソンスケール・カテゴリー5。まずは力を抑え、集中して踊りなさい』とアドバイス表示がある。ドーム外であれば、壊滅的な被害をもたらす台風の暴威を、二人の喧嘩は振るったことになる。卒業後、遠心能力者たちは災害の度にアリバイ等の取り調べを受ける決まりなのを、ヴェロニカは思い出した。荒い息遣いと、衣擦れの音が響く。複雑な幾何学模様を描いた二色の残滓の淡く溶ける天井を見上げながら、クリーム色の髪の彼女は倒れたまま、言う。

「ほとんど一二年。お母さんとお父さんと過ごした時間の二倍だよ? 一緒にいたの。ねぇ、一緒に卒業しようよ。第八分類になっても、頑張ろうよ。ビビッドさんも困ったら雇ってくれるっていってるし!」

 遠心能力は乳児期に極めてささやかな段階から発生し、増悪を続け、六歳までに分類を固定する。ただ、成人に至るまで、さらに分類が増悪することがしばしばある。H遠心第八分類。聞いたことのないカテゴリーを耳にして、全く無根拠に明るく返すヴェロニカに、フタヒメは激怒しなかった。到底理解できるはずもない自分の程度を受け入れようとしてくれるひとのありがたさを、知らないわけではなかったからだ。

 しかし、小さな黒髪の彼女の感情は全く穏やかなものにはならない。三年が無意味だったらしい。中学卒業からほとんど全ての学生を無視し、教員を値踏みし、ほかあらゆる交流を切り捨てて、捻出した訓練の時間が。ヴェロニカを卒業させたい。その一心で、頻繁に接触を試みてくる大切な人を振り払う悲しみも、どんなに心ない彫像のように思われても良いという決意も。

 あの嘘ばかりの創作では希望のある風に描かれたが、展望は最悪だ。自分のせいで、ヴェロニカは母に会えなかった。父の元にも戻ることができないでいる。彼女は、遠心能力なんてカスみたいなものを抱え込んだ自分たちに、――特にH遠心の制御不能能力者に――まともな将来があると思っているらしい。少し見ただけの海外の情勢や、日本のニュースでもひしひしと伝わってくる。遠心力は、創作のように行き過ぎない。行き過ぎるまでもなく、一歩踏み出すことさえ、ほとんど世界の監視下にある。ビビッドのことは尊敬しているが、社会に居場所を持っている大人は何とでもいえる。自分たちはまだ混沌のなかにいる。

「へぇ、小学部一年のとき郊外活動で迷子になって泣いてた子が進路について語ってますよ」

「そんな古いこと覚えてて性格悪いぞー、同じ班のフタヒメだって泣きながら探しに来たじゃん!」

「あんたもしっかり覚えてるじゃないですか」

 それが友達になったきっかけだったんだから、忘れるわけないでしょ。と加えられたヴェロニカの言葉に、くしゃくしゃになったコートのまま寝転がった小柄なもう一人は、思わず口をきゅっと結ぶところだった。昔は同じように泣いていたのに、気付けばフタヒメだけが泣けなくなった。卒業できる用意が全く整わなくて、それどころではなかった。高等部でした学業と訓練以外のことと言えば、『Centrifugirls』への出演依頼を受けて、ヴェロニカを部屋のベッドから起き上がらせたくらいだ。ねぇ、ドラマに出ない!? カーテンの閉め切られた寄宿舎の扉をこじ開け、かけた言葉は逆効果だったらしい。あんなフィクションごときに時間を割かず、一人で制御の努力をし続ければ、少しはマシになっていたに違いない。

「ねぇ、ヴェロニカ。あなたは将来何になりたいんですか。僕は、いま、何も思い浮かばないから、参考にしたくて」

 まずは一緒に卒業でしょ、と返しかけた長身の彼女は、倒れたまま潤んだ目で自分の名前を呼ぶ同期生を見て、言葉を飲み込んだ。ゆっくりと手を伸ばせば、指が絡み、繋がり合う。やがて、ほんのちょっとの距離を隔てて、想いが行き戻りを繰り返す。

「女優さんかな。人前に出て、希望が与えられるような仕事なら、何でもいいけど。経験があるの、それしかないから……」

「いいじゃないですか、なれると思いますよ」

「無理だよ。あたしたちは本来そういったものに参加できない」

「いずれ出来るようになるんじゃないですか。諦めちゃだめです」

「やけに前向きだなー」

「先に卒業して欲しいですし」

「そうしたら、うっざい社会人マウント取っちゃうよ」

「いいですよ」

「へーい、学生諸君、君たちはいつも学校で楽をしている! あたしたちは汗水たらして毎日働き、ええと、とても苦労している! いいの?」

「いいですよ」

「美味しいもの食べたのとか逐一自慢しちゃうよ。いいの?」

「いいですよ」

「あー、見て下さいこれが博多ラーメンです。君たちは今日も市内の飲食店ですか。何年も良く飽きませんねぇ、おほっほっほっほ! いいの?」

「いいですよ」

「……ずっと、良くないって顔してるよ」

「いいって、僕がいってんだから、いいんですよ」

「あたしは一緒に卒業したい」

「したくないです」

「敬語やめてよ」

「……うっさいですね! 出てけよ! 人が黙ってやってんのにさぁ、あーあー、言ってやる。チャラにしようと思ったけど言ってやる」

 フタヒメは想う。社会は羽搏くものでなく縛られるもので、未来は拓くものではなく呑まれるものだ。お互いに痛いほど手を掴んだまま、二人は立ち上がる。深い呼吸音のあと、足元から影を焼く爆光。吹き上がった二色の噴煙がパーカーの形に折り重なり、導かれるように踊る。ヴェニーズワルツを。

「これ以上振り回したくない」

 続けて、想う。愛とは、きみの全ての不幸と心中するので、僕のことは知らなくて良いということだ。それなのに、ヴェロニカの不幸は、あろうことか自分の能力の未熟さに起因しているらしい。最低すぎる。ほとんど、何もかもを壊してしまいたくなるほど。

 巡る。たった一回転目から、それは踊りではなくなった。中央に位置する朱色Vermilionのパーカーを、蛍光色Highlighted in Yellowが超絶な遠心力で外側へ引く。六〇〇メートル毎秒。初速だけでいえば火星の地表から無限遠の彼方に吹き飛ぶ勢いの小柄な一人を、長身のもう一人がしっかり掴んで、壁への激突に留める。円状の横面に映った数多のCAUTIONの表示が視界を滑る。激動に重ねて散る火花に、過ごした日々が想起される。繰り返す昼夜のようにドームを瞬かせる警告灯のなか、二人は天地を巡らせて回りながら、口論を続ける。

「制御し切る気でいたんです。それが、やっぱり全然無理で、その上第八分類にまで増悪して、どうしろって言うんですか僕に。出ていけよ! 助けがないと卒業できないとでも思ってるなら、余計なお世話だ図に乗んな」

「ひどい、そんなこといって、自分一人は卒業できなくてもいいと思ってんでしょ」

「思ってないし」

「嘘吐くな」

「嘘吐きはあんたと同じです、あんたの方が百倍酷いわ百万馬鹿バカミリオン

「馬鹿じゃないし」

「馬鹿じゃん、あんな嘘っぱちのポリコレクソドラマなんか真に受けちゃってさぁ」

「誘ってくれたときあんなに嬉しかったのに! あたしはいつまでだって待てるよ! ずっと学校にいたっていい、そのとおり、馬鹿だよ! 勉強はまだまだできない。だから、別に外になんて出られなくてもいい!」

「じゃぁ、今度はお父さんが死ぬまで待ってくれるんですか」

「……あ、えっ、こっこのぉ、それいうのなしじゃん! 最低ッ!」

 困惑して、叫んで、力の入れ方を変える。地球から垂直に伸び上がっていた遠心力の指向を、反転させて、強化する。V遠心はH遠心と違ってほとんど上下以外に指向性の自由度はないが、その出力はより強大だ。ぶわっと、ヴェロニカの背から噴き出して形を成す二対の朱の翼。COUTIONの煌びやかな表示。その一瞬を背景に、クリーム色の髪が逆立って、重力加速度一万ガルを振り下ろす。日常の一〇倍以上の地球中心への向心力が、爆音を伴い、中空の二人を床面に叩きつける。

 フタヒメのH遠心は動いた自らが纏った遠心力を操る力。何の前触れもなく行使できるヴェロニカのV遠心と異なり、拘束されれば全くの無力で、それはどれほど分類が高くても同じらしい。指一本動かせない黒髪のパートナ―に馬乗りになって、ヴェロニカは息を吐く。朱と蛍光色の架空飾パーカー同士が触れあい、混ざり合って甲高い干渉音かんしょうおんを上げる。それは、もし誰かが傍目に見ていれば、何もかも疲れ切ったこれからの会話の、裏で響く叫びに聞こえただろう。

 どんな架空に希望を抱いても、行き過ぎて、取り戻せないものがある。時間と、命だ。そのどちらもを想った二人の意地の張り合いは、涙交じりの小さな言葉に落ち付く。

「何でこんな喧嘩しなきゃなんだよ……このばっか、最低、ばか」

「馬鹿で良いですから、……僕のために、もう、取り返しのつかないことにならないで」

「だからそれは、――いいよ、わかった」

 ヴェロニカは、力を解いた。合わせて、仰向けの態勢で彼女に組み敷かれていたもう一人も、纏った色を消す。Z判定を意味するブザーが鳴り響く。赤い警告灯が、フードを脱いで汗まみれの彼女たちを照らす。姿勢を変えないまま、黒髪の相手の口元から小さな血の線が漏れているのを見つけたヴェロニカは、壁面に何度も叩きつけられた自分の左足と右腕から同量の出血があるのに気付かないまま、立ち上がった。

 一番の友達で、好きで、近付いてばかり来たから、距離を取るのは不慣れだった。ドームの入り口まで五〇メートルもない。後ろが気になりながら、彼女は進んだ。一歩、二歩、あまりにも簡単に心を遠ざけてしまう遠心力とは違う、ゆっくりな速度で。足を滑らせ、こけるたびに、背後から悲鳴があがった。耳を抑えようにも、片手の動きは鈍い。二人の間で決着はついていた。だから、警報が止まり、最低最悪な内容の踊りの結果が壁面に表示される無音のなかで、背を向けたまま言葉を聞いた。

「……ヴェロニカ、絶交です」

 覚悟をしていたのに、こんなに痛い。三年間騙していたのを謝ることも、花瓶を止めてくれたのを感謝することも、いまはとか、一旦とか、保険を掛けさせることも出来なかった。狂いそうだ。あと一歩で入り口の認証機の前に辿り着く距離でなければ、叫び声をあげて振り返ってしまうところだった。衣擦れの音に、あっ、という小さな呟きが二度続く。ヴェロニカは、震える手でしわくちゃの服のポケットから学生証を取り落とし、拾い、もう一度取り落とし、やっとしっかり掴んで、読み取り機に当てる。立って腰をかがめてを繰り返して、弱り切った彼女の目にこれ以上ないくらいの涙が溜まっていく。


 V遠心第七分類 ヴェロニカ・ヴィランコート

 H遠心第八分類 フタヒメ・ハーレンレファー

 動試験シミュレートZ判定、維持時間一三秒。 

 

 二人の遠心能力は拮抗したので、理論上第一〇分類まで対応できる訓練ドームは平時の顔を保っている。非常時緊急通知も飛んだ様子はなく、監視カメラに録画されている自分たちの暴挙が明らかになって、それなりの説教を受けるのは明日以降だ。

 ドアが開く。旧校舎に通じるコンクリートの遊歩道の上には、数多の星々がもう浮いている。全てがすれ違い、ついに分類すら隔たってしまった。あれだけ多く光っているのだから、そのうちの一つくらい、いまここに落ちてきて、今日のことがすべて嘘になればいいのに。宇宙に届かない自分の力を振るわない理性が、鋭く心を刺す。吹き込む澄んだ冬の夜の空気が、クリーム色の後ろ髪を引く。月影を返す濡れた頬。無意味に涙を拭って言葉を残したヴェロニカは、頷き、言葉を残して、その場から逃げだした。

「――分かった。さよなら、フタヒメ」

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