熊谷の聖天稲荷ずし 🦊
上月くるを
熊谷の聖天稲荷ずし 🦊
JR熊谷駅南口の改札口に孫娘のニコニコ顔を認めたケイコは、大きく手を振る。
おばあちゃ~ん、いらっしゃい! スミレも胸の前で小さく手を振ってくれる。
連れ立って構外へ出ると、日本一の猛暑の街にもさわやかな秋風が吹いていた。
うわあ、気持ちがいいね~! 見上げた青空には鱗を重ねたような一面の鰯雲。
おばあちゃん、朝から電車に揺らて来て疲れたよね、バスかタクシーにする?
やだね、年寄り扱いはやめとくれよ、あたしゃ韋駄天走りのおケイちゃんだよ。
だったね。あ、そういえば、先日のマラソン大会でも成績よかったんでしょう?
六十歳以上の部で四位だから、まずまずかね、あ、総数は訊かないどくれ。(笑)
🚉
娘夫婦が駅から徒歩で十分のところに家を建てたというので、飛騨から出て来た。
久しぶりの遠出だったが、日頃からの筋トレがモノをいって、さほどに応えない。
DNAなのか娘も孫も運動系でスミレは陸上部の短距離で県大会に出場している。
コロナの収束を見据えて活気がもどって来た街に、音や色や匂いがあふれている。
そのとき、遠くのほうから奇妙なアナウンスというか口上(?)が聴こえて来た。
訝しげな目を孫娘に向けると「キッチンカーだよ、
――おきつねさまも 神さまも
角が立たない お稲荷さん
おひとつご供養 如何かな
ア ソレソレ ソ~レっと
おばあちゃん、見たらびっくりだよ、一個がこ~んなになが~いお稲荷さんなの。
肩幅を縮めて示してみせるスミレの話によれば、なんと十数センチもあるという。
その巨大な稲荷と干瓢巻きをセットにしたものが熊谷名物の聖天稲荷ずしだとか。
やわらかな油揚げが破けたところに干瓢を巻いて補強するのも大きな特徴らしい。
キッチンカーのスピーカーが近づくにしたがい、ケイコはにわかに空腹を覚えた。
そういえば、朝、飛騨を出るとき、漬物ステーキでおむすびを食べたきりだ……。
🚙
ふと気づくと、ケイコはなぜか黄八丈に桃割れを結って江戸の下町に立っている。
なにこれ? まさかとは思うけど、流行りの転生とか~? 勘弁してよね~。💦
ケイコの困惑とは関係なく、埃っぽい通りには侍、町人、百姓が行き交っている。
時代小説で読んだ
頬かむりをしたその顔を見て、ケイコは思わず息を呑む、あら、竹内涼真くん?!
こう見えてケイコはあの手のイケメンに目がないのだ、年甲斐もなく……。(笑)
若い娘の視線に気づいた棒手振は、まぶしそうに細めた目をさりげなく逸らした。
そして、今度はしっかりと正面から見つめ直すと、朗々と口上を述べ立て始める。
――
一本が十六文 ヘイヘイ ありがたい 半分が八文 ヘイありがたい
一切れが四文 サア めしあがれ うまくて大きい大きい稲荷さま
あらま、男前はやはり声もいいのね~、ケイコはうっとりと黄八丈の袂を重ねる。
どうだね、別嬪さん、お安くしとくよ……棒手振は少し声をひそめて囁きかける。
やだわ、あたし、そんなんじゃないわ、いえ、そんなんでもあるけど◇※△*☆
きれいなねえさんならとくべつに、お稲荷さん一本四文にしとくぜ。(。・ω・。)ノ♡
👘
おばあちゃん……おばあちゃんてば、どうしたの? さっきからひとりで笑って。
スミレの声ではっと気づくと、転生が転生したのか、現代の熊谷にもどっていた。
なんだかホッとしたりガッカリしたり……竹内涼真くん? いるわけないか。💦
ヘンなおばあちゃんと言いながら、スミレは聖天稲荷ずしの由来を話してくれた。
郷土学習で地元の講師から教わったのだそうだが、もともとは江戸の貧しい宗教者による発祥で、現世ご利益をうたった稲荷神社とともに全国各地に伝わったらしい。
利根川南岸の武蔵熊谷妻沼地区は水運、水質、米、大豆、それに隣国下野(栃木)の名産である干瓢にも恵まれていたので、特徴ある形状の聖天稲荷ずしが誕生した。
よく勉強したね~、えらいえらい。わたしもひとつ、いただいてみたくなったよ。
そう思って、ママ、準備しているみたい、それから坂東太郎(利根川)の鰻もね。
飛騨牛と
転生から再転生したケイコは、すっかりおばあちゃんの顔にもどっている。(笑)
※参考文献
渡辺未紀「稲荷ずし縁起―埼玉・妻沼に伝わる江戸の稲荷ずしに関する一考察―」
熊谷の聖天稲荷ずし 🦊 上月くるを @kurutan
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