第5話 色摘み
ミントグリーンを辿ってた流れ着いたのは、北北東の花畑だった。
海面の下に青系統の花が群生している。
「師匠、これが海の花ですか?」
落ちるのではないか、と心配になるほど船から身を乗り出して海の中を見ていたミントが、やっと顔を上げて首をかしげた。
僕の呼び方については師匠を採用することに決めたらしい。ちなみに僕はミントを呼び捨てにしている。もう客ではなく弟子なので。
「そう、見るのは初めて?」
「たぶん……?」
ミントのあいまいな答えに対し、僕は「たぶん?」とオウム返ししてしまう。
ミントは首をかしげて、
「むかし、生まれた村の近くの海で、似たようなものなら見たことがあります。夜だったからよく見えなかったけど」
ミントの答えを聞いて、おそらくそれは海藻だろう、と僕は思った。
陸から近い海に花が生えていることも稀にあるが、多くの場合は海藻だ。
「ミントが見たのは海藻だろうね。見た目は似ているけど、色を抽出できないところが花と大きく違う」
「チュウシュツ?」
「花から色を取り出して、瓶に入っているような液体の状態にすることだよ。これからやり方を教える」
「はい」
素直に頷いたミントに、僕は話を続けた。
「ミントが彩色師になりたいなら絶対に身に着けないといけない技術だし、彩色師にならなくても、ミントには必要な技術だよ」
僕がそう言うと、ミントは不思議そうに「彩色師にならなくても、ですか?」と首をかしげた。
「そう。ミントみたいに生まれながらに色を宿した人にはね、一色だけ、身体の色を消せる対色っていう色があるんだ。ただし、その色は自分自身で花を摘んで、抽出して、混ぜて作った色でないといけない」
「赤色が消せるのですか?」
ミントが指先を太陽に透かして、自身の赤色を見つめる。
「彩色師になってもならなくても、その赤色は消した方がいい」
ミントがわずかに表情を変えたが、喜んでいるのか、あるいは寂しがっているのかよく分からなかった。あまり良い思い出がなくても、自分の身体を流れる色には愛着があるのかも知れない。
少しの間、指先の赤色を見つめていたミントだったが、やがて手を降ろすと僕に向けて頭を下げた。
「はい。がんばります。よろしくお願いします、師匠」
それから僕らは海に潜った。
この‟潜る”というのが普通の人間には難しいというのが僕には不思議なのだが、実際に普通の人間を海の上に放り出すと良くわかる。地上の浅い水たまりにでも突っ込んだかのように身体の表面が海水に浸かるだけで、それ以上は沈まないのだ。
ちなみに服や靴だけなら沈む。が、地上の植物の繊維と海は相性が悪いようで、雨に濡れるのとは違って、海から引き上げるとあっという間に海水が垂れて抜けてしまう。
『海に潜ったら、花弁だけを摘んで集めてきて。つぼみは取っちゃだめだよ。それと、一つの枝から花を取りつくさないで、必ず二、三個は残すこと。籠がいっぱいになったら船の上に戻っておいで』
ミントは、海に潜る前に僕が説明した内容に忠実に、枝から枝へ渡りながら花を集めている。潜ることができるというのは本当だったものの、泳ぎが得意と言うわけではない……というか下手なようで、作業の進みは遅かった。
ミントがゆっくりと籠一杯分を集める間に、僕は三杯分を集めて先に船に戻った。
「っぷは!」
僕が船の上で待っていると、少し離れたところでミントが海面に顔を出した。
「師匠、見て下さい。いっぱい集めました!」
ミントが籠を持ち上げて僕に見せつける。見れば確かに籠いっぱいに青みの花が集められている。
ミントは初めて見るような笑顔をしていて、ずいぶん楽しげだった。
「よくがんばったね。船に戻っておいで。休憩にしよう」
船に戻ったミントは、僕の収穫量と自分の収穫量を比べていささかショックを受けたようだったが、すぐに笑顔に戻った。
「ミント、いますごく楽しいです。泳ぐの下手だけど、すぐに上手になります!」
「そう、それは楽しみだね」
何の気なしに答えながら、僕は少しどきりとしていた。
今までずっとミントの顔を隠していたフードが、初めて頭から降ろされていて、ミントの顔が良く見えるようになっていたのだ。
ミントの透明な顔の中を日の光が反射する。少し暮れ始めた夕日のせいか、彼女の身体の中を通る赤色のせいか、うっすら赤く色づいている。
光の反射が浮き上がらせる滑らかな頬のラインや筋の通った鼻の起伏、小さな口元……、姉があれだけ美人なのだから当然といえば当然なのだが、ミントの顔もずいぶん整っていた。
「……将来、すごい美人になるかもね」
「師匠?」
ミントはきょとんとして首をかしげただけだった。
透明背海の彩色師 ヒツジ @from13to15
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