第5夜 悪魔
「たっだいま~!」
「ただいま〜」
美奈は元気よく家の玄関の扉をあけ、履いていた靴を脱いだ。
後から家に入ってきた明希也は、姉とは対照的に悲しい雰囲気を漂わせる。
「みなねぇ、あきにぃ、お帰り~」
結衣はふたりの帰りを出迎えるために玄関へと歩いてきた。
「ただいま結衣、さぁさぁ! 今日は私が作るわよ~」
美奈は結衣の頭を撫でた後、台所へと買ってきた食材を運びに行った。
それを笑顔で送った結衣だったが、美奈が行ったのを確認すると、途端に表情を変えて、俺に攻め寄ってきた。
「どうしてみなねぇが作ることになってんのよ! ちゃんと止めてって朝の時に言ったよね!?」
「すまん結衣。 だけどな、俺だって頑張ったんだぞ! 頑張って説得したんだ!」
「頑張っても結果がこうじゃダメじゃない! あぁぁぁ〜もう!」
結衣は姉の料理が阻止できたなかった事を聞いて、強く握った拳をブンブンと上下に振った。
「今日のみなねぇの料理、あきにぃが多く食べてよね!」
「はぁぁ!? お前、俺が死んでもいいのかよ!」
「そんな大げさだなぁ、大丈夫だって......たぶん」
結衣が小さな声で言った最後のセリフを、俺は聞き逃さなかった。
「今たぶんって言ったな! 聞こえたぞ!」
「あっ! みなねぇ、私も手伝うよ~」
結衣は俺の言葉には耳を貸さず、台所で調理の準備をしている姉の元へ走っていった。
「おい結衣、まだ話は――」
■
「さぁできたわよ!」
食卓には美奈の作った料理が並べられる。
「鍋料理か......」
運ばれてきた一つの大きな鍋を見る。
空腹のはずだ――はずなんだが、食べたいという感情が全く出てこない不思議な感覚に襲われた。
美奈がフタを開けると、中に入っている肉や野菜などの具が、煮えたぎった汁の湯気と共に現れた。
(うわぁ、色が明らかにおかしい! おぇぇ、あと香りも!)
「美奈流、豚肉鍋料理・青物野菜汁! たくさん食べてね」
鍋の中をよく見ると、汁の色はぶどうの皮のような紫色をしていて、食欲をゴリゴリに削いでくるひどい悪臭が俺と結衣を襲った。
(野菜をミキサーにかけて、ドロドロの状態で汁に使ったのかよ......)
どこの何から質問しようかと考えていたが、その鍋料理を見ていくうちに、体の底からだんだんと湧き上がる謎の熱気を感じ取る。それと同時に何かが自分の中でプツンと切れる音がした。
「あぁぁぁ! 野菜は具のまま入れろよ! なんでわざわざ液状にしたのぉぉ!?」
俺はついに我慢できずにツッコミどころが多すぎる姉の鍋料理に一言放った。
「野菜全部使ってないわよ? ちゃんと最小の数の野菜を使って水に薄めて作ったから味はそんなに濃くなってないわ。 美味しいから液状でも大丈夫よ。 しかもちゃんと具の状態の野菜もあるじゃない」
美奈は突然大きな声を出す明希也を不思議そうに見て、冷静に説明していく。
「いやいや、俺が聞きたいのは味とか野菜の数とかそういうことじゃなくて!」
「だって好き嫌い多くて食べないでしょ、あんたは」
「いや、あれは姉さんの調味料が--」
「私の調味料がなに? なんかあんの?」
今日こそはという気持ちで覚悟を決め、姉に文句を言おうとしたが、美奈が放つ殺気にも似たような感情は、俺の覚悟を簡単に折ってしまった。
「......なんでもないです。 すぐ食べます」
(なんか、今日は最後まで言える感じだったんだけどな......なんだろ......もう疲れた。 てか、なんで姉さんは大丈夫なんだよ!)
季節は冬であるにも関わらず、顔からは汗が出てくる。それが鍋の熱さで出たのか、はたまた姉に恐怖を感じて出てきた冷や汗なのか、俺には判断がつかなかった。
椅子に座り、受け皿と箸を仕方なく取る。
美奈も支度を終えて、同じく食事を取ろうとする。
そこで俺は気づいた。
先ほどまで美奈の料理を手伝っていた結衣がどこにもいないことに。
「あれ? 結衣は?」
「結衣? 自分の分を取って先に食べちゃったわよ。 3人で食べたかったんだけど学校の課題終わらないっていうから、仕方なくオッケーしたの」
それを聞いた明希也は、へなへなと椅子にもたれ掛かった。 顔を引きつらせて苦笑し、もうどうにでもなれという気持ちだ。
「あは......あははは」
気が付けば部屋の明かりがより眩しく感じる時間帯。
外は真っ暗闇に染まり、とても静かだ。
俺と美奈は、夕食の片付けをして電気を消し、おやすみの挨拶を交わした。
自分の部屋に戻った俺は腹を手で優しくさすり――
「く......食ったぞ。 全部食った......ふぅ」
ベッドの上に寝そべった。
さすがに、すぐ眠ることはできないと、感じていたが、疲れている体を休ませるためにも横にだけはなっておかなければ。
(......また夜が来るのか)
明希也は懐中電灯型のルミナを枕元に置き、静かに目を閉じた。
■
「......ん?」
ゆっくりと目を開けたが視界がボヤけていて、周りがはっきりと見えなかった。
だが、ボヤける視界でも自分が外にいることだけは、なんとか理解する。
(......なんで俺、外にいるんだ?)
寝ている状態から上半身をゆっくり起こして視界をはっきりさせるために瞬きを数回した。
自分がいつも目にしている街が見える。しかし、すぐにその街が普通ではない事に気づいてしまった。
「なんでこんなに......どう......して」
明希也の町は都会という訳ではなかったが、それなりに大きな建物が多い。だが、建物と呼べるものは見る限りでは見つけることができず、見渡す限りの瓦礫の山、山、山――それらが高く積み重なっていた。
人の気配も全くなく、まだ日が出ているのに夜のような静けさである。
本当に自分が住んでいる町なのか疑い始めたが、いつも通っている道だけが、俺に少なからずの確信を与えてくれた。
だが、その変わり果てた街の光景を前に、どうすればいいのか分からなかった。
「そうだ......おれの......俺の家! 結衣と姉ちゃんは!?」
まだ、はっきりと現状を理解していなかったが、真っ先に自分の家、家族のことが頭に浮かんでくる。
俺は自分の家へ続く道をまっすぐ凝視し、足を踏み出し始めた。
しかし、数歩足を動かしたところで、すぐ後ろから聞こえた大きな音で身体の動きが止まる。
(な......なんだ!?)
振り返ると、黒いモヤかなにかで全身を覆われているものがそこにはあった。
ヒトの形をしているようだがしっかりと認識できない。
「なんだよお前......」
質問を投げかける――が、謎の黒色の生物が放つ異様な殺気を感じ取り、思わず恐怖で距離を取る。
だが、よく見ると黒い生物が手の部分に何か持っているのに気がついた。
「お前......それ......うそだろ」
黒い生物が手に持っていたものを見て思わず叫び声を上げそうになる。
いや、叫ぼうにも言葉が出てこなかった。
目に入ってきたのは変わり果てた妹の結衣と姉の美奈の姿。ふたりとも息をしていないことが一目でわかるほどひどく身体が傷だらけで血だらけであった。
始めに感じた恐怖の感情が、次第に腹の底から湧き出る怒りの感情に変わり、怯えていた体を無理やり動かす。
「てめぇぇぇ! なにしてんだぁぁぁあ!!?」
怒りで恐怖感が無くなり、近くに落ちていた鉄パイプを拾うと、俺は黒い生物へと一気に詰め寄り、頭の部分に殴りかかった。
だが、黒い生物は影から黒色の触手のようなものを一本出して、俺の攻撃を難なく防いだ。
防がれただけで持っている鉄パイプが曲がり、もう武器としては使えない形になってしまった。
「なんなんだよ! てめぇ!」
両手は攻撃を防がれた反動で痺れ、激痛が走った。
怯んでいる明希也に容赦なく、黒い生物は影を明希也のへその右上に強く刺さしこむ。
自分の体に何かが刺さるという初めての感覚に襲われ、明希也は言葉にならない声を叫んだが、喉から這い上がってくる何かを吐き出すために声が止まる。
我慢がきかず、それを地面に吐き出した。
乾いたアスファルトの道に絵の具のようなはっきりとした赤色の液体が広がっているのが見える。
黒い生物が間を置かずに、刺さった影を上に動かし、明希也の体を持ち上げた。
それもゆっくりと楽しむようにして。
明希也は痛みにもがき、地面から離れた両足をばたつかせるが、痛みは一層増していく。
「くっ......いってぇぇぇ!!」
痛みを堪え、両手両足を使って刺さっている影を身体から抜き取る。
だが、影を抜き取ったと同時に空中から下に落ちていき、地面に強く叩きつけられた。
「早く......逃げねぇと」
立ち上がろうとするが、刺さった影を抜き取ることに力を使ってしまい、もう身体に力が入らない状態だった。
謎の黒い生物が近づいてくる。気配が後ろから大きくなっていく――
このままだと殺される。
分かっていても、だんだんと力が抜けていく身体をもう自由に動かすことができない。
顔色は色を失い、次第に白くなっていく。
だが、明希也はガスを吐き出すかのような呼吸をしながら、生きようと必死に抵抗した。
「......っ!」
黒い生物から死に物狂いで逃げている俺の前に、白い靄が漂い始めた。
それは次第に大きくなり、揺れ動き、人の形を形成していく。
「なっ......!」
はっきりと人間を形成した白い靄。その顔を見て、俺は大きく目を見開いた。
――父さんと母さんだ。
その二人を見た途端、動かせないと思っていた俺の顔は、自然と起き上がった。
「ずっと探してたんだよ。 どこ......行ってたの......二人とも」
俺は声を振り絞った。今まで抱えていた気持ちを伝えるために――。
「帰ってきてくれよ......結衣も美奈も......すごく寂しがってたんだよ?」
口から血が止まらなかった。
息をするのも苦しかった。
けれど――俺はできるだけ苦しい表情を見せないように、二人に笑いかけた。
まっすぐに俺を見つめている二人は、『ごめんね』と俺に口を動かした。
「いいよ......許すよ......許すから......もう帰ってきてくれよ」
両親の姿をした靄が俺に近づいてくる。
そして、二人の手が俺の手に触れた。
「ははっ......何も感じねぇや......もうすぐ死ぬからかな......」
二人はずっと悲しそうな顔をしている。
何を思っているのだろうか......。
分かんないよ。分かりたいよ。だからさ――
「もう一度......もう一度でいいから......会いたいよ......だめかな」
俺は目に涙を浮かべながら、そう言った――。
しかし突如、両親の幻影を無残にも消し去り、黒い生物が姿を現した。
くたばりかけの俺をあざ笑うかのように、もう黒い生物は俺の前に立ち、無数の影を出していた。
俺は抵抗を止め、仰向けの状態になり、殺される覚悟を決める。
はっきりとしない視界の中、黒い生物の顔らしき部分が最後に映った。
「お......お前は......ダレ......なんだ」
黒い生物は無数の影で明希也の身体を貫いた。
■
「うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
飛び起きたと同時に頭が何かに当たり、痛みでもう一度大声で叫んだ。
ぶつかった頭の部分を手でさすりながら、顔を前に向けると見慣れた顔がそこにはあった。
「び......びっくりした〜何なのよもう!あきにぃどうしたの?」
家族である妹の結衣の姿だった――
辺りを見回す。
俺は生きている妹の姿と見慣れた自分の部屋の存在に、今まで起きたことが夢の出来事だと理解した。
先ほどぶつかったのは妹の頭だったことも状況を見て把握できた。
俺は呼吸を整えてから笑顔を作り、結衣に――
「すまん、怖い夢見ちゃってな」と言った。
睨みつけていた結衣だったが、それを聞いて呆れたのか、安心したのか、深いため息をついた。
「まったく、ご飯できてるから早く来てよ」
そう言って結衣は立ち上がり、ぶつぶつと何かを言いながら俺の部屋から出て、ドアを強く閉めていった。
少しして落ち着いた明希也は、ベッドから起きて立ち上がろうとしたが、その動作の途中で、先ほど大声で叫んだせいか、喉の調子が少し悪くなっているのを感じ、口を手で閉じて弱く咳き込む。
咳は思いのほか長く続き、簡単に止まると思っていたが、止めるのに少し時間がかかった。
やっと咳がやみ、口から手を離してみると、まばらに赤い色がついている自分の手がそこにはあった。
「俺の......血......なのか?」
少し困惑したが、ベッドの横にあるティッシュでそれを拭う。
(父さん......母さん......会いたいよ......)
でも、今は吐いた血よりも――両親とはもう――本当に会えないのかもしれないと、俺はあの夢を見てそう思った。
シャドウズ saji @saji-shadows
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