番外編【書籍1巻発売記念SS】健康への道のり

2023年11月2日 書籍版『酔っ払い令嬢が英雄と知らず求婚した結果』の書籍1巻が発売となりました!その記念SSとなっております。


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 まだユーベルト領に引っ越す前――誘拐事件が落ち着いた頃のこと。

 ヴィエラは休日にもかかわらず早い時間帯に目を覚ました。夜明けを迎えたばかりで、太陽はまだ低い位置にある。



「んー、二度寝は無理そうね」



 仕事に忙殺されていたここ数年、休日は睡眠貯金の日になっていた。

 しかしルカーシュと婚約し、誘拐事件の件で人事整理された今はすっかりホワイトな労働環境になった。

 過度に疲労の溜まっていない体は、これ以上の睡眠を求めなくなってしまったらしい。



「せっかくだから散歩でもしようっと」



 朝食の時間までまだ余裕がある。せっかくだから軽い運動をして、より健康体を目指すのも悪くないだろう。

 ヴィエラは庭園へと足を運ぶことにした。

 外に出て深呼吸すれば、花の香りを含む澄んだ空気が心地よい。庭師が丹精込めて育て上げた植物たちを楽しみながら歩く。

 すると、低い生垣の奥に先客を見つけた。



(ルカ様だわ! ルカ様も今日はお休みのはずなのに、こんな朝早くから鍛錬しているなんて!)



 ヴィエラの婚約者ルカーシュが、ひとり剣を振っていた。ヒュンと、風を切る音を鳴らしながら、仮想の敵を切っていく。

 うっすらと額に浮かぶ汗を見れば、ヴィエラが起きる前から鍛錬を始めていたことが察せられた。


『空の王者』という異名を持ち、騎士団長としてすでに実力が認められているにもかかわらず鍛錬を絶やさない姿は敬意を抱かずにはいられない。



(私の婿様は相変わらず素敵すぎる……! 大切にしないと!)



 もう何度目になるのか分からない決意を改めてする。

 そのとき、ぴたりと剣の動きが止まった。



「おはよう、ヴィエラ」



 ヴィエラに気付いたルカーシュが、ニッコリと微笑んだ。

 眩しい。元から輝く笑顔なのに、朝日に照らされた汗のキラキラ効果でさらに眩しい。



「お、おひゃようございます。ルカ様」

「はは、まだ寝ぼけているのか?」

「むしろ、また夢の世界に行き……なんでもありません」

「おいおい、大丈夫か?」



 ルカーシュは上機嫌に肩を揺らしながら、ヴィエラに近付いて顔を覗いた。

 ヴィエラは彼から視線をそっとそらしつつ平静を装う。



「……大丈夫です。ルカ様の剣に魅入って、少しぼーっとしてしまっただけです。今日は休みなのに、鍛錬を欠かさないなんて偉いですね。ルカ様の強さに納得しました」

「それは光栄だ。まぁ、朝から体を動かした方が目も頭も冴えるからな。一日の集中力も変わってくるし、体の調子がいい」

「へぇ、そうなんですね」



 言われてみれば、ルカーシュが体調を崩したところを見たことがない。王宮で偶然見かけても、いつも凛としていて疲れとは無縁の涼しい顔をしている。



(ルカ様ほどでなくても運動をして集中できるようになったら、もっと早く魔道具を納品できるようになるのでは? ついでに運動不足も解消できて良いかもしれない)



 ヴィエラは朝の運動に興味が湧いた。

 ただ、彼女は運動に関しては無知だ。



「ルカ様、私にもできそうな運動ってありますか? 仕事効率アップしたいなと思いまして」

「ヴィエラでもできる運動かぁ……よし、屋敷の中に戻ろう。室内でもできる軽いものを、実際にやってみようか。俺は剣を片付けてから行くから、ヴィエラは先に動きやすい服装に着替えて部屋で待ってて」

「はい! ありがとうございます」



 ルカーシュの指示通り、ヴィエラは着替えるため部屋に戻ることにした。

 パンツスタイルになって待つこと数分、ラグを抱えたルカーシュがやってきた。彼は床にラグを広げると、お尻をついて座った。



「腹筋運動をしてみようか。こうやって背を床に着けてから、足裏が床から離れないようにして上体を起こすんだ」



 ルカーシュは手を頭の後ろに組むと、何度も軽快に上体を起こした。

 いかにも簡単そうな運動だ。

 場所を交代し、早速ヴィエラも挑戦してみる……が、現実は甘くなかった。



「ふんんーっ!」



 顔を真っ赤にして、何とか上体を起こそうとするが持ち上がらない。すぐに足の方が浮き上がりそうになってしまうのだ。たちまち背中と床が仲良くなる。

 するとルカーシュがヴィエラの足首を掴んだ。



「足を支えてやってみよう。あと手は俺みたいに後ろで組まずに、前に伸ばしてかまわない」

「はい。では改めまして――んっ!」



 先ほどの苦戦が嘘のように、上体が持ち上がった。もちろん軽々しくはいかないが、不可能から可能になったのは大きい進歩だ。



「良いな。繰り返しやってみよう」

「はい!」



 元気よく返事をして、ヴィエラは指導されるまま何回か上体を起こした。



(……あれれ?)



 背中を下ろして、確かめるようにまた数回上体を起こす。

 そしてヴィエラは気付いてしまった。



(体を起こすたびに、真剣な表情のルカ様と顔が近くなるんだけど!?)



 両想いになってから、ルカーシュとは何度もキスをしたことがある。今さら顔を近づける程度で動揺するなんて……と呆れられるかもしれないが、逆にキスの経験があるからこそ恥ずかしい。

 ルカーシュと顔を近づけるなんて、キスのときくらいしかないのだ。こうやって体を起こすたび、キスの距離感になる。いつもルカーシュから顔を寄せる行為を、自分からしている。

 そう意識してしまったら、もう頭から追い出せない。相手の顔が良いから余計に気になってしまう。

 思わず顔を逸らしてしまった。



「ヴィエラ、それでは首も背中も痛めるぞ。正面を向いてごらん」

「うっ……は、はいっ」



 顔を逸らす作戦が駄目なら、次は瞼を閉じてみる。しかし――



「目をあけて。ただでさえ無駄な力が入っているんだから、充血するかもしれない」

「……!!」



 さすが騎士の鑑で人望を集める騎士団長。助言が的確な上、真面目ゆえに見逃してくれそうにない。



(なんてこった……)



 こうなってしまったら起き上がれない。ヴィエラは休憩の振りをして天を仰ぐ。



「もう限界か?」

「ソウミタイデス」

「じゃあ、あと十回頑張ったら終わりにしようか」

「んん?」

「限界を感じたあとの追加数回が効くんだぞ?」



 ルカーシュは至極真面目な顔で告げる。

 実際、追加十回くらいはできる余裕がヴィエラにはある。ただし、心にはない。ルカーシュが足首を掴んでいる限りは、まともな腹筋運動は厳しい。

 だから苦肉の策を使ことにした。



「えいっ」



 一生懸命な振りをしつつ、完全に上体を起こさず中途半端に止める。ルカーシュの顔に近付きすぎないよう、勢いをつけないようゆっくりめに調整した。

 これに関してルカーシュは注意しない。セーフらしい。

 普通にするよりもなんだかお腹がプルプルするが気にせず続け、ヴィエラは十回をやり切った。



「はぁぁぁ……」

「お疲れ、ヴィエラ。頑張って偉いな」



 ルカーシュの大きな手が、ヴィエラの頭の上に乗る。そしてポンポンと、優しく撫でた。彼の笑みは少年のような無垢さで、純粋に褒めているのが分かる。

 ヘッポコな出来栄えなのに、婚約者が優しい。運動に関しては甘やかさなさそうだったからこそ感動する。ヴィエラの胸はいとも簡単に高鳴ってしまった。



(褒められるのって嬉しい! 継続して頑張ってみようかしら)



 しかし、そう思ったものの翌日――



「痛てて」



 強めの筋肉痛がヴィエラのお腹を襲った。不慣れで力の入れ方を間違えていたのか、軽いものの筋肉痛は足にまで及んでいる。

 部屋から朝食を食べるための食堂が遠く感じてしまう。


 自分の貧弱さを甘くみすぎていた。しばらく腹筋運動はできそうにないため、治ってから再開しようと考える。

 だが、再開するにしても、それはまたルカーシュと顔を何度も近づける行為。やっぱり無理だとすぐに心が折れた。



「ヴィエラ、おはよう。その様子は、筋肉痛になってしまったか」



 よろよろと廊下を歩いていると、今日も朝から爽やかな婚約者ルカーシュがやってきた。



「ルカ様、おはようございます。強いお腹は、並大抵の努力では成しえないと実感しました。ルカ様はやっぱりすごいです」



 ヴィエラは思わずルカーシュのお腹を指でツンツンしてしまう。もちろん、引き締まった弾力のある固さだ。同じ人間とは思えない。



「一方的に触れるなんていけないな」

「え?」



 ヴィエラの手は引き上げられるようにルカーシュに握られてしまう。

 そして指先に軽いキスを落とされた。



「お互いさまってことで、俺も良いよね?」



 つまり次はルカーシュがヴィエラのお腹に触るということだ。



「ひぇ! もう触りません!」

「残念、流されなかったか」



 麗しい婚約者は隙あらば、ぐいぐい先へと進めようとするので油断ならない。こうして甘えるような目線を送ってくるので、ヴィエラは反射で頷きそうになってしまう。


 もちろんルカーシュは紳士なので、ヴィエラが首を横に振ればすぐに手を引いてくれるが……それもいつまで耐えられるか。今回は大丈夫だったが、そろそろ罠にハマる予感がひしひしとしている。



(も、もう少しだけ心の準備期間が欲しいよぉ。いや……先に触った私の自業自得なんだけど、むぅー!)



 ルカーシュはそんなヴィエラの苦悩すら楽しむような笑みを浮かべ、握っていた手を組み直して恋人繋ぎへと変えた。



「さぁ、食堂に行こうか」

「……はい」

「筋力を鍛えるものではなく、今度は疲労回復にも良い柔軟体操をしてみようか。これなら翌日も筋肉痛の心配がいらない」



 歩きながら、次の運動のお誘いをもらう。筋肉痛がないのなら大歓迎だ。だから――



「ぜひそれで!」



 そう即答したのだが、再びヴィエラが照れてしまう状況に陥ったのはまた別の話。

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婚活で追い詰められた貧乏令嬢、酔った勢いで神獣騎士と知らないまま婚約を持ちかけた結果、溺愛がはじまりました!? 長月おと @nagatsukioto

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