第73話「帰郷」


 独特な白い皮を持つ木が集まった広い森に、寒さに強い作物畑、雪下ろし不要の三角屋根の家が並ぶ集落――ユーベルト領の小さな街の上では、この国の神獣グリフォンが優雅に羽ばたいていた。

 その背には次期当主の女性と、彼女を守る黒髪の騎士が乗っている。

 街を越え、丘の上の屋敷の裏を目指す。ふわりと、グリフォンが優雅に着地した。



「ルカ様、ティナ様、お疲れ様です」



 正式にユーベルト領の次期当主に指名されたヴィエラが、王都から運んでくれた功労者に労りの言葉を送る。

 黒髪の騎士――ルカーシュが頬を差し出して、視線で追加の労いを催促する。

 ヴィエラは顔をほんのり染めて躊躇ってから、彼の頬にキスを送った。


 ルカーシュの顔が緩む。合格らしい。ヴィエラを下ろすと、屋敷裏に建てられた厩舎に相棒アルベルティナを連れて行った。

 その姿を眺めながらヴィエラは、クスリと笑いを零した。



「本当に立派になってしまったわね」



 新しく建てられた厩舎は立派で、裏庭は綺麗に整備され、古さが目立っていた生家の屋敷はまるで新築の顔をしている。両親に到着の挨拶をするため裏口から入れば、中も見違えるほど修理が行き届いていた。安心してルカーシュを住まわせられそうだ。

 しかし、屋敷に住むのはまだまだ先の話だ。



「お父様、お母様、じゃあ私たちは街の家に行くね。何かあったら魔道具で信号を送って」

「義父上、義母上、これからお世話になります」

「ルカーシュ君、不便があったらいつでも言いなさい。ヴィエラ、しっかりするんだよ」

「そうよ。ルカーシュ君も家族なんだから、私たちに遠慮は不要ですからね」



 両親は、すっかり婿にデレデレしている。今では『君』付けで呼ぶほど親しい関係を築いていた。

 大結界の解除未遂の事件から一年、約束通りルカーシュは神獣騎士の団長を引退し、無事にユーベルト子爵家に婿入りを果たした。

 挙式という一大イベントは残っているが、早く婿入り先の土地に馴染みたいというルカーシュの希望を優先し、今日から新生活を始めることとなった。


 挙式は親しい人たちだけを招待して、小規模で行う予定になっている。

 ヴィエラとしては「大規模だったら」と怯えていたので内心安堵したが、ルカーシュは大貴族アンブロッシュ公爵家の三男で、神獣騎士の元団長で英雄だ。

 小規模で問題のないのかとも心配していたが、さすがグリフォンを神獣とする国。「アルベルティナにも参列して欲しいから、彼女が落ち着ける環境で準備したい」と説明すれば、誰もが納得して受け入れた。

 現在、ヴィエラとルカーシュの婚姻衣装の他に、アルベルティナの参列用マントもオーダーメイドで注文中である。


 両親とアルベルティナにいったん別れを告げ、麓にある新居を目指す。ユーベルト家の屋敷は小高い丘の上にあるため、小さな街が一望できた。



「可愛い街だよな。すべて積み木でできているようだ」



 ルカーシュが慈しむような表情を浮かべて呟いた。

 四角い積み木に三角の積み木を乗せたような形で、王都に並ぶ屋敷より小さい家屋は、確かに積み木のようだ。

 その中でも、街の手前に一回り大きく見える家屋が、ヴィエラたちの新居だ。民宿だった場所を改装した三階建ての建物で、壁はアイボリー、屋根はえんじ色に塗り直されてピカピカしている。

 新居の前には人だかりができており、ヴィエラたちに気付くなり手を振ってきた。



「ヴィエラ様~おかえりなさい!」

「婿様もいらっしゃいませ~!」



 領民が笑顔で出迎えてくれる。小さい頃からの顔なじみばかりで、領主と領民の距離が近いのがユーベルト流だ。

 だからと言って馴れ馴れしいわけでなく、領主一家への敬いの態度も彼らは守っている。

 そんな領民は今、ヴィエラだけでなくルカーシュにまで友人のように手を振っている。


 神獣騎士のルカーシュ・ヘリングと結婚する――としか伝えていないため、出会った頃のヴィエラのように領民は、ルカーシュを『英雄』『元騎士団長』とまで認識していないのかもしれない。知っていたら、みんな挙動不審になるはずだ。

 ルカーシュも気付いているようだが、あえて言うつもりはなさそうだ。にこやかに手を振り返していた。

 領民が勝手に知る日まで黙っておくことにする。


 出迎えてくれた領民に簡単に挨拶をしながら新居に入れば、四十代の男女一組が待っていた。ヴィエラの誘拐事件のこともあり、アンブロッシュ公爵家が紹介してくれた護衛騎士とその妻だ。妻は家政婦として、生活の手伝いをしてくれることになっている。

 子どもは成人して独り立ちしており、田舎暮らしにも憧れていたようで、彼ら自ら名乗り出てくれた。

 一階は騎士夫婦と来客スペース、二階にヴィエラとルカーシュのプライベート、三階は仕事関係で使う予定だ。



「指示通りに家具を配置しておりますが、微調整があればお呼びください。お手伝いいたします」

「ありがとうございます! ルカ様、行きましょ!」



 ワクワクとした気持ちで、ルカーシュの手を引っ張って二階にあがる。リビング、キッチン、ダイニング、バスルーム、寝室の順で巡ればどの部屋も、王都で選んだ家具がイメージとぴったり合うように収まっていた。

 いよいよ新生活が始まるのだと、強く実感してくる。

 この麗しい美丈夫な婿と、夫婦としての生活を送ることになるのだ。



「ルカ様、喉は乾きませんか? キッチンの使い心地を確かめるため、お茶でも淹れましょうか?」

「ダイニングテーブルに、中身が入っている魔道具のポットがあったぞ。すぐに飲めるよう用意してくたらしい」

「気付かなかった……では、淹れますね。どこで飲みます? ダイニング、リビング、それとも、いえリビングが良いですよね? えっとカップはどこに……」

「ヴィエラ、緊張してる?」



 ルカーシュが、オロオロとしているヴィエラを背後から抱きしめた。彼女の背筋がピンと伸びる。



「図星か」



 婿がクスリと笑いを零した。



「うぅ、ルカ様は緊張しないのですか?」

「緊張には強いタイプだ。ほら、落ち着くために君は座った方が良い」



 ルカーシュはヴィエラをソファに座らせると、ダイニングからポットとカップを持ってきて、自らお茶を注いだ。

 片膝をついて、「どうぞ」とテーブルにお茶を出す姿は執事のようだ。



「ありがとうございます」



 温かいお茶を口にすると、緊張が和らいだ。自然と口から「ほぅ」というため息が漏れる。

 落ち着いたところで、ルカーシュが未だに膝をついていることに気が付く。しかも神妙な表情を浮かべている。



「ヴィエラ、ちょっと良い?」

「は、はい」



 彼はカップをヴィエラからテーブルに移すと、彼女の左手を下から掬い上げるように握った。



「互いに初めての環境で戸惑いも多いと思う。知らなかったこだわりや、癖もあるだろう。だからこそ不安や不満があれば互いに伝えて、良い暮らしを一緒に模索できればと思っている」

「はい」

「ただ俺は独占欲が強いし、嫉妬深いところもあるし、甘えたくなる餓鬼っぽいところもあって、これからも君を困惑させてしまうことがあるはずだ。酷いときは叱ってくれ」

「ルカ様を叱る……? そのときは頑張ってみます」



 そんなイメージは湧かないが、しっかり応えればルカーシュは握る手に力を込めた。



「ヴィエラに出会えて、本当に良かった。君といると本来の自分にも、新しい自分にもなれる。こんなにも楽しくて、癒され、胸の中を熱くしてくれる女性はヴィエラだけだ」

「ルカ様……」

「ヴィエラ・ユーベルト様、私ルカーシュ・ユーベルトは夫として、ときに友として、いかなる時もそばにいるでしょう。そして剣となり盾となり、生涯をかけてあなたの幸せを守ること誓います。どうか受け取ってください」



 すっと、ヴィエラの薬指に指輪がはめられた。



「これは?」



 小さなダイヤモンドが三つ並んだ、シンプルだけれど可愛らしいシルバーのリングだ。シルバーの部分にはひねりが入っていて、角度によって艶が違って見える。



「色々と順番が変わってしまったが、婚約指輪を贈りたい。ほら、婚約のきっかけは君からの誘いだっただろう? 嬉しかった半面、今さら俺からプロポーズできなかったのも悔しくて。ヴィエラは魔法を使うから、手には何も付けたくないのは知っていたが……俺の気持ちを改めて伝えたいと思ったんだ。普段は収納できるように専用の箱も――」



 言葉を途切れさせたルカーシュは、見上げていた目を一度大きく開き、すぐに眩しいものを見るかのように細めた。そっとヴィエラの頬に手を滑らせ、薄紅色の宝石から溢れる雫を受け止める。



「ヴィエラ、愛している。俺と結婚してくれてありがとう」



 彼の言葉は、ヴィエラこそ伝えたかった言葉だ。

 あんな酔っ払いの求婚だったのに受け入れてくれて、好きになってくれて、受け止めきれないほどの愛情を向けてくれて、プレゼントも言葉も素敵なサプライズをしてくれて、感謝しきれないのは自分の方。

 幸せな気持ちが溢れ、胸がいっぱいで、なかなか出てこようとしない言葉を精一杯絞り出す。



「私も、愛しています。ずっとルカ様だけです」

「それは光栄だ」



 嬉しそうに綻ぶ夫の顔が、ヴィエラの顔に寄せられる。

 視線を絡めながらふたりは、愛を確かめるように唇を重ねた。この人となら幸せになれると、希望を抱きながら。




***



 ユーベルト家の女性当主と婿の仲の良さは有名で、領民はみんな口を揃えて『甘い』と評していた。

 ちょうどユーベルト夫妻が結婚した年に領地の木から収穫できるシロップの流通が始まったこともあって、『英雄夫婦が甘いのはシロップのせい』という噂も広まることとなる。

 愛する人と一緒に食べれば仲が深まるとして、シロップはユーベルト領の特産品となり、多くの国民に長く愛されることになったのだった。





Fin.---------------------------------------------------------

完結まで読んでくださり、誠にありがとうございます!

連載中の★レビューや♡での応援、とても励みになりました。

重ねて感謝申し上げます。

【12/9追記】書籍化が決定しました!

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