第72話「抱擁②」


 真っ青な空、美しい庭園、色鮮やかなスイーツ、香り豊かな紅茶――テラスにセッティングされた会場は完璧だ。優秀な使用人のお陰で、主催者が素人でも素晴らしい空間に仕上がっている。

 時計まわりでヴィエラ、ドレッセル室長、クレメント、ルカーシュの順で席に着き、和やかな茶会が始まった。



「こうやってまた、元気なヴィエラさんの顔が見られて良かったですよ、ぐずっ」



 早々にドレッセル室長が顔と眼鏡の間にハンカチを滑り込ませる。

 内通者が接見できないよう、魔法局関係者は見舞いが禁じられていた。それはヴィエラ救出を手助けしてくれたドレッセル室長とクレメントも等しく適用され、彼らと顔を会わせるのは約一か月ぶりだ。



「ご心配おかけしました。ドレッセル室長が羅針盤のパーツを作ってくれたとお聞きしました。ありがとうございます」

「突然クレメント君が『どうしてもストーカーしたい人がいるんです』って言ってきたときは驚いたけど、本当に見つかって良かったですよ」

「ヴィエラ先輩、僕はそんな言い方していませんからね。ドレッセル室長、あとでお話しましょうか」



 クレメントの圧のある笑みを向けられたドレッセル室長は「冗談じゃないですか」と、焦りながら紅茶を口にした。ふたりともいつもの調子で、ヴィエラは日常が戻っていくのを感じる。



「クレメント様もありがとうございます。魔法式を考えてくれたのはクレメント様とお聞きしました。素晴らしい改変でした」

「ヴィエラ先輩の、卒業論文の手伝いを経験していたお陰です。ストーカー魔法は、今は教科書から消えた魔法。先輩が卒論で『残念な魔法ランキング』を作るために調べていなければ、僕もストーカー魔法なんて知らずにいましたよ」

「そんなこともありましたね」



 ランキングを作るために投票を呼びかけようと思ったが、ヴィエラの人脈では統計を出すには少なく困っていた。だがクレメントの人脈にかかればお手の物。あっという間にたくさんの投票データの取得ができたのだった。

 ヴィエラは懐かしさで、ホクホクとした笑みを浮かべた。



「で、先輩はストーカー魔法を知っていて、ルカーシュさんに追跡の核になるチャーム渡したんですね。遠征で離れている間に浮気されないか心配でもしていたんですか? 信用されず、ルカーシュさんも可哀想に」

「――!?」



 後輩魔法使いに想像もしていなかったイメージを持たれていることに驚き、ヴィエラは固まってしまう。

 お揃いの物を、と渡したときは単純に考えていただけだが、確かに人によっては婚約者をストーカーするために渡したと思われかねない行動だ。ルカーシュにとっては、知らない間に恐ろしいものを渡されたことになる。



「ルカーシュさん、背後に気を付けてくださいね」

「ちょっとクレメント様!」



 クレメントが眉を下げ、案ずるような視線をルカーシュに送る。



「そうか……ヴィエラに疑われていたとは心外だ」

「ルカ様、違いますって!」



 ルカーシュは小さくため息をついて、首を小さく横に振った。


 ストーカーをするような、変態認定はされたくはない。ルカーシュの浮気もまったく疑っていない。でも行動はすでに起こしてしまったし、どう否定すれば良いのか分からずヴィエラは頭を抱える。

 するとルカーシュとクレメントは同時に噴き出した。



「大丈夫だ。ヴィエラが俺を疑ってないことくらい知っている」

「はは、誰もヴィエラ先輩がストーカーするようなタイプだと思っていないですって」

「……」



 ふたりに遊ばれたらしい。ヴィエラはむっと拗ねたくなるが、ルカーシュとクレメントの雰囲気が、以前と異なることに気が付いた。


 前は顔を合わす度に冷たい視線の応酬をし、周囲はピリピリとした緊張感に包まれていた。

 しかし今はどうか。ルカーシュは外仕様で怜悧な雰囲気はあるものの、クレメントの悪ふざけに便乗した上に、笑いまで零すほど態度が柔らかい。

 常にクレメントは笑顔を浮かべているタイプだが、ルカーシュには突っかかるような口調だったはずだ。今はその棘のようなものが、一切感じられない。どちらかと言えば、友人に接するような気安さも芽生えているように見える。



「ルカ様とクレメント様はいつ仲良くなったのですか?」



 ヴィエラに質問を投げかけられたルカーシュとクレメントは視線を合わせた。何度か瞬きをし、また同時に苦笑を漏らした。



「問題が片付いただけだ」

「僕に感謝してくださいよ」

「調子に乗るな」



 やっぱり仲が良くなっている。でもヴィエラに詳しくは教えてくれないようだ。


 それからヴィエラが不在にしていた間の技術課について、ドレッセル室長に教えてもらった。

 技術課から内通者が一名出てしまい、ヴィエラの誘拐もあって、しばらくは暗い雰囲気だったらしい。

 しかし全員、魔法が好きな人間ばかり。仕事に集中することで、今では気持ちの切り替えができているようだ。ヴィエラの復帰を心待ちにしていると知り、彼女も嬉しくなった。


 この件で東の地方の結界石に魔物寄せの魔法式を重ね掛けした犯人も捕まったとして、ヴィエラが参加させられていた調査チームは解散。

 新しい結界の魔法式の開発の必要性は変わらないため、プロジェクトは継続。信用できる魔法使いで再編成されるとのこと。ただヴィエラはそこに組み込まれることはないと、ドレッセル室長が教えてくれた。


 退職の件で自分がルカーシュの足を引っ張ることがなくなり、ヴィエラは肩の力を抜いた。

 ルカーシュは、ちょうど一年後に退職できることが先日決まったばかりだ。

 この一年で国王の気分ありきの国政にならないよう各部署のトップとともに、人事や命令系統のルールを整理をすることになっている。神獣騎士の団長として、後継が余計な苦労しない体制にしてからの引退だ。



「そろそろ帰りますかね」



 ドレッセル室長がおなかに手を当てて、顔を緩ませた。お茶とスイーツに満足してくれたようだ。

 親しい人たちとの時間はあっという間で、お茶会はお開きの時間を迎えていた。

 クレメントとドレッセル室長を見送るために、ヴィエラとルカーシュも馬車の前まで行く。



「ではヴィエラさん、また来週。西棟で待っています」

「はい! また来週、職場でお会いしましょう」



 先にドレッセル室長が馬車に乗り込んだ。

 次はクレメントなのだが、彼はヴィエラをじっと無言で見下ろしている。しかも真顔だ。



「やっぱり一度だけ……ルカーシュさん、最初で最後にするから許してください」



 そう言ってクレメントは、ヴィエラをそっと抱き寄せた。



「クレメント様!?」

「これからも尊敬するあなたの後輩でいられそうで、本当に良かったです。ヴィエラ先輩、さようなら」



 クレメントはぎゅっと少し抱きしめる力を込めたあと、パッと降参を示すように両手をあげて、後ろに下がるようにヴィエラから離れた。

 見上げれば、彼は晴れやかな笑みを浮かべている。


 そんな先輩思いの優しい後輩に心が温まったのは一瞬で、すぐに背中が寒くなった。ヴィエラが慌てて振り返ると、無表情のルカーシュが腕を組んで冷気を放っていた。組んでいる自身の腕を掴む手には、血管がくっきりと浮いてしまっている。



「ほら、ヴィエラ先輩。僕たちの見送りよりも、婚約者のご機嫌取らないと!」



 ルカーシュに気を取られている間に、クレメントはさっさと馬車に乗って扉を閉めてしまった。小窓からとても楽しそうな笑顔を見せながら、馬車を出してしまう。



(あなたのせいじゃない! クレメント様はどうして私を困らせるのを楽しむわけ⁉)



 後輩に文句を言いたいが、それは後日。今はルカーシュをどうにかしないといけない。

 距離感に気を付けるよう言われていたのに、簡単にクレメントに捕まってしまった。しかも目の前で。

 いつものルカーシュならすぐに説教してくるのに、まだ何も言ってこないのが怖さを増していく。美形の沈黙は怖い。



「ルカ様、膝枕します?」



 苦し紛れで、ドレッセル室長から聞いた『恋人にしてもらったら嬉しいことリスト』に書かれていたひとつを使う。

 反応を待って五秒。婚約者の機嫌は無事に直った。


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