最終話 今夜のディナーはポトフとチキンだし

 成文館学園せいぶんかんんがくえん高等部の土曜日は大学受験に備えての補習に充てられていたが、ほとんど寝ていないミエルこと小林大悟にとってそれは苦行以外の何ものでもなかった。気付けば意識が飛んでいたこと多数、どの教科においても先生から指名されることがなかったのはまさに不幸中の幸いだった。

 お昼休みは昼食もそっちのけで机に突っ伏しての爆睡、補修クラスの仲間たちにたたき起こされる始末だったがほんの二、三〇分の睡眠のおかげで午後の授業は午前中に比べてずいぶんと楽だった。

 そして放課後、大悟はクラスメイトへの挨拶もそこそこにそそくさと校門に向かうのだった。



「ふわぁ――」


 波乱に満ちた一夜、晶子もまたほとんで寝ていなかった。あの脱出劇を経てルナティック・インに逃げ込んだ途端にうたた寝していたのはミエルだけ、晶子はすっかり寝そびれていた。そして帰宅したのは朝方、シャワーを浴びて朝食の準備を終えたの頃にはそろそろ朝の七時を迎えていた。

 隣室のミエルを呼んで軽い朝食を済ませたならもう登校の時刻だ。結局、晶子は一睡もすることなく今に至っているのだった。

 そんな晶子を取り巻き連中が口々にからかう。


「タバシ、どうしたぁ」

「今日は、てか今日もあくびしまくり~」

「ほんと、ほんと。もしかしてまた寝かせてもらえなかった?」

「だよね~、なんてったって昨日は金曜日、フライデーナイトだったし」

「学校もさ、もう土曜日の授業はやめて欲しいよね。うちらは高二、受験までまだまだなんだし」


 そんな会話を微笑ましい気分で聞いていた伊集院祥子が彼女らを軽く諫める。


「でも高校生活はあっと言う間に過行くものです。大学受験には今から備えておくべきと思いますわ。ふわぁ――」


 いつもは落ち着いて隙など見せることもない彼女にしてはめずらしくみんなの前で大あくびをしてしまった。慌てて口元に手を当てて取り繕う。


「伊集院さんまでどうしたんです?」

「もしや徹夜でお勉強とか」


 その一言は聞き捨てならんと晶子が割って入る。


「ちょっと待つし。なんであたしのときは寝かせてもらえないで祥子のときはお勉強になるかなぁ」

「えっ、祥子?」

「うんうん、今祥子って呼び捨てにした」

「わたしも聞いた」


 しまった、昨晩からまだ頭が切り替わっていない、ここはなんとしてでも取り繕わなくては。晶子が少しばかり狼狽したそのときだった、伊集院祥子が晶子をフォローした。


「実は晶子さんとSNSをするときはお互いに名前にしているのです。だって伊集院さんとか明日葉さんなんて堅苦しいですし、二人とも苗字が三文字あるから、その、いろいろ考えてのことなのです。もちろんみなさんとのグループチャットのときはこれまで通りですけど」

「え――、お二人ってそんな仲だったんですか?」

「ワタクシが習い事をしていることはみなさんもご存知でしょう。それでつい先日相談を受けたのです。晶子さんはひとり暮らし、何かと物騒ですので護身術でも、というお話を」

「な――んだ、そうだったんだ」

「でもでも、祥子さんと晶子だとやっぱ混乱するよね」

「だよね――」

「ですからみなさんとはこれまで通りにしましょう。よろしいですよね、明日葉さん」


 さすが祥子、絶妙なシナリオだった。もしかしたら彼女のあくびの原因はこの言い訳のために寝ずにいろいろと考えていたのかも知れない。晶子はひとりそう納得するのだった。



 いよいよ校門が近づいてきた。伊集院祥子を囲む取り巻き連中が騒ぎ出す。ターゲットはもちろん晶子だ。


「タバシぃ、今日も大悟先輩と待ち合わせかな?」

「またまた今夜も寝かせてもらえないんじゃ……」

「う、うるさいな、もう。あいつとは何の関係もないし」

「あいつとか言ってるしぃ」

「キャハハ、タバシ墓穴ぅ~」


 そして一団はついに校門に到着、門柱の陰では彼女らが思っていた通り小林大悟が立っていた。晶子や祥子と同じく彼もまた大きなあくびをしていた。


「マジかよ、大悟先輩もあくびじゃん」

「ほらタバシ、仲良くお帰り」

「土曜の夜は長いぜぇ」


 口々に好き勝手を言いながら取り巻き連中が晶子の背中を押す。


「もう勝手にするし。それじゃごきげんよう!」


 イラついた口調で挨拶して校門を出ようとする晶子に伊集院祥子が駆け寄って耳打ちした。


「もしかしてあのとき晶子さんが救出に向かったのは小林大悟先輩だったのでは?」

「えっ?」


 突然の、しかし的確なツッコミに晶子は思わずその場で固まってしまう。


「あの場面では大悟先輩ではなくミエルさんでしたね、ふふふ」


 晶子は目を丸くして伊集院祥子の顔を凝視する。既に頭は混乱、彼女は祥子に返す言葉が出てこなかった。すると伊集院祥子がさらに追い打ちをかけるように再び耳元で囁いた。


「驚きましたか? 実は伊集院にも情報収集の担当がおりますの。それにワタクシ、あの大活劇が忘れられなくて。もし再び大立ち回りをやるときには是非ともお声がけくださいね」


 相変わらず固まったままの晶子におどけたウインクをして見せた伊集院祥子は大悟が待つ方向に晶子の背中を押す。


「それでは晶子さん、ごきげんよう」



 晶子は赤面したまま大悟の前に立つ。


「ミエル、買いもの行くよ、つき合って」

「えっ、どうしたの」

「夕食よ、夕食。今夜は疲れてるからお手軽なポトフだから」


 それだけ言うと晶子は歩き出した。慌ててその後を追いながら大悟は晶子を気遣うように声をかける。


「晶子、お金ならボクが出すから」

「心配無用だし。どうせ今回のギャラが入るし」

「そう言えばママから連絡があって今度のギャラは期待してて、って。晶子は伊集院さんを助け出したし、ダイモングループ壊滅にひと役買ったわけだし、ママが言うには一本は出せるって」


 大悟は人差し指を立ててそう言った。


「一本って、一〇〇万円?」


 大悟は首を横に振りながら答える、にこやかな笑みを浮かべながら。


「違うよ、晶子」

「まさか……一千万円? マジか!」


 晶子の顔が思いっきりほころぶ。それは期待と興奮、先ほどまでとはまた違った意味でその顔は紅潮していた。


「よし、今夜はチキンも買うし。ほら、ミエル、さっさと行くし」



 二人の間に何があったのだろう。いきなり颯爽と歩き出す晶子とその後を追う小林大悟の姿を見送りながら取り巻き連中が口々に適当な推理問答を始めていた。

 するとそこにクロムメッキを輝かせたブリティッシュグリーンの超高級車が滑り込んで来た。左ハンドルの運転席から降り立ったのは初老の運転手、彼は後部座席のドアを開けて祥子をエスコートする。コノリーレザーのシートに身を委ねた祥子は残された取り巻きたちに「ごきげんよう」の挨拶を投げかけた。

 そして車は静かに動き出す。リアウインドウから微妙な距離感で並ぶ晶子と大悟の姿が見えた。そんな二人を見守りながら彼女は小さくつぶやいた。


「本当にありがとう。ワタクシはお二人をずっと応援しておりますわ」




男の娘探偵ミエルの冒険シリーズ:FILE02

エスケープ・フロム・デーモンタワー ~ ミエルと晶子の救出、脱出、危機一発!


―― 終幕 ――



謝辞:

長編の本作をお読みくださりありがとうございました。次回作も鋭意構想中です、またお会いしましょう。



※本作の後日譚にあたる中編を公開しました。引き続きミエルの活躍をお楽しみください。


アウルズフォレスト・コネクション ~ 男の娘探偵は二度死ぬ

https://kakuyomu.jp/works/16818093073876737737

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エスケープ・フロム・デーモンタワー ~ ミエルと晶子の救出、脱出、危機一発! ととむん・まむぬーん @totomn

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