第10話 劇終、それから

 ハァイこんにちはご機嫌ようサヨウナラ一億諸賢の一億諸賢☆彡 

 

 出オチの「一億諸賢の〜」もついにネタ切れで「固くて固い」構文になったわね。このエッセイも例外ではない。つまるところ! そォ~りゃもちろん! 佳境も佳境、一段とお盛んな局面ですので四の五のいってらんないわけでございます事よ! 


 さて、ほんのデキゴコロから端を発すこの連載も、とうとう10話め。

 様々な視点から様々な切り口で語りました。舵取りに苦慮した場面もありました。要するに一貫性が、ない。でもそれでも書けたのは、励みとなったアナタがいたから。

 10話あるうちの10話めを読んでいただけたあなたはきっと、1話も2話も、あるいは全話、読んで下さったのでしょう。あなたをはじめ、お姉さんから心を込めて――今まで読んでくれた方、途中でやめたけど少しでもチラ見してくれた方、そのほかすべての紳士淑女に――


 ダイヤルQ2の請求書、お送りするわね♪


 もぅ、そんな目で見ないの、かわいい坊や(はぁと) 

 でもこれってインターネット老人会案件なのであまり多用はできねえな。今回こっきり、一応ジョークってことにしとくわ。

 

 しかしながらも。

 この記事にたどり着いたというからには、よほどの好事家でもない限りは、熱傷に何らかの食指が動いてご覧いただいた、と。そういうことですな格さん。そうだな助さん。

  

 うーん、どこから話そう。

 お姉さん、もとい。

 ――わたしが熱傷を受傷したのも、メンタルなアレがナニでお花畑だったわけだが。

 要するに双極性感情障害(躁うつ病、もしくは躁うつ症)という、だいたい200人に1人くらいで罹患する病気が元凶だったわけで。

 受傷の15歳当時はSC(統合失調症)とか、発達障害とかの疑いだった。それで精神科初入院となった。


 まさか衝動的なアレで70%熱傷を負い、治療費総計500万円を親負担とし、まあまあイレギュラーな半生を送り、障害者福祉施設で一目惚れした妻と結婚し、低所得層なりにクソとかコノヤローとかファックスなどといいながら「ケッ!」と天に唾棄して生きているなかでこういうネタエッセイ書くとか、想像つかなかったな。

 

 天、か。

 ところでおれ、クリスチャンの妻のすすめでキリスト教の信徒になったんだわ。天上天下唯我独尊。あ、これは仏教か。


 ――にわかに宗教の話を持ち出すんだけど、べつだん勧誘したりほかの宗派をディスったりの意図はないのでご安心のほどを。あ、でもでもアレルギーも起こさないでね。まぁ――今まであれだけ好き勝手に書いてきたのに、よもや「自分クリスチャンです」で引くこともなかろうて……。


 そうこうしてプロテスタント教会で受洗し(カトリックでないのでヨゼフとかニコラといった洗礼名はない)、何年かのちにその教会で牧師さんに結婚式も執り行ってもらったのよ。


 わたしの両親の猛反対を受けつつ。


 曰く、障害者同士では共倒れのリスクが高い、経済的に見通しが暗い、入籍ならともかく教会での宗教的儀式には法的効力もないから関心がない、など。

 前二項はまだわかるが、特定宗教・宗派を排斥するのはなー。お仏壇とか神棚とかどうなのかなー。

 とはいえ式のまえに無理にでも説得できなかったおれが悪い(それでずっと妻には責められてんだけども。『一生に一度のことなのにドレス着られなかった!』と)


 このようにしてわたしの方の両親はいまなお、ふたりの結婚を認めておらず、両家の交流も疎遠。事実、婚姻届の判もうちの親につられて妻の親も捺さず、新郎新婦それぞれの親友に書いてもらったんだ。


 式から入籍までの一年弱は「事実婚」としてある程度の法的効力のある関係となったんだが、妻にしてみれば屈辱以外のなにものでもなかろうて……すまない。

 

 ときに、やけどの傷は残る。

 どんなに色素が薄くても膠原繊維(ざっくりいってコラーゲン)が傷痕を形成するから残る。断じて残る。また、人体を組成する細胞の大半は5年で交替するが、やはり傷痕はぜったい残る。

 よく「リストカットの痕が消えない……」と嘆く方もいるけれど、リハビリメイクという形成外科の一分野がある。保険適応外だったと思うんだけど、有資格者の施術では驚くほど消える。なんでも消える。

 なので体表のコンプレックス――傷痕なり赤面症なり刺青なり、やろうと思えば、思う気持ちとお金があれば克服できる。


 でも、メイクなどの専門職の手によってでもなかなか克服できない傷があり、それを俗に「トラウマ(trauma、traumatic 外傷の意)」という。


 わたしの熱傷は、主として上半身の瘢痕拘縮に伴うROM(関節可動域)低下、汗腺・脂腺の焼失による体温調節機能・角質保護機能の低下、および肥厚性瘢痕による審美上の問題を残し、


 完治した。


 今なお小児の夜驚のような不穏もあるし、火の気の多いテレビは消すし、っていうか現時点テレビ無いし、Twitterのミュートに火傷関連の語句を手当たり次第に入れてるし、PTSDの診断期間を超過してもトラウマとして厳然と在りながらも、

 完治した。


 癒えない傷は治しようがないから、そこで治療終了なんだ。


 ――O先生のことを思い出した。

「治しても治しても治らないんなら、もっと治すから」。

(いまこれからわたしが書く内容は、この言葉に結びついているのではないかと思う)


 

 妻は今も「結婚式に出てやらない」としたわたしの親からの侮辱的行為が忘れられず、彼女のうつ病の状態が悪くなれば、それを思い起こして不穏になる。治った傷も引き戻せない過去も、痛くないかと訊かれれば、


 ――いたい、 

 

 いたい、いたい、いたい――ああ、いたいな、いたい



 たのむ、なおして、なおして、なんでもする、なんでもするから、

 なんでも、


 だからじんせいをあの時に巻き戻して直したい。どこで狂ったんだろう。まちがえずに生きなきゃ、しっぱいしちゃだめだ

 なんで自分がしっぱいしたんだろう、もっとちゃんとしなきゃ、はやく、ただしいじんせいを生きなきゃ




 その人生の第一日目が今日、まさに今このときなんでしょう?

 

 



 長かったお話しもひとまずは、おしまい。強引な終わり方で申し訳ないけど、ここでわたしはペンを擱きます。この連載に最後まで付き合っていただけた方、本当に心からありがとう。


 心身ともに満身創痍で自らの意志で天に召された――自殺した妻のもとへ行きたい気持ちを抑えつつ、乾燥する冬場はかさついてひどい落屑で、夏は夏で体熱がこもるクソみてえな皮膚をまとい、とか何とかつらつらと書いたところでだれかの力になんてなれるわけがない、マスターベーションみたいなエッセイだ、などと自嘲気味に書き進めておりました。


 それでも、どなたかにお目に留まれば望外の喜びです。


 それがひと時の笑いであっても、それがひと時の暇つぶしであっても、誰かに「確かにそこに在る」と認知されるのならば、ひとは生きている意味がある、かな。


 わたしは生きる。生かされたことに、救命されたことに意義があると信じたいから。


 死ぬまでは死ぬ意味が分かんないのよ。

 死ぬまでは生きていることに意味を探るのよ。


 

 本稿は死への抗弁、叛逆である。



 2021年11月3日に亡くなった最愛の妻より遺書にて『生きて』との願いを遺された者 ここに記す――2022年10月11日

 

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