1-3(1話目・了)
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報告を受けたカリーシャは頭を抱えた様子だった。レドにしてみれば知ったことではないが、やはり街の中でも裕福な者が多く住む場所で、屋敷が一つ丸ごと消えた、というのは重大事件になるのだろう。
レドの報告に少しの間そうして沈黙していたカリーシャは、やがてゆっくりと重たい口を開く。
「……分かりました。1週間後に『会議』が開かれますので、その際に色々問題になるでしょうが……」
ソファで両手を組んでいた彼女は、顔をあげた。レドを真っすぐに、射るように、この港街の事実上のトップである女性は睨み据える。
「──薬品流通の要となっていたあの人物……ラクリ氏が、人魚の血肉を所有していた。それは事実なのですね?」
重々しく放たれた問いに、レドの緑の瞳が伏せられた。
「残念ながら証拠は残せなかった。丸ごと泡になっちゃったから。でも、俺と姉さんが証人。間違いなくあいつは人魚の死体で商売をしていたし、それに──」
病気の娘に、そしておそらくは妻にも、人魚の血肉を与えていた。
そのことを思い返すと、何故かレドの脳裏ではちらちらと、あの屋敷で見たものとは異なる映像が浮かぶ。
病に瘦せ細っていく、自分とよく似た赤毛の女性。
──人魚の血肉を食べれば、病が癒える。
そんなことを、かつて自分も口にしていなかっただろうか。
胸の奥がざわつくような感覚を殺しきれず、知らず胸を抑えながらも、レドは口では淡々と報告を続けていた。
「……あいつの娘と妻も、『悪食』になってたよ」
「ラクリ氏の奥方は、1年前に行方不明になっていたはずです。……成程。悪食になった妻を匿い、娘も病を理由に屋敷に閉じ込めていた訳ですか」
カリーシャはそう纏めて、ちらりと顔を顰めた。
「……証拠ごと全て泡になったのは、或いは良かったのかもしれませんね。ラクリ氏はこの街ではそれなりに顔の利く有力者です。そんな人物が、人魚の死体を利用していたと知れたら、人魚側からはかなりの反発が予想されますから」
ふぅん、とレドは興味もなく適当な相槌だけを打って、ソファを立ち上がる。必要な報告は済ませた。これ以上、ここに留まる理由が彼には無い。
見送るカリーシャは悩ましげに眉を顰めていたが、そんなレドを見送る際にふと、口を開いた。
「……どうあれ、依頼は達成です。報酬はアンバーに渡してあります。報酬意外に、要望があれば可能な範囲で叶えますが、何かありますか?」
「姉さんの水槽のフィルター取り替えたいかな。他は……」
特には、と言いかけて、レドは扉を掴んだ手をとめて振り返る。見遣る先、ソファに身を沈めた初老の女性はいつも、苦悩に塗れて顔を顰めてばかりいた。人魚と森妖精と人間とが混在するこの街の「顔役」であるカリーシャが穏やかな表情を浮かべることは、そう滅多には無い。
姉以外にはおよそ興味のないレドでも、彼女が相当に苦労してこの街の、薄氷を踏むような平和を維持しているのだろうことは察しがついた。だからこそ。
「いつも思うんだけど、何であんた、姉さんと俺にそんなに良くしてくれるんだ?」
街中で発見された「悪食」を倒すこと。人魚姫の能力で、死体を残した人魚の心残りを晴らして泡に還してやること。それが叶わなければ、死体を回収すること。
彼ら姉弟の「仕事」はその3点だけだ。
勿論、それは人魚姫でなければ出来ない仕事でもあるから、厚遇されていること、それ自体を疑問に思うことは今までは無かったのだが。
望外とも言える額の報酬は受け取っている。レドと姉だけでは使い切れないので殆どは街の孤児院だとか、森妖精や人魚の支援をしている施設へと回しているくらいだ。
そこに加えて、カリーシャは仕事の終わりに、彼らに必ず問うのだ。要望が無いか、と。
(……あんま疑問に思ってなかったけど。フィルターの交換くらい、貰った報酬で出来るんだよな)
一方で問われたカリーシャはといえば、気難しげないつもの表情を更に歪め、褐色の瞳をひたとレドへと向けた。眉を下げて、どこか悲しげなその視線に籠められたものは何だろうか。
彼女は少しの間答えに窮しているようだった。決断の速さには定評のある顔役が、珍しくも答えに迷ったらしい。
しばしの沈黙を置いて、彼女はゆっくりと、俯き加減に、こう答えた。
「──あなた達にしてあげられることが、他に無いからです」
よく、分からない。
レドは首を傾げてから視線を前へ戻し、改めて部屋を立ち去るためにドアノブを捻った。
「もう十分、良くして貰ってるよ」
彼の返した言葉に、だから、カリーシャがどんな表情を浮かべていたのかを、レドは知らない。知る由もない。
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レドを街の中心部へと向かわせている間に、人魚姫は早々に自宅に戻っていた。彼はこのまま買い物を済ませて帰るだろうから、夜までは戻るまい。後片付けがある、などと嘘をついたことに心を痛めながらも、彼女は急いで、抱えていたずだ袋を厨房へと運び込む。そこからパントリーへ続く階段へ進もうとしたところで、彼女は人の気配を察して足を止めた。
「お帰り、姫」
声をかけたのは、容姿ばかりが幼い同居人──あるいは監視者──のアンバーだった。子供のような見目だが、森妖精族は見た目と年齢が一致していないことが多い。実際、アンバーの酷く落ち着いた声は、子供のそれではなかった。
彼女は冷ややかな視線で袋を見、一度小さく息をつく。
「……食べる? レドが帰るまでに解体くらいならしておくわよ」
でも。と、人魚姫は袋を見下ろす。首を横に振ろうとしたところで、アンバーの、やはり冷ややかな声に機先を制された。
「いいから座って待ってなさい。どうせその袋の中身、解体だってロクにしてないんでしょ。あたしがやっとく」
言いながら、アンバーはずかずかと近付いて、姫の手から袋の口を奪う。姫はといえば、途方に暮れた様子でしばらくおろおろとしていたものの、やがて諦めたようにダイニングの椅子に腰を下ろした。
そんな彼女の様子を他所に見つつ、躊躇なく開いた袋の中には、両手足を無理やり折ったような恰好で、一人分の死体が収まっている。
茶色の髪、特に目立つところのない顔立ち。濡れそぼり、皮膚に張り付いたメイドのお仕着せは、血ですっかり汚れ果てている。
ティーナの、人魚の死体がそこにあった。
アンバーは特にそのことに感情を動かされた様子もなく、当たり前のように地下のパントリーへとそれを引きずって行く。床に隠してある小さな扉から更に地下へと進めば、そこが「解体室」だ。
流しきれない血の匂いが辺りに漂う中、壁に掛けられた解体道具をアンバーは慣れた様子で手に取る。
(失血で死んだのかしらね。まぁ、血抜きは楽でいいかも)
淡々と、極力感情を交えないように。
静かに、彼女は鋸を引いた。
やがて地下から上がってきたアンバーが、姫の目の前に皿を置く。
「指は片方分なかったわね。片方の指はフリットにしておいた。ホントは腿肉とか煮込みたいんだけど、レドが帰ってくるだろうしまた今度にしておくわ。あとは舌と頬の肉、これは焼いてソースかけただけよ。急いで食べなさいね」
ありがとう、と、姫の、言葉を発することのない唇がそう象るのをアンバーは見ていた。肩を竦めて、彼女はダイニングの対面の椅子に腰を下ろす。身体に纏わりついた死肉の匂いに顔を顰めつつも、彼女は決して、「食事」をする人魚姫からは目を逸らすまいと決めていた。
フォークで頬肉を口に運ぶ、人魚姫が。
ほう、と、満足気な息をつく。
それはきっと、悍ましい光景なのだろう。理性ではそう思う。同族の死体を調理して、それを食べて、あんなにも満足そうに口元を緩めている姿はきっと、多くの同胞には悍ましく映るのに違いない。
そのせいで、人魚姫は、同族からすら嫌悪の対象になっている。
(……でも、あの子の同胞を解体して料理してやってるあたしも、まぁ似たようなもんよね)
当初、同居し始めた頃は、姫は同胞の死体をそのまま食べていたのだ。あまりにもその姿が悲しく、居た堪れなくなったもので、アンバーはこういう形で彼女に「料理」を提供するようになった。元々汚れ仕事を請け負うことの多かった彼女は、戦争中の経験で、死体の解体には特に抵抗が無い。──調理、という手順については、今になっても慣れることが出来る気はしないのだが。
だが。アンバーはそれでも、彼女の姿から目を逸らさない。
アンバーの視線の先では、姫が指肉を食べ終え、骨をしゃぶっている。その姿を見ていると哀れで、アンバーは思わず、小さく呻いていた。
「ごめんね、姫。あんたの呪詛、あたしの力で解除できたらよかったのに」
いいの、と。
応じるように人魚姫はただ、首を横に振った。その咽喉には、無数の呪詛が張り付いている。森妖精として呪詛にも精通するアンバーには、蠢く黒い鎖にも、蛇にも見えるその呪詛がはっきりと見えていた。
強い、森妖精達ですら解除が叶わなかった程に強烈な呪詛だ。その呪詛の塊に咽喉を圧迫されているせいで、姫が声を発することが出来なくなってしまった程に。そして、呪詛の内容はと言えば。
(一生、同族の死体しか食べられない)
──この呪詛のために、姫は、普通の食事を消化することすら出来ないのだ。
「ねぇ姫」
朝も問いかけた質問を、またアンバーは問わずにはいられない。
「……こんなこと、いつまで続ける気?」
勿論、と、口元の脂を拭ってから、人魚姫は穏やかに応じる。
──わたしが、死ぬまで。
──きっと、そう遠くは無い筈だから。
人魚姫の弟 夜狐 @yacozen
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