最終話 Last Hope

創造主こそすべてであり、教義こそ最上位に位置するもの。

それがこの世界での支配的な考え方。


だから――


「おい、この背信者め!よくも教義に背を向けたな!!」

「こっちに寄るな!お前に売るものなんてない!!」


――ゴッ!!


「ぐぅ!!」


大きな石を投げつけられ、思わず唸り声を上げる。

額に手をやると生温かいものが流れている。


私が流血して苦しんでいる様子に、はははは、と嘲笑う声が響く。


誰も、私を助けようとはしない。

石を投げつけられ、こうして流血しても、手を差し伸べてくれる人なんていない。


烙印を押された「背信者」である私の存在そのものが、教義を支える熱心な教徒である彼らにとって憎むべき敵であり――娯楽でもあった。


かつての、異端審問官たちの姿が脳裏によぎる。


「同性愛は、大罪、か……ただ……好きになっただけなのに……」


ヨロヨロと、その場を遠ざかる。

それでも面白がるように、しつこい奴らが追いかけてきては殴る、蹴るの暴行を繰り返す。


――もう、慣れた。


飽きた連中が帰っていったあと、ゆっくりとその場を去った。


  ★  ★  ★  ★


ふらふらになって歩いていると、あの日、フェリスと離れ離れになったあの川辺にたどり着いた。


「――ちょうど、いい」


ここなら、ちょうどいい場所だ。

ここには、フェリスとの思い出が詰まっているから。


木炭を走らせて、紙の上に浮かび上がる、フェリスの姿。

愛しい人の姿を、この目に、手に、紙に焼き付けた、あの素晴らしい時間。


それを思い出させてくれる、大切な場所だったから。


ゆっくりと水辺に近づき、『あの日』を思い出す。


今でも、鮮明に思い出せる。

照れるように描いたばかりの絵を見て、嬉しそうに笑うその顔を。

黄金のようにきらめく、その髪色を。


私の、すべてだった人。


この場所でなら――


そう思い、仕舞い込んだ『ある物』を取り出そうとした時。


「リリア?リリア!!」

「――フェリス!?」


息を切らせた、栗色の髪をしたまさにその人が、今、私の目の前にいた。


「……どうして、ここに……?」

「さっき……リリアに似た人がこっちに来てるのが見えて……私、私……ずっと、ずっと探してて……だから……だから……」

「……フェリス……でもね……あまり私に、近寄らないほうが、いいよ……」

「ど、どうして!?」


私はそっと髪をかきあげ、烙印を見せる。

動揺するフェリスを見て、私も動揺しそうになるのを必死に抑えて、できるだけ淡々と言葉を紡いだ。


「そ、それは……!」

「うん。異端尋問で……一生、罪を背負って生きていけ、ってさ。石を投げられるのも蹴られるのも、殴られるのも……慣れた。そんな私の近くには居ないほうがいい。フェリスだから……フェリスだからこそ、罪人になってしまった私の近くには居てほしくないの……フェリスまでこうなったら……私は……」


そう言うと、私はフェリスに強く抱きしめられた。


震えていた。

――嗚咽をこらえて。


「ごめんなさい……ごめんなさい……私には、もうリリアに合わせる顔なんてない、そう思ってた。リリアが教会に連れて行かれたのも私のせい。私が、私がリリアを酷い目に合わせてしまった。あなたの……すべてを……うぅ……あぁ……!」

「……フェリス。そんなこと、ない。私は、あなたがいたから、この素晴らしい感情を知ることができた。この気持ちは、私だけのもの。教会の人たちのでも、石を投げてくる人たちのでも、他の誰のものでもない。私だけの、フェリスを想う、大切な気持ち」


私も、フェリスに抱き着いて――愛しい人の体温を感じながら、続けた。


「ねぇフェリス……きっとこれが最後の機会だから聞いてほしい。私ね……ずっと。ずっと……フェリス、あなたのことが、好きだった。愛してた。同性だけど、あなたへの恋を、愛を、感じるのを止められなかった。たとえどんなことがあっても、あなたへの想いだけは捨てなかった。フェリスへの、あなたへの気持ちが、どんな時でも私を支えてくれた。フェリス……こんな私の想いを……私がこんな気持ちを抱くことを、どうか……どうか許してほしい」


あぁ

やっと――

やっとこの時が来た。


私の想いを、伝えられた。

――もう、悔いは無い。


「返事は、いらない。どうか、私の最後のわがままだと思って、私の気持ちを知って生きていてほしい……じゃあ、さよな……」

「――ま、待ってリリア!!待ってほしいの!!」


フェリスに抱きつく腕を緩め、ここから立ち去ろうとしたその時。

もう一度、フェリスが私を強く、強く抱きしめてくれた。


「フェリス……?」

「……リリア……あなたは……ずっと一人で……あなたは!そうなることが、分かってて!だから私に何も言わなかった!!あなただけが、一人で背負えるように!!私を……巻き込まないために!!どうして……どうして『あの時』言ってくれなかったの!?どうして『一緒に来て』、って……『あの時』言ってくれなかったの!?私だって……私だってあなたのことを、こんなにも、こんなにも好きだったのに……ずるいよ……リリアぁ……私も……私も一緒に連れて行ってよ……お願い……リリア……」

「……ありがとう、フェリス……こんな、私の気持ちに応えてくれて……すごく、嬉しい……ありがと……大好きだよ、フェリス……」

「リリア……私も……私も大好き……」


フェリスだけは、巻き込みたくなかった。

ただの片思い。それで済む話だった。それで通すつもりだった。

教義に背くという重圧から、逃げたかった。でも、フェリスにそれが降りかかることのほうが、よっぽど私には恐ろしくて耐えられないことだった。


だから一人を選んだ。


でも――

今、こうして私の大切な人が、私への想いを伝えてくれた。


この瞬間は、フェリスのすべてが私のもので――

同時に、私もフェリスのすべてとなった。


「――こんな瞬間は、私には来ないって、ずっと思ってた」

「私はもう、どこにも行かない。ううん、リリアが行くところなら、どこへでも行く」

「――うん」


こうして抱き合えるこの瞬間が、私に残された時間の中で、最も輝いていたと断言できる。

私は懐から、仕舞い込んでいた物を取り出した。


「ねぇフェリス。お願いがあるの」

「うん。何でも言って」

「これで……私を、

「――っ」


握った短剣を見たフェリスが、悲痛な表情を浮かべて叫んだ。


「……どうしてなんて言わない。わ、私には……それを選んでほしくないなんて、言えない……ほんとに……ほんとに……ず、ずっと……ずっと一緒に……」


フェリスが胸の中で吐き出す言葉。

その続きを、私もどれほど望んだだろう。


続いていくかもしれない、その先を。二人で一緒にいられる、未来を。


でも


でももう、だめなんだ、フェリス。


「……ありがとう、フェリス……でももう……この烙印がある限り……きっと誰かに殺される。笑われながら、虫けらのように。それなら私は……私は!愛する人の手で……フェリスの手で、死にたいの……!」

「――っ!」


フェリスが、泣いている顔を上げる。


「ごめんなさい……この方法しかなくて……こんなこと頼んで、ごめん……」

「ぐす……分かってるよ、リリア……でも……ホントはやだよ!行っちゃやだよ!!……でも……でも……」

「ごめんねフェリス……もう、これしかなくて……」

「……私は絶対にリリアを忘れない。大好きなリリア。私のために一人で戦ったリリア。だから……」


一瞬、言葉を呑み込んだ後、フェリスが続けた言葉に衝撃を受けた。


「私も、一緒に行く」

「――っ!!で、でも……」

「好きだった人の思いと温もりだけを胸に、教会や迫害に怯えて独りで生きるくらいなら!私も、私も……愛する人の手で、リリアの手で、一緒に死にたい!!せめて……リリアが寂しくないように。それくらい、させてほしい……」

「……フェリス……ありがとう……ごめんなさい」

「ううん、いいの。私の方こそ、これくらいしかできなくて、ごめん」


あぁ。


なんてことだろう。


私だけが、背負って行くつもりだったのに。


私だけが抱えて、最後まで持っていくつもりだったのに。



ずっとずっと想いを寄せていた人が、私の気持ちを汲んでくれて

私が行こうとする場所に、一緒について来てくれようとしている。


――私の、希望だったあなた。

他ならぬあなたが、私と共に行くことを望むのなら――


「……一緒に、行こっか」

「……うん」



最期に、私たちはこの川辺を眺めた。

私にとっても、フェリスにとっても、思い出が詰まった場所。

その場所で、終わりを迎えることができるから。


互いの手を取り合い、もう一度、愛しい人を見つめる。


私のすべて。

短かった私の人生だけど、2つだけいいことがあったとすれば、それはフェリスに会えたこと。


そして――こうして、その人の手で、この命を終わらせられること。



フェリスにも短剣を握らせて、最期に、もう一度強く、強く抱きしめ合う。


「……じゃあ、行こっか、フェリス」

「うん……ずっと、ずっと愛してるよ、リリア。いつまでも」

「私も……ずっと愛してるよ、フェリス」


私たちは、初めての口づけを交わして

その熱も、何もかもを唇で伝えあった。


抱きしめあったまま

お互い手に持った短剣で――


「――ん……!」

「あ……く……!」


焼けるような痛みで倒れてしまったあと、もう一度私たちは抱きしめ合った。

背中に手を回すと、温かいものが流れ出ているのが分かった。


お互いの鼓動が聞こえる。


「ふ、ふぅ……く……フェ、リス……」

「はぁ……はぁ……んん……リ、リア……」


お互いの手を取り、血で濡れた指を絡める。

最期に……伝えたいことが、溢れ出た。


「……あ、あの日……フェリスの……絵を、描いていた瞬間……私、忘れない。思い出を……ありがとう……」

「……リ、リア……あい、して、る……」


この世界で

かつて抱いていた希望は粉々に砕かれた。



ただ愛してると

好きなだけ、自由に言える世界に、生まれたかった。



焼けるような鋭い痛みがだんだん麻痺してきて

それでも愛する人の体温を感じられる。


だんだんと遠くなる意識の中

冷たくなっていく愛しい人の体温を感じながら


最期の口づけを、交わした。




私達は

こうしてお互いの世界を終わらせた。



――創造主様


どうか


今度こそ――



Fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

創造主様へ さくら @sakura-miya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説