第41話 帰還



 心身共に疲れ参った夜。俺とツキは黒奈瀬に手招かれるままにISの本拠点である街の中心部、第0区を離れ、地肌に気温の低下を感じる此処、第4区に来ていた。


「どこまで歩くんだ黒奈瀬」


 先頭を行く彼女へ問いかける。


「もう少しで着くわ、急いで欲しいのなら私のお尻、引っぱ叩いてくれればあと少し早く歩けそうよ」


「……そこまでするほど急かしてないから大丈夫です」


「……ねえねえ、なんだかここ寒くない?」


 ツキは微かに白い息を言葉に混じらせている。


「そうね、共和国コンコルディア、その第2区から第5区は春夏秋冬、日本の四季が模倣されているのよ、辺りに生えたイロハモミジやトウカエデからも見て分かる通りここ第4区は秋の気象、寒いのはそのせいね」


 風に乗り舞う葉、その結末であろう赤黄色の落葉らくようを踏み締めれば理解に及ぶ。


「……へぇ、これをやったのはやっぱり日本人なんだろうな、粋な事をするやつがいたもんだああっ――へっくしょい!!」


「みつにぃ大丈夫?」


「……ああ、ダイジョウb……」


「……ぁ、くしゅっ、へへっ、あたしもしちゃった……」


「「――ッ、キュートアグレッションッ!!」」


 俺は叫び、並木の一本に拳を打ち付けた。

 隣の木では黒奈瀬も一緒になってやっていた。


「……え……二人とも何してるの?」


「芽生え、悶える衝動は何処かに発散させなければ何れ意図せぬ暴発に至るのよ」


「左への補足として、対象を誤ってはいけない、今回は仕方なく木になってしまったが、本来であればサンドバッグが最適だ」


「? ……まぁいっか、いつものことだし! それよりさ、お腹へらない?」


「……確かに減ったなぁ、何か食いに行くか? こっち来てから食ったものと言えば林檎一つぐらいだし」


「……あ、そっか、りんご食べたんだった……あたし全然お腹へってない!」


「なんでそこで強がるんだ、俺はよく食べる女性は好きだけどな?」


「あたしお腹へった!!」


「素直でよろしい」


「食事の前にまずは寝る場所よ私もお腹減ったわ」


「ん、なんだ最後の流れるように取ってつけたような言葉は……というかそうだよな、先決は宿探しか、泊まる宿が無かったら今夜は便所か馬小屋になってしまう……やだなぁ、あの冬の日の経験はもうしたくないなあ……」


 ……思い出す……寒い夜、子供に危険と見なされブランコ以外の遊具が撤去された寂れた公園、公衆トイレの前、彷徨う影は挙動不審に、迫り来る紺、眩いヒカリ、奴らは口を揃えて言う……『すみません、警察の者ですが』どうやら俺は奴らに捕らえられたらしい……別に捕まってないけど。


「みつにぃ、いったいどんな経験したの……うぅ、さむっ……」


「着いたわよ」


 と、立ち止まった黒奈瀬は洋風テイストな冷たい門扉の前でそう言った。


「あびっ!」


 いつものように魔法で体温調節でもしていればいいのに、寒い寒いと身を抱きちょうど前を向いていなかったツキは、黒奈瀬にぶつかり変な声を上げた。


「今開くわ、着いてきてちょうだい」


 鍵らしき物は使っていない筈なのに、聞こえた解錠の音、花が何種類と象られたその門扉は見た目から感じられる重厚さよりも、意外にも静かに軽く、客人を迎え入れる様に開かれる。


「「――なんじゃこりゃ――」」


 月も雲に隠れた夜に、足を踏み入れる、高い柵と植木で遮られ外側からはようとして分からないでいた、目前に広がった光景に俺とツキは揃って驚き、理解が追いつくまでに時間を要した。


 そこはピンクに熟れた白く小さな花々が見事に咲き誇る庭園。

 左右均等に路面へと点在する庭園灯は、真っ直ぐに道を示すようにボウと暖かく照らし出し、影濃く奥に建つ洋館へと続いている。


 ツキは見渡す限りの花を見て、近寄って、しゃがみ込んで、声に出ない感動を表情にしている。


「……なんだココ……宿探しに来たんだよな……ひょっとしてホテルか何かか……? だとしたらこんな場所借りる金なんて……」


 自分の懐事情はここ最近ずっと寂しいままだ、見栄張って三人分払うとして場合によっては三十は下らないと思うけど……どうしましょ……明日から日光と二酸化炭素で生きていくしか……温暖化に貢献しようか、でも俺、吸血鬼だから日光を食事には充てられない……嫌だろそんな吸血鬼。


 見た感じ、土地にして六百坪(ひとり暮らしの家が五十軒以上は建てられる広さ)はあるだろう、そんな長々とした庭園を歩き、唯ならぬ存在感を放つ石造りの素朴で重厚な洋館の前へ。


「スコティッシュ・バロニアル様式を意識して造られたであろう洋館、元々ここは荒廃が進んでいたから改築依頼をして見たのだけれど……想像以上の復元度ね、報酬は弾もうかしら」


 何処か満足そうな黒奈瀬。

 語る視点が宿を借りに来たって感じではなさそうだ、彼女の事だからホテルの経営でもしようとしてるのだろうか……だとしたらちょこっとは安くしてくれるのかな……?


「すこていっしゅ……ほーるど……」


「それは猫ね咲月ちゃん、垂れた耳が可愛い子よ」


「わ、わかってるよ! スコットランド起源の突然変異で生まれた垂れ耳の子を交配させて出来た品種だよね! でもイギリスのある血縁登録団体がこの品種には聴覚問題、疾患の懸念点があるからって徐々に人気が衰えて行ったんだよね!でもこの子達は何も悪くないよね!」


 洋館にぴしっと指を差して言う。


「咲月ちゃん詳しいのね、少し掠って惜しいのだけど、でもそれは猫で、これは猫じゃないわ」


「うっ……なせちゃんのばか! 似た様なもんだよ!」


 大きく括り過ぎです、それは無理があると思います。


「因みに私はスフィンクス、ヘアレスキャットが好きよ」


「わぁ! カナダの子だね! いいよね毛の無い猫も!」


「…………あのー、すみません、二人とも盛り上がってるところ悪いんですけど、寒いからさ、ひとまず中に入ってからにしよう」


「あのね、あたしも毛ないよ!」


「ふふ、私もよ、お揃い――」


「早く入りましょうよぉぉおおっ!!」



 ⬛︎⬛︎⬛︎



 ヒビ割れたようなデザインを施されたガラス細工の煌びやかなシャンデリアが、高い天井から吊るされる玄関にお出迎えされ、入ってすぐ右手側にある洋室、談話室へと、黒奈瀬に通された俺達は今、パチパチと火の粉散る暖炉の前、三人がけの手触りの良い真っ赤なソファに揃って座っている。


「ふぅ〜……あったかいね〜」


「そうだな」


「とても落ち着けて良い所でしょう?」


「そうだな――ぐふっ!」


 長い黒髪をサッと払う黒奈瀬、大袈裟な動作のせいかこちらの顔面にその髪がぶち当たる。花のようなフルーツのような、甘い匂いがした。


「何をしてるの國満くん?」


「すぅぅ……はァァ……ん、なんでもないさ」


 深呼吸だよ、ただの。

 イメージはマリーアントワネットかな。


「……ところで使用人さん? って言ったらいいのか? ホテルの案内をする人はまだ雇ってないのか?」


 俺の言葉に黒奈瀬はゆっくりと首を傾げた。


「何を頓珍漢なことを言っているのかしら? ここはホテルじゃないわ、れっきとした家よ?」


「え?? ああ、そうなのか、黒奈瀬さんは豪勢な所に住んでいらっしゃるんですね、お邪魔してます」


「私というか、私達の家ね」


「ふーん、誰かと一緒に住んでるのか、まぁ、一人で暮らすには確かに広いな」


 見回してみる、この洋室だけでも一人では持て余す広さだ、玄関から見えた扉の数、さらに2階へと続く階段からもおおよその全体図が予想出来る。


「ええ、これから一緒に暮らすのよ」


「……これから? 誰と??」


「もちろん皆よ?」


「……みんな……? ……あ! ほぉー、なるほど、答えたくないのか、それならあまり深くは詮索しないでおこう」


 高反発なソファに深く腰掛け直し、何となく、ぼんやりとしたものを思い浮かべる。


 こっちに来てからの黒奈瀬の交友関係は深くは聞いていない、きっとそういう相手でもいるのかもしれない。

 黒奈瀬とは友達だ、だとしても、異性だからだろうか? こういうのには謎の抵抗感みたいなものがある……独占欲では無いと思う、応援しよう。


「……? べつに言えるけれど、咲月ちゃん、未織ちゃん、不過ちゃん、愛歌ちゃん、雪ちゃん、國満くん、よ?」


「フ、へへっ、やったあ! やっぱりあたし達の家なんだね!」


 その言葉を待ってましたとばかりに、バッと両手を上げたツキは飛び跳ね、踊るように広々とした室内を探索し始めた。


「貴方の夢は私の夢、共に國満ハーレムを完成させましょう」


 呆ける俺に言って、こちらの手を取り握ってきた。


「……うぇいとわっつ……??」……まぁ、仕方がないのでその手をしっかり、がっちりと握り返してやった。吊り上がる口角、伸びる鼻の下は空いた片方の手で隠しておく。


「この家とんでもない額掛かっただろ?俺からも出すよ」


「要らないわ、事故物件だったから安くなったの」


「……え……ナルホドね、黒奈瀬さんは買い物上手だ」


 さらりと言われたのでこちらも適当に流す。後ろで楽しそうにタンスを開けたり閉めたり、姿見の前で着崩れを直したりしているツキには内緒にしておこう。


「それは理由の五割よ、残り半分は、帰る場所くらいあった方が良いと思ったから、皆こっちの世界に突然来て、心休まる居場所があるとは限らないでしょう? いいえ、無い可能性の方が高いのよ」


「……いいな、その考え、最初からそれを言ってくれ……あと前半の理由と後半の理由が等しいのはよく分からないけど」


「この家の一番の拘りはね、外観より内部は無駄な部屋を省いて少し狭めに造ってある所よ、皆を近くに感じられる方が良いと思って」


「へぇ、よく考えてるな、そう言うのって住んでみて気付いたりするのに」


「将来設計図は綿密に練らなければ行けないわ、もちろん、子供が出来た際は増築も考えてるから心配無用よ」


「……こども……? な、何言ってるんだお前、バカか……」


「頬を赤らめ顔を背けるみつにぃ、黒奈瀬の言っている事の意味を察し、まさかなと戸惑うのだった」


「後ろから俺の心情描写をこと細く読まないでくれ!? そんな事思ってないですけど!」


「へへっ、そうだみつにぃ、肩マッサージしてあげる、凝ってるでしょ?」


 頭だけ振り向けばいつの間にか後ろに立っていたツキ。


「……え? いやそんなに凝ってないと思う、多少の疲れはあるけど、まだまだ若々しいしな」


「精神の方だよ」


「誰が四十肩だ」


 俺のツッコミにツキは構わず肩を揉み始めた、その弱々しい力加減に気遣いを感じる。


「自然に治ると思って放っておくのは良くないからね、時々こうやって動かしてあげる」


「……ほっほっほっ、ありがとのう……」揉まれるに連れ爺さん化が進行、ノンノン、儂はまだまだイケイケヤングじゃぞい。


「…………あたしも歳取りたいな……ずいぶん離れちゃった……」


 耳元で独り言のように呟かれたその言葉は、暖炉の熱に浮かされた頭にはあまり上手く入っては来なかった。


 刻刻と――アンティークな時計をチラリと見る黒奈瀬、秒針は八時を廻っている。


「そろそろ夕食にしましょう、今日は疲労が溜まっているから、手早くデリバリーでいいかしら?」


「……良いけど、デリバリー……? 久しぶりに聞いた響きだ、そんなものまであるのか……」


 あるわよ、と言った黒奈瀬は立ち上がり窓際へ、両開きに窓を外へと開け放つと、傍にあるサイドテーブルに置かれた小さな真鍮のハンドベルを手に持つ、ベル部分を下に、円を描くようにゆっくりと三秒間ほど鳴らしてから、最後にそっと胸に押し当て音を消した。


 バサバサと羽音を立て外からやってきたのは鳩に良く似た青い鳥、片手を差し出した黒奈瀬に一通の手紙をくちばしで渡す。


 ……へぇ、なるほど……元々この世界にある伝書鳩を応用したのだろう……あの手紙に頼むものを書いたりするのかな、意外と思いつきそうで思いつかない盲点ってやつだ。

 考える中、黒奈瀬に手渡された手書きの文字で綴られた紙、ツキが興味津々に後ろから覗き込んでくる。


「うわぁー! メニュー表もある! すごい! なに頼むの?」


「イタリアンから中華、日本食、スペイン、インド料理なんかも、色々あるわよ」


「……うーん、どうしよー、迷うー……みつにぃは何か食べたいものあるー?」


「そうだな、そんなに色々頼めてしまうと迷うな……ペペロンチーノ、ピザ、麻婆豆腐、餃子、パエリア、アヒージョ、インドカレー、豚カツ、唐揚げ、刺身、すき焼き……」


「みつにぃが詠唱始めちゃった、変だね、魔法使えないのに」


「そうね、魔法使えない癖して悲しいわね……」


「おい! 急に攻撃してくるな、ピザにしよう、何となくピザが食べたくなった、チーズが食べたい、あーでもカロリーとか気にするか?」


「大丈夫よ、私、幾ら食べても太らないから」


「女の敵だよ墨音ちゃん……」


 こぼす言葉に不平を滲ませつつも同意を示したツキは自分のお腹を服の上から触ったり、摘んで見たり……ツキも別に気にするほどじゃないと思うけど……というか痩せすぎだ、もっと食った方がいい。


「もっと太れツキ」


「どう言う意味!?」


 あはっ、めっちゃ怒った……。


「ごめんごめん、代わりに今日は俺が二人の分奢るから許してくれ」


「お金無いのに変な見栄張らないの、お祝い金? 入社金? だって蹴ってたでしょ……あ、みつにぃ、改めておめでとうね」


「あぁ、ありがとう」


 そう、あの試合、もとい試験のあと俺は無事にインデックス・サーティンへの加入が決まった、その際、加入祝いのお金を師匠から受け取れるらしいけど、俺は『そいつぁ、受け取れないですよ』と断った。全然後悔はしていません。


「私からも改めておめでとう、でもやっぱりお金は受け取って置くべきだったと思うわ、サラダも追加しておきましょう」


 住所と注文する品を手紙に書いた彼女は、伝書鳩を飛ばしながら、ハンバーガーに挟んだピクルスぐらい余計な一言を挟んで言った。まぁでもあれ、大人になって改めて食べてみると良さが分かったりするんだけど。


「ははっ、二人とも全く分かってないな、要らないんだよ、あんなはした金、俺には不要だ」


「蹴った額さ、覚えてるみつにぃ?」


「……さぁな、記憶にない、200とか300とかそんな辺りだったかな、A級の討伐依頼を何個かこなせばそんなもんすぐだ、気にするな」


 気にするな、そう、気にするな。


「一億だよ、億だよみつにぃ……ホントに後悔してないの?」


「…………してない……です」……よ。


「ふふっ、カッコつけるにしては高くついたわね、それだけ有ったのなら生活費は勿論、戦闘に役立つ武器や防具も選り取りみどりだったのよ?」


「…………な……ぐっ…………」


 歯噛みカミカミ唇噛みカミカミ。


「あーあ、やっちゃったね」


 唇無くなりそう。


「……おまえら……はぁぁ……おれ、飯来るまでにお風呂に入ってきます……どこにありますか……?」


 後悔なんて微塵もしていないけど、雑念のようなこの蟠りを水に流して誤魔化したい気分になった。


「1階フロア、ここを出て真っ直ぐ、突き当たりを右に曲がればすぐ分かるわ」


「分かった、ありがとう、行ってくる」


「待ってちょうだい、背中を流させて欲しいのだけど、やってみたいシュチュエーションだったのよ」


 ドアノブに手を掛けた俺に黒奈瀬はズイッと寄って来て、その再現をしているのか背中をゴシゴシと摩ってくる。


「……1人にさせてください……あと痛いです」


「うんうん、そうだね! お風呂回はやっぱりみんなが揃ってからの方がいいよね!」


「あら、確かにその通りね、私としたことが重要な所を見落としていたわ」


 ……フムフム、ほぅ……キャッキャウフフ、浮かぶ桃色肌色の光景……なんだか元気出てきた!


 単純な俺は風呂未来へ早足に、真っ直ぐに突き進むのだった。あ、ここ突き当たり右。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【悪魔でリベンジ】 ~不可逆世界と七つの不思議な花~ 冬海月 さそり @tomitukisasori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ