第40話 エキタイ
屋上から70階層以上もの距離をあっという間に落ち行く先、空中で体制を立て直そうと試みる、突如として広がる青空、目下見えたのは煌びやかな白い砂利、近づく地面、鎖に縛られる中まともな受け身を取ることが出来ない、加速度的に威力のついたまま全身に衝撃、砂利を砕き散らし、辺り一帯に生えた色鮮やかビビットカラーな草木を揺らした。
身体に浴びた衝撃が鳴りを顰める頃、緩くなっていた鎖はすっかり解かれ消失していた。血濡れた首を撫で、傷口が塞がっているのを確認し、立ち上がり見上げれば、ぽっかりと穴の空いた青空と太陽。
「…………外、か……? どうなっている?」
……陽光を浴びるこの鮮烈な森の中、辺りを見渡せば目を惹くものがひとつ背後に……家だ。
その家の童話的な外観に興味を惹かれ近づけば、甘い匂いが漂ってくる、家の中からではなく、この家自体から、お菓子特有の甘ったるい匂いが。
壁を触り、扉を触り、良く観察してみればその家はクッキーやチョコ、生クリームなどで出来ているお菓子の家だと言うことに確信を持てた。
「――その家、許可なく喰っちゃいけねえぜ」
声のした方に振り返れば、木々の間から荒木場享真が姿を現す。
「……これは興味本位だが、幾つか質問をいいか?」
浮かぶ疑問点、さほど重要なことでは無いが彼に聞いてみるとしよう。
「冥土の土産ってヤツだな? 答えてやってもいいぜ、なんせ一発イイのもらっちまったからよ、サービス、だな」
先ほどまでとは打って変わって清々しい表情だ。
「これは有難い……ではまずひとつ、あれはどうなっている?」
頭上を覆う空を見上げ問う。初めに気になっていたことだ。
「……? 空、あの天井のことか?」
黙って頷いて先を促す。
「あれは機械族が造った空だな、本物じゃねえって話は聞く、詳しいことは知らねえが映像みたいなもんじゃねえのか?」
疑問に疑問で返される形になった、知ってる知らない以前に彼はそもそも興味がないのだろう。
「高度に発達した科学文明は魔法と見分けがつかないという実体験を得れた。あれは良くできた空のようだな」
機械族は魔法が使えない、彼らは科学技術のみでこの魔法に支配された世界で生き永らえている。
「ま、この風は気持ちがいいな」
彼は吹く涼風に感想を言った。
「二つ目の問いは単純にこの場所についてだ、ここはどこだ?」
「従業員部屋、だな、俺達が使ってる訳じゃねえが」
この問いへの答えはすぐに返ってきた、気になる部分は抜けているが。
次の質問へ移る前に、砂利の中の一粒を手に取り、口に放る。
……甘い、飴玉だ。
「オイオイ、興味があるからって取り敢えず口に入れんなよ、赤子か犬か?」
長々と舐めることはせず、噛み砕き、喉を鳴らし飲み込む。
「なに、共感できるだろう?」
「……あ? って、俺は犬じゃねえよ!!」
「……ふむ、そうか……先ほどの雪景はパノラマだな、使用に抵抗感は覚えないのか? 自らの深層をさらけ出すんだ、普通ならば
今も尚、身体に薄く張り付く冷気は先程の体験を想起させる。
「んなもんねえよ、使えるもんは使う、それだけだ。あとさらっと流すな」
「ここに落ちる際、五連の鎖に縛られた、飛び道具は使わないのではなかったのか? 無論、合意も何も無いただの口約束に似たものだ、必ず則れなぞ言うつもりはないがな」
「何言ってんだ、パノラマもそいつも、お前が勝手に当てられて勝手に引き摺られてきたんだろ」
稀な事ではあるがパノラマは、意識して使用する以外に、互いの高次の魔力に干渉し、誘発してしまう場合もある。鎖も彼の存在、その所以の一つか……ならば、今の一連の流れで思い当たる節がある。
「芸達者だな」……そう口にしてみた。
「……へぇ……」
彼の口角はわずかに吊り上がり、双眸にはうっすらと赤が灯った。
獣人族は興奮状態になると瞳の色が赤くなると伝わる。
感情の発露、それは昂ぶれば昂ぶるほど活発に。
「顔合わせの時点でそういう事だったんだろう、やはり君は芸達者だよ」
彼への初見の印象が変わった、どうやら思ったよりも彼は賢く、過激な発言には裏側がある。
「……もういいだろ、おしゃべりは……第二回戦だ」
彼は姿勢を低く、左腕を前に、右腕を後ろへ、自然な動作で左足を擦れば着付けた袴が揺れ、空けた口からはちらと炎が漏れた、備わったその牙は頑強な鉄柵を破り、堅牢な意思をも砕くだろう、静かな再戦の合図だった。
――フラッシュバック、一戦目を想起させる力強い踏み込み、瞬間、巻きあがる砂礫を置いて懐に深く入り込まれる、先程と同様のラインを描いて拳が飛んでくる、変なフェイクは無く、狙うは率直に鳩尾か、引き締まる筋肉の収縮から手加減を感じさせない、前回のように受け入れてしまえば負うダメージはより深くなる事だろう。接触まで薄紙一枚、
――俺は左方向に避ける、その未来を捨てた。
だが、変わらぬ未来には少しの変化を、全身を鋭く硬直、大地に突き刺さる不動の剣のように、微動だにせず受け入れると…………口端からだらりと血が垂れる。
「ハッ、おもしれえ事するじゃねえかよ」
稀有なものを見たと笑う彼の拳はこちらの腹を破り、背中へと抜けている。
腕を伸ばし、彼の髪を掴むと、引き寄せ顔面に膝をめり込ませた。
「ぐぁッ……!」
苦悶の表情、距離を取ろうと腕を引き抜かれる感覚が内蔵を抉る。
そんな強引な動作は中途で止まった。
「……抜けねー……」
端的に呟かれる言葉は筋力で逃避を阻害したことに対してだ、同時に傷口には魔力を多量に廻し高速再生を促すことで腕を更に固めにかかる。
「人には出来ぬ芸当だ、便利なものだろう?」
思案の表情、打開案を見いだせず、動けないでいる彼の腹に右拳をめり込ませると、その鈍い痛みからか脂汗が滲み出たのが見て取れた。
「動かぬ現状、打破しなければ変わらんよ」
目前の彼の額目掛け、頭を強烈に打ち付ける。
痛みに声を上げる猶予など作らせず、間髪入れず顎へと掌底を打ち込み脳を揺らす、衝撃で恐らく動けなくなっている所で、更に蹴りで追い討ちをかけようと脚を浮かせた、そんな時、ふと、彼の頬が僅かに吊り上がった。
己が身体が後方へ、一歩ズレる、そうしてまた二歩、三歩とゆっくりとしたその動きは気付けば勢いづき、身体は浮き、鮮烈な景色を置いて行った。
――驚愕に値する馬力、凄まじいスピードで彼に押されている、腹部は貫通したままに、歩兵を薙ぎ倒す重機で押されるような圧倒的なパワーで、背後の幹の太い木々を倒し巻き込み諸共進んでいく。
「――チッ、行き止まりかよ」
舌打った音は鋼鉄の壁が粉砕する轟音と地響きで掻き消えた。
パラパラと壁の崩れる音と身体の痛み。
折れ尖った無数の木片は桐や手足に刺さり血を噴かせている。
「……フ、ハハハハッ!! 実に
「おいおい、その状態で喋れんのかよ」
繰り返される再生は異物の排除に取り掛かる、木片は抜け落ちゆき、再生は更に貫通した腕を押し返す。
「ったく、吸血鬼ってのは面倒で気味がわりぃ」
悪態を吐く彼の腕を掴み、徐々に引き抜くことで再生の補助。
「やっぱ、血の匂いってのは鼻にクる、嗅覚が良すぎるってのも困ったもんだ…………ふう……にしてもすっきりしたな、ギプスでも巻きつけてる感じだった」
無事に抜けた腕を回し動作確認を行い言う。
「ほう、骨を折った経験があるのか?」
「そりゃあるだろうよ、こんな世界じゃなくてもやんちゃな時代は特によ、それに、骨ってのは折って鍛えるもんだろ、カルシウムだけ摂りゃいいってもんじゃねえ、強靭な体を得るには痛みは大事なことだ」
「……強靭な体か……では、単純な力こそが全てを賄えるというのか?」
「そこまでは言ってねえけどよ、頭だけ良くってもどうにもなんねえだろ?いざって時、頭が良くて出来ることって言えば、逃げることだけだ」
「……そうか、ポチは頭が良いな、いい子だ」
「ぁあ? あいつもそうだがお前もか?俺を犬みてえな呼び方しやがって、舐めてんのか、俺はオオカミだって言っ――」
既に再生しきっていたので蹴り飛ばすにはちょうど良い頃合いだった。
言葉を置いて行った彼を追って斜め上へと真っ直ぐに飛び、不規則に立ち並ぶ木々、その枝から枝へと乗り移りつつ後を追う。
踏み込まれ
鳴り響く衝撃音は相殺に至った為だろうか、距離を取るように翻り着地し、結果の確認を。
「流石に無茶だったようだな?」
「チッ……まさかさっきの会話がフラグだったなんてよ」
彼は折れた右腕をぶら下げ唾を吐く。
「ま、片手使わないぐらいが良いハンデってやつだな」
戦意は削がれていないようだ、赤くぎらつく目はこちらの次の出方を窺っている。
……ふむ、そろそろ本領発揮と言ったところだろうか……? 二種の鎖と彼が模したもの……底が見えないな、こちらの過大評価では無い筈だが…………。
顎に手を当て考えていると、金属の擦れる音、鋭利な何かが風を切る音が聞こえてくる。ついに隠し持った手札を見せるのだろうかと、彼を見やるがそんな素振りはない、では、この音の正体はなにか……?
その接近する音は頭上からだということに気づき見上げる、飛来する無数の刃物の先端、それらはオレと彼を囲うように次々と地面へ突き刺さっていく、豪雨と見紛うほどに降り注ぐ刃物の正体は人の身の丈を超える大きな
それら最後の一挺はオレと彼の間に深く突き刺さった。
「ふむ、これはなんだ、不躾な誰ぞの横槍か?」
「……ぁあ、いや…………ここで暴れるなってことだろうよ」
どこか気まずそうに顔を逸らし、後ろ頭を掻きながら言葉を続ける。
「あいつ、怒らせると後がめんどいんだ……上、戻るぞ、少し手荒なエレベーターになっちまうだろうからよ、歯食いしばれ」
自然な歩みでこちらに間合いを詰めてくる、やがて立ち止まれば顎先目掛け繰り出される綺麗な直角蹴り、反射的に数センチずれる事で避ける、最中、当然ながら生まれた彼の隙、その合間を縫うように反撃の動作へ移行、これを避けることは出来ないだろう、打ち上げられるのはどうやら君のようだ、三本目の脚でもあれば、結果は変わっただろうが……。
――彼の腹に触れる直前、死角から何かが突然跳ねあがり、レイコンマレイ一秒、自らの胴体が打ち上がった、予想だにしない意外な展開、急速に地面が遠のいていく、天井、破られた暗闇に吸い込まれる、ズキズキと抉られたように痛む腹は拳や蹴りの類によるものではない、判明した意表を突く攻撃手段、その正体は"尾"だった、笑う彼の姿、機嫌に揺蕩う毛深い尾は太い腕に殴られたかと勘違いする程に、しっかりとした骨と筋繊維が詰まっていた。
――偽装された青空を突破し、――真実の蒼天へと舞い上がる――この身と並列する太陽、眼下、追ってくる脅威、闇に浮かぶ真っ赤に染まった双眼は、ギアを一段階引き上げたことを意味していた。
「あ! みつにぃ!」
「おお! 二人とも戻って来たじゃ~ん!」
「あらま、まったく困ったわね~、いきなりベットを上下にぶっ壊すなんてお酒でも入ってない限りアタシでも中々しないわよ、ねえ? 無良星ちゃん」
「オレか? 内容によるな、ちょっとまて、おい!! 朝比奈はどうだ!?」
「わざわざ大声で変なこと聞くなー!! 遠くても聞こえてるんだからー!!」
「……前からずっと思ってたのだけれど、あなたたちって凄く仲良いわよね、やっぱり、そういう関係、なのかしら?」
「すみちゃん、あのね、それはないから」
「そうなの? では彼の片思い?」
「え、片思い? う~ん、いや、それこそ絶対に無いかな~、むしろこっちからお断りです」
「難しいのね」
「……どうしてそんなこと聞いたの? 深い理由は特にない感じ?」
「えっとえっと、あのね、墨音ちゃんは恋愛脳なんだよ」
「え! 意外……でもないかも…………?」
――――思うように身体の自由が効かない空中、次の一手への選択肢が制限された状況下、必然、こちらは受けて側、「――展開――」と、眼下の獣は低く呟いた、瞬く間に彼の足元には炎の小型魔法陣が敷かれ、足の踏み場が出来上がる、それを踏み込み加速した――一陣の風、肉薄する殺意、眼前の獣人は右腕の縛りがある中、容赦のない連打を繰り出す、そんな荒々しい蹴りと拳を受け流すことに集中、鋭く重みのある一打一打はまともに喰らっては致命傷になりかねない程に、必殺級の威力を秘めていた。
この一方的な攻防の中、受け流し切れず後方に吹き飛べば、追って陣を連続展開され追いつめられる、それは錯覚か、差し迫る無数の剣先に身を震わせる、左耳にツンとした痛み、完璧に捌き切ることが出来ず負った傷口から血液が飛び散った。
尚も絶え間なく、より一層速く、野生的な荒々しさはあれど秘めたるものは見惚れるほどに綺麗な、心身一如の体捌き、繰り返され続ける連打に押され、薄い切り傷は輪郭に鮮血を散らし増えていく。
……中々良くやる、どうやらこのままではジリ貧らしい、選択を思索、……強大な力にはより強大な力で応えるべきか……正当に勝ちにいくことが果たして、正解と言えるのだろうか……?
始めから違和感があるからこその疑問、
正解を導くため思考を巡らす中、突如、左腕の感覚が喪失した。
「オイオイ余所見か? ずいぶん余裕じゃねえか!」
……これは……――“部分獣化”だ、灰色のごわついた毛並、触れたモノを捕らえ壊す黒く太い爪、折れていた筈の彼の右腕はいつの間にか機能を取り戻し、獣のそれとなっていた。
理解と同時に殺意の位置が入れ替わる、――後だ、背中を強く殴られる。
追撃を見据え、無理やりに身体を捻り上げ背後の彼を視覚に捉える、無くなった片腕の再生をしようとし……。
出来なくなっている事に気が付く、見やればまるで剣で切断されたかのような綺麗な肉の断面、肩口は何故か冷気が薄く張り付いており、魔力の流れをそこで詰まらせていた。
身に起きた事象について考える猶予は無い、急ぎ眼球へ魔力を――吸血鬼眼の行使、赤く透視された世界では筋肉、関節の動きから簡単な
追い打ちをかけてくる攻撃をギリギリの所で躱し、こちらも足元に陣を展開、上方へ飛び跳ね翻り頭を下に、2つ目の陣を展開、ブレの無いラインを引くように斜め下方の彼へと鋭く飛び込み、晒された背を殴りつける、勢いのままに吹き飛ぶ彼へ、さらに陣を使い追いつき打撃、後は同じ要領、立て続けに陣を展開し攻撃を多段に当て、離脱の隙を与えない。
これは、この身の溢れ有り余る魔力を使った荒業。
バチバチと走る稲妻、周囲からは常に彼へ張り付いているように見えることだろう。
殴り続ける目の前の肉体はいつの間にか力無く、軽さを感じる、意識の消失か。
「ハハハッ!! どうした!! 弱いな、ここで終わりか? 見下げ果てたぞ荒木馬京真、何という
魔法陣の連続展開の末、客席を超え場外に。
もはや意思の無い人形を殴り続けてもつまらない、この辺りで仕舞いか……。
残念だと気が緩み、動作を止めようと腕を引く――。
「……おいピエロ、同族だろ、ったく、嫌になる」
そんな言葉と共に眼前から放たれた真っ赤な眼光が網膜に強く焼きついた。
視界を奪う一瞬の出来事、彼の姿は既に無い、陣を足場に宙へ立ち、辺りを見渡し遠く見上げれば、両足を獣化した彼がオレと同じように立っていた。
復活の歓迎に思わず笑みが零れる。
意識を取り戻したのだろうか、そもそも気絶などしてしていなかったのか……いいや、どちらでもいいことだ。
時間の連続性を切り取ったように、またしても彼の姿が消え、瞬間、後頭部にコンクリートブロックでも叩きつけられたような強烈な衝撃、視界が閃き暗転、足元の魔法陣は音を立てて壊れ、街中、地上へと一直線に殴り飛ばされ落下する。
――落ちた路地、その急傾斜になった細長い階段を派手に転がり何らかの布、舞う干葉を巻き込んで行き、先に迫る建物の扉を身体の側面で破壊、減速し、転がり込むままに内部の備品を更に破壊、壁に背を強打し、そこで止まった。
煙たい視界、口腔内には砂、噛めば不快なそれを床に吐き出す。
「おーん? なんだなんだあ~? うるせぇなあっ!! ま〜た誰か酔ってやっちまったってのか? あ~ん? ヒッ、クッ」
「なーにいってんだ~、酔ってんのはお前だろうがよぉ~、ガハハハハ!! ヒック……」
「ウチの扉壊れるの何回目なのよぉ~まったく、どれどれ、次はだれかしら~ん?」
気配は十数、騒々しい声が随所から聞こえてくる。
思わず噎せ返りそうになる程の濃いアルコールの匂い、脚の折れた机、ガラスの破片、転がる空瓶、前髪を伝って紫色の生ぬるい水滴が床に落ち染み込んだ。
…………酒でも被ったか……どうやらここは、酒場として扱われる場所のようだ。
肩に付いた埃を払って立ち上がれば、思わぬ酒の
その不躾な面々から一人、こちらに近寄ってくる強面の男。
「あんら~! 中々良いオトコが来たんじゃな~い? 私達オカマ仲間の情けない顏を見てみたいランキングトップ10を更新してもいいわね~」
……何処かで聞いたようなセリフだ。
「おいおい~、誰かアキさんを止めてやってくれ~、また拗らせるヤツが一人でちまうからよ~」
テーブル席、頭にバンダナを巻いた酔った男の言葉にどっと笑いが起こる。
騒ぎには干渉せず、蜘蛛の巣の張った木造の天井を吸血鬼眼で透かし、彼方の荒木場享真に目を凝らした。……追ってくる様子は無い。
「うふっ、無口な人、そういうの、と~っても大好物よ♡」
アキと呼ばれた酒場の主人であろう人物は、どういう訳か息を切らし此方に詰め寄る。
「オレには近寄らないほうがいい、火遊びをしたい酔狂な趣味を持つならばそう止めはしないがな」
「あんら!! 聞いた!? 今の口説き文句!! なかなかクルわね~!」
「ま、まじか、あいつそっちの気あんのかよ」
「この前も一人、アキさんの初心者狩りにあったヤツが泣いちまってたのを見たぜ……しかもそいつの話をよく聞くとな、合意のもとって話だ……恐ろしい世界だろ……? 俺には分からん……一生分かりたくねえ……」
途切れることを知らない喧騒の中、酒場の主人は「修繕費はいらないわ、カラダでお・ね・が・い♡」と言って此方の肩に手を置いた。
「ゥァアッツゥ!! な、何よこれええええ!! 鉄板!? 鉄板!?」
野太く声を荒げ慌てふためき尻をつく。
注意はした筈だが……尋常ではない魔力を扱っているのだから多少この身は熱くなってしまっているのだと。
「おい奇妙な人間、ここに置いてあるのはぬるい酒ばかりか? 冷えた酒はないのか? 無いならば冷水でもいい」
「ひ、冷えたお酒? い、一応置いてあるケド……」
「あるのか、ならば持って来い」
腰ぬけた男へ横目に促す。
「うふん、わかったわ♡ アキ、今すぐ持ってきま~す!」
「……見ろよアキさん、吸血鬼の眼にまんまと当てられてるぞ……」
「みてえだな……俺も欲しいぞ、吸血鬼の魅了の眼……」
「え、お前アキさんに使うのか?」
「んな訳ねえだろ……」
「――持ってきたわよ〜ん」
大袈裟に腰を捻り、内股に走る奇妙奇天烈な動きでオレの元へ、手に持っている酒瓶を受け取る。
「たった今、氷水から取り出したばかりの不老葡萄の白ワインよ、エルフの里から取り寄せた300年モノ、私のお勧め、た〜くさん飲んで早く酔っちゃいなさ~い♡ 」
既にコルクの抜かれた注ぎ口から香る果実の匂いは、それだけで脳に熱を与え甘く蕩かすようだ。
これを飲みはしない、少し頭を冷やす必要がある。
酒瓶を頭上へ、傾け、その中身を頭から浴びた。
その冷たさは火照ったこの身に心地よく、濡れる薄目から漠然と見える金色の液体は、凝縮された甘ったるい香りを爆発させるように放っている。
「ふむ、上物だな、安酒を浴びるよりはやはり価値のある酒を浴びるに限る」
「ちょ、ちょっとアンタ……それかなりの値打ちものなのよ……勿体ないことするわね……」
酒瓶を垂直に、注ぎ口からはドボドボと液体がうねり溢れ出続ける。呆ける衆目の中、最後の一滴を落とし終え、空になった瓶をこれまた呆ける主人に手渡し、額に張り付いた髪を掻き上げた。
「……あらー! お酒も滴るイイ男ね……うん? どうしちゃったのかしらん……?」
クリアになった頭の中、浮かされた熱はどうやら覚めきったよう。
――するべきことは決まった。
「……すみません、お邪魔をしました、修繕費はえっと……後日金品で払います」
俺は言って頭を下げ、返ってくる言葉を待たず出口へつま先を向け、板敷を踏み込み一歩目で外へ、二歩目、バックで高く空へ飛んだ。
――吹き荒ぶように舞ったこの身は刹那、振り返れば赤く眼光を放つ
一度鎮まっていた双方の魔力はまた熱線に触れ、沸点に引き上げられ、互いの魔力干渉からパチパチと火鉢に似た音が耳に届く。
真正面、捉えた
「……酒、か……?」
浴びた酒に感づいたのか僅かに顏を顰めた。
それはきっと、彼の油断では無かったのだろう、ほんの些細な仕方の無い出来事、思考の切り替えにより生じた人間である事の弱点。
そんな合間の隙を縫って即座に腹部へと重い打撃を加え、尾を掴み、振り回す勢いのままに投げ飛ばした――客席に飛ぶ彼を追う――続いて――。
「Expansion――“H《磁場》”――」
ひっくり返った視界、己が縦軸は闘技場の中心、足元に展開した陣は電撃を帯びている、それを足場に逆さまに宙へ立って、遠く客席へ飛んだ彼を確認。
首を鳴らしゆっくりと立ち上がる彼の姿は、今の一連の流れの中、その身に殆どダメージを負っていない様子だ。
……追撃、深追いは……踏みとどまった……選ぶルートを間違えてはいけない、ここは、分岐点だ。
――人生に後戻りなんて出来やしない、不可逆のターニングポイント。
……気付けば日没近く、黄昏に群れる羊雲、上下に相対する彼我の顔は影濃く、茜色に染まっていた。
彼は動かない、口ひとつ動かさず、こちらの出方を窺っている。
……使えるものは使う……か、ここは彼の意見を参考にさせてもらおう。
俺は瞼を軽く閉じると、長く細く空気を吸って…………言葉を綴って行った。
「我々は液体だ、色の付いた液体だ、分量の決まっていない液体だ、他人に混ざり、時には分離もする便利な液体だ、だが、純度100、完全に分離できる訳では無い、躰の一部を置いていき、躰の一部を貰い受ける、それは混じる時の長さに応じて……だから人と人は関わり合うと、少しの変色を見せるのだ…………」
懐のヘアゴムを取り出して、解けていた髪をキツく縛った。
……見せたくない、……見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せ、見せたくない見せたくない見せたくない見せたくない見せたくないでもカンケイナイ。
前方へ手を翳し、瞼を開けて、彼ら彼女らを見据えれば――。
「――さぁ、みろ、
その全てを、混ぜてしまってはいけないよ、混ぜてしまえばきっと、黒くなるから。
――僕の知ってるあの子のように、出来るだけ白くいなくちゃ――。
……それは、ゆるやかな、ゆるやかな世界の切り替わり、誰にだって聞かせたくない、気持ちの悪い蠕動の音、湿り気に満ちた隘路に這うのは猛毒を持つ
……投影されたそれは、いつも同じ、自らの脳ミソを覗くような気持ちの悪さ、これを見てしまえば、自分が決して綺麗なものではないことに気付いてしまう、歪な在り方に吐き気を催す。
「――少年のこれは少々同情を禁じ得ないな……」
「……そうねぇ……それに気付いた? このパノラマの大半を占める魔力量もかなりのモノよ、身に重さを感じる程、ね」
「クハハハハッ!! みっちり鍛えた甲斐があったってモンよ」
当てられた者らはそれぞれの反応を表面化させている。
「あらでも喰邪、全開ではないのに彼ったら、まだパノラマの制御が完璧では……」
「――ぅっぷ、う゛ェェェェエエエエエエエエッッ――!!」
「きゃあっ!! ひなちゃんが吐いたー!! な、なんで!? 大丈夫!? 誰かタオルー!!」
「……だ、だいじょうぶ、咲月ちゃん、これはほらさ、ただの乗り物酔い……うっぷ、やばい、やばいやばい、いま目開けられない……うっぷ、また吐きそ……っ」
「朝比奈さん理由に無理があるわよ、肩貸してあげるからお手洗いに行きましょう?」
「……ぅうう……あ、ありがと……じゃあ遠慮なく……」
「咲月ちゃんはここにいて國満くんの結果を見ていてくれる?」
「……うん、わかった、急にどうしちゃったのか分からないけど、なにか困ったことがあったら言ってね」
「ええ、もちろんよ」
「――…………クク、どうだ京極、あの二人の様子を見りゃ制御の方はバッチリだってことが分かっただろ?」
「……あらあらそのようね、無用な心配だったわ」
――……自分にとっても耐え難い景色はそうして終わりを迎え、元の正常な世界へと戻って行った。
荒木馬京真、遠く彼の姿は、やはりただ不動で、腕を組みこちらを見下げている。
日の影に潰された彼の表情は、何処か和やかに、笑った様な気がした。
俺はいつしかそんな夕暮れの空を見ている。…………仰向けになって。
自身が地に落ちていることに遅れて気が付いた。
「…………あれ、身体が……うごか……」
うご、動かないっ!? 力が入らないっ!? なんで……?? なぜこうなったっ!? 無茶したっ!? 調子にのったぁぁああーーっ!!
……いいやっ!! まだだ!! また立ち上がれば良いだけのこと!! どうしても俺はここで終わる訳にはいかないんだ!! ……だってえ!! あんなにカッコよく『安心しろ、お兄ちゃんぜったい負けないから』なんて啖呵切っておいて結局負けるだなんて恥ずかしいもん!! ダセェもん!! 黒奈瀬には呆れられこのことを一生ネタに、ツキにはまた駄目にぃの烙印を押されることに!! そうなってしまっては最後、今後再び啖呵を切る度に『あ、これフラグだな』と自他ともに思うことになってしまう!! そんなの嫌だあああああーーーー!!
「あらら、どうやら決着みたいよ喰邪、どうするのよ?」
「あん? どうするもなにも結果が全てを示してるだろ?」
「そのようだな、私はこのあと直近で所要があるから帰るぞ、患者が待っている」
「――ウム!! いいものを見せてもらった!! 我も久方ぶりに、大昔、戦に飢えていた巨人族の血が滾ったほどだ!!」
「なんやもう終わってしもうたんか? ええ勝負やったのに残念じゃわい、酒の肴になると思うたのに」
「どうやら彼、動けないみたいだよ、早急に回復魔法を」
各所からの会話は俺に敗北の現実を突きつける。
…………まったく、負けてないのに皆さんせっかちなことだ。
取り敢えずは合意の元(一方的)、休戦と言ったところで空を眺め、なぜか眠たくなる重たい瞼を必死に開けようと抵抗しているところ、頭上から足音。
「あれー? みつにぃ負けたの~?」
「國満くん、あんなにカッコよく啖呵を切っておいて負けた、のね?」
かぶさる影、俺の顔を上から覗きニヤつく二人。
「負けてない! 休憩だ! ちょっと派手な運動をしてたんだから必要な事だろ? あ、そうだ、喉が渇いたからできれば水がほしい!スポーツドリンクでもいいな!」
「上を向いているせいで目の前の現実が直視できていないのね?」
「ははっ、いったい何を言っているんだ黒奈瀬は、お前にしては雑なボケだな? 俺も何でもかんでも拾ってツッコむ訳じゃないんだぞ? ……まあでも? 俺もたまには、間違えの一つや二つ、あるのかもしれない、今の黒奈瀬やツキ、ほか観測者の皆様方のように、まぁだから、道徳評価5、心の広い俺は皆さんの意見も取り入れて、勝敗は引き分けってことでどうだ?」
「不服なのかしら?」
「ああ、いや? 上告だ」
「それ不服じゃん」
「國満くん、見えていないでしょうけれど対戦相手は立っているわよ? 二本の足でしっかりと」
「苦しい言い訳はあとで聞くから今は治してあげるね? 飛んじゃった腕もってきたから」
わざわざ拾ってきたのだろうか、俺の左腕を抱えたツキはしゃがみ込む。
銀から金へ、輝きを放ちだしたその黄金色の吸血鬼眼は紅い空の色とも相まっていつもと違った美しさを魅せていた。
「く、苦しいだって!? ツキ!? くそぉぉ……!! 俺は負けてないのに……!!」
「はいはい、負けてない負けてな~い」
……おーい、ツキさ~ん……適当に流さないでー……「うおっ、あったけぇ~……」
肩口と腕の断面が合わさった箇所から漏れる光の粒子、その暖かさに安心感を覚える。寒い日、布団の中、くるまってると安心するよね、あんな感じ。
「回復魔法、羨ましいわね、ねえ咲月ちゃん? それ、片目だけ私に移植したいのだけれど、私の眼と交換条件で」
「……墨音ちゃん怖いよ……あ、でもオッドアイって可愛いかな?」
ちょっと揺らぐなよ…………本当にしないでね? 可愛いとは思うけど! もう十分だと思う!!
繋がりを得た神経、指先、第一関節がピクリと動く、俺はそこでツキに能力の行使を止めさせた。
「もういいの? みつにぃ?」
「いいよ、あとは再生でどうとでもなるから」
吸血鬼としての恩恵にあやかり、便利な能力だなと改めて思いつつ立ち上があがる。
「おっと……」フラっと立ちくらみ。
「だいじょうぶ?」
「まだ駄目じゃない」
ツキが支え黒奈瀬が肩を貸してくれた。
「ごめんごめん、貧血だな、さすがに血が足りないか」
「あたしもっと力使えるのに」
「いらないって」
「じゃあさ、あたしの血、吸う?」
「いらない」
「……もう……みつにぃ……」
「大丈夫よ咲月ちゃん、やんちゃな國満くんは前世でもしょっちゅう貧血起こしてたから、慣れっこなのよ」
「なんの理由にもなって無いよ、それ」
皮肉を含んでそうな黒奈瀬の言葉、ツキは困ったようにそう返した。
……………んっと…………何だか気まずい、空気が硬いな……マグネシウムとかカルシウムとか、その辺の含有量が多い気がする……それは水だ、硬水だ。
助けを求めるように自然と顔が上がった先。
「久しぶりねアリス、いえ、初めましてねアリス、改めて私はアカズキン、よろしくね」
いつの間にか目の前に居たのは、赤い頭巾の女の子。よかった、助け舟だ。それは今の俺には貧相なボロ船ではなく、立派な豪華フェリーに見えた。ここは首尾よく乗らせてもらうとしよう。
「ああ、よろしく……うん……? アリス? 俺はアリスじゃない、新タ、國満新タだ」
「……ふぅん……そうなのね、よろしくアリタ」
「混ざってます」
上船したはいいけど甲板に滑ってずっこけた感じになった。
「二人も改めてよろしく、月ちゃんと墨ちゃん、これはお近付きの印」
そう言って、赤頭巾の少女は手に持ったバスケットから果物を一つ、二つ、三つと取り出し俺たち三人に渡して行った。
「……リンゴだな」
「林檎ね」
「りんごだ!」
何年振りか、久々に見たその真っ赤な果実。
「これ、貰えるのか?」
「うん、喉、乾いてるのでしょ? きっと美味しいから」
「……そうか? ありがとう、じゃあ遠慮なく今いただこうかな」
そう礼を言って齧る寸前、止まる、これは果たして俺から先に食べてしまってもいいのかと、謎の譲り合い精神、純ジャパニーズ、発動、ちらと二人を横目に。
「これ凄いわよ咲月ちゃん」
「うわあ! 甘い! 美味しい! ありがとズキンちゃん!!」
おい、おいおいおいおいっ!? もう食べちゃってるよ!? 早いな!? しかもツキよりも黒奈瀬の方がフライング気味だった!! 見てたからね俺!!
やれやれと林檎に視線を戻し齧りつく、ジュースでも飲んでいるように瑞々しい……美味いな……。
「そうだわアリス、わたしの林檎食べた代わりにポチとは仲良くしてあげて? きっと気が合うわ」
既成事実、それ林檎口にした後で言うのね。
「國満くんも彼も、同じオオカミさんだものね、私も二人は気が合うと思うわよ」
ふむ、夜の狼男って所がかな? ……うん? 気が合うってそういう理由なの!? 否定はしないけど!
未だ微動だにしない獣人族の彼を見る。
……あれが羅刹階級……とんでもない強さだったな……底力もまだ見えなかった……はぁ、だとしたら黒奈瀬の持つ階級、
まあいいか、取り敢えず所感として彼は悪いやつではなさそうだ。
「ええっと、もちろんいいよ、と言おうと思ったけど俺、試合結果が芳しくなかったからな、たぶん加入出来ないぞ、残念だけど今後はもうここに来ることは無いと思う……」
「ううん、そのことに関しては……あっ、それと月ちゃん、林檎食べ終わったら次はポチを治してあげてほしいの」
イントネーションがツキ↑じゃなくてツキ↓なんだな、ちょっとむず痒い。
「……? うん分かった、みつにぃとは違ってあんまり怪我してなさそうだからすぐ治せるよ」
それは言わないでおくれよツキさん、俺にダメージ来るから。
「違うの、あれね、ああ見えて実は立ったまま気絶してるの」
「……え、そうなの!?」
少女の言葉に大きく驚くツキ、内心驚く俺。
「あら、正真正銘の引き分けなのね、良かったわね? 國満くん」
「よかった!!」…………心底安堵した。
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