第39話 交差―ケンカ―



 最上階、屋上へと続く石造りの暗い廊下、先の出口からは陽光と涼しい風が入り込んできている。

 俺を含め黒奈瀬、ツキ、師匠、悠さん以外は先に屋上へと出ていた、ここにいるのは五人のみ。


 そうそう、ちなみにロボさん改め、バッハさんは緊急のミッションがなんだかと言ってここから発進していった。出口では無く、ここの壁を突き破って………。


「――解除の暗示はこんなところだな、少しアレンジをしても支障はない、むしろそっちの方が國満には良いだろう」


「ええ、わかったわ」


「よ、よし覚えたよ」


 師匠に黒奈瀬、ツキはそれぞれ返事をする。


「ごめんな二人とも、手間とらせて」


「いいのよ、それになんだかカッコイイじゃない、力のセーブの為にロックがかかってるなんて」


「そうだよみつにぃ、問題ない問題ない!」


 会話の内容、黒奈瀬の言っているのは俺自身に掛けられた暗示のことだ。魔界での修業中、急激に増えた魔力量に対しまだ己の技量が見合っていないため、今は例えるなら壺を鎖で巻き、蓋を固く閉じてる状態に近い、普段使いは掛けられたロックを一段階外し、少し隙間を開けるイメージ。そして二段階目が問題で、解除の暗示もなしにいきなり蓋を開けてしまうと溢れ出る魔力に対し、器の強度が足りずに壊れてしまいかねない、らしい。


 荒木場享真、冒険者階級、羅刹階級、相手が相手なので全力でやらないとわりと真面目に死ぬとのことなので今回はこれを解くことになった。


「そういえば師匠、最近頭痛と吐き気がひどいんですけど、これは何なんですかね?」


「そうだな、溜まった魔力に圧迫され器にヒビが入りかけてるんだろう、適度に魔球やらの体外魔法を使うのが一番効率よく解消できるが、國満は体外魔法が使えないからそれも出来ねえ、だがまァ、安心しろ、それについては考えてある。桐鐘院、渡してやってくれ」


 師匠がそういうと、悠さんは壁に預けていた背を離し、ポケットから取り出した銀のケースを黙ってこちらに放り投げた。


「ぉ、おっとっ」


 横合いの壁にバッハさんが開けた大きな穴、そこから射し込む日にチラリと光るそれを危うく落としかけながらも受け取る。掌サイズだ。


「私からの処方だよ、側面のボタンを押して開けてみるといい」


 促された通りに親指でボタンを押してみると、カチッと蓋がスライドして開く。中身は……。


「それなにみつにぃ……うん? たばこ?」


 そう、綺麗に並べられた煙草だ、だがそれは前世でよく見た白い紙巻き煙草ではなく黒色だった。


「すみません悠さん、俺もう煙草はやめてるんですよ……それにあの、煙草を処方に例えるのはどうかと」


「私は精神科医だからな」


 ……理由になってませんよ。


「フッ、ちょっとした冗談だ」


「冗談、冗談かよ……ええと、じゃあこれは……?」


「それは煙草に似てるが、私が開発した立派な薬だ、名前はWärmeヴェルメ、安定剤みたいなものだな。頭痛を感じたら吸うといい、即効性だ、溜まった魔力を吐き出せる、もちろん身体に害はないよ、そっちはね」


「Wärme? ドイツ語ね、意味は熱、温もりよ」


「墨音ちゃんすごい! 分かるんだ!」


 補足と賛美の声を聞きつつ、中身の一本を取り出してみると、側面には―安定―の二文字が銀色で綴られていた。


「……ええと、ありがとうございます」


「いいよ、初回は無料だ、次回からは金を払ってくれ」


 変な冗談は言うけどそこらへんは昔からしっかりしてるな、こちらとしてもその方がありがたいけど……ん、ってなんだ??


「でだが、今回暗示の解除と一緒に使ってもらうのはこっちのヴェルメだ、ケースはゴールドだが中の物は似ているから気を付けたまえ」


 言って放り投げられるケースを今度はしっかりとキャッ――「ああッ!」

 カラン、金属音が空しく響く。


「みつにぃダサい」


「歩くダサ男ね」


「それ歩かせる意味ないだろ!! ……いや、せめて歩かせてほしい、かも?」


 無様に地を這いつくばり転がったケースを手にし、立ち上がりつつさっきと同じ要領でまた中身を確認。


「解除の暗示の後、下段の右端を今回は使え、着火はヴェルメの先端を指で軽くはじくといい。他の物に関してはこの件が落ち着きしだい説明しよう」


 そう言い終わると悠さんは師匠に、私たちは先に行っておこうと促し、二人は出口に向けて歩いて行った。


「……うーんと、今回は墨音ちゃんが解除の暗示してあげて、あたしは次してあげる時のためにそれ見本にする」


「そう? わかったわ、じゃあ國満くんはこっちに来なさい、イイことしてあげる」


「……え? ぐふッ」


 急に黒奈瀬の胸部へ引き寄せられ、二人で座り込み、頭を抱えられる形に。


「なんだこれは!? すっごくいい!! 思わず本音でた!!」


「シュチュエーションと雰囲気作りは大事よ? といっても場所には不満があるけれど……、皆を待たせてるからさっそく始めるわね」


「ハイ!」


 俺の上ずった声を合図に、『ある暗示のワード』が、黒奈瀬の口から紡がれていった。



 ■■



 ……――すべて、全てあなたが悪いのよ、國満新タくん――……。


 ……鍵は、優しく開けられた。彼女の胸の中、現実が遠く聞こえる、脈は静かに波打つ、鼓動の高鳴りは確かにここにあって…………。


 ――【落ちゆく底は失墜の奈落、見上げるは巉絶ざんぜつならば、己が人生への救済絶無】――。


 暖かさを、知覚を遮るのはウチガワからのコエだった。


 ――【狂瀾きょうらんと絶望の底、水面みなもに映るは狂いの証】――。


 血液の循環を追い越すように、廻り巡る力の奔流。


「……大丈夫? 國満くん」


「……ああ、心配ない」


 暴れ狂う魔力を抑えつつ、黒奈瀬から離れるとゴールドのケースを手に、先ほど渡された安定剤ヴェルメを取り出す。


 綴られた金文字は……【抑制】か…… 口に銜え軽く吸い込みつつ、中指で弾けば付いた火種は密かな金色、ゆっくりと吐き出すその煙はビリリと魔力を纏い、続けて体内から外界に赤黒い稲妻が静かに踊った。


 自己なる暴走は一線で抑えつけられている。


 出口に向け、歩き出すと二人が慌てて追う。


「赤黒い魔力、國満くんはもうにたどり着いたのね、私も鼻が高いわ」


 赤は紅を辿りいずれ烈へ。


 青は蒼を辿りいずれ零へ。


 緑は翠を辿りいずれ造へ。


 届かぬ光は聖へ。


 隔絶されし闇は魔へと――至らん。


 黒奈瀬が言っているのは魔術本に載ったこの条文のこと。

 人の本質によって備える魔力の色が変わる。

 ツキの黄金色、光。師匠の黒紫、魔はかなり珍しい部類だ。

 でもこれは基本原素ってだけで、人によって少し色合いが変わったりもするけど。

 どの元素に属してるかによって最高位とされる魔法の適正に関わってきたりもする。


 陽光が降り注ぐ出口の前、ツキの顔に不安が見え隠れする。俺はそんなツキの頭に手を乗せた。


「安心しろ、お兄ちゃんぜったい負けないから」


「うん、わかった、頑張ってね、えっと、ケガしたらすぐ治せるからね?」


「ツキの力を借りるほど大事にはならないと思うけど、……まあ、その時はよろしく頼む」


 完成を超え完全へと至ったツキの吸血鬼眼は(生命に関するもの)治してしまうが頼りすぎるのも良くない。


「私も元気注入してあげるわ」


「……えっと……その時はよろしく頼む?」


 適当な会話を交わしていると、揺蕩う煙はすでに消えて無くなり、安定剤は中程まで燃えて、宙に黒い灰となって消滅した。


「じゃあ、行くか。…………フフ、実に楽しみだな、オレとしては対人は喰邪を最初に、二度目のこととなる」


「あ、あれ? みつにぃ?」


「國満くん?」


 きょとんと顏を見合せる二人を尻目に、は外界への一歩を踏み出した。



 ――目前に広がったのは大きな闘技場、だろうか、無駄な飾りは無く簡易なもの。


「おせえぞ、なにしてやがった」


 中心部付近まで一人足を運ぶと、目の前に立った男はそう吠える。


「すまないな、この身体にはまだ少々不慣れなものでな」


「……ぁあ? 誰だてめえ?」


「……個体名は確か荒木場享真と言ったな? ……ふむ、荒木場享真よ、オレが誰だという質問の答えは簡単なことだ、なぜならば人はみな、多重人格性を孕んでいるのだから、そこに疑問を感じる必要はなく、意外なことなど何も無い」


 そう返すと、荒木場の眉間には皺が強く寄る。


「……みつにぃどうしちゃったのかなぁ?」


「國満くんはきっと、そういうお年頃なのよ」


「彼ってでも結構いい歳してるよね? でもま、みっくんが楽しそうで何より何より」


「……え~っと……? たしかサキュバスの……」


「あっ、突然話しかけてごめんね、すみちゃんと咲月ちゃん、アタシのことは呼び捨てでもあだ名でも好きに呼んでくれていいよ、よく言われるのは心晴ちゃん、ひなちゃん、あたりかなー、同じガールズとしてこれから仲良くしようねっ」


「二度目まして朝比奈さん、あなたは國満くんとはどういう関係なのかしら?」


「あたしも気になる」


「え? う~んと~、話すとちょ~っと長くなるな~、でも二人が心配するような関係じゃないから安心していいかも」


「……いったいなんのことかしら?」


「ぜ、ぜんぜんわかんないね?」


「二人ともすっごい分かりやすい! ちょろいヒロイン、チョロインってやつだ!」


 背後の客席から会話の声が届いてくる。どよめきはまた、方角を変えて続く。


「五十嵐、少年のあれはどうしたんだ、処方した薬にあんな副作用は無いはずだ」


「………あちゃあ……ありゃハズレだな、1000分の1を今引き当てやがった」


 正面奥、高い位置の席、鬼は片手で顏を覆ってそんなことを言っている。


「ハズレ、か……だが私にはそういうものには見えないがな」


「力の面に関してはな、だが性格に難がある」


「あらあら、またクセのある子をもってきたわね~」


 各所からの会話を耳の遠く外へ、オレは口を開こうとする荒木場へと、また意識を切り替える。


「………何をいってるんだかよく分からねえけどよ、お前は……ああ、なんだ、別れすぎてる……気がする……」


「ほう、オレがか?」


「……少し違うか、お前はお前だ、引っかかるのはもっと根の深い部分、そこが気持ちわりい」


「……ふむ、良い目、いや、良い鼻を持っているな、褒めてあげよう」


 軽く手を叩き、素直に賛美を送った。


「ああ? チッ、どこまでもムカつく野郎だな。とっとと始めさせてもらうぜ」


言って屈む上体、野生の猛獣に相対したような緊張感。


「武器や飛び道具の類は無しでいいのか?」


「当たり前だ、魔法なんて必要ねぇ、ステゴロで行くぞ、忠告しておいてやるが気ぃ緩めるんじゃねえぞ、――死ぬからなッ!」


 地面を踏み抜く彼の動作が見えた頃には、すでにこちらの鳩尾へと手加減なしの拳がめり込んでいる、オレは予測も抵抗もせず、背後の客席に吹っ飛ぶあたり前の未来を受け入れた。


 石造りの客席は派手に砕け散り、砂煙が舞う、鈍痛のする頭を上げると足元に輪ゴムが落ちた、今の一連の流れで後ろ手に結っていた髪が振りほどけた様子。

 駆け寄る人影に来なくていいと制止の声を出し立ち上がると、輪ゴムを拾い懐へ、続いて左脚を前へ、地を踏み抜き、目標へ向け真っ直ぐに抜け出ていく。


 視界は明瞭、驚く彼の顏は鼻先寸前、にやりと笑って縦に回転し、踵を頭部めがけて打ち付ける。有り余るエネルギーは地を貫き、彼を暗闇の底へと葬った。

 両手をクロスしてのガードはどうやら間に合ったようだ、避けることも出来ただろうが、そこは彼の性格故だろう。


 「Expansionエクスパンション-展開-」宙に浮かんだ魔法陣を利用し、くるりと着地。


 割れた地面、沈黙の深い底を覗きこむ、返ってくるのは風音のみ。


 ……終わりだろうか?


「…………ふむ、威勢のわりには案外あっけないものだな」


 落胆し、自然と肩が下がる。以外にもオレは、この遊戯を心のどこかで愉しみにしていたらしい。


「さて、どうしたものか……」


 懐に手を入れ、女医から貰ったシルバーケースから安定剤を取り出し、それを右手の中指と薬指の間に挟みこんでそのまま人差し指で弾いて火を付ける。


【安定】の銀文字、唇に浅く挟み吸えば荒ぶる魔力が鎮静していくのが分かる、……やはりこういう使い方も出来るのか。


 ひと息吐きつつ、周囲へと反応の確認を。


 見渡す観客席は皆一様に静まり返っている。


 だが意外なことに、その沈黙から感じ取れるものは動揺ではなかった、未だ緊迫とした気配は続いている、勝敗のジャッジを告げるものは誰一人も居ない、そんな中、堕天使が密かに口を動かし、銀髪の少女が席を立った。


「みつにぃ!! まだ終わってないよー!!」


 その忠告を合図に、穴底からひんやりとした風が流れ、頬に触れた。

 マヌケに口から落ちる吸い切る前の安定剤。


 ――風景が切り替わる――。


       ホワイトアウトする世界。


                    ――雪原、だ――。


 現象の理解に至る前にすぐさま身体中に悪寒が走り、凍りつく感覚、手足の末端から徐々に冷たく張り詰めていく。

 それは死を誘う冷たさ。

 あらゆる生物を根絶する冷気。

 いつの間にか視界を覆い尽くすのは吹き荒ぶ大雪。

 失われていく体温、減退していく意識。

 腕、脚はまだ確かに動くがそれが自分の物である感覚がない。

 触覚が遮断されている、ぎちぎちと開閉する青白い掌を見詰めている、それはまるで他人事であるかのような、所有権を誰かに奪われ、コントロールされているような、オレはただ、そんなコマ送りの映像を眺めている。


 荒く白い息を吐き、前を向けば遠く離れた真っ白な地平線。


 その無限の境界に手を伸ばせば、ゆらりと空を切る。

 それはずっとずっと遠い、先に進むことが、歩むことが出来ない、そんな気力は失われている。

 


 …………ああ、腹が減った。



「ザクロが食べたい」


 漏れ出た呟きはそんなどうでもいいこと。


 ……ラストラリー現象、命の火は瞬間、激しく燃え上がり、輝きを魅せ、やがて最期を迎えるのだ。


 睫毛に乗った雪、重たい瞼をめいっぱいに開くと、現れたのは倒壊した家屋。


 崩れた屋根の下、見知らぬ少年が居た。

 倒れ伏した小さき彼は長い髪から覗く片目でこちらを見ている。


 家屋から染み出る赤い液体が長く長く、足元まで伸びていく、日が沈みのびゆく影のように、それは、時間の経過だった。


 気が付いているのだろうか、少年の下半身は落ちた瓦礫、鉄骨により潰されてしまっている。


 いつから聞こえていたのか、どこからか獣の声、けたたましい犬の鳴き声が遠く聞こえてくる。


 死に際の少年はきっと、助けを乞うているのだろう、弱々しくこちらへと手を伸ばしていた。


 …………オレは、手を差し伸べることはしなかった。


 ……運が悪かったな、これが少年キミの末路なのだろう、脆弱な人故の、凄惨な結末。


 ……安らかに眠れ、死ねることはいいことだ。


 救いを願う手は、やがて雪に落ち、白く凍りついていく。


 そんな死の最中、獣の遠吠えだけは、ずっと雪原に響き続けていた。


 ――すっと意識が切り替わると、視界と精神が元の世界へと解放された。



 ――心象風景、これが荒木場享真のパノラマ――。



 未だ肌に寒さを感じる。周囲の人等は今の現象に気が付いていないようだ、……当てられたのはオレだけか。


 明瞭な景色を取り戻すと共に、腕、脚を始めに身体全体が下方へと急激に引き込まれ、重くなったのに気がつく。


 どうやら隙を作ってしまったらしい。


「っ、傲慢の位置……重力魔法か……?」


 まるで巨大な象がのしかかったように重たい、集中的に重く感じるのは手足か、その自らの手足には、赤黒い魔力を纏った鎖が巻き付いているのが確認できた。

 だが、この鎖は本物では無い、おそらく幻覚の類だろう。

 ではこれは、重力魔法ではないということ、重力魔法に視覚へのこんな作用は無いのだから。


 きつく歯を食いしばり、重く下がった上半身を押し上げるようにして抵抗を試みると次に、足元の暗闇からまたひとつ鎖が伸び、首に巻きつく。


 冷たく張った薄い首の皮は防御に適さず、鮮血が弾け、激痛が走る。

 五つ目の鎖には棘が生えそろっていた。

 このまま同じように抵抗を見せれば棘はさらに首の肉に食い込むことになる。

 鎖は今も秒単位で締め付ける力を増していっている、それは獲物を捕らえた大蛇のごとく、酷烈に絶え間なく圧迫し、窒息という苦痛を与え、確実に生命を絶ちにかかる。


 眼下、あんぐり開いた蛇の口、逃れる選択肢は幾つかあるが、ここはおとなしく従う事としよう。


 上体を前方に傾け、力を抜けば、穴底へと真っ逆さま、光ひとつ無い暗闇へと引っ張られるままに、オレは静かに落ちて行った。





























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