溺れ

@nove4037

第1話

2022.09.13昨年初めて行った埼玉県のとある川へ妻と二人で行った。


昨年までとは違い、ラッシュガードを来てマリンシューズを履いてシュノーケルと浮き輪を持参して準備万端で行く事に。


着くや否や早速入水。

外の気温は30℃を超えていたが水は冷たく、流れも早い。

ラッシュガードを着ていても寒く感じるほどだった。


それでも浮き輪に乗って遊んだり、飛び込みが出来るポイントの方へ行き遊ぼうとした。


事件が起きたのはその時だった…。


飛び込みが出来るポイントは当然水深が深いのだが、私の記憶が正しければ昨年行った時はギリギリ足がついていたのでシュノーケルも浮き輪も持たず飛び込みが出来るポイントを歩いて通過しようとした。


が、進むにつれてみるみる胸から肩へ口付近へと水かさが深くなり、これはヤバいと思い引き返そうとしたが、時すでに遅し。

流れが早くて戻れない。


ギリギリ爪先立ちなら何とかなるかと思った矢先、突然足の踏ん張りが効かなくなり、完全に足がつかなくなった。

鼻まで水で覆われた為に呼吸も出来ない。


焦った私は水の中で必死にもがき、何とか顔を水面から出して息を吸おうと試みるも中々上手くいかない。


幸い、すぐ近くに妻が浮き輪を持って遊んで居ることを知っていたので、すぐに助けてくれるかと思ったがどうやら私がふざけているのかと思ったらしく妻の笑う声が聞こえた。


ヤバい、早く助けて!マジで死ぬ…


そう思うのと同時に、あぁ…人が溺れると言うのはこういう事か。

と、どこか冷静に考える自分も居た。


と言うのも、2011.03.11に発生した東日本大地震で津波によって多くの人の命が奪われた。

当時を知る者なら、誰でも一度は津波が発生した時の映像をニュースなどで目にしたのではないだろうか。


私がその映像を見た時思ったのは、全くもって不謹慎なのだが、人が溺れた時の感情(様子)ってどう言う感じなんだろ?と言うものだった。

当然、家や車が流される映像は見れても、人が溺れる映像は流れない。

その時だった。

人が溺れると言う事に対して少し興味を持ったのは。

時には、自分の意思で大きく息を吸って止める。

当然苦しくなったら呼吸を再開させるのだが、水の中で苦しくなって限界が来ても呼吸が出来ない様子を溺れると言うのかな?と考えた事もあった。


そんな事を考えたりしていたので、実際に自分が溺れた時、あぁ…バチが当たったのか…

と思ったのも事実だ。


そんな事を思いながらも私は助かる事を諦めず、必死に両足と両手をバタバタさせ、顔を水面から出そうと酸素を求め躍起になった。


二度ほど一瞬だが顔を水面から出せた。

が、息を一度吸えたかどうかぐらいでまた水の中へ戻される。


『助けて』の『た』の字を言う間もないほど一瞬だ。


いやだ…死にたくない…

こんな所で死にたくない…


顔を出した時、1mほど先に大きな岩が見えた。


最悪、それにしがみつければと思い前に進もうとするもやはり流れが早くて手が届かない。

それどころかいよいよ前も後ろも分からなくなり、とにかく水面から顔を出す事だけを考えて必死にもがき続けた。


ヤバい。マジでヤバい。

お願いだから早く助けて。マジで死ぬ…こんな所で死にたくない…

人生これからなのに…

誰か助けて…


いよいよ息も続かなくなり、段々意識が遠のいて行くようが気がした。

あぁもうダメだ…

そう思った次の瞬間、突如頭上に浮き輪が現れた。


水中から上を見上げて突如頭上に現れた浮き輪は、まるで手を伸ばしても届かない距離にあるのではないかと思うほど遠くに感じた。


それでも生への希望の光を見た私は、必死に手を伸ばしすぐさま浮き輪にしがみつき急いで水面から這い上がった。


恐らく実際は、頭まですっぽり水中に浸かっていたとしても数センチくらいで水面なのだろう。

もしかしたら口と鼻が水中に浸かっているので呼吸は出来ないが頭の先は水面から出ていたのかもしれない。


どうやら、最初はふざけているのかと思った私の表情がみるみる真顔になり、必死にもがきながらも段々と沈んでいく私の姿を見て、これはヤバいと思った妻が俺めがけて浮き輪を投げてくれたのだ。


水面から出るや否や、少し水を飲んだのか激しく呼吸をすると同時にむせたのを覚えている。


相変わらず流れが早いのと、先程まで生死の瀬戸際に立たされて居た私は、もう何がなんでも浮き輪を手離すまいと力一杯浮き輪にしがみつき、荒い呼吸を整えようと必死だった。


目も開けられず、脳に酸素がいってなかったのか頭もボーッとした。


妻がすぐさま大丈夫?と声をかけてくれたがすぐに応えることは出来なかった。


恐らく、あと1分妻の救出が遅ければ私は死んでいただろう。


死なずとも、気を失っていたのは間違いないと思った。


それほどギリギリだったのだ。


溺れる前に大きく息を吸っていたのならまだしも、突然足が付かなくなったのでその間もなかった。


恐らく実際に溺れていた時間は2〜3分なのだろうが、その時間があの時の私には何倍にも長く感じていた。


気が付けばマリンシューズが片方無くなっていた。


恐らく水中で、必死にもがき苦しんでいる最中に脱げたのだろう。


呼吸も整い、何とか落ち着きを取り戻した私はその後妻と消えたマリンシューズの捜索をしたが遠くまで流れてしまったのか結局見つけることが出来なかった。


この先一生忘れることのないだろう体験をした私は、その後も心配する妻に口では大丈夫だと言いながら、楽しむ事が出来なくなってしまい、妻も気を利かせて早々と帰る事となった。


帰る道中、冷静になって考えた。


去年同様、もし浮き輪を持って来てなかったら…

もしあの時、妻がすぐ近くに居てくれていなかったら…

そう考えると今でもゾッとする。


例え妻が近くに居て、いくら泳げるとは言ってもあの時もし浮き輪を持って来て居なかったら、流れの早い水中でバタバタと必死にもがき暴れている私を抱えて救出するのは、恐らく不可能だったのではないだろうか。


助かっていなかったら、この長ったらしい体験談を書き残す事は出来なかった。


改めて、水の恐ろしさを身を持って知る事になった一日だった。


この日以来私は、次海や川へ行く時はライフジャケットを持参しようと心に決めたのだった。


最後に、これを一番最初に読んだ妻から一つ質問をされた。


『下手したらこの体験がトラウマになって二度と思い出したくないと思ってもおかしくないのに、どうして自分が溺れた時の事をここまで事細かく書き残そうと思ったの?』と。


答えは簡単だ。

きっとこの先何年、何十年経っても過去に溺れた経験があると言う事実は恐らく一生忘れないだろう。

しかし、どこでどんな状況ではたまた溺れた時どういう心境だったかまではきっと覚えていないだろうと思ったからだ。


不謹慎にも、人が溺れるってどう言う感じなんだろ?と興味を抱いた自分自身が実際に溺れたのだ。


こんな体験二度とない(二度としたくない)そう思って、忘れないうちに事細かく書き残す事に決めたのだ。


水遊びをする事への危険度を軽視している全ての人に、子供に水遊びをさせようとする親にこう言う事が実際に起こりうる可能性もあるだよと知ってもらいたいから。

あるいは将来自分に子供が出来た時、いつか読んでもらいたいと思ったからである。


-end-

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