劉毅9  激闘……か?

劉裕りゅうゆうは自ら兵を率い、劉毅の討伐に動く。このとき王弘おうこう王鎮惡おうちんあく蒯恩かいおんらに命じ豫章口よしょうこうまで到着したところで江津こうしんにて船を焼き、進んだ。


劉毅は參軍さんぐん硃顯之しゅけんし が、進軍する王鎮惡の軍を捕捉したため、自らの率いていた千人を引き連れ劉毅に合流。しかし王鎮惡らはまたたく間に外城を落としてしまう。


劉毅らは外城を諦め、內城に退く。とは言え城内にはなおも精鋭数千人がいた。戦いは長引き、昼を回り、夕方近くにまでなる。ここで王鎮惡が、劉裕からの手紙を城内に投げ込んだ。劉毅は怒り、返答を書くこともなく、この手紙を焼き捨てた。劉毅は外部勢力からの救援を依頼する手紙を書きつつ、一方では兵を率い力戦する。しかし、やがては援軍の見込みがないと城内にも知れ渡り、もはや抵抗するだけの気力も保てなくなってしまう。


やがて日が暮れると、王鎮惡は各箇所の門を焼き払い、総攻撃を仕掛けた。劉毅軍はみな散り散りとなり、劉毅もまた北門から脱出。江陵こうりょうから 8km ほど離れた場所で首を吊り、死んだ。一旦死体は近くの民家に収容され、家主が死体のありかを劉裕らに報告。回収された死体は街の広場にて切り捨てられ、子や甥に至るまでみな処刑された。劉毅の兄、劉模りゅうも襄陽じょうように逃れたが、魯宗之ろそうしに斬られ、その死体が劉裕のもとに送られた。




劉裕自率眾討毅,命王弘、王鎮惡、蒯恩等率軍至豫章口,於江津燔舟而進。毅參軍硃顯之逢鎮惡,以所統千人赴毅。鎮惡等攻陷外城,毅守內城,精銳尚數千人,戰至日昃,鎮惡以裕書示城內,毅怒,不發書而焚之。毅冀有外救,督士卒力戰。眾知裕至,莫有鬥心。既暮,鎮惡焚諸門,齊力攻之,毅眾乃散,毅自北門單騎而走,去江陵二十里而縊。經宿,居人以告,乃斬於市,子侄皆伏誅。毅兄模奔于襄陽,魯宗之斬送之。


(晋書85-9)




ここではクソ劉裕のやろうと堂々たる戦いの末敗死した劉毅さんですが。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888050025/episodes/1177354054890669488

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888050025/episodes/1177354054890679552

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888050025/episodes/1177354054890690092


宋書王鎮悪伝では奇襲を受けています。しかも、ほとんど劉毅に抗戦能力はありませんでした。つらいわね。晋書は劉毅のクソさを認めこそしたものの、それでもなお劉裕と戦った「最後の晋の勇将」として取り扱いもしているのが伺えます。

唐にとって劉裕はどういう扱いなんでしょね。帝王略論

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884854958/episodes/16816700426145167806

の見解は一応唐の公式見解と見なして良さそうな気もしますけど。

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