劉裕論6 初唐 虞世南
李世民よりの質問。
「
回答。
「
李世民が問う。
「曹操は一代の英傑、司馬懿の軍功も数え切れるまい。劉裕には、この両名に近しきところがあるようにも思うのだが?」
「曹操は
司馬懿は魏の政権下で要職を歴任。彼の代で位人臣を極めたと言っても間違いではございますまい。ただし常に安全地帯におり、うまく皇帝の威光を利用し、権勢を確保しております。その功績の殆どは高地から水を注ぐが如きもの。さて、どこまで讃え切れますやら。
そこから見れば、劉裕は、大した地位を持っておらぬのにもかかわらず決起し、その事業を立ち上げました。しかも決起から晋の復興までに費やされた期間は、わずか十日ほど。
加えて活躍の大半は宮廷ではなく、外地でありました。あくまで地方将の身分を堅持しながら、
更に申し上げれば、その果てしなき度量の広さは
惜しむらくは、その治世が短かったが故に、彼の目指していたところがどのようなものであったか、を測りきれなかったことでありましょう」
公子曰:「宋高祖誅滅桓元,再興晉室,方於前代,孰可比倫?」先生曰:「梁代裴子野,時以為有良吏之才,比宋祖於魏武、晉宣。觀彼二君,恐非其類。」公子曰:「魏武一代英偉,晉宣頻立大功,得比二人,以為多矣。季孟之間,何為非類?」先生曰:「魏武,曹騰之孫,累葉榮顯,濯纓漢室三十餘年,及董卓之亂,乃與山東俱起,誅滅元兇,曾非己力。晉宣歷任卿相,位極臺鼎,握天下之圍,居既安之勢,奉明詔而誅逆節,建瓴為譬,未足喻也。宋祖以匹夫挺劍,首創大業,旬月之間,重安晉鼎,居半州之地,驅一郡之卒,斬譙縱於庸蜀,擒姚泓於崤函,克慕容超於青州,梟盧循於嶺外,戎旗所指,無往不捷。觀其豁達宏遠,則漢高之風;制勝胸襟,則光武之匹。惜其祚短,志未可量也。」
公子は曰く:「宋の高祖の桓元を誅滅し、晉室を再興したるは、前代に方ぶるに、孰れと比倫すべきや?」と。先生は曰く:「梁代の裴子野は時に以為えらく、『良吏の才を有せるは宋祖を魏武、晉宣に比ぶ。彼の二君を觀たるに、恐らくは其の類に非ず』と」と。公子は曰く:「魏武は一代の英偉にして、晉宣は頻りに大功を立つ、二人に比せるを得たらば、以て多きを為したらん。季孟の間、何を類に非ざると為さんか?」と。先生は曰く:「魏武は曹騰が孫にして、榮顯を累葉し、漢室に三十餘年濯纓し、董卓の亂に及び、乃ち山東と俱に起ち、元兇を誅滅したるは、曾そ己が力に非ず。晉宣は卿相を歷任し、位は臺鼎を極め、天下の圍を握れど、既安の勢に居し、明詔を奉じ逆節を誅し、瓴を建て譬を為し、未だ喻うるに足らざるなり。宋祖は匹夫の挺劍を以て、大業を首創し、旬月の間にて重ね晉鼎を安んじ、半州の地に居し、一郡の卒として驅け、譙縱を庸蜀に斬り、姚泓を崤函に擒え、慕容超を青州に克し、盧循を嶺外に梟し戎旗の指したる所、往きて捷せざる無し。其の豁達宏遠なるを觀るに、則ち漢高の風にして、制し胸襟に勝るは、則ち光武の匹なり。惜しむらくは其の祚短かく、志の未だ量りべからざりたるなり」と。
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