劉裕論7  武周 朱敬則 1

朱敬則しゅけいそく十代興亡論じゅうだいこうぼうろん』-宋武帝論

あの武則天ぶそくてん時代の人で、むしろ武則天に諫言をぶち決めるなどしながらも生き延びている硬骨の人。そういう人が過去の歴史を通観した論をものしている。ただし発刊タイミングは不明。アンチ武則天的タイミングだったら面白いのだが。なお十代興亡論で取り上げられている君主は曹操そうそう司馬懿しばい劉裕りゅうゆう高歡こうかん宇文泰うぶんたい高洋こうよう高澄こうちょう蕭衍しょうえん陳霸先ちんはせん楊堅ようけん楊広ようこう。あれっ十一人いるのに蕭道成しょうどうせいが入ってないっ!!?



聖人であるからと言って、その者が時代を生み出したわけではない。ただ、時の流れを取りこぼさなかったのである。帝王が即位に至るに当たっては、その前に人々が塗炭の苦しみを必ず味わっており、故にこそ王たちは立ち上がり、志を得ている。言い換えれば、天下が嗷嗷ごうごうと荒れ狂っていることこそが、新天子登場の前提、と言えよう。


しん始皇帝しこうていが死んだ後、趙高ちょうこう閻楽えんがくが朝廷を席巻し、世を荒らした。かんの時代では王莽おうもうの簒奪、董卓とうたくの専権。しんそう氏の暴走によって世が荒れ、そうでは桓玄かんげんが簒奪をなしたところから事業が始まっている。


言わば歴代の帝王は、その知、その武を振るうための舞台が整うことで、トラブル解決のきっかけが得られ、そのタイミングを得て、初めて寒浞かんさく羿げいのごとき悪人の罪をあげつらい、彼らを裁かんと声を上げていた。


まして、劉裕りゅうゆう様の天与の神勇や戦術眼があれば、漢の時代を懐かしむ歌やら、しゅういんを討つにあたり、各地の諸侯の支援を取り付けるのを待った故事を、あえて踏襲する意義もなかった。


桓玄打倒を企図した同志は 27 名。

決起後に付き従おうとしたものは 100 名。


春秋しゅんじゅうに言う朱方しゅほうの地、即ち京口けいこうで決起し、瞬く間に竹裏ちくりにまで進軍。龍よ、虎よとばかりの歩みには、神意がすでに宿っていたかのよう。ひとたびその長劍を奮って叫べば、辺りからは大義を歌う声が続いた。見識に欠けたが、それでもなお世にはびこらんとしたのを破砕し、失われて久しき晋の祭祀を蘇らせた。


の昔以来引き継がれてきた式次を守り、旧来の伝統を保ち置けたのは、先人が示した武略を振り返ったところで、劉裕様以上に成し遂げられはすまい。


ときの俊才、異才をことごとく吸い上げ、情勢や敵味方のありようを知悉し、ひとたび動けば効果は覿面、二度、三度と討伐は重ねなかった。このため西は漢中かんちゅうしょくにまでいたり、北は黄河こうがにまで進出をなした。ひとたび漢が割れて以降、東晋とうしんが切り開いた国土の大きさを真似できた国家など、ありはしなかった。




蓋聖人不能為時,亦不能失時。曆觀帝王之祚,未有不因人墜塗炭而得誌。或天下嗷嗷,新主之資也。是知秦有閻趙之隙,漢罹莽、卓之災,晉由曹氏之專,宋實桓元之篡。始得奮其智力,救此倒懸,陳浞羿之辜,問滔天之罪。況劉裕天錫神勇,雄略命世,不待借思漢之謳,未暇假從周之會。同盟二十七,願從一百人。雷動朱方,風發竹裏。龍驤虎步,獨決神襟。長劍一呼,義聲四合。蕩亡楚已成之業,複遺晉久絕之基。祀夏配天,不失舊物,雖古人用兵,不足加也。至乃網羅俊異,待物知人,動必應時,役無再舉,西盡庸蜀,北劃大河。自漢末三分,東晉拓境,未能至也。


蓋し聖人は時を為す能わず、亦た時を失う能わず。帝王の祚を曆觀せるに、未だ人の塗炭に墜つるに因らずして誌を得たる有らず。或いは天下の嗷嗷たるは新主の資なり。是れ秦に閻趙の隙有り、漢の莽卓の災に罹り、晉の曹氏の專を由し、宋に桓元の篡の實るを知る。始め其の智力を奮るうを得、此の倒懸を救い、浞羿の辜を陳べ、滔天の罪を問う。況んや劉裕の天錫神勇、雄略命世、思漢の謳を借るを待たず、未だ從周の會を暇假せずをや。盟の同じきは二十七、從を願うは一百人。朱方に雷動し、竹裏に風發す。龍は驤け虎は步み、神襟を獨り決む。長劍を一呼せば、義聲は四合す。亡楚の已成の業を蕩じ、遺晉の久絕の基を複す。夏を祀りて天に配し、舊物を失わずは、古人の用兵と雖ど、加うに足らざるなり。至乃ち俊異を網羅し、物を待し人を知り、動かば必ず時に應じ、役に再舉無く、西は庸・蜀を盡くし、北は大河を劃す。漢末の三分より、東晉の境を拓けるは、未だ至れる能わざるなり。




なんだろ……このひとの論説雑じゃない? 東晋が切り開けた以上の国土を、西晋が実現してましたが。しかもそいつをなかったコトにしようにも、「西晋は曹氏がクソだったからこそ事業をおこせた」と語る。いやっ、確かに全体を拾えば西晋の台頭はややチョロい感じですが。


まぁ、晋書でも割と西晋の立ち上がりって結構クソよね、みたいには語られてるんですよね。特に懐帝愍帝本紀の史臣論は容赦なく晋の立ち上がりをぶっ叩いてます。なら西晋まわりの評価が微妙なのは既定路線では、ある。


なら、もうちょいビシッと西晋クソ論をぶち上げた上で、それでもなお東晋以降の南朝がすごかったことを語ってもらいたいもんでしが、そのへんを粉飾するだけのロジックは成立しなかったのかなあ。


まぁ、弁護の余地なしと言われてしまえば、うなずけなくもない。


圧倒的軍才アピールのために蜀討伐が三次に渡ったことをなかったことにしておられるのは、まぁ誤差の範囲ということで。

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