劉毅10 深自矜伐
史記を読み、
かつて劉毅は言っている。
「
また仲間の
「昔、
人々はみな劉毅のそうした傲岸不遜な振る舞いを嫌悪していた。
その後劉裕が盧循を破り、凱旋すると、
「六國には雄士多かれど、風流なるものは
劉裕に武功では負けるが、文雅では自身のほうが優れていると示したのである。
なお正始は
この後、
「もはや
このセリフに劉裕はカチンときながらも、五木(サイコロの代わりに投げるもの)を手でしばし弄んだのちに言う。
「しょぼくれ兄貴分としても、きみの挑戦に応えんわけにも行くまいな」
始めに投げた四つの出目が、みな黑。残るひとつの目が確定しない。ここで劉裕が大声で叫ぶと、なんと盧の目が成立する。劉毅は殊更に渋面を示す。もともとその顔色は黒かったのだが、このときには鉄の色ほどにまでなっていた。とはいえ表向き穏やかそうな口ぶりで言うのだ。
「あなたがこうした場でゆずる気がないのは、まぁわかっていたことだな!」
やがて荊州に出て、長江上流を抑えることにこそなったが、一方では中央の実権をはがされた状態でもある。とは言え自ら劉裕打倒の謀を起こそうとはせず、ひとまずはその勢力を高めた上で劉裕の隙をつこうとしたのだが、ついには敗れるに至ったのである。
毅剛猛沈斷,而專肆很愎,與劉裕協成大業,而功居其次,深自矜伐,不相推伏。及居方岳,常怏怏不得志,裕每柔而順之。毅驕縱滋甚,每覽史籍,至藺相如降屈于廉頗,輒絕歎以為不可能也。嘗云:「恨不遇劉項,與之爭中原。」又謂郗僧施曰:「昔劉備之有孔明,猶魚之有水。今吾與足下雖才非古賢,而事同斯言。」眾咸惡其陵傲不遜。及敗于桑落,知物情去己,彌復憤激。初,裕征盧循,凱歸,帝大宴于西池,有詔賦詩。毅詩云:「六國多雄士,正始出風流。」自知武功不競,故示文雅有餘也。後於東府聚樗蒱大擲,一判應至數百萬,余人並黑犢以還,唯劉裕及毅在後。毅次擲得雉,大喜,褰衣繞床,叫謂同坐曰:「非不能盧,不事此耳。」裕惡之,因挼五木久之,曰:「老兄試為卿答。」既而四子俱黑,其一子轉躍未定,裕厲聲喝之,即成盧焉。毅意殊不快,然素黑,其面如鐵色焉,而乃和言曰:「亦知公不能以此見借!」既出西籓,雖上流分陝,而頓失內權,又頗自嫌事計,故欲擅其威強,伺隙圖裕,以至於敗。
(晋書85-10)
ちょぼまわりがわからん(わからん)
劉裕が自分のこと老兄って言ってるのとかちょっと萌えですね。それにしても本当にここまで劉裕がおとなだったんでござるかぁ~? とは思わずにおれません。
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