劉毅11 庾悦との軋轢

さて、江州刺史こうしゅうしし庾悅ゆえつ隆安りゅうあん年間に司馬道子しばどうし司徒長史しとちょうしとなり、京口けいこうに出向くことがあった。この頃の劉毅りゅうきは非常に貧乏で、軍府に登用されたところで、その東堂を借り、親戚らと共に射的遊びに興じていた。


そこに庾悅が、配下と共にあとからやって来る。


劉毅は言う。

「この劉毅らは受難続きの身。こうして仲間と一堂に会し射に勤しむのも難しいのです。あなた様ほどのお方であれば、しばしばこの場で射に興じるのも難しくはございますまい。どうか今日のところは、この場をお譲りくださいませんでしょうか」

しかし庾悦はシカトした。


射に興じていた者たちはみな庾悦一行を恐れ散会したが、劉毅はひとり射を続けた。やがて庾悅がガチョウを食べ始める。劉毅はその余りを欲しいと言い出すのだが、庾悅は返事しない。こうした振る舞いに、劉毅は日々庾悦に対し不快感を覚えるようになった。


このため劉毅は庾悅より豫章を奪い、その軍府を解散させ、人々に行動にてその意図を示した。庾悅は怒り恐れ、ついには死亡した。劉毅の器の小ささはこのようであった。




初,江州刺史庾悅,隆安中為司徒長史,曾至京口。毅時甚屯窶,先就府借東堂與親故出射。而悅後與僚佐徑來詣堂,毅告之曰:「毅輩屯否之人,合一射甚難。君于諸堂並可,望以今日見讓。」悅不許。射者皆散,唯毅留射如故。既而悅食鵝,毅求其餘,悅又不答,毅常銜之。義熙中,故奪悅豫章,解其軍府,使人微示其旨,悅忿懼而死。毅之褊躁如此。


(晋書85-11)



斠注再掲。

晉書劉毅伝は、伝の末尾を「褊躁如此」、その狭い心はこのようだ、なる言葉にて締める。これは劉毅と劉裕が対立し、かつ庾悦が劉裕の一派であったからこそ生じた言葉であり、宋人は劉毅に様々な罪を被せ、そして唐人もこの方針に沿ったに過ぎぬのである。こうした部分は史書を読む者たちも把握しておくべきである。

https://kakuyomu.jp/works/16817139559045607356/episodes/16817330664918973066


まーどう評価したもんですかねえ。劉毅の器があんまり大きくなかっただろうってのは間違いがなさそうですが、じゃあどこまでかって言うと、なかなか評価がし切れない。とりあえず「劉裕にあっさり負けた」変数がでかすぎるのがね。あっさりとは言っても奇襲による敗北でしたが。奇襲を予期できなかったことがしょぼいと言えなくもないけど、むしろ劉裕がその意図を隠し通せたのがすごかったのかもしれませんし。まぁ結果を逆引きでなんとでも言えるってやつですね。

劉毅はそれでも劉裕に迫る存在だった。こここそが重要。それで結論にしておきます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る