殷仲堪2 謝玄を激励

殷仲堪いんちゅうかん謝玄しゃげんに宛てた手紙、その続きである。


「謝玄様におかれましては、大道に即したその思し召しにて、明察もって冠軍府かんぐんふ運営をなされますよう。その思し召しに私心を挟まれることなく、暴威を押し留めるのにあたら暴力を振るわれることもなく、飽くまで理にてなされませ。中原よりこの東晋とうしんの領域に逃れ来た者たちはみな頼るべき者無きことに心細さをいだき、また食料財産の不足に不安も抱いておりましょう。そうした彼らに、天の恵みにも等しき拠り所をお与えくださりませ。またその運営にて、仁義と武力とを、どちらに偏ることもなくお示しになれば、徳業と功績とがともに明らかとなることでしょう。明德持てるものたちの望みは、そうした方向性のものにございます。

 近日発生した劫略事件の詳細を伺い見るに、犯人らはみな日々を草摘みで飢えをしのいでおった、との由。亡命者たちは日々飢えに苦しみながらも、壮年者は子を救うため、幼き者は親を助けるため。進む者は自らの食糧や財産がいつ尽きてしまうかと恐れながらも、その場に留まったものはただ喘ぎながら救いを待ちながらも、遂には悪事に手を染めてしまっているようにございます。しかし一旦劫略の罪にて捕まり、処刑されてしまえば、家族と永遠に離れ離れとなってしまう。こうした裁きも、亡命者たちの心情を慮れば、あまりにも哀れである、と申すよりほかございません。

 韓非子かんぴし淮南子えなんじにもございます孟孫もうそんの故事はご存知でしょうか。孟孫が猟にて鹿の子を得たため、秦西巴しんせいはに運搬を任せ、帰還いたしました。子鹿を運送する秦西巴の側には子鹿の母がずっと寄り添い、悲しげな鳴き声を上げていたそうにございます。秦西巴は哀れに思い、遂には子鹿を解放。自らの獲物を敢えて逃してしまったこの措置を、しかし孟孫は最終的には許し、むしろ秦西巴を自らの子の教育係に充てました。禽獸ですら親子は離れ難きもの。ましてや、人であればなおのことにございます。

 詩経しきょう泮水はんすいにはこう歌われてございます。『翩彼飛鴞、集于泮林。食我桑黮、懷我好音』。飛鴞、フクロウは悪鳥と呼ばれますが、ひとたび桑の実を食せば、実に美しき声で鳴くものだ、と。かの詩は僖公きこう淮夷わいいを帰服せしめたことを称える歌にございましたが、戎狄じゅうてきらにどうしてこうした内容が適用できぬはずがございましょうか! かのえびすたちとて心なきわけではございません、ならば、徳化も難しきことではございますまい。

 最前線にいる者に目先の利益を貪ろうとさせず、強きものと弱きものとが互いにいがみ合わぬようにさせるのです。詩経の鹿鳴ろくめいにもございます、『呦呦鹿鳴、食野之蒿。我有嘉賓、德音孔昭』。ひとたび徳高きお声が前線地域に鳴り響けば、そのお声は遠く広漠なる地にまで染み渡り、西燕せいえん翟魏てきぎに与している者どもも陛下の元よりもたらされる薫風になびいて参りましょう。さすれば黃河こうがの北、函谷関かんこくかんの向こうへの攻略とてなし得ぬはずがございませぬ!」


謝玄は殷仲堪よりの手紙に、大いにうなずくのだった。




願節下弘之以道德,運之以神明,隱心以及物,垂理以禁暴,使足踐晉境者必無懷戚之心,枯槁之類莫不同漸天潤,仁義與干戈並運,德心與功業俱隆,實所期於明德也。頃聞抄掠所得,多皆采梠饑人,壯者欲以救子,少者志在存親,行者傾筐以顧念,居者籲嗟以待延。而一旦幽縶,生離死絕,求之於情,可傷之甚。昔孟孫獵而得麑,使秦西以之歸,其母隨而悲鳴,不忍而放之,孟孫赦其罪以傅其子。禽獸猶不可離,況於人乎!夫飛鴞,惡鳥也,食桑葚,猶懷好音。雖曰戎狄,其無情乎!苟感之有物,非難化也。必使邊界無貪小利,強弱不得相陵,德音一發,必聲振沙漠,二寇之黨,將靡然向風,何憂黃河之不濟,函谷之不開哉!

玄深然之。


(晋書84-18)




ひっさびさの典拠祭りィー! やったぜ。


行者傾筐以顧念,居者籲嗟以待延。

傾筐は詩経周南の巻耳

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/1177354054918943864

だろうし、籲は原則、書経しょきょうくらいにしか出てこない嘆きの意味の漢字。要はとにかく仰々しい。


それにしてもここの泮水

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816700427524696257

は拾えてませんでした、迂闊。なお德音についてはいろいろな詩が用いているのですが、その前に鹿にまつわる故事を出してるから、たぶん書きながら鹿鳴

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816410413911448012

が頭の片隅にかすり、そのまま筆を滑らせたと推測しています。正直ちょっと下品だなって思います。まぁただ「ひとを歓迎する」のが鹿鳴だし、この手紙の筋から外れた引用とも言い切れませんね。


孟孫は『韓非子』の說林上に載ってます。『淮南子』人間訓にも。どっちが早いんでしょうね。

孟孫獵得麑,使秦西巴持之歸,其母隨之而啼。秦西巴弗忍而與之。孟孫歸,至而求麑,荅曰:「余弗忍而與其母。」孟孫大怒,逐之。居三月,復召以爲其子傅。其御曰:「曩將罪之,今召以爲子傅,何也?」孟孫曰:「夫不忍麑,又且忍吾子乎?」

孟孫が狩りで得た子鹿を秦西巴に運ばせていたところ、母鹿がずっとついてきて切なげに鳴く。秦西巴は哀れんで子鹿を解放してやったという。それに孟孫は怒って秦西巴を禁固処分にしたのだが、三ヶ月後には自分の子の守り役にした。子鹿を哀れめるならわしの子のことだって大切にしてくれるだろう、とのことだ。



しかし、この頃の謝玄は、孝武帝に対して「引退して故郷に戻りたいっす」って再三上奏してた頃のはずですよね。となると殷仲堪からのこの手紙ってストレスの源にしかならなかったんじゃないかなあ。あるいは京口から北方諸鎮にもろもろの指示出しをしてたとか? まぁ、このあたりの心情的ブランクが埋まることもありませんし、思い思いの「好き」に基づいて創作したいところです。

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