殷仲堪1 謝玄の副官
「三日も
その清談スキルは
殷仲堪は謝玄にこんな手紙を送っている。
「
いま、謝玄様は民草の苦しみを嘆かれ、その大いなる計略にて彼らを救い出さんと志されてこられました。にもかかわらず、不幸にも病を得られ、さりとて故郷に戻ることも許されず、京口に押し込まれておられる。斯様な状況、この殷仲堪、嘆息を禁じ得ませぬ!」
殷仲堪,陳郡人也。祖融,太常、吏部尚書。父師,驃騎諮議參軍、晉陵太守、沙陽男。仲堪能清言,善屬文,每雲三日不讀『道德論』,便覺舌本間強。其談理與韓康伯齊名,士咸愛慕之。調補佐著作郎。冠軍謝玄鎮京口,請為參軍。除尚書郎,不拜。玄以為長史,厚任遇之。仲堪致書于玄曰:
胡亡之後,中原子女鬻于江東者不可勝數,骨肉星離,荼毒終年,怨苦之氣,感傷和理,誠喪亂之常,足以懲戒,復非王澤廣潤,愛育蒼生之意也。當世大人既慨然經略,將以救其塗炭,而使理至於此,良可歎息!
(晋書84-17)
謝玄って淝水に臨むときに冠軍将軍になってるんですけど、その後どこを見ても将軍号が載らないんですよね。都督とは言われるし、なんか冠軍将軍の
謝玄の京口赴任と言えば病死間際。それとも淝水に先立って京口に鎮守してたり? 殷仲堪からの手紙も、この先武将というより統治者に向けて送ってる感じのやつだから、淝水あとの話だとは思うんですが。どうなんでしょね。
小川茂樹様よりの官位推移推定を頂戴しました!
淝水の戦い(拠点は廣陵):冠軍将軍・徐兗二州刺史/前鋒都督
↓
謝玄の北伐(拠点は彭城?):冠軍将軍(※前将軍相当)・徐兗二州刺史/都督徐兗青司冀幽并七州軍事
↓
北伐撤退後(拠点は淮陰?):解任を要求するも許されず
↓
病気により京口で療養?
↓
散騎常侍・左将軍・會稽内史に転任
……と言う流れなので、前将軍扱いの冠軍将軍として京口に赴任した頃なのではないか、と言うお話を頂戴しました。
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