第6話 新世界の始まり


 黒いボロボロの大きなフードに隠れて、魔女の顔は見えない。

 破れ目から、口元だけが覗いている。

 黒い唇が、ニンマリと笑った。


 さっき飛び立ったはずだ。

 木の杖を片手に、高く振り上げる。

 魔法は使わないらしい。

 杖が降り下ろされるより早く、僕の意識は遠のいてしまった。

「魔女様! お鎮まり下さい――」

 どこからか、男の声が聞こえた。



 黒い唇が、ニンマリと笑っている。

 薄暗い空間に、口角の上がった黒い唇だけが浮いている。

 パァーンと硬い音が響く。

 陶器の割れる音だ。

 手付きコウモリが次々に、逃げ惑う便器たちを破壊していく。

 ――やめてくれよ……。

 声が出ない。闇が広がる……。


「……っ?」

「気が付きましたか」

 白い服の青年が、僕を心配そうに見つめている。

 僕は、高級そうな絨毯の上に置かれていた。

「ゆめ……?」

 声が出た。

 酷く疲れている気がする。何があったのだったか……。

「悪夢を見てしまいましたか。魔女様の襲撃にあったのです。無理もありません」

「魔女……そうだ、畑中さんが――」

「すみません。遅くなって……畑中さんは破壊されてしまいました」

「……あなたは?」

「私は国の神官で、国王の弟です。神々と対話し、この国の」

「この国はどうなってるんですかっ。このまま便器を召喚し続けるつもりですか!」

 叫んでしまった。

 人の姿だったら、情けなく泣きじゃくっていただろう。

「突然召喚された、あなたのお怒りは理解しています。いまは兄に……国王に、肥溜こえだめなどという発言を撤回し謝罪するよう、説得しているところです」

 やつれたような表情で、神官の青年が言う。

「説得……? もう1年近くも、国民は便器の前で長蛇の列を作り続けているんでしょう」

「私の、力不足で」

「違うでしょう!」

 僕は、また叫んだ。

 あふれだす言葉を大声で並べたてた。

「そんなの、責任を取って国王が辞任するところでしょっ! 弟がいるなら、あなたが新しい王になればいいんだっ」

 神官青年は諦めたような表情で、

「長男が存命のまま、次男が王位を継ぐなど前例がありませんよ」

 と、肩を落として言う。

「じゃあ、国中のトイレが消えて大惨事になっている現状は、よくある事なんですね」

「それは……」

「大惨事を引き起こした責任を取って退くのが、上に立つ者の当たり前な行動でしょう!?」

『その当たり前、良いですね』

 まくし立てた僕のセリフに答えたのは、聞き覚えのある女性の声だった。

「トイレ神様!」

 神官青年が、慌てて跪く。

「……トイレの神様、普通に出て来るんですか」

『すぐに謝罪していれば良かったものを、偉そうに拒み続け、国民を苦しませる者に王の資格などありません。この国を守る八百万の神のめいをもらいましょう。新たな王は弟のあなたです。いいですね』

「は、はい」

『よろしい。決定です。川谷かわや十入とい、お手柄でした』

「……え?」


 勢いに任せて、大それた事を言ってしまった。

 決着は、あっという間だった。



 兄王は王座を追われ、弟の神官が新たな王位についた。

 兄王に仕方なく従っていた家臣たちは『神々の命』というお墨付きのもと、すぐに連携して弟王の新体制を整えたのだ。


 1年近く続いた大惨事は、凶悪な魔女の最強の呪いと伝えられていた。一国の王が、魔女の呪いを恐れて謝罪する訳にはいかないと周知されていたそうだ。

 しかし、結局は兄王の『僕ちん悪くないもんね』だった事が、白日の下にさらされたのだ。

 ギロチンをちらつかせた訳ではないのだろうが、地位を失った兄は魔女に謝罪したらしい。

 それが上辺だけの謝罪だろうと、魔女は満足したのだ。

 国民が怒りを向けるべき相手を正しく認識した。

 それぞれが守護するものを守る立場の八百万の神も、守護するものが存在している国を守る行動に動いた。

 魔女は納得し、呪いを解いたのだ。

 新しい便器も製造できるようになり、四岐大蛇よまたのおろちや手付きコウモリたち魔獣もどこかへ帰って行ったそうだ。



 清々しい晴天の日。

 王城で、王位継承式が行われた。

 城のテラスに立つ新王の横で、トイレの神と、ボロではない黒いドレスの魔女も祝福している。

 召喚されていた便器たちも、城の庭に勢揃いしていた。

 洋式便器だけではない。和式便器もいた。

 一斉に並ぶ、白い陶器の波は見事だ。

 一番前に並ぶ僕にも、その光景を感じ取る事ができた。

 新王も魔女も、テラスから見ていた事だろう。


 王位継承式が始まる前、ムギと再会した。

 百近く並ぶ便器の中から、ムギは僕を見付けてくれた。

 僕に抱きつき、泣いて喜んでいた。

 意志をもつ便器として召喚された僕たちは役目を終え、元の世界に返されるそうだ。

 魔獣に壊された便器たちも、元の居場所に戻っていると聞かされた。


 突然、柔らかな花吹雪が舞い上がった。

 王冠を頭に乗せた新王を、魔女が祝福している。

 真っ白な陶器の便器たちが、眩しく輝いていた。



 僕は尿意を覚え、目を開けた。

 古びた扉、シミのついた壁紙……。


 輝く便器たちの光に包まれた僕は、気が付くと自宅の便器に座っていた。

 両手を見下ろしてみる。

 顔や髪にも触れてみた。元通りの、自分の体だった。

「……尿意だ。なんか久しぶりだな」

 僕は、見慣れているはずの自宅の便器で用を足した。

 ツヤの光っていた便器は、いつから曇ってしまったのだろう。

 水垢線がくっきりと目立ち、床の隅にもホコリが溜まっている。

「トイレ用の掃除道具、買ってきます」

 どこへともなく言うと、僕は水洗トイレの水を流した。


                           了

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あなたは国を救う便器です 天西 照実 @amanishi

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