迷い路

多田いづみ

迷い路

 わたしはいつから歩いているのだろう、この深い朝もやのなかを。

 ずっと歩いているような気もするし、ついさっき歩きはじめたばかりのような気もする。


 そうだ、思い出した。

 わたしは今日、朝いちばんの打ち合わせに使う資料を準備するために、いつもより早く家を出たのだった。


 ほんとうなら、資料は昨日のうちにできているはずだった。が、完成までもう少しのところで、ひどい頭痛にどうにも耐えられなくなり早退してしまったのだ。

 しかし昨晩たっぷり寝たおかげで、今朝はいつになく頭がすっきりしている。あと少し手を加えれば仕上がるところまできているから、打ち合わせにはじゅうぶん間に合うだろう。


 それにしても深い朝もやだった。

 家と駅のあいだは窪地くぼちになっていて、大きな公園がある。そこには霧やがよく出た。公園のなかにはこれまた大きな池があって――それは地下水が窪地から吹き出して池となっているのだが――湿った朝の空気が池の水で冷やされると、それがへと変わるのだ。


 朝もやは公園いっぱいに満たされて、池にむかって下っている坂を降りたときには、足元が見えないほどだった。宙にふわふわと浮いているような感じさえする。

 しかしどれほど深いもやが出ていたとしても、駅までは一本路だから迷うはずもないし、いそいで歩けば10分とかからない距離である。心配することは何もなかった。


 池は横に細長く延びていて、回っていくとけっこうな時間がかかる。が、ちょうど上手いぐあいに、池のまんなかあたりに立派な橋がかかっているので、そこを渡れば駅まではすぐだった。


 橋は、窪地のなかでもいちばん低い場所にある。朝もやはひときわ濃かった。いつもなら対岸に公園をとり囲む屏風のように堂々とそびえ立っているマンションも、今朝は白く霞んで影さえ見えない。ただ池のなかに生えた背の高い葦の穂が、わずかにのすきまからけぶりながら姿を現している。


 昼日中にはたくさんの人びとでにぎわうこの公園も、こんな早朝ともなるとさすがにひっそりとして、動くものの気配さえない。いつもは池の中央で高く吹きあがって涼しげに見えている噴水も、この時間には止められているらしかった。つめたく淀んだ水の匂いが、肌にじっとりまとわりついてくる。

 朝もやが生気に蓋をして、すべての動きを封じているようだった。それが証拠に、日が昇ってだいぶ経つというのに、鳥の鳴き声ひとつ聞こえてこない。


 橋はこいえさをやるのに格好の場所でもあって、そのたもとにはいつも何十匹もの大きな鯉が集まってきては、餓鬼のように大きな口をばくばくと開けながら餌がもらえるのを待っている。鯉は不気味なまでに大きくて、あまりにもたくさん集まるものだから、池の表面が黒く見えるほどだった。

 しかし今は一面をもやが白く覆いつくして、影もかたちも見えない。


 ――餌?

 そういえば今日、わたしは猫に餌を出してきただろうか? 覚えがない。ほんのすこし前のことなのに、なぜか思い出せない。


 猫はふだん、目覚ましの鳴る少し前にわたしを起こしにきて、餌を出すまでずっと足にまとわりついて離れないものだから、餌を出したかどうかなんてことは忘れようがない。が、今朝はいつもより早い時間に起きて、いつもより早く家を出てきた。そのあいだ、猫の姿を見た覚えがなかった。たぶんまだどこかで眠りこけているのだろう。


 しかしいくらいつもと時間が違ったとしても、着替えたり、顔を洗ったり、朝食の用意をしたりでバタバタしているのだから、起きてきたってよさそうなものなのに、どうにも怠けたやつである。動物のくせに野性味というものがない。おかげでわたしは餌を出してきたのかどうか分からないときている。


 どうしよう。戻って確かめてみるか? しかし今から戻るとなると、仕事が間に合わなくなるかもしれない。

 わたしは戻るか、このまま進むか、しばらく橋の上で逡巡しゅんじゅんしていた。


 そのとき、はっと気がついた。

 いったい何を考えていたのだろう。猫は――あのいつも不満げな表情をしていた白猫は、腎臓を悪くして三年前に死んでいるのだ。


 それを今さら餌をやったかだなんて、わたしときたらどうかしている。深い朝もやとは正反対に、頭は水晶のように澄み渡っているというのになんだか調子がおかしい。

 わたしにはそれが、記憶とか想いとか、そうしたものの多くを失ってしまったからこその冴えではないかという気がして、急に不安になった。


 猫の遺灰は、生前の毛並みを思い起こさせるつややかな白磁の壷に入って、出窓のところに据えてある。一日じゅう日当たりのよいそこで、猫はよくひなたぼっこをしていたものだった。

 お気に入りだった餌を毎日供えてはいるけれど、一日や二日取り替えるのを忘れたところでどうなるわけでもない。どうなるも何も、もうとっくに死んでいるのだから。


 でもなぜか昨夜は、猫がわたしの布団のなかに入ってきたときの、あのなつかしい温もりを感じたような気がしたのだ。あの丸い小さな頭が、わたしの脇腹をぐいと押したような気がしたのだ。しかしそれはただの夢だったのだろう。


 橋を渡るうちに、濁りのない白さをそなえていた朝もやはだんだんと薄墨色になり、さらには暮色へと変わった。そしてすべての色が失われ闇色に落ちつくと、そのなかにポツポツと、花のつぼみがひらくように光が灯った。それはたぶん、街灯や、家いえの明かりにちがいなかった。


 わたしはいつから歩いているのだろう、この深い夜霧のなかを。

 ずっと歩いているような気もするし、ついさっき歩きはじめたばかりのような気もする。


 そうだ、思い出した。

 明日の朝いちばんの打ち合わせに使う資料の準備で、いつになく帰りが遅くなってしまったのだ。なんとか仕上がったときには、もう終電車に近い時刻になっていた。


 それにしても深い夜霧だった。

 夜霧が出ると星はまったく見えなくなり、月や街灯にはかさがかぶる。今夜は殊に、たんぽぽの綿毛のような濃い暈が街灯のまわりを丸く覆っている。

 家と駅のあいだは窪地になっていて、大きな公園がある。そこには霧やがよく出た。公園のなかにはこれまた大きな池があって、湿った夜の空気が池の水で冷やされると、それが霧へと変わるのだ。


 昼日中にはたくさんの人びとでにぎわうこの公園も、こんな深夜ともなるとさすがにひっそりとして、動くものの気配さえない。いつもは池の中央で高く吹きあがって涼しげに見えている噴水も、この時間には止められているらしかった。つめたく淀んだ水の匂いが、肌にじっとりまとわりついてくる。

 夜霧が生気に蓋をして、すべての動きを封じているようだった。それが証拠に、日が沈んでだいぶ経つというのに、虫の音ひとつ聞こえてこない。


 しかしどれほど深い夜霧が出ていたとしても、家までは一本路だから迷うはずもないし、いそいで歩けば10分とかからない距離である。それに道行きには橋の欄干に埋め込まれた照明が、足元を明るく照らしている。心配することは何もなかった。


 ただひとつ気にかかっていたのは、猫のことだった。

 仕事で遅くなることも考えて、夜の餌の時間は遅めにしている。が、いくらなんでもここまで遅れるのは想定外だ。いつもの餌の時刻をだいぶ過ぎているから、さぞ腹をすかせているにちがいない。


 猫は思いどおりにならなかったり、気に入らないことがあると、物に当たるくせがある。それはおもに壁紙とかカーテンとか、そうした柔らかくて傷つきやすいものに向けられて、部屋じゅうの壁紙という壁紙、カーテンというカーテンは、みなボロボロになっていた。とくにカーテンは、もはやその役割を果たさないまでに破られて、さいきん買い替えたばかりだった。が、その新品のカーテンも、いまごろ猫の爪のえじきになっているかもしれない。


 そんなことを考えながら池にかかった橋を早足で渡り、わたしは家路をいそいだ。

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