最終話『道』

「皆さん北に走ってください‼︎」


 燃え盛る炎が空気を焼く音に負けず劣らずの大声が、町の中央の広場に響く。既に町の8割が炎に包まれている。


 マリアが避難する人々の先頭、レオが最後尾で走り、水球や破壊消火で火を消していく。2人とも先の黒竜戦で体はボロボロ。レオは一歩踏み出すごとに全身が痛み、マリアは常に左肩に激痛が走っている。


(まさかここまで火が回ってるとは‼︎)


 既に北門以外の3つの門は崩壊し、脱出には城が併設されている北門を使うしかない。おそらくだが貴族の末裔連中はとうに逃げおおせており、城を通ることに文句を言う者は誰もいない。


 左右を燃える建物に挟まれながら走った先にあったのは、既に火が燃え移っている城の扉だった。


「オレがやる! 離れろ!」


 レオはそれを見ると、先頭に一目散に走ってきた。間に空気を肺に溜めこみ、息を止める。あっという間に先頭にたどり着いたレオは跳び上がり、燃え盛る扉に全力で脚を叩きつけた。扉は粉砕され、城の内部が露わになる。


「よし、中はまだ燃えてねえ!」


 壁にかけられたランプと後ろの炎が照らす城の内部は、豪勢と言うにふさわしい作りだった。綺麗に積まれた石レンガの壁、一面に広がる質の良い赤い絨毯。しかし人々はそんなのお構いなしに、泥まみれの格好で中へと流れ込んでいく。


「早く進めウスノロ!」

「子供だけでも先に行かせてください!」

「何言ってんだ年長者が先だろうが!」

「あんた達こんな時に何言ってんだ!」


 レオの声かけも虚しく、人々は我先にと奥の北門へと通ずる扉へ走っていく。先頭を走っていた若い男が、木製の扉を開け放つ。……そこに広がっていたのは、後ろの景色となんら変わりない、一面がオレンジ色に輝く道だった。


 途端に走っていた人々の脚は止まり、絶望の色が顔にありありと浮かぶ。城を回り込んで火が回ってしまった今の状況は、全方位炎に囲まれており逃げ道は一つもない。


「あ……」

「お、おいどうすんだよ!」

「どうもできねえだろこんなんじゃ!」

「……ハァ、ハァ……マリア!」


 レオは荒れる息を必死に整えながら叫んだ。マリアが振り向き、頷きを返す。すぐにマリアは扉をくぐり、杖を道に掲げた。


「一発水球を撃つ……全力で走って」


 マリアの小さな声が、その場にいた全員の耳に届いた。戦闘で疲弊した体。A級冒険者への信頼。人々に様々な思考がよぎるが、全員がマリアの芯のある声に息を飲んだ。


 掲げられた杖の先に、直径8メートルを超える巨大な水球が出現する。この時点で周りの炎が消え始め、蒸気が立ち上る。神経を研ぎ澄まし、燃え盛る道とその先にある門に照準を向ける。


「エル・ウォーター……!」


 マリアのその声とともに、巨大な水球が打ち出された。水球が進んでいくごとに、両側の建物の火が一気に弱まっていく。


 同時に人々は走り出していた。まだまだ元気だが、確実に小さくなった炎の中を、100メートルほど先の門目掛けて全力で走る。


 レオは人々の最後尾で、自らも避難するために一歩踏み出した。しかし、突如全身の力が抜け、膝をついてしまう。激しい耳鳴りが脳を打ち、視界もぼやけてくる。


(まずい……もう意識……が……)


 数秒後、レオは赤い絨毯の上にバタリと倒れ込んだ。その僅かな音と振動を認識し、マリアは振り返る。


「……え⁉︎」


 マリアは咄嗟に倒れたレオに駆け寄るが、レオは完全に意識が無くなっており目を覚ます気配は無い。既に弱まった炎も勢いを取り戻しつつあり、左肩を骨折したマリアではレオを担ぐことはできても、無事に避難することはできないだろう。


「レオ……!」









「う……ん。あれ……マリア?」

「……よかった……目を覚ましたんだね」

「ここは……」


 レオが目を覚ました時に最初に見えたのは、自分を心配そうに覗き込むマリアの顔だった。だんだん体の感覚もはっきりしてきて、後頭部に柔らかく、仄かな温かみのある何かがあることが分かる。すぐに自分が、マリアに膝枕されていると分かった。


「体が痛くねえ。マリアがやってくれたのか?」

「うん……これでもう魔力一滴も残ってないけどね」


 レオは再び目を閉じしばらくマリアの膝枕を堪能した後、起き上がった。その際に2人の左肩同士がぶつかり、マリアの肩に激痛が走る。


「痛っ……‼︎」

「あ、す、すまん! ……オレの魔力使って回復しろ。オレもほとんど残っちゃいないが、多分ギリ足りるだろ」

「……うん、ありがとう」


 マリアは右手でレオの手を取った。マリアの左肩が毒々しい紫色に輝き、骨や筋肉が修復されていく。光が収まり、マリアは左腕を軽く上げた。


「……うん、治った」

「よかった、足りたか。……ここは?」

「城の2階」

「そっか……上登るか」


 2人は立ち上がり、そばの階段を登っていった。先程からずっと城内に空気が唸る音が聞こえている。ここももう長くはないだろう。


 最上階に着くと、奥に玉座のようなものがあった。ここはあくまで貴族の城だったのだが、主の趣味だろうか。階段の登り口を回り込んだ先にはカーテンの閉まったガラス扉がある。外から見た限りここはバルコニーとなっているはずだ。


 2人はカーテンを開けガラス扉を潜り、バルコニーに出た。


「うわ……」

「……」


 その景色はまさに地獄だった。直径約2キロメートルの町の全ての建物が燃え盛り、あちらこちらで煙が登っている。夕焼けの空も相まりここら一体がオレンジ色に染まってる。


「……ホットミルクも、ここまで熱々だったらなあ……」


 レオはそうぼやき、まさにこれ以上ないほど熱い町を眺めた。すでに取り返しのつかなくなった町を見下ろし、レオは力無く笑った。


「……レオ」

「ん?」

「……ぎゅってして」


 マリアは俯き、恐らくこの町に負けず劣らず顔を赤くしてそう呟いた。レオはそれを見て「はっ」と笑い声を漏らした。


「こういうのって普通キスとかじゃないの?」

「いいから……」

「……はいよ」


 レオは優しい笑みを浮かべると、両腕を開いた。マリアはそこに杖を置いて入り、ちょうど頭がレオのたくましい胸に収まる。頭と背中にレオの腕が回され、全身が温もりに包まれる。安心感に包まれたマリアもまた、優しい笑みを浮かべた。


 しばらくそのまま時間が過ぎていき、2人は抱擁を解いた。そんな一見ほのぼのした絵だが、現実には壁の石レンガが炎で脆くなり、今にも崩れそうだ。2人はバルコニーの柵に体重を預け、ぼんやりと眼下を眺める。死が刻一刻と近づいているというのに、不思議と心は落ち着いていた。


「……腹減ったなあ。魔力使うと腹減るとかあったっけ?」

「多分無いと思うけど……」

「……ん?」


 どれぐらい経っただろうか。空気が唸る音がもうすぐそこまで近づいてきた頃。レオはその会話に、何かしこりのようなものを感じた。


「……レオ?」

「なんか……なんか忘れてるような……」


 自分の記憶を一つずつ検証し、引っかかりの正体を探る。城に逃げる人々、黒竜との戦い、青竜との戦い、岩山の魔物の群れ、森での戦い、見上げるめんどくさい制度の残っているこの城……


「あ、そうだ、あれがあった!」

「え?」


 レオはマリアの手を引いて走り出した。バルコニーを出て階段を回り込み、さらに玉座も通りすぎる。玉座の後ろにある扉を開け、中に飛び込む。中はもともと寝室だったようで、大きなベッドやタンスなどの高級品がそのまま残されている。しかし長年使われていないことが積もった埃や、何よりあちこちに積まれた大量の木箱からわかる。


「ここって……」

「林檎くれた人いたろ? あの人がこの城を倉庫にしてるって言ってたからな。手当たり次第探ってくつもりだったが、業者がこんな奥を倉庫にするようなマヌケで助かったぜ!」


 レオはそう言うと、大量の木箱の中身を1つ1つ確かめ始めた。


「……まさか……」

「ああ。こん中にあの魔林檎があるはずだ。それを大量に食えば……」

「無理だよ」

「へ?」

「今から食べても、消化して魔力を吸収する時間は無いと思う」

「マァジか〜⁉︎」

「……でも、使える」

「お?」


 マリアも木箱を漁り始めた。チラリと部屋の外を見ると、もう階段下まで炎が上がってきている。


「……魔力は爆発しやすいから、大量の魔林檎を投げて建物を壊せば、もしかしたら……」

「ま、魔力って爆発するのか」

「普通はしない……けど魔林檎は魔力を凝縮しているからあるいは……ある程度壊したら突っ込んで、先にある湖に飛び込めばなんとかなる……と思う……」

「オッケー。ならオレは先に壁をぶっ壊すぜ!」


 そう言うとレオは奥の壁に向かって走った。流れで拳を振りかぶり、石レンガを殴り抜ける。拳が壁に激突し、衝撃が走る。すると3つの石レンガが抜け落ち、地面に落下していった。


「オォララァ!」


 さらに拳のラッシュを叩き込み、壁をどんどんと破壊ていく。打ち付ける拳から血が垂れ、ズキズキと痛むが気合いで無視。しばらくすると壁に2メートル四方の穴が開く。


 と、このタイミングでマリアも魔林檎の木箱を引き当てたようで、1つの木箱をレオの元へと運んでいく。


「レオ!」

「ナイスだマリア! 何箱ある?」

「5箱!」

「よし……」


 レオは木箱を受け取ると、両腕でそれを抱えて振りかぶった。狙うは1番左手前の燃え盛る建物。何も両側を壊す必要はない。片方の火さえ鎮火できれば全力疾走できるだけのスペースはできる。


 レオは木箱を壁に空いた穴から放り投げた。空中で蓋が開き魔林檎がいくつか宙に放り出されるが、多くはまとまった状態で炎の中に入っていった。途端、その全ての魔林檎が爆発した。一瞬だったが魔林檎どうしが互いを吹っ飛ばしたおかげで破壊範囲は広がった。火のついた木片がかなり散らばったが、それでも火の勢いは比べものにならないほど弱まっている。


「次だ!」


 それから次々とレオは魔林檎という爆弾をさらにもう一つ投擲した。またもや大爆発が起き、さらに建物が破壊される。


 また木箱を担ぎ上げ、振りかぶったその時。マリアが叫んだ。


「レオ! もう火が!」


 後ろを振り返れば、既に炎が倉庫の入り口にまで達している。別にここが普通の部屋ならあと3つ物を投擲する時間は裕にあるだろう。しかしここは様々な物が置かれている倉庫。


 レオはその瞬間、本能で危険を察知した。


「マリア、こっちに‼︎」


 レオは手を伸ばし、マリアの腕をとった。そして炎から庇うように抱きかかえた瞬間、倉庫に置かれていた火縄銃用の火薬に引火。轟音と共に爆発し、さらに投擲前の魔林檎の木箱も誘爆し、その威力は倉庫どころか城の一部も消し飛ぶほどだった。


 レオとマリアは爆風に吹き飛ばされ、倉庫を放り出された。地面に落下し、抱えたマリアを上にしてレオは背中から地面に激突。


「いってぇぇぇ‼︎」

「レオ、ごめん……!」

「大丈夫だ。折れてねえ」


 2人が落下したのはレオが破壊して炎を散らせた場所。炎の海に直行は避けられたが、十分な逃げ道を作る前に城を追い出されてしまった。動かなければ数分は耐えられるだろうが、建物が崩れて火のついた瓦礫がばら撒かれれば今度こそ逃げ道は無くなる。


 レオは数十メートル先の門を見やった。そこまでの道を作れたのは約20メートル。それ以降は周りと変わらず炎が道を塞いでいる。


「……これしかねえ‼︎」


 レオはマリアの背中と脚に手を回し、抱え上げた。


「わっ! レオ⁉︎」

「オレが合図したら息を止めろ!」

「……分かった……!」


 マリアはすぐさまレオの考えを理解した。それが今とれる唯一の策だということも。


「行くぞ!」


 レオは門へと続く炎の道に向かって、全力で走り始めた。マリアはレオの首に腕を回してしっかりと掴まる。すぐに2人は炎の中に突入した。


 ほんの一瞬遅れて来る灼熱。頭の先からつま先までが高温の炎に晒される。すぐに服にも引火し、その熱はさらに温度が上がる。それは当然マリアも例外ではなく、レオにしがみつきながら歯を食いしばって耐える。


 体の全ての意識をただ走ることだけに向け、レオは無我夢中で脚を動かした。一歩踏み出し、地面を蹴り、また踏み出す。全身の熱を通り越した激痛も無理矢理意識の外へ追い出し、全力で走る。


 その時のレオは速かった。70メートル強の距離を、瓦礫や外れた石畳を蹴り飛ばして進んでいく。レオとマリアからしたら永遠にも感じられる数秒間。町の脱出まで残り5メートルというところまで迫る。


 その時、今まで炎に晒されて続けてきた門のアーチの頂点が、とうとう限界を超え崩壊した。その落下軌道とレオの走る場所が重なる。


「……おおおおおお‼︎」


 レオは跳んだ。頭を下げてマリアを庇い、落下するアーチに己の頭を全力でぶつける。今までとんでもない速度で走ってきたレオは、凄まじい衝撃と一瞬の眩暈と共に、アーチを粉々に破壊した。


 文字通り火だるまになったレオは、町を脱出してから尚も走る。湖はほんの15メートルほど先だというのに、町を走ってきた時よりも長く感じた数秒の後、マリアを抱えたままレオは湖に飛び込んだ。


 その場所からは蒸気が昇り、2人に纏わり付いていた炎は瞬時に消える。しばらくしてレオとマリアは水面に仰向けで浮き上がってきた。


「ハア、ハア、ハア、あああ沁みるうう!」

「ハァ……ハァ……レオ……ありがとう……何もできなくて、ごめん……」

「い、いいって。そもそもマリアがいなかったら、黒竜倒せてなかったし……」


 炎の痛みは消えたものの、今度は火傷に水が沁みて別の痛みが襲って来る。避難していた人々が2人を引き上げようと、湖に入ってくる。


「……しばらくは冷たいミルクにしよう」

「フフッ。そうだね……」









 小鳥の囀りが窓の外から聞こえて来る。一晩中書類に目を通していたギルドスタッフは、目を押さえてしばらくじっとした後、机を立った。部屋を出、ギルドを出、町の病院へと向かう。


 その道すがら、1人の後輩スタッフに出会った。


「おはようございます! どちらへ?」

「ああおはよう。ちょっと報告書の最終確認をな。あの2人にこれを目に通してもらいに行く」

「ああ、あの黒竜の件のですか」

「ああ。A級でも10人がかりでやっと討伐できるS級の魔物をたった2人で討伐し、業火に包まれる町から生還した……改めて整理すると本当に化け物だな」

「はは! ですね。いや〜、僕たち、本当に凄い出来事に立ち会ってますね〜」

「……いや……」

「え?」

「今のS級冒険者も、過去に2人と同じぐらいの年頃にS級の魔物を討伐している」

「……まさか……」

「……レオ・ナポリ、マリア・ストロガノフ……これは、これから作られる2人の伝説の前日譚……道の途中に過ぎないのかもしれない……」


 2人がそんな会話をしながら歩いていくと、町の病院にたどり着いた。扉の取手に目をかけ、開けたその時。


「いてええぇぇ‼︎」


 という声が病院のどこかから聞こえてきた。


 レオは朝目を覚ました直後、全身、特に背中に激痛を感じた。痛みから逃れようと体をよじるとさらに強い痛みが襲いかかって来る。


「なんでよりによって今回復魔法使える奴が出張中なんだよ……‼︎」

「痛い……痛い……」


 それは2人用の病室にレオと共に入っているマリアも例外ではなく、ことあるごとに痛い痛いと呟いている。出張中の医師が帰ってくるか、マリアが魔法を使えるほど回復するまでの数日間は、この痛みに耐え続けなければならない。


「……マリア、夏んなったら海行こうぜ海!」


 レオは半ばヤケクソになりながら言った。


「海?」

「そう! 冷たい海水に浸かって、泳いで、美味うまいもの食って、日が暮れるまで遊ぶんだ!」

「……フフッ。まあ、たまにはそういうのもいいかもね」


 2人は全身の痛みから気を逸らすように笑った。きっと2人の切実な願いは叶うのだろう。2人は強いのだから。2人の意思は固いのだから。


 そして、2人には未来を掴み取るだけの力があるのだから。



※※※※※



 私の近況ノートにキャラクター名鑑のあるあとがきがあります。よければ。


https://kakuyomu.jp/users/ScandiumNiobium/news/16817330649235435216



 追記

 この作品の本編、『対の世界』を連載開始しました。

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