第5話『S級』

「コケーッ!」


 大きな鳴き声を響かせながら、養鶏場から逃げ出した鶏が道を全力で走っている。生物としての本能が、身の危険をありありと感じていた。


「うわーん‼︎ パパー、ママー‼︎」


 鶏達は道の真ん中で泣き叫ぶ5歳ほどの子供を避けて尚も走る。周りには大量の人々がいるが、皆街の出口に向かって一目散に走っていく。


「うわーん‼︎」


 一声大きな泣き声を上げた子供と周りの鶏を、漆黒の巨大な脚が踏み潰した。全身の骨が砕ける音が辺りに響くと同時に、血溜まりが広がっていく。


「グゴアアアアアア‼︎」


 罪の無い子供をなんの躊躇いも無く殺した黒竜は、叫び声を上げると同時に口の中に炎の揺らめきを宿していった。一瞬で最大出力にまで達したそれは、1キロほど先の町の出口に向かって放たれた。


 地面の石畳を破壊し、逃げ惑う人々を焼き尽くしながらブレスは突き進む。そして約1秒後に町の東門に直撃。爆発が生じ、20人以上の人々がそれに巻き込まれ死亡する。


 爆発が終わっても門は崩れ、周りの建物は炎に包まれている。人々は逃げ場を完全に失い、ただこちらに一目散に飛んでくる黒い竜を眺めることしかできなかった。


「嫌だああああ‼︎」

「誰か‼︎ 誰かあ‼︎」

「助けて……助けて……死にたくない……」


 さまざまな液体を垂れ流しながら腰を抜かす者、眼前の炎と迫る黒竜を見て恐怖に呑まれる者、道の真ん中でうずくまる者。人々は刻一刻と近づいてくる死の気配に押されていた。


 そこに飛び込んでくる2つの影。それは黒竜の後ろから人々の間まで走り抜け、黒竜に立ちはだかった。


 全力で走り、ここまでたどり着いたレオとマリアは息を荒げながら周りを見渡した。3方は炎に包まれ残る1方は今まさに黒竜が迫ってきている。


「チィッ! マリア、消火はできねえのか⁉︎」

「できると思うけど、黒竜と戦う魔力が無くなる!」

「他の冒険者への救援は⁉︎」

「あの時ギルド長、A級以上の冒険者は私とレオ以外にいないって!」


 レオは黒竜がこの場にたどり着くまでの数秒の間に思考を巡らせる。


(どうする⁉︎ 来たはいいがオレ達で勝てるのか⁉︎ ……いや、今はそんなことはどうでもいい……)


「……戦うぞ」

「……うん」


 短い言葉を交わすと、2人は黒竜に向かって走り始めた。マリアは走りながら3メートル台の火球を生成、レオは一足先に黒竜の前に辿り着き跳躍。黒竜の首の横を通り過ぎて体に着地し、背中を走っていく。


 レオが地面に着地すると同時にマリアは火球を射出。黒竜の頭にぶつかり爆発するが、全くダメージを受けた様子も無く煙を押し退け進んでくる。


 レオは踵を返し、黒竜の尻尾を両手で掴んだ。地面に脚をつき思いっきり踏ん張るが、黒竜の飛行速度は全く変わらない。


「なんつう力だ……‼︎」


 とその時、レオは自身の体に凄まじい力がかかるのを感じた。次の瞬間には今まで踏ん張っていた脚の感覚が無くなり、浮遊感が訪れる。そして一瞬にして全身に激痛が走り、目の前がチカッとする。


「ガハッ‼︎ な……にが……」


 クラクラしていた脳が機能を取り戻し、視覚情報を処理し始めてレオが始めに認識したのは空だった。日がかなり傾き西の空はオレンジ色に染まっている。


 激痛の走る体に鞭打って起き上がり周りを見渡す。周りには瓦礫が散乱し、自身もその中に倒れている。


(吹っ飛ばされたのか! 痛え……この距離を一瞬でか……‼︎)


 レオが吹っ飛ばされ激突したのはこの町のギルド。職員や冒険者は既に避難したため死傷者はいない。だが問題はそこでは無く、実に1キロ以上を一瞬で吹っ飛んできたことにある。それだけ黒竜の力は凄まじく、一刻も早く倒さねばと思う一方、本当に勝てるのかと考えが巡る。


 しかしそんな思考も黒竜のいる場にマリアが残っていることに気づくと頭の隅に追いやられる。レオは瓦礫の山から飛び降り、東に向かって全力で走り始めた。


(血も出てねえし、骨にもダメージは無え。クソ痛えけど痛いだけだ!)


 走っているとすぐに黒竜の後ろ姿が見える。黒竜は持ち上げた脚を振り下ろしたり、尻尾を振り回したりして町を破壊している。そこに稀に飛んでくる火球や雷。マリアが応戦しているのだろう。


 レオは途中で横に跳躍し、まだ残っている建物の屋根に乗った。そしてさらに走る速度を上げ、あっという間に戦場にたどり着く。黒竜の脳天に向かってまたも跳び、拳を振りかぶる。


「はあッ‼︎」


 ゴツゴツとした黒い皮膚に、レオの拳が激突する。しかし大したダメージも無く黒竜は破壊活動を続けていく。マリアは服が焼けこげ、露わになった左腕は火傷していた。


「マリアすまねえ! 腕はどうした⁉︎」

「炎掠っただけ。レオは⁉︎」

「無し!」


 マリアの横に並んだレオは黒竜に向き直った。大きさも顔つきも青竜となんら変わらないのに、相対しているだけで震え上がるほどの威圧感がある。それは全身から立ち上る魔力故か、はたまた2人の体が本能でこの生物を拒絶しているのか。


「……マリア、なんか作戦ねえか」

「……片翼を落とす。飛べなくなるし重心もブレるから……」

「なるほど……やってみる価値は十二分にあるな。頼めるか」

「大丈夫」


 2人は同時に走り出した。マリアを体の後ろに隠すように、レオが前に進み出る。そのまま駆け、マリアが後ろで魔法の発動準備をしていることを確認。黒竜の注意を向けるために低級の魔法を放とうとした……瞬間。


 黒竜はレオに顔を向け、口を開いた。その中は青白く光り輝いている。今までのブレスとは全く別物の威力だということを、レオは直感で理解した。


「クソがッ‼︎」


 レオは咄嗟に全力で上へ跳躍した。燃え盛る建物の屋根に着地してまた跳躍。黒竜の頭の高さより高い位置まで届き、顔が上へ向けられる。レオは腕を交差し、衝撃に備えた。


 瞬間、ブレスが放たれた。青白い炎の熱線がレオの全身を包み込み、凄まじい衝撃が身体中を駆け巡り、熱に飲み込まれる。


 それはほんの一瞬の出来事で、白目をむき意識の無くなったレオはすぐに地面に落下していった。地面に脚が届き、体が倒れていく。直後にレオの意識が戻り、レオはすぐさま跳躍して黒竜へと走った。


(一瞬意識トんだ‼︎ あんなもん一般人が喰らったら……‼︎)


 レオが思考を巡らせると同時に、マリアは黒竜に接近し、翼の真下まで到達していた。横を走り抜ける際に杖を黒竜の翼の付け根に向け魔法を発動。


「オル・ファイア・アロー」


 出現した7本の炎の矢がズラッと並ぶ。直後にそれらは射出され、黒竜の翼の付け根に感覚を空けて突き刺さった。さらにマリアは追撃する。


「ボム」


 突き刺さった炎の矢はすぐには消えず、マリアのその言葉を合図に爆発した。爆風で黒竜の血が撒き散らされ地面に落ちる。しかしまだ翼は千切れない。


 黒竜が「グゴォォ……‼︎」と呻き声を上げた。直後、レオが黒竜の体に飛びついた。


「マリア!」

「はい!」


 マリアは持っていた杖を上に放り投げた。レオは黒竜の体の上でそれをキャッチ。杖を穴が点々と空いた翼の付け根に突き刺す。


「オオラアアアッ‼︎」


 さらに突き刺したまま尻尾の方に向かって走り出す。ミチミチと嫌な音を立てながら筋繊維が千切れていき、血が溢れ出る。


 レオが尻尾まで辿り着き、杖を振り抜いた瞬間に黒竜の翼は完全に切断された。それだけで100キロはありそうな片翼が地面に落下する。


「しゃあ! マリア!」


 レオは地面に降り立つと、杖をマリアの少し奥に向かって投げた。マリアは黒竜から目を離さず、その落下地点に向かって走り出す。黒竜から少し離れ、杖を掴んだ……瞬間。


 マリアの左肩に突然強い力がかかった。されるがままに地面に倒れ、上を見上げる。本来夕焼けに染まりつつあるオレンジ色の空が見えるはずなのだが、視界に映るのはゴツゴツした黒い壁。状況を処理しきれない脳は、ボキッという音だけを鮮明に認識した。


「がああッ‼︎」


 マリアの左肩を踏みつけ粉砕した黒竜は再び脚を振り上げた。激痛に動けないマリアに向かって振り下ろし、今度は全身を踏み潰そうとする。しかし直後、レオがその間に滑り込みマリアを抱き抱えて脱出。


 レオは腕の中のマリアを庇いながら地面に転がった。全身に石畳の欠片が突き刺さるが、その痛みに負けずに立ち上がり、さらに黒竜から距離をとる。


「うう……ッ‼︎ ごめん、レオ……!」

「いやいい! クソが……正攻法じゃ絶対勝てねえ……マリア」


 レオはマリアを立ち上がらせると、視線を黒竜に据えたまま続けた。


「オレ達が勝つには、オレとマリアの全力をアイツの脳天にぶち込むしかねえ」

「全力って……それじゃあ回復するための魔力が……」

「そんなん後だ。マリアの左肩さえ治せれば……」

「骨折は後でもいい! でもレオは内臓が……」


 今のマリアの怪我は左腕の火傷と骨折。しかしレオは壁に激突したりブレスを浴びたりと体の内側が破壊されている。


 マリアの声を聞き、レオは力無い笑みを浮かべた。冷や汗に塗れたその顔は、笑う余裕など無いことを用意に察せられる。


「……ま、死ぬよかましだろ」


 その顔は諦めているでも覚悟を決めているでもなく、ただ考えるのが面倒くさいといった表情だった。


「……分かってるな」


 レオは真剣な表情に戻ると、マリアを支えていた腕を離した。マリアはレオの横顔を見、どんな説得も無意味であると悟った。マリアが頷くと、レオはまた笑みを浮かべ、走り出した。


 あのブレスの溜めを作る隙を与えずに、一瞬で距離を詰める。黒竜の首筋によじ登った瞬間黒竜が体をよじってふるい落とそうとするが、すぐさま跳躍してやり過ごす。そして黒竜の頭の上に着地した、その瞬間。黒竜は上を向いて口を開き、レオは開かれた口の中に落下。口に両足をかけるがバランスを保ちきれずに倒れそうになる。


(しまッ!)


 しかし次の瞬間、飛来した雷が黒竜の頭に直撃。顎の力が弱まりレオも鋭い痛みが走るが尚も全力で真上に跳躍。


「マリア‼︎」


 雷を放ったマリアは、その言葉を合図に巨大な火球を放った。さらに直後、照準を黒竜に向ける。


「フル・ファイア……‼︎」


 瞬間、掲げられた杖の先に出現した、黒竜を裕に飲み込めるほどの巨大な火球。それは直径2メートルほどまで圧縮され、今にもはち切れそうなほどにまで光り輝いている。それが射出されると同時に、レオに放たれた火球も爆発した。


 レオは青竜戦でも使った、魔力の壁を足に作るという技を使い、爆発の直撃を避ける。しかし爆発の力は最大限利用し、凄まじい速度で黒竜の頭めがけて落下していく。


(後のことは考えるな‼︎ 魔力を乗せろ‼︎)


 瞬間、レオの腕が紫色に輝いた。さらにどこからともなく炎が出現しレオの振りかぶった右腕を包み込んでいく。炎は青白く変色し、温度は際限なく上昇していく。


 マリアの火球とレオの拳は黒竜に急接近し、ほとんど同時に激突した。レオの拳から放たれた衝撃は黒竜の脳天を駆け巡る。レオをなぎ払おうとした直後に襲ってくる火球の爆発。レオの青い炎に触れた瞬間これもまた青く変化した爆発は、黒竜の体を完全に包み込んだ。


「グ……あぁ」


 レオもまた爆発に巻き込まれ、マリアのいる方へと吹っ飛んでいった。すでに全身大火傷。服はボロボロで満身創痍。レオはマリアも跳び越え、少し離れた地面に落下した。


「レオ!」


 マリアは左肩の激痛に顔を歪めながら倒れたレオに駆けていった。そばに座り込み、レオの頭を抱える。


「うぅ……黒竜は……」


 2人は後ろを振り向いた。黒竜の体に特に変化は無く、黒い皮膚に浮かぶ紅い目が空の一点を見つめていた。直後、黒竜は白目をむき、突然スイッチが切れたかのように脱力して地面に倒れた。


「……あ……」

「……は……ははっ、ははは! 勝った、勝てた! うおおおおお!」

「よかった……本当に……」


 ……しかし2人がこれ以上、S級討伐の喜びを噛み締めることは無かった。


「今だ! 走れ!」


 そんな声とともに、後方に避難していた人々が一斉に走り出す。


「は……?」

「レオ、火が!」


 戦闘中、2人はあまりの集中力で忘れていた。今この街は、刻一刻と炎に侵食されていることを。


 そして2人は気づいていなかった。すでに取り返しのつかないほど、この街が炎に呑まれていることに。

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