受かったやつが泣くんじゃない

「四菱の開発主任がこんな時間に何してる?」

 気づいたら電車の中でうとうとと眠ってしまったようだ。俺は男の声で目覚めた。


 寝ぼけた頭で見たそれが、幻覚かどうかを確認するため、数秒間を置いてから

「……亮介じゃないか。……夜勤明けだが、お前こそなんで愛知にいるんだ。とうとう霞が関から追い出されたか」

「プラント建設予定地の下見ついでに里帰りじゃ」

 亮介はそう言ってにっと笑った。


「うんこ菌工場の設置は問題なく進んでるのか?」

「うんこ菌言うな。大腸菌や」

「同じやろがい」

「ちゃうわ。ボケ」


 亮介は経済産業省に入り、国主導の大腸菌ディーゼル開発チームの一員となっている。

 悲しいことに尽きる尽きる詐欺をしていた、化石燃料が本当に尽きてしまい、世界は再生可能エネルギーへの全面シフトを余儀なくされた。日本の人口は全盛期の半分ほどにまで減っていたが、それでも従来の水力発電効率を極限まで高めて、風力発電機の増設と全家屋への太陽光発電パネルを義務付けてもなお、電力を賄うのには足りなかったのだ。風力発電に至っては電磁波と騒音の公害問題が顕在化し、人口密集地近くでの発電が規制された。山間部に設置するのにも、ランニングコストを考えると限界がある。

 

 蓄電池システムにも限界があり、ここ数年は百万ドルの夜景なんて言葉も聞かなくなっていた。


 深刻だったのは移動手段だ。電車のエネルギーは優先的に確保されたが、不安定な電力供給下では個人の移動手段まで確保できなくなったのだ。

 あれほど期待された水素エンジンや燃料電池も、水素の大量供給が化石燃料無しでは達成し得ないことから、水の電気分解でちまちまと得られた水素で走る、コストばかり食う車に成り下がった。

 車がないため、公共交通機関が発達していないところは、実質的に住むことが不可能になった。


 アウトドアは資本家のみに許された特権となり、往時を知るものは、コンクリートジャングルに飽いて、大自然のパノラマを焦がれるようになった。


 みんなが口を揃えていったものだ。自動車のエネルギーをどうにかしたい、と。


 そこで目をつけられたのが、遺伝子組み換え大腸菌を用いた、軽油の生物学的生産である。

 クリスパーキャスナインで大腸菌DNAに、軽油を産生する生物の遺伝子を組み込み、大量に培養することで、純国産の類化石燃料を生み出したのである。


 最初は学者の遊びだと馬鹿にされた技術だったが、ディーゼル大腸菌は品種改良が重ねられ、実用化に至るまでになった。

 もちろん日本中の自動車を動かすだけのエネルギーを作るには莫大な広さのプラントが必要になるが、人口をあえて都心に集中させ、空いた土地に次々とプラントを建設することで、その問題は解決したのである。

 近々家庭用の小型ディーゼル大腸菌プラントも実用化に至るそうだが、それを部屋の中に置く勇気はまだ俺にはない。

 とにかく大腸菌のおかげでまた自由に移動できるようになったのだからうんこ菌様々だ。


 大手を振るってゼロエミッションに舵を切ったものの、エンジン駆動に戻ることになったのは皮肉な話であるが。


「お前こそ、ジェット機の開発は上手く行ってるか」

 亮介は俺に尋ねた。俺が研究しているのは、亮介たちが研究している大腸菌ディーゼルを用いて飛ぶ、国産ジェットエンジンだ。この研究は国、大学、そして四菱重工の三者が一体となって進めている国家プロジェクトでもある。


「うんこジェットはうんこディーゼルの安定供給にかかってるからな。まずお前らがなんとかしろ」

「おい、自分の開発してるものをうんこ言うな」

「うんこディーゼルで飛ぶジェット機なんだからうんこジェットだろ。分かりやすい」


 そこで近くにいた中年の女性が、咳払いをした。明らかに嫌そうな顔で俺たちのことを見ている。中年のオヤジが二人でうんこうんこ言っていたら眉も顰めたくなるか。


「まあ、今日は研究のことは置いといて、大事な日なんだ」

「なんかあるのか?」

「倅の中学入試の結果発表」

「あーは、そうか。そんな時期だったな」

「てなわけで合格祝いに、早めに帰るのさ」

「結果もう出てるのか?」

「まだだが、受かってるだろ」

「えらい自信だな。手前のときとは大違いだ。べそかいてたくせに」


 結果自体はネットで分かるのだが、いくら技術が進んでも、掲示板の前で万歳三唱するのは、本邦の伝統文化であることには変わりない。


 俺は電車を降りて、歩いて息子が受験した学校へと向かった。

 門をくぐり人混みへと向かう。


 さて嫁と息子はどこにいるだろうかとキョロキョロしていたら


「ほら、そんな顔してたら、周りの子に笑われるわよ」


 そんな声が聞こえてきた。


「いよう、お前」


 俺はその声の主、まだ小6の子供を胸に抱いている妻に声をかけた。


 妻は俺の顔を見つけてもさして感動する様子は見せず

「あら、亭主が珍しく帰ってきた。それも朝帰りで」 

「人聞きの悪いこと言うなよ」

「おかえりなさい」


「泣いてんのか」

 

「ええ。受かったというのに。本当、誰に似たのかしら」

「なぜ俺の方を見て言う?」


「パパ……」

 息子はべそをかいて、鼻を垂らし、真っ赤な顔で俺を見てきた。本当に勝利者の顔とは到底思えない。


 俺はそんな息子に相応しい言葉を掛けてやる。


「受かったやつが泣くんじゃない」


 それを聞いた嫁はなぜか爆笑していた。

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合格発表日に「受かったやつが泣くんじゃない」と声をかけてきた女子と隣の席になった 逸真芙蘭 @GenArrow

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