思慕
夏の大会を終え、セミの鳴き声が盛りを迎え、入道雲が大きくなるのとは対照的に俺のやる気はしぼんでいた。
とりあえず部活には参加していたが、文字通りとりあえずで、入学当初のように、満ち溢れていた闘志はどこかへと去っていった。
夏休み明けにある文化祭と体育祭の準備も三学年縦割りの群団単位で行わなければならないのだが、当然そのやる気も起きなかった。
亮介は俺の体たらくをさして「失恋のショックで抜け殻になった」と言っていたが、それを訂正する気力も出なかった。
意識が虚空を彷徨っているうちに、夏休みはあっという間に終わってしまい、学校祭を迎えた。
*
「おい、ジンよ」
「……あ?」
「お前、そろそろ元気出せよ。さすがにもう、夏の予選で負けてショックを受けてる、は言い訳で通用しないぞ。お前、俺がどれだけ女子を追い返すのに苦労したと思ってるんだ。なんで女子はみんな、俺にお前の予定を聞いたり、お前に彼女がいないか聞いたり、文化祭一緒に回るよう言えって脅したりしてくるんだ。羨ましいぞこの野郎」
「……別に元気だろ」
「どう見ても元気ないじゃん」
「……」
俺は静かなところに行こうと思い、立ち上がった。
「おい、ジン。どこに行く」
「ちょっと空気吸いに」
「空気ならここにもあるぞ」
「……」
俺は亮介を見つめた。
「……おい、そんなうつろな目で俺を見るな。分かった。俺も行くよ」
亮介もぶつくさ言いながら立ち上がり、トボトボ階段を上り始めた俺の後について来た。
校舎の最上階。下の階の喧騒とは対照的に随分と静かだった。書道部や、地学部が展示をしているはずなのだが、それを見に来ている奴はいないのだろうか。
廊下をトボトボと歩いていく。九月になったとはいえ、暑いことこの上ない。
汗がだらだらと体から噴き出してくるが、なんだかどうでもよくなっていた俺は、拭うこともせずに、歩いていく。
「おい、ジン。美術部も展示してるぞ。見るか?」
亮介が美術室の前で立ち止まって俺に聞いてきた。
「俺はいい。最上階からの景色を楽しんでるから」
「本当に楽しんでるなら、楽しそうな顔しろよ」
「……そだな」
亮介は呆れたような顔をして、中に入って行った。
「おいジン。美術部はやっぱうまいな。プロみたいだぞ!」
俺はぼそぼそ言った。
「俺達がプロになれないのと一緒で、そいつらもプロではないんだぜ」
「なんか言ったか?」
亮介が大きな声で聞き返してきた。
「別に」
それからしばらく、亮介は「はぁ」とか「へぇ」とか「ほぉ」とか言っていたが、不意に突然「おお!」と大きな声を出して
「おい、ジン! ちょっと来いよ」
と俺を呼んだ。
「お前が来い」
「いいから来いって!」
「……」
亮介は俺が動かないので、廊下まで出てきて無理矢理俺を中に引きずり込んだ。
「見ろよこれ!」
亮介は興奮したように鼻息を荒くして、とある絵を指差した。
それは人物画だった。
今にもサッカーボールを蹴り出さんとするくらいに、躍動感にあふれ、ユニフォームの生地の質感、光の差し込み具合、土の一粒一粒まで分かるくらいに、精緻に書き込まれた、人物画だった。
だが亮介はそんなことで、こうも興奮したわけではない。
一番その絵で特徴的だったのは、その人物の顔だった。
「これ、お前だろ」
そう。
その絵はまさしく俺を描いたものだった。
「誰が書いたんだろな」
亮介は首を傾げながら、作者名の書かれた札を見たが、その札に書かれていたのはペンネームで、誰が書いたのか分からない。
少なくとも亮介には分からないはずだ。
だが俺はそのペンネームを知っていた。
「眼鏡獅子」
彼女のアカウント名だった。
俺はスマホを取り出した。
彼女に電話を掛けた。つながらなかった。多分着信拒否されているのだと思う。
眼鏡獅子というアカウント名を検索した。
スクロールしていけば、数か月前に見た、彼女のSNSのホームが出てきた。
震える指でタップして開いた。
最後の呟きは5月、ちょうど俺と彼女が喧嘩したころだ。
こう書かれてあった。
『私、まじウザすぎ。絶対嫌われた』
俺はぐらっと眩暈を感じた。
たった一度口論しただけで、なんでやすやすと引き下がったのだろう。俺は彼女の何を知っていたというのか。何も知らなかったのだ。
どうしてそれなのに、分かった気になって、分かったふりをして、聞き分けのいいふりをして、彼女と距離を置いてしまったのだろう。
猛烈に後悔した。
ちょうどその時、彼女のSNSが更新された。
『文化祭ボッチ女なので、鯉とおしゃべりしてますwwww』
俺は廊下に飛び出した。
「おい、ジン! どこ行く?」
亮介が後ろで叫んだが、構わず走った。
一階まで一気に駆け下りて、内履きのまま中庭に飛び出し、木々の中にある池に向かった。
彼女は池の前に座って、水面をじっと見ていた。
突然男が現れたのにギョッとしたが、それが俺と気づくと
「……関ケ原君」
と俺の名前を呼んだ。
俺は息を切らしながら言った。
「勝手に不合格にするな」
宍戸さんはきょとんとした顔をした。
「え?」
俺はもう一度大きな声で、言った。
「勝手に自分のことを不合格にするな」
「……」
「君はかわいそうなんかじゃない。俺は君を憐れんでもいない」
「……」
「なんで俺が君に優しくしたか分かるか」
宍戸さんはフルフルと首を振った。
俺は答えた。
「俺が宍戸さんを好きだからだ。だから、自分のこと不合格だなんて言わないでほしい」
宍戸さんは何かを言う代わりに、泣き出してしまった。
俺はハンカチを差し出した。偶然にも以前に彼女に貸したのと同じものだった。
「ありがとう」
宍戸さんは涙声で答えた。それから「やっぱり、あなたにハンカチあげたい」と。
「どうして?」
「だって、これ、他の女の子から貰ったものでしょう? そんなの嫌」
「……まあ、そうだよね」
眼鏡をはずした彼女は鼻を啜り、ハンカチを押し当てぐじゅぐじゅ言わせた。
そんな彼女に向かって俺は言った。
「……あとさ、言い忘れてたんだけど」
「なに?」
「やっぱり、宍戸さん、コンタクト姿もすごく可愛いと思うよ」
*
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