どこか生ぬるい匂いを感じた。


 ありきたりな表現で言えば薬品のような匂いってところかな。私は薬品の匂いなんて言われてもよく分からないのだけど、この独特な匂いには覚えがある。


「ここ……病室……?」


 瞼を持ち上げれば、白い天井が見えた。どうやらベッドの上にいるようで、周囲を囲うようにカーテンが引かれている。身体を起こしてみる。うっ、ちょっと頭が痛い。額を押さえてみるけど、痛みは頭の奥の方から感じた。


 ええと、どうしてここにいるんだっけ。


「……ここは魔法学園の中にある医務室よ」


「うひゃあっ!?」


 考えていたとき、カーテンが開いてアマネちゃんが姿を現した。ビックリしすぎて、思わず身体を起こしてしまう。


 ほ、本物のアマネちゃんだ……!


 しかも、Live2Dですらない。現実の人間として、アマネちゃんが存在しているんだ。


 そう思うと、緊張してきた。てか、私の推しが可愛すぎるんだけど……。


「? 大丈夫?」


 小さく首を傾げたアマネちゃんが近づいてくる。そっと手が伸び、私の前髪を持ち上げて額に触れてきた。


「ぴゃあっ!?」


「……熱はなさそうだけど、どこか調子が悪いところとかある?」


「だ、大丈夫れふ!」


 やっば、緊張しすぎて噛んじゃった。


 ダンジョンでは記憶が混濁してたせいで意識してなかったけど、相手が推しだと思うとめっちゃ意識してしまう。


 こ、こういう時、何の話をすればいいんだ……気の利いた会話とか何かないの!?


 うーん……だ、ダメだ! 伊達に前世で10年間ニートやってない。社会人一年目でドロップアウトしてしまったこともあり、人との会話が壊滅的だ。せっかく、推しが目の前にいるのにぃい!


「ご、ごめんなさいぃ~!」


「どうして急に謝るの!?」


 アマネちゃんがわたわたとしてしまう。普段はクールだけど、想定外の事態が起きると退所出来ないらしい。そういうとこ、前世と変わってないなぁ。


「全部こっちの話だから気にしないで? それより、アマネちゃんの方こそ大丈夫だった?」


「うん。リオンさんが助けてくれたおかげで、大した怪我もなかったわ」


 アマネちゃんは微笑みを浮かべて、私が意識を失った後のことを話してくれた。


 結論から言うと、あのダンジョンは崩落したらしい。ダンジョンというのは、ダンジョンの主である《フロアボス》を倒せば消えてしまうようだ。


 どうやら、ムラサメはその《フロアボス》に転生していたみたい。ムラサメが倒されたので、ダンジョンももう消えてしまったそうだ。


「でも、崩落してるのによく逃げられたね」


「うん。ダンジョンに潜る魔法学園の生徒は、この石を持たされるの」


 そう言って、アマネちゃんは手のひらに緑色の丸い石を載せて見せてくれた。


「これは転移石。この石に魔力を込めると、あらかじめ設定した場所に転移することができるの。これを使って、私たちは脱出したのよ」


「そっか……アマネちゃんのおかげで私も助かっちゃったね」


「……そんなことないわ」


 ゆるりとアマネちゃんは首を振った。石を制服のポケットにしまうと、ベッドに腰を下ろした。そのまま上半身を捻って私の方へ向くと、白い手を伸ばしてきた。


 アマネちゃんが私の頬を撫でた。その手は冷たい。でも、不思議と心がポカポカと温かくなるのを感じる。


「リオンさんのおかげで、私もここにいるの。あなたがいなかったら、あの首のない魔物に殺されていたわ。だから、お礼を言うのは私の方」


「そ、そっか……アマネちゃんの役に立てたなら嬉しいよ」


 前世では、アマネちゃんを助けられなかったのを思い出す。Vtuber活動ができなくなるほど炎上していたのに、何ひとつ彼女のためになれなかった。


 死ぬ前にムラサメに会っていたのは、アマネちゃんへ謝ってほしかったからだ。逆上されて私は殺されちゃったから、結局意味もなかったんだけどね。


 でも、こうしてアマネちゃんの役に立てたなら嬉しい。ようやく報われた気分だ。


 私は頬を撫でるアマネちゃんの手を両手で握った。


「私、これからもアマネちゃんの役に立てるように頑張るよ!」


 せっかく転生してアマネちゃんと再会したんだ。今度の世界では、彼女を守れるくらいになってやる!


 胸に決意を宿した時、アマネちゃんがぼーっと私を見つめていることに気づいた。


「えっと……どうかしたの?」


「っ! う、ううん! 何でもないわ……」


 ぱっと私から手を放して、アマネちゃんは小さく笑う。心なしか、顔が赤くなっているような気が……。


「どこか調子が悪いの? だったら……」


「ほ、本当に何でもない! 大丈夫だから!」


 慌てたように立ち上がると「じゃあ、また来るね~」と言って、アマネちゃんはカーテンの向こうへ行ってしまった。


 って、まさか避けられてる!?


「これから守ろうって思ってたのにそれはないってぇえ!」


 誰もいなくなった病室に私の慟哭が響いた。



***



 病室を出た私は、廊下を歩きながら自分の手を胸の前に抱きしめた。


 ――私は、姫ノ雨音。


 前世の記憶を自覚したのは、リオンさんと一緒にダンジョンから帰ってきてからだ。


 前世での私は、凄惨な思いの末に死んだ。確か、自殺だったと思う。自分が信用していたファンに裏切られ、何も信じられなくなった末に首を括りつけて……。


「うっ……!」


 思い出しただけで吐きそうになる。辞めよう。首を振り、思考を逸らす。


 けれど、全員が敵だったわけじゃない。一人だけ、味方してくれるファンがいた。


 彼女のハンドルネームはリオン。奇しくも、この世界で学年序列最下位にいた子と同じ名前だった。それは私も同じだ。


 リオンさんは前世でも私のことをよく応援してくれた。配信者と視聴者。画面越しの交流で、実際に会ったことはない。それでも、彼女だけは真っすぐに私を応援してくれたんだ。


 前世でも彼女のことを信じられていたら、自ら命を絶とうとは思わなかったかもしれない。


 でも、転生してしまったものは仕方がない。


「……これからは、リオンさんと生きよう」


 残念なことに、この世界でも私は一人ぼっちだ。成績が優秀過ぎて、他のクラスメイトたちから疎まれている。


 でも、リオンさんさえいれば問題ない。不思議と、そんな気がするんだ。


「明日もお見舞いに行こ。今度は、お弁当でも作ってあげようかしら……」


 なんて考えながら、私は魔法学園の敷地内に建てられた学生寮へと向かって歩き出した。


 学校にいる時は重い足取りが、今日だけは軽い気がした。

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転生した私を拾ってくれたのは理想の彼女でした。今度こそ助けます 青葉黎#あおば れい @aobaLy

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