指の先にザラついた感触があった。


 剣の柄に触れた。私はさらに腕を伸ばし、それを握りしめる。剣は全体が鉄のようなもので出来ているらしく、柄も錆びていた。冷たく張り付くような感触が手のひらに残る。


 でも、これならアマネちゃんを助けられるかもしれない。


 ムラサメへと身体を向けた。彼の手はアマネちゃんの首を掴み、足がつかないほどの高さまで持ち上げている。


「やめてぇえええっ!!!」


 叫び、足を踏み出した。ムラサメまでの距離はさほどない。数歩で彼の下へ辿り着く。


 はずだった。


「っ!?」


 突如、私は膝から崩れ落ちた。足から下の感触がなくなったのだ。


 見下ろしてみれば、右足がなくなっていた。いや、溶けているんだ。足元に液状になった身体が広がっていく。


「ひぎぃっ!?」


 それを認識した瞬間、痛みが襲い掛かってきた。


 右足の次は左手。指の先から粘りのある液状に変化し、床に糸を引くように落ちていく。さらに左足の感覚も消える。必死に腕を伸ばし、ムラサメへと近づこうとした。


 だが、頭の中に巡る考えとは裏腹に、私の身体は崩れていく。膝下より先を失った私は、太ももから床に足をついた。


 これが、呪い――!


『グひゃハハ! 魔物ノ呪いガかかっタ剣をトるからソウなるんだ!』


 ムラサメの耳障りな声が響いた。


 ふざけるな。


 お前を殺すために、私は諦めるわけにはいかないのに!


 歯噛みし、太ももだけになった足を前へ動かした。だが、剣を握り続ける限り、私の身体は溶け続けていく。


「お前、だけは……お前だけはぁああ!!」


 アマネちゃんを傷付けられて堪るか。


 私はその一心で足を前へ進めようとした。


 なのに、身体は崩れる。両足がなくなり、左腕が完全に溶けた。左側の眼窩から何かが零れ落ちるのを感じた。残った右目で下を見れば、私の左目がそこにあった。


『諦めロ……ソノ身体じゃ、俺は倒せネェぞ?』


「うる、さい……!」


 両足がなくなっても、左腕がなくなっても、剣を握る右手だけは残っている。この手さえあれば、前へ進める。


 床をはいずるように、右腕を使って身体を前へ動かしていく。


 少し離れたところで、ムラサメが笑っていた。


 でも、その声もやがて聞こえなくなる。

 耳が溶けたんだ。


 このままじゃ、ダメだ。

 ムラサメを倒せない。


 私の大切な人を奪った奴なのに。前世で私を殺した犯人なのに。今まさに、私の大切な人を傷つけている奴なのに。


 こんな奴、許せないはずなのに……!


「どうして……届かないの……!」


 次の瞬間、私は床へ倒れ込んだ。身体もほとんどが溶けてしまい、残ったのは頭から右腕にかけての部分だけだ。


 最後の力で、ムラサメへと手を伸ばした。首のない魔物が、肩を揺らしている。音は聞こえないけど、笑っていることだけは分かる。


 こんな奴に、殺されていいのか。

 何もできないまま死ぬなんて嫌だ!


 私はアマネちゃんを守りたいんだ。


 だから、どうか――。


「私に……力を……ください……ッ!」


 絞るような声で、私は訴えかけた。


 その瞬間、全身に熱が奔った。


「がっ……うぐぅう……!?」


 痛い。苦しい。熱い。

 身体を燃やされているみたいだ。でも、火に包まれているわけじゃない。


 なら、どうして?


 視線だけを動かして、身体を見下ろした。すると、溶けていた身体が徐々に再生していた。


「え……」


 首から下がボコボコと粟立つように盛り上がり、新たな肉体を形成していく。


 再生してるんだ!


 アマネちゃんに膝の怪我を治そうとしてもらった時もそうだった。アマネちゃんが魔法を使うまでもなく、私の怪我は治っていた。


 もしかして、これがチート能力だったりするの?


 どんな怪我も治ってしまう能力。それなら、この呪われた剣を握っても、私の傷は再生し続けるはずだ!


 やがて、私の肉体は元通りになった。身体を起こしてみると、頭の奥で『ブツッ!』と何かが弾ける音が響いた。


 次の瞬間、私の耳に悲鳴が劈いた。


「――いやぁああッ!!」


『鳴けよ、ゴミがぁああ!!』


「ッ!」


 アマネちゃんの悲鳴と、ムラサメの怒号。


 さっきの音は、鼓膜が再生した音だったんだ。私は立ち上がると錆びついた剣を握り、跳躍するように駆け出した!


「やめろぉおおお!!」


『ッ!?』


 私が声を荒らげたところで、ようやくムラサメがこちらに気づく。でも、遅い。私の剣は、すでに袈裟懸けに振り下ろされていた。


『グひゃああッ!?』


 ムラサメの身体が斜めに切り裂かれる。すごい……この剣、錆びついているのに切れ味抜群だ。


 身体を斬られたことで、ムラサメの手からアマネちゃんが解放された。落ちてくる彼女の身体を受け止める。アマネちゃんは私の腕の中に落ちてきて、こちらを見つめて目を見開いた。


「ど、どうして……」


『オ前は……死んダハズだろぉお!?』


 アマネちゃんとムラサメの疑問が重なった。でも、ムラサメに答える義理はない!


「今度こそ……お前をこの手で!!」


 剣を構え、私はムラサメへと向き直った。ムラサメは身体を震わせた。悔しそうだ。


「ほざくナあぁあ!!」


 ムラサメが床を蹴り上げた。巨体が猪のような速度で私に突っ込んでくる。


 私は戦った経験なんてない。前世では一般的で平和に暮らしてきたし。人と関わらずにずっとぼっちだったので喧嘩すらしたことがない。


 それでも、不思議と怖くない。


「アマネちゃんは……私が守る……!」


 短く息を吐き、担ぐようにして掲げた剣を振り下ろした。ちょうど、そこへムラサメの腕が伸びてきた。


 ムラサメの拳が錆びた剣で真っ二つに裂ける。剣は錆びているのに、切れ味は抜群だ。


『グぎゃあああッ! お、オレの手ガぁああ!!』


「まだまだ……ッ!」


 今度は私が足を踏み込んだ。ムラサメの懐へ入ると、剣を叩きつける。


『グギャぁッ?!』


 剣が身体を裂いた。

 ムラサメの左腕が吹っ飛び、足が膝から下を失った。バランスを崩して倒れる巨体。すぐに起き上がろうとする彼の首へ剣を突き立てる。


『ひぎぃいっ!? こ、コロさないデくれ――』


「二度死んで……アマネちゃんに詫びろぉおおッ!!」


『グギャああああッッ!!??』


 私は彼の首へ剣を振り下ろした。

 錆びついた剣は、首のない魔物を盾真っ二つに切り裂いた。


 ムラサメの身体が黒い霧と化して空気に解けて消える。ゴトッという鈍い音と共に、彼のいた跡に魔石が落ちた。


 やった……今度こそアマネちゃんを守れたんだ!


 喜びが胸の奥から湧いてくる。ムラサメは前世で私を殺した仇であり、アマネちゃんを追い詰めた犯人なんだ。前世からずっと恨んでいた相手。一度死んだけど、復讐を果たせたことに達成感を覚えた。


 アマネちゃんへと振り返った。


 しかし、その途端に私は膝から崩れ落ちてしまった。床に両手をつくと、グッと身体が重くなるのを感じる。


「あ、あれ……力が入らない……」


「リオンさん!?」


 アマネちゃんの悲鳴に似た声がどこか遠くから聞こえるみたいだ。視界も徐々に暗くなって……あっ、もう……ダメ、だ。


 ドサッ、と床に倒れ込み、私は意識を手放した。


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