厄災はショッピングモールに降り立つ その①

 駅前の大型ショッピングモール一階、猫だか蛇だか猪だかよく分からんオブジェの前で、適当にスマホを眺めて時間を潰す。……にしてもこのオブジェ気持ち悪いな。何でこんなの置こうと思ったんだよ。子供が怖がるだろ。

 とまぁ、そんなことはどうでもいい。俺が今気にするべきは俺のことだ。

 第三者、すなわち道行く人々から見れば、今の俺は友達ないし彼女を待っているように映るだろう。仲の良い人と買い物。映画。カラオケ。その他諸々もろもろ。何だかそわそわするような、待ちきれない気持ちさえ感じ取るかもしれない。

 だが、それは全くの間違い。

 友達を待っている? 違う。

 彼女を待っている? 違う。

 妹を待っている? これも違う。

 俺が待っているのは、である。……いや、「俺が」「待っている」というのも違う。「残酷な運命が」俺を「待っている」。俺はただ、自分の運命を分かっていて、それに為す術もなくぼんやりと突っ立っているだけだ。

 俺の今の気持ちは、もはや逃れられないまでに迫った大災害を前に、深いため息をつくのに似ているかも知れない。

 パタパタという足音がこちらへ向かってくる。

 深呼吸し、俺は顔を上げる。


「お兄ちゃんお待たせー!」


 見えたのは、美少女。

 ゆったりとした白のワンピース、柔らかになびくブラウンのロングヘア、揺れる笑顔――とびきりの美少女が手を振りながら駆け寄ってくる様子はまるで天使。道行く誰もがそう思うだろう。

 否。

 俺は断じてそう思わない。

 皆、最高の第一印象に騙されるな。可憐な香りに惑わされるな。あれは、人の皮をかぶったわざわいだ。

 かくして俺の目の前までやってきた災いは、満点の笑顔を見せる。


「ごめんごめん! 待った?」

「待った」

「……は?」

「ひ、い、今来たとこ!」


 いや声ひっく! 怖すぎだろ! 妹の低音怖すぎだろ!


「……まったくもうお兄ちゃんは。次からそういう雰囲気壊す発言禁止!」

「えぇ~……」

「もしそういうこと言ったら、」


 早紀は、何かつまむときのような手を、空中で波を描くように横にうねうねと動かし。


「ね?」

「……はい」


 ……あ、ふ、ふぅん。

 口、縫われちゃうんだ。

「家出る時間わざわざずらしたのってさ、なんつーかこの、「待った?」「今来たとこ」のくだりがしたかっただけだろ?」

 喉の奥に装填されていたこの言葉をそっと取り外し、代わりに「とても楽しみですね」という言葉をふんわりゆら~っと発射した。




「お兄ちゃん、どれも面白そうだね! どの映画にする?」


 ついに幕を開けた「世界一可愛い妹とうきうきわくわくどきどきでーと!」。

 最初の関門は映画らしい。

 黒と赤を基調としたTAIHOシネマズの薄暗いロビーは、映画がこれから始まるという静かな興奮、感情に満ちた二時間へのじんわりとした期待を掻き立てる。……隣ではしゃいでいるのが妹でない時に限り。

 今はむしろこの薄暗さや静寂が、さながら夜の学校にいるかのような、心の内壁をじくじくと蝕むような恐怖にすら思えてしまう。


「ほらほら、どれがいい?」

「お、おぉ……」


 チケット販売機の上の大きなモニターには、今日やっている映画の数々とその上映予定時刻がずらりと表示されている。ちょうど今の時間から見るとなると……


「……あ、ん? ……え!? ちょ、おい、オースティン・パワーズじゃねぇか! オースティン・パワーズやってるぞこれ! 新しいの作ったのか……!? 全然知らなかった……! よしこれ見るぞこれ」

「お、おーすてぃんぱあーず?」


 オースティン・パワーズとは、……まぁなんだ、すごく簡単に言ってしまえば、下ネタで笑っちゃう男の子には最高の映画である。初めて見たときは笑いすぎて本当に呼吸ができなかった。俺が窒息というものを恐れるきっかけになった映画でもある。


「それって面白いの?」

「あぁ、これは生と死の狭間が見えるほど面白いぞ」

「例えはちょっとよく分かんないけど……面白いってどんなふうに?」

「……ん、まぁ、下ネタとか」


 下から覗き込んでくる早紀の無垢な瞳が、一瞬で濁った。


「ふぅん……目も’’ちくちく’’してあげよっか?」

「……あぁ、あの、ちょっと気が変わって、きょっ今日は恋愛映画の気分かなーって……」

「うん! じゃあ、『隣の席に君がいる』ってゆーのがちょうど今から始まるから、それ見よっか?」

「………………は、はい……。……あ、俺、チケット買いに行ってk……」

「あ、もう予約してあるから、これかざすだけでだいじょぶだよ」


 そう言って早紀はポーチからスマホを取り出し、QRコードが表示された画面を俺に見せてきた。


「え、あぁ……」

「私発券してくるから、お兄ちゃんはジュースとポップコーンをお願いね」

「……」

「あ、キャラメルのやつとカルピスね。それじゃよろしくー!」


 それだけ言い、早紀は券売機の方へ駆け出していく。

 ……えぇ、あぁ、そう。

 選択肢なんて、最初から無かったんだね。




 ……ふむ。

 早紀が選んだこの映画だが、なかなかどうして面白い。

 内容はありきたりな青春ラブコメディ。普段は目を合わせることさえなかったチャラ男と陰キャ女子が、席替えでたまたま隣同士になったことをきっかけに恋に落ちていく物語だ。

 高校の校風や教師の言葉がやや左に偏っていたり、校則が嘘みたいに厳しかったりなど所どころ気になる点はあるものの、様々な情景描写を通して思春期特有の複雑な内面が丁寧に表現されており、なおかつ俳優の演技も引き込まれるものがある。


『きょ、今日は、赤星あかほしくんと居れて、楽しかった。私こんな風に、友達と遊ぶの初めてだったから……。……あ、で、でも、こういうの、と、友達っていうより、なんか、その……』

『…………こ、恋人、みたいだな』

『……、……ん』


 うわぁぁ何これ超甘酸っぱいんですけど……! ダメだもう、死にそう! キュン死しそう! らめぇぇぇ! しんじゃうぅぅぅぅう!

 胸が締め付けられるような、甘く蕩けるような気持ち。甘いといえばポップコーン食ってなかったな……とふと思い出し、座席右側のバケットに手を伸ばすと、ちょんと、何かが手に触れた。


「「あっ」」


 思わず隣を見ると、早紀の大きな瞳と目が合う。


「「……」」


 闇の中でつっと輝く、濡れたブラウンの瞳。淡く金色に透き通る髪。僅かに開いた桜色の唇。

 真っ黒な暗闇が他の客や座席など何もかもを隠し、スクリーンから漏れた光が早紀の顔を赤く照らす。

 それはまるで、この暗い空間に自分と早紀以外誰もいないような、そんな錯覚を憶えてしまうような一瞬だった。


「……っ」


 早紀は、一瞬慌てたような表情になったかと思えば、ひゅっと前を向き、顔を隠すようにじっとスクリーンを見つめる。

 ……。

 ……なんだよ。

 ……ときめくかよ。

 何十回何百回握った手がちょびっと触れて、何千秒何万秒見つめ合った瞳とちょこっと目が合っただけだぞ。

 ときめかねぇ。なんもときめかねぇ。なんっっっっっっっっもときめかねぇ。

 もう、あの、いいから、そういうのやめろ。

 死にそうになる。




「「あっ」」


 ……。


「……あのさ、お前、わざと当ててきてない? 俺がポップコーン食べようとするたび…………い、いや、いいんだ、一緒に食べよう、な」

「……お兄ちゃん。上映中は、しー、だよ」

「……」


 ……へ、へぇ。「それ以上言ったら、’’死ー’’、だよ」ってワケだ。

 「ていうか、せっかくバケット二つ買ったんだから自分の食えよ」「あと、ちょいちょい俺のジュース飲んでるのも気づいてるからな」などなど言いたいことは山ほどあるが、ここは首筋に突き付けられた冷たい感覚に免じて心の中にしまっておくとしよう。

 ……こんなことなら、先程のときめきも返して欲しいものだが。

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ヤンデレ妹がイチャついてくる モノリシックサプレッサー @shuta_saiore

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