血の繋がった厄災 その②

 俺という思春期男子に死以上の苦しみを与えた妹は、尚も続ける。


「お、おかしくないよ! ……それに、お風呂も一人で入りたいって言うし……」

「いやいやおかしいでしょ! 風呂はもっとおかしいでしょ!」


 前述と同じ理由である。

 というか、お風呂ならさらに状況は加速する。……時は加速する!

 密室、二人きり。そこに「互いに裸」という条件が加われば一層ハードルは上がってしまう。

 その通り――妹の一糸纏わぬ姿が視覚情報として入ってきてしまうのだ。

 もう何だか高ぶってとてもリラックスなんてできない。

 最後に一緒に入ったときなんかは、俺の「俺」がスタンダップ・立ち上がリーヨ・イナズマチャレンジャーしてしまい、俺自身が立ち上がれなくなってしまった。

 やれ、俺がたまたま強靭な理性を有していたから良かったものの……。全く、俺の理性には感謝してほしいもんだよな。ありがとう理性、すごいぞ理性、理性可愛いよ理性!


 実の兄に地獄五周分の拷問を加えた妹は、またまた続ける。


「休みの日も、私じゃなくて他の女の子と遊ぶって言うし……。……前は、前は私とデートしてくれたのに。前は、映画行こう買い物行こうって言ってくれたのに」

「いや、それはさ……」

「……も、もしかしてお兄ちゃん、私のこと、嫌いになったの……?」

「いやそれはない絶対ない断じてないあり得ない万に一つもないお前次そんなデタラメ言ったらこの世から消すぞいいな」


 目の端にうっすらと涙を浮かべて恐る恐る聞いてくる早紀に、俺は思いつく限りの否定を早口でまくし立てた。……これ以上妹への愛をバカにすんのやったら、実妹やろうがころすで、俺は……。


「じゃっ、じゃあ……」

「……でも」


 でも。

 俺たち二人が道をあやまたないためには、ここでしっかり踏み止まるためには、これだけはしっかり言っておかねばならない。


「……でもな、その、もっと早く言わなきゃいけないことだったんだが、……高校生にもなって兄妹でイチャイチャしてるってのは、……まぁ、おかしいと思うんだよ」


 下を向いて、早紀の顔は見ずにそれだけ言い終えた。


「……分かった、お兄ちゃん」


 呼ばれ、顔を上げる。

 僅かに見上げた早紀の表情には、絶望も怒りも無く、ただにっこりとした微笑みがあるだけ。

 ……どうだ……? お分かりいただけた、か……?


「 ……十日市さんのこと、好きになったんでしょ」


 ……あっ、お分かりいただけてないですね。全然お分かりいただけてないですね。


「それで、日常的にベタベタしてくる私が鬱陶しくなって、私のこと避けるようになったんでしょ?」


「日常的にベタベタしてる」っていう自覚はあったのかよ。なら直せよ。


「……いや、ちが」

「そうでしょ!!」


 微笑みがパリンと砕け散り、その裏から、燃えるような憤怒の表情が現れた。

 妹の大きな声が耳にキンキンと響いて、思わず顔をしかめてしまう。


「そうじゃないと、お兄ちゃんはこんなに冷たくしないもん! ずっと温かくしてくれるもん!」


 ……いや、違うのよ。お前の基準で言う「冷たい」は、世間で言う「常温より少し熱い」だったのよ。お前の基準で言う「温かい」は、世間で言う「助からないレベルの全身火傷」だったって気づいたのよ。俺たち、産まれてこの方摂氏と華氏を間違えてきたのよ。

 しかし、丸十六年間間違え続けてきた妹は、さらに間違い続けるようで。


「あっ分かった分かった! お兄ちゃん、十日市さんに言われたんだ! 未だに妹なんかとベタベタしてるのって恥ずかしいよって!」


 お兄ちゃん、もっとたくさんの人に言われきたよ……。それを踏まえて今の状況なワケだから、本当にダメなお兄ちゃんで済まない。


「妹なんかよりもっと私とベタベタしようって! そうでしょ!」

「十日市はそんなこと言わないし、それもう付き合ってるじゃん……。完全にバカップルじゃん……」


 もはや俺の言葉など届いていないようで、早紀は俺の足元へよよと泣き崩れる。


「ううぅ……。私、捨てられるんだ……。お兄ちゃんに捨てられちゃうんだ……」

「その場合お前はどこに捨てられるんだよ……」


 というか妹って捨てられるのかよ。どこにどうやって、そしてどうなるんだよ。絶対捨てないけど。


「お兄ちゃんと十日市さんの家で、下女として一生こき使われるんだ……。そういう人生なんだ……うう、ぐすっ」

「いやいるじゃん……。俺に拾われてるじゃん……」


 一度捨てた女をもう一度拾って、新しい女との家でこき使うってもうどういうことだよ。それ俺? そのクズ男本当に俺? 後世に名が残るレベルのクズ。あと、一度捨てられたのにホイホイついて行っちゃうお前もお前だからな。


「……それでも結局私の方が良くて、十日市さんが見てないところでいちゃつくんだあぁ……ひぐっ、ううぅ……」

「お前エンドなのかよ……」


 妹のシナリオが昼ドラ顔負けのドロドロっぷりだった件。……あと、忘れてるかもしれないけどお前って俺の妹だからな?


「……お兄ちゃん、大人になったら結婚しようって言ってくれたのに……!」


 ……それ言ったの多分お前なんだよなぁ……。


「まぁ、兄妹がいくら愛し合っても、それは司法が許してくれねーからな。仕方ないな」

「……そんなこと言って、お兄ちゃんは私を捨てる気だもん……! いっつも司法を言い訳にするもん……!」

「司法を言い訳にしない行動ってそれ犯罪だからね?」

「……もう、私はお兄ちゃんに愛してもらえない……。ううぅ……」


 人の話聞け? お前、本当に俺と話してるんだよね? 俺の部屋に来て、そして俺の目の前でクソデカ独り言とかだったら俺はお前に医療機関の受診を勧めなければならなくなる。


「……愛してくれない……愛してくれない……お兄ちゃんが、愛してくれない……」


 膝を抱え、虚ろな瞳でそう繰り返す妹。

 ……おや、何だ、すごく嫌な予感がする。何だろう、嫌な予感がするのでやめてもらっていいですか?


「……おい、早紀? 大丈夫か?」


 俺の言葉にも耳を貸さず、早紀はただ延々と「愛されない……」と呟き続ける。

 ……これマズい流れだ。一番マズい流れに入ったかもしれない。

 ……生きねば。


「お兄ちゃんは、あたしを愛してくれない……。……」


 そう言って、早紀は背中に手を回す。

 不審に思ってそのまま見ていると、再びあらわになった早紀の右手には、部屋のライトを浴びて鼠色に輝く、一本の包丁が握られていた。


「……お兄ちゃん……」

「ちょっと何だよそれどこから出したんだよ危ないだろやめろよ台所に戻してこいよ!」

「愛してくれないなら、もう、いいから……。ね?」

「違うよ愛してるよ好きだよお前のことが大好きだよ言わせんな恥ずかしい」


 言うと、早紀はぽかんとしたような表情になり、ゆっくりとした口調で聞いてくる。


「……本当に好き? 十日市さんよりも?」

「いや、あー……。えっと、それはさ、妹への愛は家族愛、それ以外はまた別なワケで、妹と他の女性は比べることは……」

「……」

「やっぱ早紀しかあり得ねぇわ。うん、断然早紀だな。早紀大好き、もう超好き。宇宙一好きだから、刃をこちらに向けないで貰えませんか?」

「本当……? 私のこと、ちゃんと愛してる?」

「ああもう超愛してる、愛しまくってるわ。この世界の誰よりも愛してる。いつもお前のことばっか考えてるから、包丁を首元に突き付けないでくれませんか?」

「……私のこと愛してるんだよね?」

「おうよ!」

「じゃあさ、、どうする?」

「え?」

「明日の予定。十日市と遊びに行く予定だったんでしょ? ?」

「どっ、どうするって……」

「それともお空に行きたい?」


 ……刃先が、冷たい。


「…………お、お前と遊ぶ」

「ほんと!? やったぁ! お兄ちゃん大好きー!」

「……」


 御覧の通り。

 最近はずっと、こんな感じである。

 こんな兄妹、やっぱり変ですか?

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