ヤンデレ妹がイチャついてくる

モノリシックサプレッサー

血の繋がった厄災 その①

「コンコン」


 背後から聞こえる、控えめなノック音。

 両親はまだ帰って来ていないので、俺の部屋を訪れるのはただ一人しかいない。


「お兄ちゃん、入っていい?」


 そう。世界一可愛い、俺の妹である。


「おう」

「お邪魔しまーす」


 読んでいた文庫本を閉じて振り返ると、ガチャリとドアが開き、一人の美少女が部屋に入ってきた。


「お兄ちゃん……、今、暇?」

「ああ、まぁな」


 艶やかなブラウンの髪。ぱっちりと開かれた大きな目。陶磁器のように白く透き通る肌。人形のように整った顔立ち。

 俺の妹、城ケ崎早紀である。


「何読んでたの?」


 早紀は、勉強机に向かう俺の背後までやって来て、綺麗な顔をすっと近づけて俺を覗き込んできて。

 柔らかなロングヘアーがゆったり揺れ、フローラルのような甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 この優しい瞳も、少し火照った頬も、あどけない表情も。

 俺の妹は、本当にいつ見ても可愛い。

 笑った顔が可愛い。泣いた顔が可愛い。怒った顔が可愛い。寝ている顔が可愛い。

 いつもいつでも、どこまでも可愛い俺の妹。俺は、そんな妹が大好きだ。

 ……大好きなのだが。


「え? ああ、まぁ、太宰治だけど」

「ふーん……。じゃあ表紙の美少女は誰?」

「………………めぐみんです」

「……ふーん……。へ、へぇ、そんな子が好きなんだ」

「ま、まぁ、推しが誰かって聞かれたらこいつになるかな」

「いや、推しとかそういう軽いのじゃなくて、ほら、その……い、異性として好きなのかなーってことなんだけど、ね?」

「……なぁお前、別に二次元に焼きもち焼かなくても……」

「やっ、焼いてないし! 気になっただけだし!」


 拗ねたようにそっぽを向いて、ちっちゃな口をごにょごにょと動かす早紀。

 些細な表情の変化も、ほんのちょっとした仕草も何につけても可愛い。

 ……可愛いのだが。


「とっ、ところでさ、今日のお弁当どうだった?」

「ああ、引くほど美味かったぞ」

「本当!? 良かった!」


 実際、早紀の料理は引くほど美味い。

 食べている途中、「人間風情が、しかも俺くらいの身分の者が口にしていいのか……?」という疑問に頭を悩ますのは珍しくない。

 一たび妹の料理が世に出てしまえば全世界の飲食業が破滅の道を辿るのはもはや自明。六大陸は路頭に迷う人々で溢れかえり、妹の卵焼き一つで戦争に発展することも考えうる。

 以上の理由から「コックさんになりたい!」という妹の夢に反対したどうも俺です。


「ちょっとだけ味付けを変えてみたんだけど……気づいた?」

「あー、確かにちょっと変わってたな。でも美味かった」


 よく考えたら、六大陸って南極も入ってるんだった。アネクメーネ(人間が定住不可能な地域)にすらしかばねの山を築いてしまうのか……我が妹、恐るべし。


「へへ、ありがと。……それはそうと、お兄ちゃん、明日って……空いてる?」

「明日……明日ねぇ……。明日はアレだ、ホラ、友達と遊ぶんだわ」

「? 友達?」

「ああ、友達ってのはな、互いに心を許し合って、一緒に遊んだり喋ったりする人のことだ」

「……そんなのは知ってるし! その友達が誰かってこと!」

「……いやお前、たぶん言っても分かんないぞ?」

「それでもいいから、言ってよ」


 早紀がここまで食い下がってくるのは良くあることだ。

 ……ちょっと前までは、こんなんじゃなかった。


「ええぇ~? ……じゃまぁ、えっとホラ、あの、も、本村とか」


 言った途端、早紀の顔に貼り付いていた表情ががらんと剥がれ落ちた。

 現れたのは、血の気の引いた冷たい真顔。底の見えない、真っ暗な目。

 この顔、この目だけは――可愛く思えない。


「……どうして嘘つくの?」

「……は?」

「お兄ちゃんの身の回りの本村って、校長先生しかいないもん」

「……」


 なんで知ってんだよ……。

 俺の交友関係を把握してるのもヤバいけど、校長まで織り込んで回答するのもヤバい。何がヤバいってマジでヤバい。

 ……そう、である。こそ、逆接に続くべき内容。


「ね、答えて? 、誰と行くの?」

「……アレね、勘違いしないでね、同じアニメが好きでね、そのアニメの映画の公開日が明日だから、ファンとして初日に行かないワケにはいかないよねって……」

「私は、誰?って聞いてるの」

「…………十日市」

「お兄ちゃんと同じクラスの、出席番号17番の人?」


 ……何で割れてんだよ……。もう怖いよ、怖い。


「……ぅん、まぁ、その人、かな?」

「………………お兄ちゃんさ」


 そう言って、早紀はすっと下を向いた。

 垂れ下がった前髪が彼女の表情を隠す。


「最近、冷たくなったよね」

「……いや、そんな……」

「絶対、ぜーったい冷たくなったよ。だってさ、」


 言いつつ、早紀がおもてを上げて俺を見る。

 悲しみと怒りが交じり合った、今にも泣きだしそうな顔があった。


「お兄ちゃん、高校に入ってから一緒に寝てくれなくなったし……」

「……違うそれはね、違うの。よく考えてな、そもそも兄と妹が一緒に寝るってのはかなり珍しいし、その上中学までってのは一般的に考えておかしいじゃん?」


 本当はもっと別な理由がある。

 ……まぁその、なんだ、つまり、兄ちゃんも男だってことよ。

 妹と言えど一人の女性、兄と言えど一人の男性。

 ベッドの中で二人きりという一触即発の状況において、「妹だから」という倫理的価値観と司法による二重束縛ダブルバインド

 欲望のほとばしりが最大値を取るとき、倫理的リスクも最大値を取る。しがない童貞にとっては余りにも過酷すぎる状況。

 忙しない日常から離れた、最高の安らぎの時間である睡眠。そのはずが、理性という頼りないナイフ一本だけでとめどなく湧き上がってくる欲望に立ち向かう、何ともギリギリな時間に。例えて言うなら――「えっ!? アルバトリオンっすよ!? 剥ぎ取りナイフだけで倒せって言うんですか!?」な感じ。

 お陰で寝不足・欲求不満ですよこっちは。

 やりたい盛りの思春期男子かつ明日も学校がある高校生の身には――こんなもの拷問以外の何でもない。

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