第17話 優と――

 優に物心がついてすぐの事。二人は母親に売り飛ばされた。


 優は三歳。彼は二歳の頃の出来事だ。


 売り飛ばされた先はとある政治家の下。名前はもうシル達の脳内から忘却されている。


「優、そして――優一。今日から二人は私達の子供だよ」


 二人とも、名前はなかった。母親から愛情と言うものを教えられずに育ったから。


 その政治家が二人をそう名付けた理由は特にない。ただ、彼の友人に似たような名前の人が居たからそれを拝借しただけ。

 その優しさとは無縁な環境に。二人は身を置いてしまった。


 優は子供ながらに母親から捨てられたと理解していた。それでも、大切な弟を――優一を絶対に守ろうと。そう決意をしていた。


 そんな決意は――早々に打ち砕かれる事となる。



「やめて……! 優一をいじめないで……!」



 ゴムまりのように地面をバウンドする彼の姿を見ながら。優は泣き叫んだ。



 痛い、という事に気づくのが遅れる程に幼い男児を。ぶくぶくと太りきった中年の男が蹴り飛ばす。



 優は悲鳴を上げながらも弟を守ろうとするが。その手足に付けられた枷のせいで満足に動く事も出来ない。


「ほほ、良い。良いぞ! やはり子供の泣き喚く顔は良い!」


 その男は醜く笑い。優へと近寄ってきた。


 そのまま優の頭を鷲掴みにし。無理やり顔を合わせる。


 その臭い息を優に吐きかけながら。男は言った。


「安心したまえ、君が十の歳になれば役目は交換だ。そこからは誠心誠意私に……私達に尽くしてもらおう」


 まだその言葉の意味すら理解出来ないまま。優は涙混じりの瞳を鋭く、彼を睨みつけた。


「……気に食わんな」


 彼は優を投げ捨て、まだ状況を満足に理解出来ない彼へと向かう。



「……ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 許して……ください」


 不幸な事に……優は頭が良かった。天才と呼んでも差支えがない。……だからこそ、自分のせいで優一が殴られるのだと。さとってしまった。


 優は必死に男を止めようとそう言うも。男には届かない。



 暗い部屋に鈍い音と悲鳴が轟くのは。同時の事であった。


 ◆◆◆


 それから三年経っても。状況は良くなるどころか悪くなる一方だった。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


 優は必死に主人に諂い。少しでも弟の待遇が良くなるよう願った。


 しかし――そんな思いも虚しく。


「ぅ、あああああああああ!」


 幼い子供の悲鳴が上がる。そこには――椅子に座らされた男の子と。その手の甲に釘を刺す中年の男が居た。


「好い声を上げる。くく……この歳は男児であろうと女子おなごのような声を上げる。キくねえ」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる男に。彼は幼い子供とは思えない……憎悪の視線を向ける。


 その時、備え付けられていた扉が開いた。


「ご主人様。客人がお見えになっています」


 それはメイド服を着けた……十数歳の子供であった。


「ふん、邪魔をしおって。……あー、誰だったか」

「アルナでございます、旦那様」

「ふん、まあいい。アルナ、もてなす準備をしておけ」

「……はっ」

「ああ、その前に処置の箱だけ持ってこい。優に手当だけさせておけ」

「承知しました」


 そうして、二人は居なくなり……その場には兄妹のみが残された。


「ゆ、優一!」

「その名前で……呼ばないでくれ、姉ちゃん」


 優一はその名で呼ばれる事を極端に嫌った。あくまでその名前は非道な政治家に名付けられたもの。彼は優しくしてくれる姉に……そう呼んで欲しくなかった。


 まるで、姉まで彼らと同じになってしまったかと錯覚しそうだったから。

 だから、彼は自分の名を呼ぶなと言った。同様に、彼は優の事を決して名前で呼ばない。


「……ご、ごめん。なさい」


 優もこの状況に身を、そして心をすり減らしていた。大好きな弟を傷つけられ。きっと、傷つけられる理由の一つである自分を嫌っていると思い込んでいたから。


 でも、どれだけ嫌われても自分からは嫌いになったりしない。優は何があっても彼を愛し続けると決めていた。


 やがて、そのメイドが救急箱と鍵を持ってきた。優と彼の拘束を外し。そして、彼の手のひらに突き刺さっている釘を抜いた。


「処置は可能ですか」

「……はい。慣れました」


 優はそう言って、救急箱から慣れた手際で消毒液や包帯、ガーゼなどを取り出した。


「ごめんね、すぐ終わらせるから。ちょっとの間我慢して」


 優はその目に涙を浮かべながらも。彼の処置をした。


「治療を終え次第部屋へと向かってください。言っておきますが、この屋敷は子供二人で逃げられるほど簡単な作りになっていません。私はお客様の『相手』をしなければいけませんので。それでは」


 そして、メイドが去り。姉弟は取り残された。


 優は弟の怪我をしていない方の手を取って。割り当てられた部屋へと戻る。


 部屋は普通の部屋だ。……しかし、二人に当てられる食事はほとんど無いと言っても同然だ。


 一日に一度。パン一つと、一切れのバター。週に一度、紙と同じぐらいの薄さの肉が付くぐらいだ。


 皿やナイフもない。紙に包まれたそれが支給されるのみ。


「待ってね、今バター塗ってあげるから」


 優は自分の手が汚れる事を厭わずにバターをパンに塗る。そして。


「はい、どうぞ。よく噛んで飲み込んでね。私はお腹すいてないから、ゆう――えっと、とにかく食べて」

「……姉ちゃんも食べて。体が持たない」

「お姉ちゃんは大丈夫! お姉ちゃんだから!」


 優はそう言うが。次の瞬間、くぅと可愛らしい音が優のお腹から響いた。


「……姉ちゃん」

「も、もう、わがままなお腹さんだね、気にしなくて良いからね?」

「……半分」


 ジトッとした目で弟に見られ。優はうっと声を漏らした。


「で、でも……」

「半分」


 その瞳にじっと見られ……優はついに、根負けした。


 そのパンを半分に分ける。……半分、と言うには少々比重が偏っていたが。


「こ、これなら問題ないでしょ!?」


 彼はじっとそれを見て……しかたないと頷いた。


 優はそれにホッとしながら。食べさせたのであった。



 この時はまだ、こうした小さな幸せは残っていた。




 ◆◆◆


「明日からお前らの部屋を分ける」


 その言葉は唐突なものであった。


「な、なん……で」

「やりたい事があってな?」


 優の顔を見て、そのでっぷりとした男はニヤリと笑った。それにゾクッと背筋を震わせながらも。優は首を振った。


「い、嫌……です」


 優は弟が大好きであった。一時も離れたくない。ずっと一緒に居たいと思っていたから。


「これは決定事項だ」


 しかし、優の言葉はそう切り捨てられた。そのまま弟は連れ去られていく。


「ああ、一週間後。また会わせてやろう。それまでは部屋から出るな。一歩たりとも」


 その非情な言葉と共に、弟は連れ去られた。



 優はその時初めて。一人になった。




 ――一週間後。優は言われた通り、彼と会える事になった。


 やっと会える。不安もあったが、嬉しさの方が強かった。


 しかし、何故か案内された場所は地下であった。


 地下には弟が非道な扱いをされる施設と……牢屋しかなかったはずだ。


 優の頭に嫌な想像がよぎった。


 そして――その想像は。当たってしまっていた。


「さあ、ここに優一は居るぞ?」


 そうして連れてこられたのは……牢屋。その中に、彼。優一は居た。



 横になって、ピクリとも動かない。


「……ッ」


 優はすぐさま駆け寄った。牢屋の鍵は開いていて、中に入る。


 それでも、彼は動かない。どうにか仰向けにすると……息をしている事は分かった。



 最悪の結果は免れた事に優はホッとしながらも。優の焦りは消えない。


「どこか痛いの!? どうしたの!?」


 優がそう叫ぶと。……彼の唇が微かに動いた。



 み、ず


 ……と。


「みず、えっと、お水は……ちょっと待ってね」


 優は振り向くも……あの憎たらしい男はニヤニヤと笑うのみ。


 それなら、と。優は一つ思いついた。


「少し、待っててね」


 優はそう言って。もごもごと口の中を動かし、そして――




 弟の。優一の口へと唇を付けた。



 そのまま優は。口の中に溜め込んでいた唾液を流し込む。


 何度も。唾液が枯れるまで、流し込んだ。



「けほっけほっ。少し、まっ……てね」


 口の中がカラカラになって、もう唾液が出なくなっても。また一つ、優は思いついた事があった。




 優がその舌を噛み切ろうとした時。その服を引っ張られた。


 誰かと振り向けば――あのメイドであった。


「旦那様からの命令です。『部屋に戻れ』と」

「で、でも!」

「……旦那様はそう簡単に人を死なせる事はありません。現に、この後水と食料を持ってくるよう申し付けられました。部屋に戻ってください」


 優はメイドの言葉にまた言い返そうとして……やめた。


 その目は悔しそうにしていたが。そうするだけで……何もできなかった。



 ◆◆◆


 それから、一週間に一度。優は弟と会う事を許可された。


 しかし……毎度、会う度にその体はボロボロになっていた。


 前のように脱水症状と栄養失調に見舞われた時もあれば。また体がボロボロになっている時もあった。


 そして……何より。見る度に、彼の精神が崩壊していくのが優は分かった。


 その目は虚ろになって。その光は消えていなかったけど……少しずつ。変化が生じた、



 気持ちよさそうに。笑うのだ。



「しっかり……しっかりして!」

 優がそう呼びかけても。彼は口の端を歪めるのみ。


 薬物を摂取した廃人のように。笑っていた。


 ◆◆◆


 優が九歳になり。また、誕生日が近づいてきた。


 十歳になれば、役目は交換される。やっと彼が開放されると優はホッとしながら……早く日が経つのを待っていた。その時。


「また部屋を戻す」


 そう言われて。優は弟と同じ部屋に戻った。


 彼の体に生傷は絶えない。しかし、前程……生と死の狭間を行き来していた時よりはずっとマシだ。


 また同じ部屋に戻れて。もう、酷い事はされないだろうと思いながら。優は彼を出迎える。しかし――


 彼は部屋に入ってきても優に構うこと無く。ベッドへと倒れ込んだ。


 そのまま。彼はポツリと呟いた。


「……なあ、姉ちゃん。俺な、壊れちまッた」


 その言葉はとても悲痛で。でも、優は聞き届けなければいけないと思った。


「死にかける度に。体がどうしようもないくらいフワフワして、気持ちイイんだ。ああ、俺。生きてるんだッて。それで、それが無くなると。自分が生きてるのか、死んでるのかも分からなくなる」


 優の瞳からポロリと。涙が零れ落ちた。


「今じゃァ、もう。アレが無いと耐えられないんだ」

「……」

 優はそのまま、とて、とてと歩いて。


 彼に覆い被さるように抱きついた。


「……でも、別に死にたいとは思わない。殺したい。アイツを。壊したい、こんなクソみたいな世の中」


 彼はそう、汚く罵った。優はただ、ポロポロと涙をこぼす。


「ごめん、ごめん……なさい」

「それでな? 多分、殺したら……さぞや気持ちイイんだろうなッて思うんだ」


 優の言葉すら耳に入らず。彼はただ、話し続けた。


 自分が壊れたという。その事実を。


 ◆◆◆


 その日は満月の夜であった。


 優は朝から身を清めるように言われ。弟と共に地下へ来るよう言われた。


 ああ、これでやっと。弟の身代わりになれる。これからはやっと、弟を守る事が出来る。


 知識はあのメイドから授けられた。なんでも、優はあのメイドの後継になるとの事。


 彼と手を繋いで。廊下を歩く。すると。彼はピタリと足を止めた。


「……姉ちゃん、逃げよう」



 その唐突な言葉に……優は目を丸くした。


「……どうして? もう怖い目に遭う事は無いんだよ」

「……ッ、俺は。もうダメだ。でも、姉ちゃんはまだ引き返せるッ! 逃げよう、とにかく」


 彼は心を壊した。しかし、それでも。


 優が居たから。歪ではありながらも、ちぐはぐに繋ぎ止められていた。


 ……実はそれもあの男の謀略であった。一度心を取り戻させ。目の前で大切な人が苦痛な目に遭うのを見せ。心をより歪ませる。





 しかし――


「やっと、見つけた」


 その謀略が叶う事はなかった訳だが。



 ◆◆◆


 優と彼は『エルリック』と呼ばれる男と共に暮らす事となった。

 しかし……日常が帰ってくるのは遅すぎた。


「絶ッッッ対ェ殺すッ」


 彼はその瞳に常に狂気を、憎悪を纏っていた。


 その憎悪は決して弱まる事が無く。優がどれだけ話しても、何をしても効果がなかった。


 それに加え。彼は眠る度にその時の事を思い出し、満足に眠る事が出来なかったのだ。


「……ダメ! 私が殺すの!」



 でも。優だって諦めない。


 もし、彼が人を殺せば――もう、絶対に戻って来れないと。本能で悟っていたから。


 だから、彼がやるくらいなら私が殺す。もう、彼は休んでいいのだ。


 その為に。エルリックの部屋に忍び込んで、メイドに張形を使って仕込まれた『御奉仕』をすれば、とも考えたが。それはエルリックに断られた。

 自分にやるくらいなら愛する弟とでもしておいた方が良い、と言われ。優は引き下がった。



 そうして日々を過ごしていると。ついに、復讐のチャンスが訪れてしまった。



「【解放ディミティス】……お前達の父さんが作ったレジスタンス……あー、革命……って言っても難しいか。とにかく、【解放】という組織を復活させる。それを世界に知らしめるために、あの国を潰す。その宣戦布告としてお前達を買い取った政治家を殺すつもりだ」

「俺も行く」


 エルリックの言葉に彼は即答した。エルリックはため息を吐きながらも……二人を見た。


「連れていくのは一人。もう一人は日本ここで留守番だ。連れていくにしても一年後とかそこらになるが」


 その言葉に彼の眉がひくついた。なんとなく、続く言葉が予想出来たからだろう。


「それで、どっちが行くのか、だが。優を連れて行こうと思う」

「はァ!? なんッでだよッ!」


 エルリックの言葉に当然彼は荒れた。しかし、優は心の底から。ホッとしていた。


「お前は暴走する可能性が高いからだ。……優はそれで良いか?」

「はい。ありがとうございます」


 そして、その続く言葉に優は頷き。静かに拳を握った。


 これで私がちゃんと殺せたら、弟もきっと……いつか。元通りになってくれるだろうと信じて。



 ◆◆◆













 失敗、した。










 殺せなかった。








 怖くなった。人の人生を奪う事に。





「ご、ごめ、なさ……」



 優はただ、謝る事しか出来なかった。己の不甲斐なさを呪った。


 そんな優の頭に。エルリックはぽん、と手を置いた。


「気に病むこたァない。全部想定通りだ」


 その言葉に。優は涙を流しながらも目を見開いた。


「……ど、どういう……事ですか」

「殺しはな。パズルのピースみたいなものだ。その中でもとびきり歪な形をしていて、歪んだ盤面にしか当てはまらない。……歪んだ正義を持った者とかはそうだな。心自体が歪んでいる。それと」


 エルリックは優をじっと見た。



「憎しみ。心の底から、他者を殺したいと願っている者」


 優は自分の手で。エルリックの手を払い落とした。


「弟が……優一がそうだって言いたいんですか!?」

「優一……? ああ、あいつの名前。そんな名前だったんだな。その通りだ。彼は歪められた。もう普通に日常生活を送れないレベルで」

「……か、勝手なこと言わないで!」


 優は叫んだ。その叫びをエルリックは聞く。


「優一はすっごい良い子で、優しい子なんです!か、勝手に日常生活を送れないとか……そんな事、言わないでください!」

「……そうであって欲しい、と思うさ。俺だって」


 エルリックは手を組み。俯いた。


「……あいつは、俺に似てる。復讐の事しか頭になかった俺と。同志と。同じ目をしてるんだよ」


 その言葉は悔しそうで。どこか辛そうに聞こえた。


「一度歪んでしまった盤面にマトモな欠片ピースは入らない。無理やり入れようとしたら壊れるか、綻びが生じる」


 エルリックの瞳は……優を見ているようで、しかし。それよりもっと遠くを見ているように思えた。


「当然、彼が悪い訳じゃない。悪いのはあの政治家とお前達の母親と……父親だ」


 その言葉を静かに。優は聞く。


「お前の父親は反社会的組織に属していた事もあって、子供は認知しない方針でいた。母親との繋がりも消し、子供を育てるのに十分なお金を渡した……はずなんだが。その判断自体が間違いだった」


 エルリックは難しそうな顔で目を瞑った。


「……それは置いておこう。とにかく。お前達の父親がやった責任は取るつもりだ。優。お前は普通の学校に通い、普通に暮らせ」

「……優一は」

「【解放】で雇う」


 優はその言葉に歯軋りをした。


「……それって」

「ああ。彼には【殺し屋】として働いて貰う。……もちろん、殺せないなら殺せないでそれが一番だし、俺から勧誘するつもりはない。普通の生活を望むのなら優と共に暮らしてもらう。彼が自分の意思で働きたいと願えば受け入れる。それだけの話だ」


 優は拳を握りしめ。血が出る程に唇を噛んだ。


「ただし」


 その言葉に優はハッとして。エルリックを見た。


「憎しみに狂った者が全員、狂ったまま死んだ訳では無い。復讐に満足し……大切な人が出来れば。普通の生活に戻れた者はゼロではない。……そうでなくとも、大切な人が居れば自爆特攻のように自分の命を粗末に扱う事は無くなる」


 エルリックもじっと。優を見た。


「彼が今唯一心を許しているのは優。君だけだ。もしかしたら……いつか、戻れる日が来るかもしれない」


 それは都合のいい事だと。荒波に揉まれていた優はそれとなく理解していた。


 でも、それでも。彼が普通に過ごせる日が来るのなら。


「……分かり……ました」


 彼の支えになろうと。そう思った。


 ◆◆◆


 あれから十数年が経った。彼は未だに狂い続けている。


 ……でも。優のお陰で。その行動の奥底には優しさが見え隠れしていた。


 彼は獣だ。でも、知性のある獣だ。


 彼のこれまでの功績は大きい。


 時には戦争を仕掛けようとしていた悪政者の暗殺。

 時には戦争の火種を生み出そうとした暗殺組織の壊滅。


 それに加え……人身売買の摘発なども。数十件とかそのレベルでは無い。


 頭が潰れた所でまた新しい頭が出てくる。しかし、それすらも【気まぐれな猫】と呼ばれる情報屋から情報を貰い、潰す。


 どれだけ危機的な状況も覆す彼は、【起死回生】として。国際的に指名手配をされた。


「今日は……お魚にしようかな」


 彼は最初に比べると、帰ってくる頻度はかなり減った。どうやら、仲間……彼女? も出来たみたいだから仕方ないのかもしれない。


 でも、週に一度は帰ってくる。今日は彼の好きな魚の煮付けにしようと買い物をしていたときであった。


「ねえねえ、知ってる? あの【起死回生】が捕まったってよ?」


 そんな会話を耳にした。


 優はスマホを取り出し。ニュースサイトを回る。すると、すぐにその見出しは見つかった。


『【起死回生】遂に確保。【解放】の壊滅の糸口となるか!?』


 その内容は、要約すると【起死回生】が捕らえられた。それのみである。


 優は買い物カゴを置いて。すぐ家に帰った。


「どういう事なんですか!? 彼が捕まったって……」

『……優か。どこまで知っている?』

「彼が捕まった……ぐらいです」

『……そうか』


 エルリック……【解放】のボスは言葉を渋った。


 言えば。優が助けに行くと思ったから。


「ボスが教えてくれないのなら。【猫】に聞きます」

 しかし、優はそう言った。

『待て待て。一人では危険だ』

「問題ありません。これでも……鍛えてます。時折弟からも指南を受けています。弟も模擬戦は楽しみにしてくれてるんですよ?」


 優は鍛えていた。いつか……こういう事があった際、真っ先に助けに行けるように。


 彼にはあくまで護身用、という名目で模擬戦をしたりもした。


 ……彼が楽しみにしていた、というのも本当の事である。【解放】の中でも彼と対等に戦えるのはボスのみ。……そして、【解放】以外だと。優くらいであった。


『わ、分かった。分かったから。情報は全て渡そう。幸い、【気まぐれな猫】から【ナイン】が捕まっている所の情報は聞いている』

「……ありがとうございます。すぐ聞きに行きます」

『……すぐ?』

「はい。それでは半日後にお会いしましょう」


 優は電話を切り。すぐにアジトのある国へと向かった。


 ◆◆◆


「なんッで来やがッた、姉貴」

「弟を助けに行くのに理由なんか要らないでしょ?」


 優はその髪を……彼のように、血で赤く染めながら。


 彼の捕らえられている監獄へと辿り着いた。


「……何人殺した?」

「さあ? 百は行ってないはずよ」

「……姉貴」

「そんな顔しない。男前が台無しだぞ」

 優は彼の頭を優しく撫で。そして、懐から包帯やガーゼなどを取り出した。


「時間は稼いでおいたから。応急処置だけしたら出よっか」


 そのまま優は座り。彼の体を消毒し、包帯を巻いた。


「こうしてるとさ。昔、思い出すね」

「……あァ」


 優は彼の腕に包帯を巻きながら。そう、呟いた。


「……ごめんね、だめなお姉ちゃんでもっと……上手く立ち回れたのかもしれないのに」

「姉貴ァなんも悪くねェだろ。悪かッたのはあのクソ野郎だ。……俺ァ、姉貴が居たから生きてこられたんだ。気に負う必要はねェ」


 彼のその言葉に。優はクスリと笑った。


「……やっぱり優しいね、優一は」

「その名前で……まあいい。それより早く帰ンぞ。腹ァ減ったからな」

「うん、帰りも任せて」


 優はそう言って。バタバタと駆け足でくる音を聞きながら。



「……もう、優一だけに背負わせたりしないから」


 そう言って微笑んだのだった。


 ◆◆◆


「〜〜♪」

 最近、ほとんど彼は帰ってこなくなった。でも、今日、やっと帰ってきてくれるらしい。


 奮発して高いステーキ肉も買ってしまった。どうやら彼の大切な人も来るらしいし、楽しみだ。


「いつ来るかな、もうすぐかな」


 優は機嫌が良さそうに鼻歌を歌う。


 何せ、彼を助けてからは。指名手配をされたから、山奥に居住地を移したのだ。


 そうして料理の準備をしていると……優のスマホが鳴った。


 優は誰だろうと思いながらも手を洗い、スマホを取る。


 相手は……


「……どうしました? ボス」

『……優。落ち着いて聞いて欲しい』


 ボスの悲しそうな声。優は初めて聞くその声に戸惑いながらも……話に耳を傾けた。










『【ナイン】が……優一が。死んだ』









 優は一瞬、何を言っているのか分からなかった。



「うそ、ですよね」




『……本当だ。【天使】を撃退しようとし、相打ち。その後、複数の【天使】に囲まれたものの、シルヴィを連れて拠点まで戻るが……力尽きた』


 優はスマホを取り落とした。


 優の手から。足から力が抜けていく。



 優はそのまま。静かに泣いた。


『……優。彼からの手紙を預かっている。近いうちに取りに来て欲しい』

「分かり、ました」


 次の日取りに行った手紙には……優に対する感謝の気持ちと。シルヴィの面倒を見て欲しいとの旨が記されていた。


「優一は……そこまで考えてくれてたんだ」


 シルヴィの面倒を見る。一見、シルヴィの身を案じているようにも見えるが。


 その裏には……弟を。大切な人を失って、自分まで見失わないよう。彼の配慮が込められていたのがすぐに分かった。



 その手紙を胸に抱き。優は、また静かに……泣いたのだった。


 そして、シルヴィを受け入れてからは。決して悲しい顔を見せないよう、笑顔を浮かべるようになった。

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地獄の沙汰も腕次第 皐月陽龍 「他校の氷姫」2巻電撃文庫 1 @HIRYU05281

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