第16話 優V天使集団
「……ぐっ」
「ああ、やっと起きてくれましたぁ。もう、動く玩具が動くなっちゃったらそれはもうガラクタでしかないんですよぉ。彼も目覚めちゃいましたし。……まあ、それは別に良いんですけどねぇ」
間延びした――しかし、聞くだけで耳が癒される天上の声。
そんな声と共に彼――エルリックは起こされた。
その腹には。熾天使の手が刺さっていた。
ズボリとその手が抜かれると、血が溢れ出す。今までとは比にならない量の血液が。
「ガハッ」
その口からも血が零れ。熾天使の顔を汚した。
「あれぇ? もしかしてやっぱり終わりなんですかァ?」
熾天使の面白くなさそうな言葉に。エルリックは笑った。
「……なぁ、アンタ。アンタの目的は一体なんだ?」
「この世から人類を滅ぼす事です。再構築と言った方が分かりやすいですか?」
「それは、老若男女構わず。って事か?」
「……? ええ、はい。そうですよ?」
その言葉と共に。ボスは空を仰いだ。
「……そんな世界。お前が望むはず無ェもんな」
そして。カリ、と。その奥歯に仕込んでいた劇毒を食らう。
ドクン、とその心臓が強く鳴った。
同時に抉れた箇所から血が溢れ出したが。彼はそんな事、気にしない。
「一分、ってとこか。最後まで抗わせてもらうぜ。クソ天使」
「……ふふ。口だけにはしないで欲しい所です」
ボスは誰かと同じように嗤い。地を蹴ってその拳を突き出す。
それは、残像を残して消えるほど素早く。地へと向ければ地割れを起こす程の威力を持っている。人外をも打ち砕く一撃。
しかし――そんな一撃は。
ダン、と。不可視の壁に遮られた。
「……ァ?」
「……くく。ふふふ」
熾天使はそれを見て。笑った。
「あーっはははははははは」
笑った。
「……なん、だ」
しかし、戸惑う暇は無い。再び地を蹴り。彼は何度も攻撃を繰り出すが。
その壁に阻まれてしまう。
「……ふふ。……ああ、素晴らしい。神よ。貴方はなんと素晴らしい生き物を作ってくれたのでしょうか」
熾天使は信心深い教徒のように。その胸の前に手を組み。祈りを捧げた。
「……どういうッ事なんだよ」
「ああ、説明をしていませんでしたね。この……バリア。【神の寵愛】は。私に傷を付ける程の攻撃がくれば、自然と守ってくれるものなんですよ」
その言葉に彼は目を見開き……薄く笑った。
「……化け物に化け物みたいな能力を掛け合わせやがって」
「だからこそ……素晴らしい、中位の【天使】……いえ。新参の【熾天使】の攻撃ですら発動しなかったと言うのに。今、貴方は間違いなく。天に……神の使いに刃向かえる一撃を繰り出したんですよ。人間などつまらないと思っていましたが。貴方は例外です」
聖母のような笑みを。彼女は浮かべる。本人は本心でそう言っているのかもしれないが……
彼には。皮肉のようにしか聞こえなかった。
「クソ……クソがァッ!」
ボスは怒りのままに。熾天使へと攻撃を続けた。
その腕を。足を。内蔵を。命を犠牲にしても。届かないと言うのか。
我が子のように育てた。彼の仇も討てないのか。
感情のまま。彼は拳を振るう。……いつも冷静な彼にしては珍しい事だった。
冷静ならば打開策を考えたかもしれない。――否。
「……ぐっ」
どちらにせよ、時間は足りなかったか。
彼の目から。鼻から。耳から。口から。穴という穴から血が吹き出した。
「あら? 大丈夫ですかぁ?」
熾天使は心配そうに声をかける。……しかし。既にその言葉は彼の耳には入らない。
「……く、そが」
圧倒的な無力感。今ならば力が欲しいと言っていた彼の気持ちも分かると、ボスはそう言葉を吐き捨てた。
その五感はもう機能をしていない。
死への足音が。死神はすぐそこまで近寄ってきていた。
◆◆◆
「……はぐれ、ちゃったけど。大丈夫かな、シル」
途中まで車で逃げていた二人だが。車が破壊され、シルと優は反対の方向に逃げていた。
そして。優の方にはかなりの数の……膨大な数の天使が向かっていた。
何十。何百もの無表情。しかし、その中には……あの。白髪の天使は居なかった。
その神々しい翼に不似合いな銃を持ち。その弾が発射されると優は木に隠れ。横へ跳び。ひたすらに逃げた。
しかし――それもいつかは終わる。
「……ッ」
優が追い詰められる形として。
優の目の前には崖がそびえ立っていた。登れない、と言うほど優は弱くは無いのだが。
このまま登るのは天使達の格好の的となるだろう。登るだけなら不可能では無いかもしれないが……怪我は免れない。
「【目標:優】を追い詰めました。【殲滅】を遂行します」
優はふう、と息を吐き。銃を構える青髪の天使を見つめた。
その銃の引き金かに指がかけられた瞬間。優は目を閉じ。
その手を他の天使に向けた。次の瞬間。
その手の方向の先に居た天使が引き寄せられた。青髪の天使が気づいた頃にはもう遅く。
天使の銃から射出された鉛玉はその天使の体を蜂の巣にした。
「【止まれ】」
その天使の言葉と共に銃が下ろされる。
優の前には。体を血塗れにした天使が倒れ込んでいた。
優は――無傷である。
天使の脳内にはとあるデータが浮かんだ。
数年前、【起死回生】がとある大国に捕まった事がある。それは世界中でニュースになり、即刻死刑が決められた。拷問をして情報を吐かせるより、その方が合理的だと考えたから。
しかし――その日のうちに彼は脱獄した。仲間の手によって。
その際、【起死回生】と繋がりの深い【知の花】が関わった事はすぐに予想付けられた。しかし。一つ不可解な事があったのだ。
監視員達が仲間割れをした、との報告があったのだ。
なんでも、黒髪の美女が現れたかと思ったら。次の瞬間には監視員達は仲間に銃を向けていたと。
【解放】にそんなメンバーが居るとの情報は無かった。しかし、とある者の発言によりどうして操られていたのか分かった。
すごく細かい。糸のようなもので操られた、と。
その大国の中でも一番の刑務所に入れられたはずの【起死回生】は脱獄した。その事実は国中を揺るがし。
【活殺自在】と名付けられた彼女は、【解放】の幹部として。指名手配されたのだった。
「……また、少し力を貸してね」
優はその薬指に付けられた指輪にキスをした。
これは、弟から貰った最初のプレゼント。あくまで護身用として。授けられたものだ。
優が懐に手を入れると。次の瞬間にはその指全てに指輪が付いた。
全てに真っ赤な宝石が付けられた豪華なもの。
その指輪を見て。優はうっとりとした表情を浮かべ……笑う。
嗤った。誰かと同じように。
次の瞬間。青髪の天使の隣にいた天使が動いた。優に、ではない。
その銃を青髪の天使に向けた。
「……ッ」
青髪の天使は即座にその頭を潰し。胸を潰した。しかし。
「残念。それ、死んでも動くよ」
優の言葉と同時に、頭と心臓を失った天使は銃弾を射出した。
「……ッ」
青髪の天使は横に跳んでそれをかわし。その持っていた銃でその首無し天使の銃を撃ち壊した。
「……それと。気づいてるよ。これでも【起死回生】――彼の動きで目は鍛えられたんだから」
優は振り返り、背後に忍び寄っていた天使の顔へと強烈な回し蹴りを食らわせた。
天使は吹き飛び。木の幹へと当たって崩れ落ちた。
「……硬い」
優はそう言いながらも、その指を巧みに動かす。その度に何人もの天使が動いた。
指は十本しかないはずなのに。操られている天使は軽く十を超えていた。
「……もう、殺しに躊躇ったりしない」
優は目を鋭くしてそう言った。
優はずっと後悔をしていた。あの時、自分が殺しを躊躇ったから。弟が自分の代わりに人を殺し続けてしまった、と。
あの後も。優は体を鍛える事はやめなかった。護身と……いつか、弟に何かあった時に守れるように。
弟を助けた時も。人は殺した。弟は不機嫌になり……ぶっきらぼうに謝ってきたけど。
優はまた、ふうと息を吐く。
「弟の仇。彼を殺した貴方達は許さない。……あの子を殺した彼女はあっちに行っちゃったけど」
その目は確かに。狂い始めていた。
◆◆◆
場には火薬の燻った匂いと鉄臭い血の匂い。それと、土や木々の自然の匂いが混じり、鼻につく匂いになっている。
その匂いの中心地で。優は戦っていた。
時には銃弾をかわし。時には天使を肉の盾にして銃弾を防ぐ。
弟に負けない極限の集中力を見せながら。優は孤独な戦場の中、踊るように戦っていた。
しかしそれと同時に。優は違和感を覚えていた。
この天使達。思っていたより弱い。
いや、強いのは確かだ。特に、青髪の天使と赤髪の天使。……互いをαとβと呼びあっている彼女達の攻撃は鋭く。判断能力も優れている。この二人だけは操れない。
……でも。この程度なら、弟でも怪我はするだろうけど殺せる。
その事に一抹の不安を抱えながらも。優は戦い続ける。
しかし――優も人間であった。
やがて、その体。指への負担が強くなってきた。
天使の体を十分に動かすには辛く。その糸が切れる頻度も多くなってきた。
それと同時に。
「【天使:中位】への覚醒が
その言葉と共に。生きている天使は羽を広げ、数十メートル後ろへと飛んだ。
優はこれが良くない事だと脳で察知しつつも、動く体力が戻っていない。
「○◆>☆▽■∮」
意味のわからない言葉を青髪の天使と赤髪の天使が発した。それに追随するように、同じ事をほかの天使が続けていく。
どこか、不安になる声。それが輪唱し、優の心を蝕んでいく。
……止めないと。
優の判断は少しだけ遅かった。その指輪から放たれた糸が天使達へ向かったが。
プツリとちぎれた。
「……ッ」
優を強い風が襲った。優は足を踏ん張り、目が乾かないよう腕でカバーしながらも耐える。
それと同時に、心臓が強く締め付けられる感覚があった。
酷く、嫌な予感がして。全身からは鳥肌が止まらず。されど、何も出来ず。
その風が止んでも……優の全身を覆う鳥肌は止まらなかった。
いや、風が止んだからこそ、その圧を。優は肌で感じ取っていた。
優は腕を下ろし。ソレを見た。
「……ッ」
天使達の姿。見た目こそ変わっていないのだが……その雰囲気が大きく異なっていた。
人とは異なる存在。それを、体で。魂で感じさせられる。
優の喉は締め付けられ。呼吸が出来なくなる。内蔵がひっくり返ったような感覚が。血液が全て無くなったように……青ざめていく。
……ああ、これ。一対一でも勝てないかもしれない。
優は膝を付きそうになり……しかし。
前へと進んだ。
「彼ならそんな簡単に諦めたりしない」
寧ろ、強い敵と戦えるって興奮するだろう。
あの子の姉として。胸を張って言えるよう。
「最期まで。足掻くんだ」
一人でも多く、道連れにして。シルが逃げ切る確率を少しでも高くする。
彼ならきっとそうするだろう、と。
死地を定めた彼女の顔は。彼のように笑っていた。
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