第39話 昔の話②

 「あ、こんなとこにいた。そんなとこじゃなくて別のとこで食べようぜ苧環」


 この場にいた全員が声の方に顔を向けました。私は先輩の顔を見てとても晴れやかな気持ちになりました。


 「あ、あー鬼灯君。やっほー。苧環ちゃんに練習頑張ってるねって言ってただけだから。じゃあね」


 女子の先輩は先輩を見るなり明らかに動揺した様子を見せ、早口で言い募ると「行こ」と後輩の一年生を引き連れて去っていきました。


 先輩はグラウンドまで降りてくると、ステージに上がって私の所までやってきました。


 「あの、先輩…ありがとうございました!!」


 私がしゅばっと勢いよく頭を下げてお礼を言うと、先輩はこう返しました。


 「何のことだよ」


 視線は入道雲が浮かぶ夏の大空に向けられていて、頬は若干赤かった気がします。きっと夏の暑さのせいだけではなかったんだろうなと思います。


 先輩の反応に愛らしさのようなものを感じて、思わず笑みがこぼれました。


 「いえ、何でもありません。さ、ごはん食べましょう!」


 多分、このときには既に芽生えていたんだと思います。


 先輩への、恋心が。


 ***


 8月の半ば頃。夏休みに入って最初の大会がありました。私にとっては二回目の大会で、今の実力を測るための貴重で重要な大会でした。


 そして先輩にとっても重要な大会でした。


 ある日の居残り練習のときに話してくれました。


 「俺さ、全国目指してるんだよ。だから毎日死ぬ気で頑張ってる。8月に大きめの大会があるんだけど、そこは難なく突破しなきゃいけない」


 当然ですが、全国大会に行くまでにはいくつもの段階を踏む必要があります。まずは市の大会で、それから県の大会で、その次には近隣の県の選手たちも集まる地区の大会で上位に入らなければなりません。険しい道のりです。


 20分ほどバスに乗り、それから競技場へと続く川沿いの道を部員のみんなと歩いていました。隣には先輩が居ました。私は緊張していたので会話ができずにいましたが、珍しいことに先輩も口を開きませんでした。ちらちらと時折様子を窺っていたのですが、沈黙したまま真剣な面持ちで競技場の方に目を向け続けていました。


 しばらくすると競技場が見えてきました。陸上競技だけじゃなくてサッカーなどの他のスポーツの大会も行われるくらい広い競技場でした。野球場もテニスコートもあります。開場前でしたが広場には色とりどりのジャージを着た人たちがいて、みんなすごい選手なんだろうなぁと私は圧倒されていました。


 先輩が足を止めたので私も立ち止まりました。先輩の方を向くと彼は言いました。


 「苧環。俺、絶対上位入るから。見ててくれ」


 私を見る先輩の目はぱっと見いつもと変わらない穏やかな感じでしたが、奥底に燃え滾る闘志が宿っていることに気づきました。


 私が笑顔で「はい!」と返事をすると、先輩は続けました。続きがあるとは思ってなかったのでちょっと面食らいました。


 「それと、今日終わったら……話がある」

 「え……?」


 え?何、話って?


 私がぽかんとしていると先輩は歩き出しました。


 「開いたみたいだから。行くぞ」

 「は、はい…」


 一瞬遅れて私も歩き出しました。


 きっと、先輩も緊張していたんだと思います。


 いろいろと。


 ***


 その大会で先輩は見事3位に入り、県大会出場を決めました。私は入賞できませんでしたが、自己ベストを記録することが出来ました。


 「あ、あの……先輩。話って…」


 最寄りのバス停で降りて家までの道のりを先輩と共にしていました。当時はまだ引っ越していなかったので私と先輩の家はそこまで離れてはいませんでした。


 「………」


 無言。まさかの無言でした。


 え、ちょっと先輩?!


 「先輩、言ったじゃないですか!話があるって」


 肩をゆすりながら言うと、先輩がようやく口を開きました。


 「公園、寄らないか?」


 先輩の指さす方を見ると、近所の公園が目に入りました。私が頷きながら「はい」と言うと歩を進め公園へと足を踏み入れました。春は満開の桜で埋め尽くされる道が今は力強い、生命力を感じさせる緑で覆われていました。大分日が暮れていたので、ボール遊びをする小学生たちの姿はありませんでした。代わりに日中に比べて涼しいこの時間帯にはランニングをする御年輩の方が多くいました。


 どこまで行くのかなぁ、と思いながら先輩の後をついていくと視界にはブランコが入ってきました。彼は向かって右側のものに腰かけると視線を右に向けました。そっちに座れということだと思ったので左のブランコに腰かけました。


 「…………」

 「…………」


 またしばらく沈黙が流れました。けれど私は急かしませんでした。先輩が必死に何かを言おうとしていることに気づいていたからです。


 長い時間が経って、ようやく先輩が口を開きました。


 「俺、」


 あ、これって——


 何が続くのか直感的に理解してしまいました。途端に心臓がどくどくと鳴り始めて、体が熱くなってきました。


 「お前のことが、好きだ」


 絞り出されるようにして吐き出された言葉が私の胸を突きました。どこまでも真っ直ぐな瞳が真剣であることを伝えていました。


 しばらく、呆然としていました。何を言われたのか頭が理解していなかったのです。


 な、何やってんだ私!私も伝えるんだ、先輩に。想いを、全力で。


 気を取り直して口を開きました。


 「せ、先輩!!」


 思いのほか大きな声が出てしまいましたが私は構わず続けました。


 「私も、先輩のことが大好きです!陸上に一生懸命で、優しくて、かっこいい先輩のことが、大好きです!!」


 ほとんど叫んでいたと思います。だからか、今度は先輩が口を開けてぽかんとしていました。無理もない話です。先輩の様子に気づくと途端に羞恥心がこみ上げてきました。思わず顔を覆ってしまいました。


 「あ、あの…その、つまり」

 「つまり、付き合ってくれる……ってことか?」


 先輩の言葉に私は黙って頷きました。直後、先輩が近づいてきたことが感じ取れました。ざっ、ざっ、という足音が聞こえてきたからです。指の間から恐る恐る目を開くとすぐ目の前に先輩の顔があって思わず目を閉じそうになりましたがぐっと堪えました。先輩は私の目の高さに合わせるようにしてしゃがんでいました。


 「本当か………?」

 「……はい、本当です」


 私の言葉を聞いて先輩は「やった」と顔をほころばせました。目にはうっすらと涙が滲んでいた気がします。このときのことは私も鮮明に覚えています。


 きっと、一生忘れないと思います。


 いや。


 一生、と思います。


 ***


 先輩が私の彼氏で私が先輩の彼女であった頃は幸せでした。本当に、本当に、幸せでした。


 夏休みの終わり頃、一緒に科学館に行きました。初デート、っていうやつです。小学校の頃に何度か行きましたが、そのころよりもずっと楽しかったです。


 科学館はプラネタリウムで有名なところです。2011年3月にリニューアルされ、ドーム内径35mという世界一の大きさと映像クオリティは初見の人なら息を呑むこと間違いなしです。人工的な光のない山奥の星空が映し出されることがあるのですが、本当にきれいです。また映像だけでなく音響や座席にも工夫がされており、くつろぎながら楽しむことが出来るので名古屋に来たらぜひ行ってみて欲しいです。


 ちなみに上映中に先輩がちょくちょく小声で「それくらい俺も知ってたし」とか言ってました。「学芸員さんと張り合っても勝負にならないですよ」と私は苦笑しながら相手してました。


 科学館はプラネタリウムの他にもたくさんの展示があって楽しいです。竜巻が見られる竜巻ラボや、防寒服を着てマイナス30度の極地を体験できる極寒ラボ、放電ラボなどなどといった感じです。さらに実験ショーを間近で見ることもできちゃいます。


 一日中楽しめちゃう場所です。だから、一日中科学館にいました。「やばい」「すごい」ばっか言いすぎてはしゃぎにはしゃいだからか帰りの電車では気づいたら眠ってしまっていました。起きた時には自分が先輩の肩に頭を預けていたことに気づき、慌てて身を捩りました。


 え、え、あ、あ、私さっきまで先輩と密着してたってこと!?


 顔を赤くしながら焦っていましたが、先輩の様子がおかしいことに気づき顔を窺いました。すると先輩はすいっと視線を遠ざけました。よく見ると耳が真っ赤でした。


 あ、先輩も照れてるんだ。ドキドキしてたんだ。まぁ、そうだよね。私今日は気合い入れて服選んできたし。


 訳に気づいたらほっとして、同時に温かいものが胸の奥からこみ上げてきました。私が「おはようございます、先輩」と言うと先輩は必死に平静を装いながら


 「あ、ああ。お、おはよう、苧環。よく眠れたか?」


 という感じで返してきました。


 全然隠せてなくて本当に最高でした。


 ***


 初デートの後も部活が休みの日に水族館や名古屋城など様々なところに行きました。


 そして。


 4回目のデートを終えた帰り道、私は意を決して、覚悟を決めて言いました。


 「あ、あのっ!今度、先輩の家に、言ってもいいですか!!」


 先輩はしばしの間ぽかんとしていましたが、みるみるうちに顔を赤くし始め、


 「あ、ああ。まぁ、今度な。いろいろ、準備とか…あるから」


 先輩の様子を見て、言葉を聞いて今度はこっちが顔を赤くする番でした。


 「あ、ああ。はい、そ、そうですよね。いろいろ、ありますもんね」

 「い、一週間後でいいか?」

 「へ…?あ、ああ、えーっと…」


 焦りながらスマホでスケジュールを見ましたが予定なんかありませんでした。だから蚊の鳴くような、消え入りそうな声で「はい」と言いました。


 この恥ずかしくも愛しいやり取りをしたのは二学期入って間もない、残暑の厳しい9月のある日の事でした。


 このときの私はまだ知りませんでした。


 魔の手が迫っていたことに。


 


 


 


 


 

 


 

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嘘と裏切りのラブコメ 蒼井青葉 @aoikaze1210

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