第九話 ただその光のために

 輝かしい光。

 大広間の上、左右に並ぶステンドグラスの窓から、色とりどりの光がこぼれている。

 真ん中の赤い絨毯の左右には、騎士と宮廷魔術師たちが姿勢よく整列していた。

 絨毯を一歩一歩踏み締め、パンダは顔を上げゆっくりと進む。その肩の上では、カラスも姿勢を正している様子だ。

 その先にあるのは、階段上に設置された玉座。この世で最も敬愛する女性が座る場所。

 王冠の輝きが、その美しい赤毛をより一層際立たせている。

 玉座の下で片膝を立てて跪く。こうべを垂れると、それに合わせて伸ばした髪が肩から流れ落ちた。

「よく来ました」

 凛とした声が広間に響く。

 皇帝エカテリーナその人が、玉座から立ち上がったと思しき衣擦れの音が鼓膜へと届く。

 若くして玉座に登ったエカテリーナは、まだ三十代だ。それでも、その威厳は紛うことなき皇帝としてのもの。

「パンダ、と呼ぶべきでしょうね」

 それには沈黙を持って答える。もとより、それ以外の名前など持ち合わせていない。記録にすら残っていない。

 誰かの、記憶の中だけだ。

「パンダ、お前をわたくしの直属の臣に任じます。黒鷹ナイトホークの称号を授けましょう」

「ありがとう存じます」

「手を出しなさい。……剣を」

「はっ!」

 皇帝の言葉に応える側近の声。それを聞きながら、頭を垂れたまま両腕を前へ差し出す。

 衣擦れ。階段を降りてくる足音。

「わたくしの臣として、帝国の民と世の安寧のための守護者となりなさい」

 手のひらに冷たい輝きが、その確かな重さとともに乗せられる。

 刀身に描かれているのは、不死鳥の羽を模した金の意匠。そして、神聖帝国古代文字で書かれた皇帝エカテリーナ・アルス=ストーリアの名。

「佩刀を」

 その声を合図に立ち上がり、横から差し出された鞘に剣を納めて腰へ佩く。

 視線を上げると、玉座へと上がっていく皇帝の後ろ姿が映った。

 ふり返った皇帝が、かすかに目を細めた。

「その剣は、この世に一本しかありません。国内にいる間は便宜をはかれるでしょう。要らなくなれば皇宮へ送り返すなり、溶かして素材にして売るなりして処分して構いません」

 皇帝の声はただ淡々と進む。

「そしてお前に命じます」

「はい」

 聞きたくはない。だが、この命を受けるしか道がないこともわかっている。

「パンダ。お前に『厄災』の紋様の回収を命じます。回収し然るべき時が来たら、お前の命を贄に『厄災』を葬り去りなさい。これは帝国だけでなく、世界の命運を握る事項であり、わたくし皇帝エカテリーナの勅命です」

 死ね。これはそういう命令。

 返事を返そうと口を開きかけ、それは皇帝に止められる。

「返事はしないで。わたくしがお前に命じた、その事実が重要です。ここにいる皆がこの命を聞きました。それで充分」

 返事すらさせてもらえない。そのことに苛立つ。

 皇宮に残ることも、命令に従って命を落とすことも許さないつもりなのだ。

 パンダの心はその瞬間に決まった。

「どれだけの時間がかかるのかも、お前の寿命が先か紋様を集め終わるのが先かもわかりません。厳しく辛い旅になるかもしれないこと、お前の命を差し出させること、申し訳なく思います。ですが、これはお前にしか出来ないことでもあります」

 そうだ。すでにパンダの背中には紋様が刻まれている。他の誰かができる事ではない。他の誰かにやらせたい事でもない。

 再び、皇帝が階段を降りてくる。パンダの前に立った皇帝は、少しだけパンダよりも身長が高い。

 その美しい顔を見つめる。おそらく、これが今生の別れとなる。まぶしく光り輝くその姿を、最後に深く胸に刻みつけた。

「お前の旅の間、その身に幸運があることを祈っています。いつまでも」

 その腕がパンダを優しく抱擁し、ほんのりとした温度の手のひらがほおを包んだ。額に祝福のキスが贈られる。

 そのやわらかな温もりは、皇帝といえど人の子であると思わせるものがあった。

「行きなさい。カラス、パンダのことを頼みましたよ」

「はい」

「さようなら」

 少し哀しげな、それでいて凛とした笑みを浮かべた皇帝に背を向ける。

 彼女の思惑になんか乗らない。必ず後悔させてやる。この命をかけて。


 * * *


 まぶたの裏に淡い光が灯り、パンダはゆっくりと目を開いた。

 見慣れない天井が映り戸惑う。自分は今ベッドに寝ているようだ。一体、どこの宿に泊まったのだったか。古ぼけた天井を見るに、路銀がなくて安い宿に泊まったのだろう。

 周囲の様子を確かめようと身体を起こそうとして、激痛に襲われてうめく。どこがというよりも、全身がひどく痛んだ。

「パンダ様ッ目が覚めたんですかッ‼︎」

 ばさばさと興奮したように羽を羽ばたかせながら、視界の外にいたカラスが頭の方へと駆け寄ってくるのが見えた。

 足元の方にいたのだろう、途中で腰と胸の辺りを踏みつけられて痛みに悶絶する。

「カラスお前ッ‼︎」

「うわーん、良かったもう五日も意識がなかったんですよぉ〜」

 カラスはパンダを踏みつけたことすら気がついていない様子で、頭をしきりにパンダの首に擦り付けてくる。

 脳裏に、幼い子どもの最期の姿が浮かんだ。

(あぁ、そうか……)

 意識がはっきりとしてくる。ロイと戦ったのだ。『厄災』の紋様を持つ子どもと。

 彼を救うことは出来なかった。

「だから『厄災』の紋様を集めるのは反対なんですッ別にエカテリーナ様だってそんなこと求めてません‼︎」

「知るか」

「パンダ様の寿命が先でも誰も罰したりしませんよ! みんなそれを承知で————」

「じゃあ『厄災』を受け入れるのか」

「私はそんなことどうでもいいです、パンダ様が生きてる間だけどうにかなればそれで」

 やはり魔獣は魔獣。人の世がどうなろうと関係ないというのはカラスの心情としては正常な思考回路であるというべきか。

 おそらくこれは平行線だ。今話しても無駄だし体力を消耗するだけに終わるだろう。

「あれからどうなった?」

「アスターさんが馬車でここまで運んでくださいました」

 瀕死のパンダを馬車に乗せたアスターに、帝都へ向かうようカラスが指示。その途中で小さな村があることを思い出したアスターがそこへ向かい、パンダとカラスを降ろしたのだ。

 そのままアスターは帝都へと助けを求めに向かったという。

「パンダ様の剣を持って行ってもらったんです」

「ああ、なるほど……」

 この世でパンダだけが持つ、皇帝の名の入った剣を他人が携え帝都で助けを求める。それがどんな事情があるとしても、無視することは出来ないだろう。結果的に、アスターの要請通りに魔術師団が派遣されたようだ。

 その魔術師団の一部は途中でこの村に寄り、できる限りの治療をしてくれたらしい。その時に剣も返してくれたようだ。

 アスターも一緒にこの村に寄ったが、やはり自分の街が気になるようで早々に帰って行ったという。目覚めて傷が癒えたら屋敷へ寄って欲しいとカラスに伝言を頼んで。

「傷が癒えるまでは時間がかかります。ゆっくりさせてもらいましょう。元気になったらアスターさんのところへ行って、たんまり路銀もいただきましょうね」

「あの街には寄らん」

「は? なんでですか。まだ一銭ももらってないのに!」

「気が変わった」

 子ども一人助けられなかった。アスターは多少ロイに精神を操られていたところはあるだろうが、それでも彼を愛していた。

 その瞳の哀しみを見たくなかった。たとえパンダのしたことが正しかったとしても、その感情は否定することなどできないのだから。

 この村を出るときに便りを送ればそれでいいだろう。

「パンダ様はお人好しすぎるんです」

「は? いつも人助けしろとうるさいのはお前だろう。俺様は面倒ごとは嫌だとあれほど」

「そんなこと言って結局いつも助けるくせに!」

「お前がうるさいからだ」

「あー、はいはいそうですねそういうことにしといてあげます」

 はあとため息をついたカラスに苛ついたが、この状態では絞めることすら出来ない。

「本当にもう、無茶はしないでくださいね」

 ほおに身を寄せてきたカラスの言葉には答えない。これから先のことなどなにも約束はできない。

 それでも決まっているのは、しばらくはここで寝たきりの生活を強いられるということだけだ。

 動けないなど苦痛でしかないし、誰かに世話をされるのはプライドが傷つく。だがそれが無茶をした代償というなら、黙って受け入れるしかない。

 今度からは少し、無茶をした後のことも考えよう。そんなことを思いつつ瞳を閉じる。

 とにかく今は回復しなけば。そしてまたカラスと旅をするのだ。帝都から離れ、遠くへ。気に入らない、それでも焦がれてやまない、ただその光のために。



【魔術師パンダと闇の烙印・完】


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魔術師パンダと闇の烙印 はな @rei-syaoron

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