Ⅴ 自由の魔法少女
鳥籠の鳥とは、こういうことを言うのだろうか。
自宅、と言うには違和感しかない高層ビルの屋上、一面に敷き詰められた人工芝の上に寝転がりながら、ふと思った。
淡い水色の空を泳ぐ鳥たちを眺めていると、まるで自分が置いてきぼりにされた気分になる。
「俺はお嬢を置いていきませんよ。そんな顔しなさんな」
僕の影を踏んで見下ろすお世話係……いや、お兄さんをちらりと見る。
「……お兄さん、何でいつも僕の考えてることがわかるの」
「そりゃあ、毎日お嬢の傍にいれば、ね?」
「……僕は未だにお兄さんが何を考えているのかよくわからないんだけど」
「世話係は他人に思考を読まれないようにするもんなんですよ」
くつりと喉を鳴らして笑うお兄さんは、やはり心からは笑っていないように見えて。
一体いま何を思っているのか、全くわからない。
けれどみんな踏み込まれたくない部分というのはあって、それはお兄さんも例外ではないだろう。
僕はまた空へと視線を移して、口を閉じた。
そういえば、十年ほど一緒にいるけれどお兄さんの素性を何も知らない。
以前母さんが「ファウスト」と呼んでいたけれど、後で本人に聞いてみると本名ではないと言われた。
名前すら教えてくれないなんて、と思っていた時期はあったけれど、本人が言いたくないなら「お兄さん」で別にいいかと最近では思っている。
無言で空を見上げる僕を見て何を思ったのか、お兄さんは隣に腰を下ろしてぽつりと呟いた。
「鳥籠の鳥になんか、させねぇよ」
その声は僕の耳に届いていたけれど、意味までは分からない。
だから、聞かなかったことにした。
きっと、互いの為にはそれが一番良い。
◆◆
幼い頃に、僕の両親は殺された。
僕はクローゼットの奥に隠されていたから無傷で助かったらしい。
らしい、というのは、僕を引き取り今日まで育ててくれた母さんから聞いた話で、僕自身はまだ物心がつく前だったため事件のことはおろか、本当の両親の顔も覚えていないのだ。
けれどもそれを不幸だとは一度も思ったことはなかった。
お金で買えるものは僕が「欲しい」と言う前に与えてくれたし、どんなに忙しくても温かいご飯を毎日作ってくれる。
着るものにも眠る場所にも困らず、様々なことを学ばせてくれる。
ただ、外に出る自由だけはない。
母さん曰く、僕に流れる血はとても稀少なモノで、僕の体は何よりも大切だから、外に出て怪我などしないように、だそう。
それが母さんの愛ならば、僕は母さんの言う通りにする。
「明日はヒナタがここに来た日。貴女の誕生日。夜になったら、みんなを呼んでお祝いしましょうね」
正面に座る母さんは優しく微笑んだ。
「十六歳になったら、貴女は多くの人々の命を救う神の御使いとなるための儀式を受けなければならない。それはこの間話したわよね?」
「はい」
母さんは神様の言葉を人々に伝え、苦しみから救済する仕事をこのビルの中でしている。
明日、僕はその後を継ぐことになっているけれど、その前にある儀式を受けなければならない。
でないと御使いとして認められないのだと、母さんは言う。
因みに、昼間ビルにいるサラリーマンたちは神様の信者らしい。
「嗚呼、本当に明日が楽しみだわ」
母さんはいっそう笑みを深めて、僕を見つめた。
その瞳は獲物を品定めする蛇のようで、 母さんの言う儀式が何を意味するのか、本能的に察したけれど。
どういう理由にせよ、ここまで育ててもらったことに変わりなく、母さんに対し恩しか感じない。
だから、僕は静かに頷くだけだった。
◆◆
十六歳の夜。
母さんに連れられて普段は立ち入りを禁止されている部屋へ入ると、一面赤で塗り潰されていた。
「ひッ……な、何よ、これ……どういうことなの!」
奥に見える祭壇の前で佇むお兄さんは、母さんの声に反応するように僕たちの方を振り返り、笑う。
ピチャ、ピチャ、と血の上を歩いて僕の前まで来ると、片膝を折って恭しく傅いた。
「十六歳の誕生日、おめでとうございます。お嬢、俺からの贈り物ですが……」
お兄さんは顔を上げて、いつになく真剣な目で僕を見上げた。
「貴女に本当の〈自由〉を贈りたく。……どうか、一言で良い。他の誰でもない、この俺に命じてくれませんか」
「……自由、」
母さん。
僕を育ててくれた、もう一人の母親。
貴女のために、僕は昨日まで生きてきたから、別に母さんが喜んでくれるなら神様の贄になっても良い。
今日という日を迎えても、この気持ちは変わらないつもりだった。
だけど、お兄さんが他の誰でもなく、自分に命じてくれと僕を見た瞬間。
お兄さんと二人で、外の世界を見てみたい、なんて思ってしまったのも本当で。
「母さん。貴女は心から僕を愛したこと、ありましたか?」
そろそろ、優しい夢から醒めて親離れをするときなのかもしれない。
「え、ええ…ええ! ずっと貴女を愛しているわ、ヒナタ!だから、さぁ、ソイツから離れてこちらに来なさい…!」
僕がお兄さんに殺されると思っているのか、それとも僕がお兄さんに洗脳されて母さんを殺そうとすると思っているのか。
母さんは焦ったように、僕に手を差し出す。
一方、お兄さんは落ち着き払った様子で僕に笑いかけている。
「お嬢」
「ヒナタ!」
二人が、僕を呼ぶ。
数拍の間を置いて、僕は。
「僕を、ここから連れ出して」
お兄さんの手を取った。
「御意に」
さようなら、母さん。
おはよう、自由を得た僕。
────悪魔の手を取ったヒナタは育ての母を殺し、鳥籠から羽ばたいて、終幕。
魔法“少女”の終末 霧谷 朱薇 @night_dey_
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