ティラノサウルスを探しに

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ティラノサウルスを探しに

 絵具でも塗りたくったような水色の空に、真っ白い入道雲が浮かんでいる。

 新緑の木々が青々と生い茂り、涼風吹き抜ける小さなその森は、まだ幼かった俺達の格好の遊び場だった。


「ねぇ見て見て!これ絶対、恐竜の牙だよ。ティラノサウルスだ、ティラノサウルス!」


 先の尖った石ころを高々と太陽に掲げた少女が、楽しそうに俺に話しかける。


「ただの石でしょ。汚いから早く捨てなよ奏多かなた。だいたい、ティラノサウルスがいたのは海を渡った隣の大陸で、日本にはいなかったんだぞ」


 そもそも、こんな場所に落ちている汚らしい石ころが、恐竜の化石なんかな訳がない。


 そんな事を考えて、俺はわざとらしくため息を吐いた。


「分かって無いなぁ、陽輝ようきは。あの大きな雲のふもとの森では、ティラノサウルが雲にむけて咆哮してるんだよ。私には分かるんだ」


 少女は、キラキラとした視線を遠くの入道雲に向ける。


「バカなこと言うなよ。恐竜はずっと昔に絶滅したんだ。ティラノサウルスなんかいる訳が……」


「いるよ」


 その曇りない真っ直ぐな瞳を向けられ、俺は思わず言葉に詰まった。


「だって、その方がワクワクするでしょ!いつか陽輝にも見せてあげる。約束ね」


 きらめく陽光の中、吹き抜けた風に髪を靡かせながらそう言って笑う少女は何処までも何処までも、ただ美しかった。



 ◆



 今から50年前に起きた第三次世界大戦。その際に撒き散らされた史上最悪のウイルス兵器、強い感染力を持ち致死率8割を超えるHKウイルスによってそれまでの人類世界は崩壊した。


 日本は、その第三次世界大戦前までは豊かな文化と経済力で、世界に強い影響力を持つ国の1つだったらしい。


 それも教科書で読んだ過去産物でしかない俺には、全く想像出来ない話だけれども。


 そんな中でも昔から変わらない物もある。例えば、俺のような落ちこぼれ。


 幼い頃に両親を失った俺と妹の未歩みほを育ててくれたのは、年の離れた兄、鉄緒てつおだ。


 幼い頃の俺は、毎日汗水垂らして工場で働きクタクタになって帰ってくる兄を軽蔑していた。そしてこんな泥臭く働きづめの大人にはなるまいと、妙な反骨心を抱き必死に勉学に励んだ。


 そうして中学を一番の成績で卒業し、自信満々に日本に2つしかない高等学校を受験した俺は、二次試験である面接で落第した。


 そんな無様な俺とは裏腹に、「陽輝が受験するなら、私も受ける!」と言って一緒に試験を受けた奏多の元に合格の通知が届いた事は、身勝手にも俺の心に暗い影を落とした。


 翌年もう一度、受験に挑戦したものの、やはり俺は面接試験を突破することが出来ず、


『君には、信念が無いね。生きていくための核、これは譲れないという真っ直ぐな思いが、何も感じられない』


 面接官の放ったその言葉に心を折られたのだ。


 そうして自信もプライドも失い、居たたまれなくなった俺は、置き手紙を残して一人家を出た。


 あれから3年。俺は必死に鉄屑拾いで日銭を稼いで、何とか毎日を食い繋いでいる。


 この東京と言う街は、かつてこの国の首都として栄えに栄え、今の20倍を超える広さを誇る大都市だったそうだ。今やそのほとんどが廃都となっているのだから、仕事場には困らない。


 5月の始め。今日も俺は100㎏を超える鉄屑を製鉄所まで運び、報酬として支払われた千円札二枚を握りしめて帰路に着いた。


 俺が部屋を借りているのは街の郊外、廃都との境にある錆びだらけのアパートだ。そんなボロアパートに辿り着くと、部屋の郵便受けに封筒が一枚入っているのに気付いた。


 ここの住所は誰にも教えてないし、こんなところまでチラシなんかを入れに来る物好きもいないだろう。いったい何の封筒だ?


 俺は首を捻りながらも六畳一間の部屋に入り、封筒の口を開ける。中に入っていたのは葬儀の案内状だった。


 葬式?いったい誰の……


 その瞬間、頭をよぎった嫌な予感に、心臓の鼓動が早まり血の気が引いて行く。


 ゆっくりと書面を読み進めていき、その一文を視界に入れた時。俺は酷い吐き気に襲われ、その場に力なく座り込んだ。


 手に取った案内状、故人の名前の欄には"高木奏多"と書いてあった。



   ◆



 俺が家を出た翌年、奏多は高等学校の授業中に突然倒れ病院へ運ばれ、難病で余命3年の宣告を受けたそうだ。


 それから学校を中退した奏多は、家族が止めるのも聞かずに、痛む体を無理やり動かして、街の外に繰り出してはキャンプや登山を繰り返すようになったらしい。

 まるで、焦燥感に駆られ何かを探すかのように。それが奏多の余命を更に縮めた事は、想像に難くない。


 兄が方々に手を尽くし俺の居場所を掴んだのは、奏多が息を引き取った直後の事だったそう。


 仕舞い込んでいたスーツを引っ張り出した俺は、混乱する頭のまま葬儀会場に駆け付けた。


 葬儀の内容はよく覚えていない。夢でも見ていたかのように虚ろでぼんやりとしていて。ただ、涙は出なかった。


 棺の中に久しぶりに見た、まるで別人のように痩せた奏多の顔立ちだけが、今も頭にこびりついている。


 気が付けば俺は、会場から少し離れた通りに立ち尽くしていた。


「おいっ」


 そう呼ばれて振り替えった俺の頬を、兄が殴り飛ばす。


「この馬鹿野郎!」


 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。厳格な兄だ、きっと人目がある葬儀場内では我慢していたのだろう。


 兄の激昂も涙も、俺は初めて見たかもしれない。


「このっ、お前はっ。お前は!……」


「やめてっ、鉄兄!」


 馬乗りになって何度も俺を殴り付ける兄を、涙でぐちゃぐちゃになった妹が止める。


「ねぇ、陽兄。奏多ちゃん、ずっと信じてたんだよ。陽兄は帰ってくるって。ずっと、ずっと……」


 兄は唇を噛み、拳を握りしめて立ち上がると、


「来い」


 それだけ言って歩き出した。俺は俯いて終始無言のまま、兄に付いて行く。妹の嗚咽だけが夜道に響いていた。


 そうして3年ぶりに帰って来た家は、外観も、壁も床も家具の配置も、記憶のままで何一つ変わっていない。ただ机の上に積まれた大量の封筒だけが、俺の記憶と食い違った。


「陽兄にメールが届かなくなってから、毎週のように奏多ちゃんが送ってくれたの。いつか陽輝は帰ってくるから、メールと違って消えないようにって」


 泣きはらした妹がそう告げる。俺はその封筒を一つ一つ丁寧に開けていく。


 手紙の内容は、キャンプや登山に行って何を見つけたとか、日常の中でこんな事があったなどというものから、俺の安否を心配するものまで様々だった。


 俺は無言でそれらを読み進めて行く。


 そして、奏多から送られた最後の手紙。


 《見つけたよ、陽輝。灯台下暗しだったんだ。いつも遊んでた森の奥にある泉のほとりがあるでしょう。そこに明け方の朝陽の光と共に現れたんだ。帰ってきたら、陽輝にも見せてあげる。だから早く、ね》


 震えた文字で書かれた短いその文を読んで、


「陽兄、こんな時間から何処に?」


 俺は手紙を手に家を飛び出した。


 傾き始めた月が照らす、静まり返った街を走る。そんな俺の頭上を蝙蝠がうるさく飛び交っていた。まるで、もう手遅れだと嘲笑うように。


 そう、こんな事は意味がない。今更何になるというのか。


 分かっている、分かっているけれど、それでも決して足は止まらない。その理由は俺にも分からなかった。


 小さな家が立ち並ぶ住宅街を抜けて、無機質なコンクリートの団地を抜けて、闇を纏った廃墟群を抜けて、そしてあの森へとたどり着く。


 切らした息を整えながら、俺は森の中へと足を踏み入れた。


 記憶の中の、うるさいほどに光に溢れた昼間の森と違って、ひっそりとした暗い夜の森は何処か神秘的に感じる。


 木の枝の隙間から差し込む月明かりだけを頼りに、そんな森を進んで行く。


 森の中腹、木々の開けた泉に着いた頃、月は沈み空は白み始めていた。


 泉の周りには、風化し崩れ落ちた廃墟や瓦礫の山が並んでいる。幼い頃、奏多と一緒に中に入って冒険したのを、ふと思い出した。


 そういえばあの頃は、いつもどこに行くにも奏多が俺の前を歩いていたな。俺はしょうがないなんて言いながら、後ろを付いて行って…あぁそうか、あいつ死んだのか。


 そう考えた瞬間、色の無い風が心に空いた穴を吹き抜けていくような、そんな激しい寂寥感に襲われた。


 木々の上へと静かに顔を朝陽の光が泉の奥から伸びてきて、その眩しさに俺は目を細める。


 陽の光と共に……


 なんとなしに後ろを振り向いて、俺は思わず目を見開いた。


 陽光が照らす廃墟や瓦礫の影が重なって、まるで空に向けて咆哮する肉食恐竜のような、そんな影を映し出している。


 あいつが命を削ってまで見つけたのは、こんな……あぁ、それはなんて、なんて、のだろうか。


「ハハ…ハハハハハッ、ハハハハハハハハ!」


 俺は笑って、笑って、笑って、そして笑いながらボロボロと泣いた。


 朝陽が昇るのに合わせて、もう形が崩れ始めたその影は、心底くだらなく何よりも愛おしい。




 そして声と涙が枯れるほどに笑って泣いた後、俺は気付くと光差す明るい森に座っていた。

 すぐ横にはまだ幼い、あの思い出の日の奏多が座っている。


「なぁ、奏多」


 そう話しかける俺も、きっと、まだ幼かったあの日のままだ。


「何、陽輝?」


 すこし拗ねたような声が返ってくる。


「ごめんな。本当に、ごめん」


 両親を失ってふさぎ込んだ時も、学校に行けなくなった時も、受験に落ちた時も、俺は昔から奏多の明るさに救われてきた。なのに……


「全く、しょうがないなぁ陽輝は」


 奏多は、困ったように苦笑した。


「…俺さ、奏多の事が好きだったんだ」


 あの日、あの約束をした時から、ずっと。


「うん、知ってる」


「だからダメな自分が悔しくて、情けなくて、恥ずかしくてさ。それを口にするのも怖くて。逃げたんだ」


「それも知ってる。幼馴染だもん、何だって知ってるよ」


「そっか……」


 話したいことが沢山ある。言いたいことが沢山ある。それなのに俺は、何一つ言葉に出来ないでいた。


 少しの沈黙の後、


「ねぇ陽輝。凄かったでしょ、ティラノサウルス」


 奏多がそう言って俺に笑いかける。あの頃のように無邪気に、楽し気に。


「凄いもんか、あんな子供騙しの影。今度俺がもっと凄い、そうだ、本物のティラノサウルスを見つけてやるよ。約束だ」


「へぇ、恐竜はもう絶滅したんじゃないの?」


 何処か挑戦的ないたずらっ子のように、奏多の笑みが深まる。


「いるさ。だってその方がワクワクする、そうだろ?」


 俺もそう言って、子供のように無邪気に笑った。




 泉から吹く涼し気な風に頬を撫でられ、ふと目を覚ます。もう太陽は高くまで上り、木々を明るく照らしている。


 ふと気付くと、俺は右手に先の尖った土まみれの石を一つ握っていた。

 恐竜のように見えた影は、もうとっくに跡も形も無くなっている。


 「フフフッ」と、風に乗って何処からか、少女の笑い声が聞こえた気がした。



 ◆



 6月末。荷物を纏めた大きなバックパックを背負い、俺は家の玄関を出る。


「行き先は決めたのか」


 兄がいつもの真面目くさった表情で、そう俺に尋ねた。


「あぁ。まずは奏多の手紙に書いてあった場所を巡る。それから日本中を回ってみようと思ってるよ」


「そうか…なら、これを持っていけ」


 そう言って渡された革の長財布に入っていたのは、十枚を超える万札だ。これだけの金を稼ぐのにどれほどの苦労が必要なのか、今の俺はよく知っている。


「いや、兄貴これは」


 散々迷惑しか掛けてこなかったというのに、流石にこんなものは貰えない。


 俺は財布を返そうとするが、兄は頑として受け取らなかった。ただ、


「良い。ただし、無事に帰ってこい」


 そう言って不器用に笑った。兄のこんな笑顔を見たのは、初めてかもしれない。


「陽兄、気を付けてねー」


 兄に一度深く頭を下げ、家のベランダから暢気な声で手を振る妹に手を振り返す。


 そして俺は、遠く水色の空に浮かぶ真っ白な入道雲を見据え、歩き出した。ティラノサウルスを探しに。

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