第七章(付記) 閉幕・番外・岩田君二〇〇〇一
岩田君は基本的に、自らをうだつの上がらない人間だと思っている。古代で暮らしていた頃は、学生の時分に早くも生きる目的を見失い、錬金術士を筆頭におよそ一五の職業を転々として、今で言うバガボンドのような生活を送っていたのだ。ルースや鳩々山、森林との出会いで生活は一変し、マオウハンターとなった頃にはどんな苦境に陥っても負けない強靭な精神を手に入れていたが、その根元には凡夫の性が常に見え隠れしていた。二〇〇世紀の世界に来た後も、平穏な日常を送るという目的のためだけに悪戦苦闘し、妻にも子にも孫にも友人類にも知り合いにも敵にも暗殺者にも弟子にも使用人にも恵まれたが、そのいずれからも一度は『思ったより普通の人』と言われて来たし、国家に表彰された禁術研究にしてもその観点が古代人特有の奇抜さに由来するだけで内容は至って凡庸だった。ただ、岩田君はそれで良いと思っていた。凡人には凡人の、天才には天才の生き方があり、分を弁えて生きるのが最も正しい人間存在のあり方なのだと悟っていた。何故か岩田君の周りには、奇才や鬼才がやたらと集まって来る傾向があったが、自分はあくまで凡才の生き方をすれば良いのだと信じていた。
二〇一世紀が始まった。予想外の事態が起こった。凡才のはずの岩田君が『マルファフサ』を完成させてしまったのだ。
マルファフサ。神の視点、神の座などと言われる、本来ならば人間存在如きでは手の届かない至上概念である。禁術の究極形態とも呼ばれており、松暗坂太夫の『バブエの深淵』を七段階深化させてようやくマルファフサに掠ると言われているのに、岩田君はそれを一足飛びで越えて完全に掌握してしまった。
岩田君は戸惑った。発表すれば、国家元首の地位は堅い。現在の生き方を守るためには、公表するわけにいかなかい。かと言って、何にも使わないのは勿体無い。五〇年の研究の集大成なのである。
そんな中、遊びに来た孫がとんでもない謎を持ち込んだ。古代から二〇〇世紀にジャンプした原因であるマオウハントの記憶が、どうやら改竄されたものらしいのだ。真相はまるでわからない。
ここぞとばかりに岩田君は研究室に篭り、マルファフサを発動した。マルファフサは謎を追うために最も効率的な視座を模索し、全ての疑問を解いていった。実に爽快である。この思いを誰かにも共有して欲しい、と岩田君は考えた。それも、出来るだけ多くの人にだ。岩田君は取って置きの妙案を思い付いた。
――その結果として創られたのが、本書である。
ただし、冒頭の文章など、いくつかは岩田君の独創部分が混じっている。そのため何らかの不備が本文中に見付かるかもしれないが、全ては岩田君の責任であり、マルファフサの完全性に不安は無い。
また、誰もが理解し易いよう、わかりにくい語、難しい単語には括弧書きで注釈を入れたつもりだが、場所によっては補佐的視点の心理描写と混用してしまったため、変に曖昧になってしまった。全ては岩田君の責任であり、マルファフサの完全性に不安は無い。
謎の回収効率の問題からか、マルファフサは岩田付近の視点を移ろっていることが多かった。この岩田という人間が妙に頼りなく不安定で、凡庸過ぎて密着するに値しないはずだと思う向きもあるだろうが、残念ながら岩田の人間性はこの通りで間違いなく、マルファフサは対象の人間性を斟酌しない。全ては岩田の責任であり、マルファフサの完全性に不安は無い。
ただし、岩田君が試しに行ってみたマルファフサによると、『もしも定義された通りのマルファフサが完成したとすると、そのマルファフサの正当性を観察して証明するためにより上位のマルファフサが必要となり、同じ階梯で論を展開する以上、マルファフサは無限後退を起こす』らしく、マルファフサの完全性は証明出来ないらしい。……申し訳ない。マルファフサの完全性には不安があった。
それでも、岩田君が戯れに行って得たマルファフサの言葉だけは、正鵠を射ていると信じ、最後にそれを記載して終わろう。
『岩田よ。もう鈍いのはお前だけだ!』
(終)
岩田20001 今迫直弥 @hatohatoyama
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