第六章 事件の解決・裏舞台、そして明らかになる黒幕

 瞬間、碓氷は思わず大声を上げた。

「岩田さんの座標確認! マインドリーディング回復! 予想通り五三年前に来てるけど、大丈夫。シンクロコントロールも続いている。全く無事みたいだ!」

 クラリスも、ルースの座標を再認識出来たらしい。涙ぐみながらも、自身の禁術制御に集中し始めている。駿河は、やれやれ世話をかける奴らだ、とばかりに首を横に振って見せた。

 碓氷は、安堵を隠し切れず、疲れた声で提案する。

「安全のために一度戻した方がいいんだけど、まだ岩田さんからこちらの世界に戻せっていう指示が無いから、しばらくこのまま――」

 しかし、碓氷の声は、途中で先細りに消えた。客間の外。襖一枚を隔てた向こう側に、気配が現れたからだ。……気配は二つ。碓氷にはその気配だけで、双方とも誰であるかがわかった。

 声があった。いつも通りの落ち着いた声色だった。

「もう充分ですわ。三人をこちらの世界に呼び戻して下さいな」

 碓氷は、それに抗する言葉を持たなかった。



「ワインディングスターロードを通って、俺達はどこに辿り着いたんだ?」

 と、明らかに書き替えられた記憶を背負ってどんどん困惑していく岩田君とのシンクロが切られ、再び擬似空間からの時間のジャンプが行われるのを感じた岩田の魂は、

――あれ、まだ、戻してくれって言ってないけど?

 と、少し疑問に思った。だが確かに、ここまで来たら、これ以上知るようなことは特に残っていない。鈍い鈍いと言われる岩田にだって、状況はある程度把握出来ていた。

 おそらく、先程のカツフォルのようなものによって、祖父達は記憶を改竄されたのだろう(あれは、メモリー系の能力の発生装置か何かだと考えられる)。つまり、祖父達の記憶を書き替えた犯人類はヨーマでなくウッディーであり、その動機も、決して悪意に支えられたものではない。

『この罪を背負うのは、俺一人だけで充分だ』

 というような、漢気溢れる配慮によるものだ。自己犠牲の精神に則った、まさに天晴れな行動である。国家は彼にこそ、ジョウザンバットレー勲章を授与すべきではなかろうか(そう、デ・Qに七つも授与している場合ではない)。

 祖父達のタイムスリップが如何にして行われたのかはわからないが、推論は立てられる。祖父達は擬似空間に似た妙なガラス玉に閉じ込められていたし、要するにその空間を介せば物理物質の時間軸移動も可能だということだろう。特に、ウッディーが持っていた、数字の書かれた円盤状の機械が怪しい。時間をも自在に操れる、禁術とは全く別体系の技術装置なのだろう。……ロア星の道具は、電映ノヴェルの脚本も真っ青な万能機具ばかりだ。

 ともかく、マオウハントの壮絶な真相も含めて、知りたかったことは、大体明らかになった。

 だから、岩田はまずまず満足していた。



 しかし――その一方で、ルースは全く違った。岩田と同じように、二〇〇〇一年の世界に戻されている途中も、ずっと、腑に落ちない一点についてを考え続けていた。

――ウッディー様がおっしゃっていた、マオウハントでのイカサマって一体何ですの?

 ヨーマの物であるはずの宇宙船の壁面から銃を引っ張り出したり、それを当然のように使いこなしたり、さらには月の衛星軌道上を半永久的に廻り続けるプログラムを組んだり(そもそも、衛星軌道やプログラムって何のことですの!)、ウッディーが普通の戦士だとすると説明の付かない事柄が山ほどあった。

 ……それが、イカサマの結果だというのだろうか。だとすると、ウッディーは、マオウハントで何をしていたというのか?



 同時刻、鳩々山も同じことを疑問に感じていた。

――あの適確過ぎる行動を説明付けられるイカサマとして、考えられる事象とは何だ?

 実のところ、それはもう、一つしか考えられない気がした。

――だとしたら、一体誰が……?

 鳩々山は、新たに膨れ上がった謎を抱えたまま、空間移動的に時間を超え、二〇一世紀の世界に帰還した。

 そして……。

 鳩々山が自分の体へと舞い戻った時、ラヒドミル立体パズルの最後の断片が見つかった瞬間のように、マオウハントを巡る一連の謎の全てが、一つに繋がったのだった。



 目を開く。久し振りに自分の肉体の視覚で物を見た岩田は、予想だにしなかった光景を目撃し、慄いた。

 クラリス、駿河、碓氷の三人に加えて、さらに二人の人物が自分を見守っていたのだ。

 何が起こったのかよくわからないままに、上半身を持ち上げる。多少ふらついたが、我慢出来ないほどでもなかった。ルースと鳩々山も、岩田の脇でゆっくりと起き上がっている。フリーズ明けで若干顔色が悪いが、二人とも無事のようだ。

「ご苦労様でした。その顔ですと、マオウハントの真実は無事に掴めたようですわね」

 新たに加わった二人の内の片方、岩田の祖母が座布団で低空を浮遊しつつ声をかけて来た。

 何故ここに祖母がいるのか、さらに、祖母には教えていなかったはずなのにどうして自分達がマオウハントの真相を探りに行っていたことを知っているのか、全くわからずに岩田はきょとんとした顔になった。いつもの癖で、ルースに助けを求める。

 ルースは嘆息し、全てに納得したような訳知り顔で、

「どうやら、私達は最後の辻褄合わせに駆り出されただけのようですわね」と、呆れたように呟いた。

 岩田には何が何だかわからなかったが、鳩々山にはわかったらしい。さも面白いことでもあったかのように、不敵な笑みを浮かべて岩田の祖母を見据えている。

「クラリス、駿河、碓氷、三人とも、ご苦労様でした。申し訳ありませんが、三人は席を外して下さい。少々内密の話になりますので。……マオウハントについて気になるのでしたら、後日、岩田達から聞くのがよろしいでしょう」

 祖母は、人払いをした。

 三人はわずかに承服しかねるような表情をしたが、結局は思い思いに立ち上がり、それでは良い夜を、という意味合いの挨拶を残して、部屋から立ち去った。三人の気配が充分遠くまで離れてから、祖母は口を開いた。

「どうやら、ルースと鳩々山(孫)は、大筋の状況を把握しているようですわね」

 二人は、無言のまま頷いた。どうやら、相変わらず岩田だけが取り残された形らしい。

「ええと、俺には何が謎なのかすらよくわからないんだけど」

 祖母は苦笑を返して寄越した。

「あなたは、本当におじいさんにそっくりですわね」

 何度もその相似を指摘されたが、今回も大方良い意味ではあるまい。岩田は憮然とした表情で黙り込んだ。

「まあ、いいでしょう。これから私が、マオウハントの裏で起こっていた、本当の真実を教えて差し上げますわ」

 祖母は、ゆったりとした笑みを浮かべた。その笑い方は、岩田が一番好んでいるルースの笑い顔にそっくりだった。


「そもそも、本日こうやってあなた方がマオウハントの真相を知るために過去へのタイムジャンプを行うことは、最初からわかっていたんですの。と、いうより、そうなるように私が巧みに糸を引いていたのですわ」

「ちょっと待ってくれよ。それ以前に、ばあさんは元々マオウハントに関する正しい記憶を持ってたわけ? ワインディングスターロードを通って未来に来たっていう偽の記憶じゃなくて」

「正確には、記憶を持っていたわけではありませんが、マオウハントで本当に起こったことは勿論知っておりましたわ。まあ、この件に関しては後々詳しく説明しますけれど」

「…………」

「私は、クラリスが今後のことで悩み始めた頃、こう助言したんですの。『次に岩田がこの家にやって来た時、強制夢で彼の未来を覗いてみなさい』と。そうすれば岩田がマオウハントの夢を見るだろうことは、予想出来ていましたからね。尤も、あの娘は勘が鋭いですから、私が何かを企んでいることを見抜き、盛んに追及してきましたわ。……ですから私は、クラリスにマオウハントに関する殆どの真実を話してしまいましたの」

「え、つまり、クラリスは今回の騒動について、最初から全てを知っていたってことかい?」

 ルースと鳩々山も、さすがにクラリスがそこまで関わっていると思っていなかったのか、この発言には驚いた表情をしていた。

「そういうことになりますわ。あの娘は、万が一ドリーミング系の制御を誤って岩田に何かあったら困る、と一時期摂取を止めていたユズラグラフィトーレの直接投与を再開する程、万全を期して今日に臨んでいたのですわ。そういった意味では、あの娘には悪いことをしました……。クラリスは岩田に会えるのを本当に楽しみにしておりましたし、岩田に付いて行った未来の姿が見たくて強制夢を使った、というのも、もしかすると強ち偽りでなかったのかもしれませんわね。まあ、あなた方を騙すような計画の片棒を担がせたのは全て私の責任ですし、恨むなら私だけにして下さいな。あの娘は本当に良い娘です。許してあげるのが漢気というものですわ」

「いや、クラリスを恨む気なんて毛頭無いから、そんなことは良いんだけどさ……」

 強制夢は、付近にいる誰が使っても、対象さえ同じなら同じ効果をもたらす術式だ。クラリスが実行犯人類に選ばれたのは、本当に偶然、岩田に強制夢を見せる尤もらしい理由があったためだろう。祖母にしても、まさかその犯人類探しで使用人全員に証言をとるような大事になるとは思っていなかったに違いない。何しろ、岩田達にタイムジャンプを行わせることこそが祖母の目的だったのだ。クラリスが自供し、早い段階で強制夢の正体が『体験記憶』でなく『未来図』だと割れると踏んでいたはずだ。実際、祖母は『クラリス、』と言い置いて辞している。

 今思えば、それでもクラリスが自分こそ犯人類であると言い出さなかったのは、マオウハントの強制夢を見せることが本意でないことを示す、彼女なりの精一杯の抵抗だったのかもしれない。自分一人で思いついたことだと必死で言い募ったのも、黒幕である祖母を庇うためなどでなく、元々は本当にそのつもりだったと信じて欲しかったのだろう。

「でも、ばあさんの言い方を聞いてると、ばあさんは、俺に強制夢を見せるくらいしか介入してないよな? それだけで、俺達が過去に行くように仕向けたって言えるのか? だって、本来不可能とされる時間軸移動の方法を、俺達が無事に思い付く保証なんて無いんだぜ。もっと直接的なやり方をした方が良かったんじゃないか?」

「いいえ。おばあ様は、そんな必要の無いことすら最初から知っていたのですわ」

 祖母と同じ口調で、ルースが答えて来た。

「これは、過去に行っておばあ様と同調した時にわかったことですが、シンクロコントロールで魂を他者の肉体にシンクロさせると、五感を共有する以上に、精神面も一部共有するのですわ。例えば、最初に岩田様が自分の見た夢を説明なさった時、ヨーマ様が宇宙人だとはっきりおっしゃっておりましたが、なのですわ。岩田様が見た夢の範囲では、ヨーマ様が宇宙人であることを示す言動は全くなかったのですから。禁術能力に長けた一少年にしか見えませんでしたわ。……この齟齬は、岩田様が無意識におじい様の心理を読み取っていたため起こることなのです」

 そう言われると、そうかもしれない。そもそも、クラッシュ浜松という不可解な仮名で呼ばれ続けていた人物を、おそらく若かりし頃の祖父であろうと岩田が類推出来たのも、その内面を窺い知れたために他ならない。

「これがどういうことなのかと申しますと、同様にということですわ。私達は、偶然か必然か、シンクロパラサイトではなくシンクロコントロールで同調しておりました。相手に自分の存在を感知させないパラサイト系に対し、コントロール系は相手に感知される恐れがありますわね。特に、当時から特化技能的禁術を用いていたおばあ様と鳩々山様のおじい様など、確実に私達の魂の存在に気付いていたことでしょう。……そうなると、将来自分の孫が魂のタイムスリップを考案することなど、知っていて当然ですわね」

 岩田は、祖父の肉体に同調した直後、祖父自身の認識も曖昧模糊としていたのを思い出した。……あれは、岩田の魂に同期したせいで、祖父の意識がわずかに混濁してしまったために違いない。さらに言えば、夢の中では祖父が自分の内側にある岩田の魂に気付きかけた一幕さえあったが、あれこそ、シンクロコントロールによる心理の相互干渉を示唆していたのだ……。

 祖母が、ゆったりと頷いた。

「その通りですわ。さらに、私とお兄様は、記憶を書き替えられて五三年前の世界にやって来た後、自分の中にいたあなた達の魂から情報を引き出すことで、記憶が書き替えられる前のマオウハントの詳細を知ることが出来たのですわ」

「え? それってつまり――」

「そう、おじいさんだけは、あの当時全く禁術知識が無かったため、あなたの魂が自分の中にいることに殆ど気付かず、書き替えられたマオウハントの内容についてしか知らぬまま、今日まで生きて来ているのですわ」

 岩田は呻いた。皆の中で祖父一人だけ完全に取り残されているではないか。構図としては魔女リティ財閥のようで可哀相だったが、どうしてそれを教えてやらなかったのか、と祖母を責めることなど到底出来なかった。あの壮絶な真相を、忘れている者に伝えるなど、両者にとって酷過ぎる事態のような気がしたからだ。

 祖母は、真相を知った時、忘れていた方が良かった、とは思わなかったのだろうか。

――いや……。そうか、そういうことか。

 岩田はようやく得心した。忘れていた方が良かった、などと思ったところで、もう取り返しはつかないのだ。後はただ、辻褄を合わせることに終始するしかない。岩田達がマオウハントに興味を持つよう仕向け、真相を確かめるために魂のタイムスリップが考案され、結果として自分の中に孫娘の魂が送り込まれるのを導く……。

 結局、岩田達は祖母の掌の上で転がされていたに過ぎなかったということだろうか。


 岩田は、一段落着いたと見なし、少し話題を変えた。聞くべきことは、他にもあった

「さっきから気になってるんだけど、どうして?」

 目覚めてから一言も喋らずに祖母の横で話を聞いていた最古参の使用人を眺める。

「確かに、俺に強制夢を見せた件に風虎さんが関わっているかもしれないって推論はあった。何しろ、底知れない禁術能力を持つ風虎さんなら、俺達に想像も出来ないような術式を用いれば暗躍し放題だからね。でも、その件はばあさんに依頼されたクラリスの仕業だってことで片が付いてるんじゃないのかい?」

風虎は、穏やかな顔に落ち着いた笑みを浮かべた。

「確かに、強制夢を見せた件には私は関わっておりません。しかし、マオウハントを巡る一連の騒動には深く関わっております。……わかりませんか? 私がスド人だということが、かなりのヒントになると思いますが――」

 深みのある、冷静な声音で言う。ルースと鳩々山は、どうやら既にわかっているようだが、敢えて教えてくれる気もないようだ。

 スド人だということがヒント? 岩田は思考を巡らせる。スド人は、何もしなければ不老で姿が変わらないが、肉体の加齢も減齢も思いのままで、かつ、何をしても絶対に死ぬことがない不死身の肉体という大きな特徴を持つ。

 加齢や減齢も思いのまま。何をしても絶対に死なない……?

 いつかのルースの言葉を思い出す。


『人間、見た目で年齢を判断するのは難しいのですわ。スド人やロトジェナイ病患者は元より、キュロイ人が良い例です』


 つまり、スド人は、年齢がキュロイ人以上にわかりにくいのだ。

――それって、いつから生きていてもおかしくないということか?

 いつから。例えばそれが、……だとしても。

 その瞬間、岩田の中に閃きが走った。突拍子もない思い付きではあったが、一連のマオウハントの真相を考えてみれば、当然の帰結であるようにも思えた。

「風虎さん……あなた、もしかして、?」

 岩田が恐る恐る尋ねると、答えはすぐに返ってきた。

「ええそうですよ、

 風虎は、再び笑った。ヨーマへ最後に向けた森林の泣き笑いの表情が、わずかにそこに重なった。

 ……何てことだ! ウッディーがこの屋敷にいるということは、強制夢騒動で最初にルースが立てた推論『(中略)』は、事件と直接関係していなかったくせに、見事に正鵠を射抜いていたのだ!

 岩田は何とも言えない表情で、地球を救った偉大な英雄の姿を振り仰いだ。

「……でも、顔が全然違うじゃないか」

 岩田が言うと、風虎は気軽に答えて来た。

「まあ、長年生きていると、幾度も顔を変えねばならない事態に巻き込まれますからね。スド人が一般に知られていなかった頃は、ずっと同じ年齢、同じ顔では怪しまれましたし」

 長年の使用人生活のためか板に付いた丁寧語が、どうしてもあのざっくばらんな戦士の語り口と重ならない。一万八千年も経てば、当然と言えたが。

「スド人が一般に知られてなかった頃?」

「ええ。私も、別に元よりスド人であったわけではありません。ヨーマの宇宙船内を調べ、様々な実験を行っている内に、気がついたらこうなってしまっていただけの話なのです。私以前の世界に、不老不死の人間など存在しませんでしたよ。スド人が一般に知られるようになるのは、かなり後の話です」

「つまり風虎様こそが、スドファランダムなのですわね?」

 スドファランダムとは、要するにスド人の始祖のことだ。一二年前、一人のスド人が突然それを詐称し、九〇〇人のスド人が過剰反応して翼付きゼルガで大暴動を起こしたのは有名である。

「まあ、そうなりますね。粗暴な連中という印象が根強く蔓延る今となっては実に恥ずかしい話ですが、この国にいるスド人は全員私の子孫です。不死身という体質は、子供には滅多に受け継がれませんが、一度現れたスド人は何しろ死にませんからね。まあ、一万八千年の内にこれほどの人数に膨れ上がったというわけです」

「……スド人が不死身なのではなく、不死身の人間がスド人と呼ばれているに過ぎない、というわけだな」

「そうですね。スド人同士の子供でも不死身でなければツラック人ですよ。でも、意外とこの国ではそういうことが多いです。ガンデデガンデ人の巨人因子も、ネジェン人のような心理透視因子も、国民全員が持っていてもおかしくないですからね」

「え?」

「これは、マオウハントが終わって、三人を未来に送った後の出来事に大きく関わって来ます。……せっかくなので、順を追って説明しましょうか」

 風虎は、中空に電映ノヴェルのような立体空間を浮かべ、その中に過去の映像と思しきものを投影した。大マオウのいた洞穴内の広間に宇宙船が鎮座しており、森林が忙しなく動き回っている。

「あの時、どうにか地球を守り切った私は、まず、世界中の人間に宇宙のことを忘れさせようと画策しました。月の衛星軌道上を廻るヨーマやマオウが発見されるのを恐れたのです。放っておけばそれは時間の問題でしょうし、もしも四一匹のマオウが地球に戻って来たら、マオウの統合によって地球が崩壊する可能性も再び出て来ます。そのため、これは早急に行わねばならない課題でした。私は、宇宙船内のロア星の製品で使えそうなものがないか探し回りました。あのペンライト型――いや、カツフォル型と言った方がわかりやすいですか――の記憶制御装置では、世界中の人間の記憶を書き替えるのは無理でした。一人一人にあんな細い光を見せて回るなんて芸当、デ・Qにだって不可能でしょう?」

 立体像の中では、ウッディーが宇宙船内の倉庫を漁り、見たことも無いような器具類を引っ繰り返している。

「で、結局どうしたんですの?」

「ロア星では形而上世界の解明も随分進んでいたようで、人間の集合無意識にアクセスする装置が見付かりました。私はそれを利用し、地球人における、世界の分割のために集積された概念を一段階、破壊しました」

「どういうことだ?」

「つまり、マオウも言っていたように、私達は概念の集積が存在しているおかげで『天体』というレベルで世界を把握出来るようになっていたわけです。それがなくなれば私達は『他の星に行ってみよう』『この星の外側はどうなっているんだろう』といったことを全く考え付かなくなるのです。尤も、概念を壊した私自身は皮肉なことにそれを憶えていましたし、この地球という『天体』の概念を私が他人に教えれば、それはそれで受け入れられました。人間が完全に『天体』のことを忘れたというわけではないようです」

 確かに、空には数々の『天体』、つまり『星』が浮かんでおり、岩田もそれを把握している。ただ、どうしてもこの『地球』がそれらと同列だという観念はしっくり来ない。それこそ、自分達が世界を『天体』という括りで考えられなくなっている弊害かもしれない。

「人間に宇宙を捨てさせた後は、どうしたんだい?」

「超能力を世界に広めようと思い立ちました」

「何でまた?」

「当時の世界は、科学がこれ以上発展すれば地球環境がぼろぼろになってしまう、という段階まで来ていました。様々な犠牲の上で守り抜いた地球をそんな風に痛め付け続けるのでは、マオウや、ひいてはロア星に申し訳が立ちません。汚染の影響の大きい科学技術ではなく、何かもっと無害な、全く別の方面に発展の場をすり替えなければならない気がしたのです。そこでふと、ヨーマが精神感応なんかを使いこなしていたのを思い出して、超能力を槍玉に上げたんです。当時から、ルースさんや鳩々山が平然と物理現象を飛び越えた術式を使っていましたから、地球人にも素養はあると思いました」

「なるほど。つまり、それが禁術の走りか!」

 風虎が頷く。立体空間の中では、森林がテレヴィジョンのモニターのようなものを睨みながら、奮戦している。

「宇宙船にあった資料を調べた結果――これは、ロア星の言語を解読する作業から入りましたが――超能力は遺伝的な要因が強いということでした。そこで、人間の遺伝因子に影響を与える、弱毒化した病原体を開発しようと、宇宙船内にあった簡単な設備で実験を繰り返しました」

 立体像の森林が、ガロドモン研究団のような身なりで試薬を慎重に混合している(ようやく岩田は、この図像が風虎の創作だと気付いた。説明をわかりやすくするための工夫だったのだろう)。

「試行錯誤の途中に、私は不老不死になってしまったわけですが、それはともかく、満足行く病原体を完成させた私は、自分に感染させて安全を確認すると、早速世界中にばら撒きました。同時に、集合無意識にアクセスし、気脈やフォースという当時は未知だった概念を啓蒙しました。結果、全人口の半分くらいが病原体に感染し、さらにその半分くらいが超能力を獲得しました。時が経つにつれてその遺伝因子も広まり、概念も深く浸透しました。この国では現在、八割くらいでしたっけ? 禁術使用者の割合は」

「スドファランダムが全ての禁術の発祥者でもあるなんて……、ニセ・ジェトジェン派には絶対に聞かせられない言説ですわね」

 ルースの言葉に、風虎が苦笑する。

 痛烈な風刺だろう、立体像の森林は禁術を獲得し、座フロウしながら陣術を連発してヒビッ党の本部を荒らし回っている。岩田は思わず笑ってしまった。

「しかし、この病原体は呼吸大気中にすっかり広まりまして、挙句に変異を起こして、私がばら撒いた時点では持っていなかった特性――つまり、巨人になったり、心理透視能力を持っていたり、といったものです――をも人間に付与させるよう変化してしまいました。その結果として、様々な人種が登場することになったわけです。国民の多人種化は、禁術を得た副作用のようなものなのですよ」

「今も時々、新しい人種が発見されてるけど、あれは発見されてるわけじゃなくて、変異した病原体によって、今まで見たことのない特性を持つ人間が現れただけってことなのか」

「……そうですね。一般的に、皆さんのようにツラック人と呼ばれる人種は、病原体感染による殆どの特殊因子を受け付けませんし、他の人種でも殆どの場合、『その人種を特徴付ける特殊因子』以外の特殊遺伝因子を全て封じ込めることになります。ですから、新たな特殊因子を顕在化させたツラック人や、二つ以上の特殊因子を併せ持つ人間が複数現れた場合、『新しい人種が発見された』ということになるのでしょう。たった一人の特性だった場合は、『特異体質』の一語で片付けられるみたいですね。駿河などが良い例です」

 図像の森林が、後光を背負いながら、腕をにょろりと伸ばして神剣に変え、日が没するやハシュレーグレイに変身してしまった。そのいずれも、実在する特異体質だった。

「……それで風虎様は、その後一万八千年もの間、どのように生活されていたのですか?」

 ルースが、おそらく単純な興味からだろう、質問を投げかけた。

「しばらく、洞穴の中の宇宙船で寝起きしていました。そうしたら、ある時ひょっこり逃げていた大マオウが戻って来ましてね。対決して駆除することも考えたんですが、何しろ人間とは桁違いの存在ですからね。人間やこの世界に自分から危害を加える様子も無かったですし、放っておいても平気だと判断しました。むしろ、奴の住処にいつまでも居座るのも悪いと思い、洞穴から出ようと決めました。宇宙船の操縦を完全に習得して、衛星軌道上に転移させた後、洞穴の入り口を封鎖して、適当に世界中を回ることにしました」

「え! もしかして、風虎さん、この国の外のことも知ってるの?」

「勿論です。というより、この国に来たのはつい数十年前のことですよ。衛星軌道上から宇宙船に空間転移のエナジーを送ってもらえば、指定した座標の通りどこにでも行けますからね」

「なるほど。国境壁を越えるのも容易というわけか」

「まあ、そうなんですが、何と言いますか、あれは別に一万八千年前からあるわけでは無いんです。私が集合無意識にアクセスした時、どうも、ロア星が世界戦争で滅んだという心象が強く残ってしまったらしく、外国と敵対するのは恐ろしい、という思いが蔓延したんですね。世界平和に通じるだろうと思って放置していたんですが、気付けばどこも、外国との関わりを過剰に恐れるようになってしまい、あれよあれよと言う間に全世界で鎖国ですよ」

「鎖国?」

「ええと、つまり、外国と全くやり取りを行わない、という現在の姿勢です。国境壁は、その一貫として造られたんですよ」

 立体映像は、ビルディング系で国境壁を建設する技術者集団の様子を映している。外国を見ることさえ忌避し、皆目隠しをしている。

「あまり穿鑿するとコガネザンに拿捕されそうだが、国境壁の向こうとは、一体どのような世界なのだ?」

「実のところ、あまりこの国と変わりませんよ。違うのは、言葉くらいですかね。この国の中だけでも、地方によって人種や文化、建築様式、法律、リパレルが全然違うでしょう? あんな感じです」

 風虎はそう言って、立体像で外の世界の様子を見せようとしたが、さすがに祖母に窘められて諦めた。岩田としても、全く見たくなかったと言えば虚偽になるが、十罰に相当しかねない危ない橋を渡るのは本意でない。

「数十年前にこの国に来たって言ってたけど、それはどうして?」

「最初は特に理由もなく、偶然ふらっと立ち寄っただけでしたが、この国に来てしばらく経って、目的を見つけました。何しろ随分昔のことですっかり忘れていましたが――」

 風虎は、思わせぶりな笑みを浮かべた。

「この国には、私が未来に送った三人がいたのです」


「ああ、つまり三人に会いに行こうと思ったわけだ」

 岩田は、なるほどと勝手に納得した。

「でも、そもそもどうしてお三方を未来に送ったんですの? お三方の記憶を書き替えたのなら、それだけで事足りるような気もしますが」

「……正直な話、全ては単なる私のエゴに過ぎません。実に身勝手な話ですが、二百億の命を見捨てたという罪を一身に背負うことを決意した一方で、何も知らずに幸せに生きていくだろう三人に対し、自分がどんな醜い感情を抱いてしまうか、それを考えると居ても立ってもいられなくなりました。羨望、嫉妬、不条理、いずれにせよ筋違いな想いを無軌道にぶつけそうで怖かったのです。本当の意味で罪を抱え込めない私には、三人と同じ時代を生きる勇気が出ませんでした」

「ふむ。だが、三人を遥か未来に送り込むことで、『平和な世界をその時代まで維持する』という極めて重要かつ難儀な目的を作り出し、苦難の道を歩む自らを鼓舞したという見方もまた真実であろう? 三人の様子を見に来たのが何よりの証拠だ」

「……買い被りですよ」

 鳩々山の言葉に、風虎は曖昧に笑った。謙遜と自虐が入り混じっている。

「さすがに一万八千年も経てば、精神的な割り切りも出来ています。ただただ懐かしい気持ちに引き摺られて、会うことを決意しました。しかし、こちらとしては実に一万八千年ぶりですし、何より三人の記憶は書き替えたはずでしたので、何も知らない三人に自分が生きている理由なんかを説明するのも面倒でした。だから、正体を隠して近付くことにしました。かれこれ三〇年ほど前のことです。名称不明さんとルースさんが一緒に暮らしている場所を突き止めた私は、暗殺者に成り済まし、当時はあまり狙われていなかったため警備も手薄だったこの屋敷に侵入したのです。後はご存知の通り、『暗殺の標的に諭されて改心し、結果として使用人になった人間』を演じただけです」

「演じた? 演技だったの?」

「ええ。一万八千年生きている私が、この時代では珍重されているものの基本的には凡人の名称不明さんに諭されて、心動かすわけがないでしょう。そもそも殺す気なんて、最初から無かったんですよ」

 風虎は、おそらく意識して偽悪的に、とても意地悪そうに笑った。立体像では、風虎の格好に変身した森林が、この屋敷の中で道化のように振る舞っている。

 一万八千年ぶりの再会を、風虎が本当はどんな思いで受け止めたのか、岩田には想像もつかない。

「でも、おばあ様には正体がばれてしまったのでしょう?」

 ルースが、全てお見通しですわ、という口調で言った。心理面を深いところまで切り込まないのは、彼女なりの気遣いのつもりだろう。

「その通りです。名称不明さんは全く気付いていませんでしたが、ルースさんと、それからたまに遊びに来るくらいだった鳩々山にはすぐばれましたね。姿も声も変えていたというのに、いとも簡単に」

「私とお兄様は、森林様がマオウハントに同行していて大活躍したという事実を知っておりましたので、この時代にスド人という不死身の存在がいることを知った時点で、森林様が生きてらっしゃる可能性を考えていましたからね。そこへ、スド人が不自然な接近の仕方をしてきたものですから、迷い無くカマをかけたのですわ。『森林様』とお呼びした時の狼狽具合から、すぐに正体を確信しました」

 風虎は苦笑している。詰めが甘かった、と言わんばかりだ。

「でも、ということは、じいさんは今も風虎さんの正体を知らないわけ?」

「ええ、勿論です。主人と使用人の関係も中々面白いので、私はこのままで良いかと思っておりますが」

 立体空間には、祖父に忠実に使える使用人の長としての風虎の日常風景が再現されている。……何だか、風虎を見る目がこれから変わりそうだった。

 しかし、祖父はどれだけ状況に取り残されれば気が済むのか(魔女リティ財閥どころの騒ぎではない!)。鈍いにも程がある。明らかに自分は祖父の血を濃く受け継いでいるのだ、と岩田は残念な確信に至った。

「そういえば、ウッディーはマオウハントでイカサマをしてたって言ってたけど、それは何なのさ?」

 岩田は今更尋ねた。気付くのも遅ければ質問を発するのも遅い。

「それは、あの時の森林の中には、未来の私、風虎の魂が同期していて、積極的に指示を出していたということですよ」

「え! そうなの!」

 岩田は、平然としているルースや鳩々山を見て、驚いているのが自分だけだったことにさらに驚いた。絶望的な気分だ。

「ルースさんや鳩々山に正体がばれたことは話しましたよね? すると必然的に、どうして二人とも記憶を書き替えたはずなのにマオウハントのことを憶えているのか、という話になります。その時に、魂だけのタイムスリップという方法があるのを知ったのですよ。魂を過去に飛ばして同調させる、という概要しか知り得なかったはずですが、詳細な手法を既にルースさんが考えていました。擬似空間の応用、というまさにルース様発案の例のやり方ですよ」

 どうやら祖母は、ルースと同じ手法を何十年も前に既に編み出していたらしい。ルースが、少し悔しそうに祖母を見ている(とはいえ、魂のタイムジャンプという概要を前提として掴んでいた祖母より、全く何の情報も無い段階から全体像を構築したルースの方が独創度は数段上だろう)。

「マオウハント当時の私は、何か漠然としたものが先の展開を教えてくれるなあ、不思議だなあ、とは思っていましたが、その正体が何かという肝心な点は全く考えませんでした。しかし、冷静になってみると、そんな風に指示が出来る人間なんて、未来の自分しかあり得なかったわけですよ。だから、タイムスリップの話を聞いた時、私は森林の中に行かなければならない、そう察しました」

 なるほど確かに、宇宙船の操作について森林に指示を出せる人間など、国家広しと言えど風虎しかいない。どれほどのインフォメーション系の達人であっても、衛星軌道上にあるらしい宇宙船の情報を手に入れることは出来ないだろう(何より、それは一体どこなのだ、という話になる)。

「そんなわけで私は、あなた方と同じようなやり方で過去に向かいました。協力者は、ルースさんと鳩々山です。今回碓氷が担当したような、時間軸移動に最低限必要な禁術は、私自らがお二人に指導しました」

 当然、ここでも祖父は除け者にされている……。

「森林と同調した私は、様々な指示を与えました。本当は、『マオウハントなど途中で諦めてとっとと故郷に帰れ』と言いたかったんですが、結局出来ませんでしたね。言っても聞く耳を持ってもらえなかったと思いますが……。過去は、どうやったって変えられません。地球を救うため、という大義名分を与えて、とにかく森林を後押しするしかなかったのです。どれだけ胸が痛んでも、ロア星の人間を見殺しにさせました。ヨーマを人工冬眠装置に閉じ込めさせました。そうしなければ、今の自分はありませんからね」

 少し、自虐的な響きがあった。風虎は立体像を掻き消すと、深く一礼した。

「そして本日。皆さんが過去に出向いたことにより、最後の辻褄合わせが完了しました。本当に、どうもお疲れ様でした」

 岩田はかなり複雑な気分になった。……一体、何が一番初めに起こった出来事なのだろう?

 祖母が魂のタイムジャンプ方法を思い付いたことで風虎は過去の自分に指示を与えることが出来、その結果地球が救われて岩田達が誕生することになり、岩田達は強制夢に導かれてマオウハントの真相を知るため魂を過去にジャンプさせ、おかげで祖母はマオウハントの真実を掴むことが出来、同時に魂のタイムジャンプ方法を思い付き――

 赤が先か、ゼルガが先か。

 マオウハントを巡る事象には、一万八千年の時を超えた多くの円環が存在している。そしてその円環構造は今、完全に出来上がった。

「でも、この辻褄合わせに必ずしも俺って必要ないような気がするけど、それでも俺を巻き込んだのはどうしてなのさ?」

 何しろ岩田の祖父は、シンクロしていた岩田の魂に気付いていなかったのだ。ルースや鳩々山は必須だが、岩田はいてもいなくても同じことである。

岩田の素朴な疑問に、祖母が即答した。

「あなたまで、おじいさんのような鈍い方になってもらうわけにはいかないからですわ」

 耳に痛い言葉だった。ルースがくすりと笑って呟く。

「きっともう、手遅れですわ」



 駿河は、部屋に戻ってベッドの上に寝転ぶに至ってようやく、マオウという言葉を何処で聞いたのか思い出した。

いつも見る夢の中でだ。

 夢の中の駿河は、高い土壁に一つぽっかりと開いた洞穴に入って、何だかわからない丸い物体と話をするのだ。

 その丸いのは、彼の願い通り、素晴らしい環境を提供出来る、というようなことを強く保証した。彼はそれを聞き、病に苦しむ妹や、ひいては環境汚染由来の異常気象で壊れつつある世界に暮らす皆を救うことが出来ると狂喜した。そのためにはこの地球を完全に忘却することが条件だ、と言われると、つまりそれは二度とこんな酷い自然環境破壊を行うなという警告なのだろうと勝手に解釈し、強く頷いた。

 それが全ての間違いだった。

 直後、目の前からその丸いのが消え去り、願いは確かに聞き入れた、という言葉が耳元ではっきり聞こえた。これで自分は世界を救った英雄だと大喜びで洞穴から外に駆け出てみると、そこには文字通り何もない世界が広がっていた。

 声も出せず、しばらく彼は茫然と立ち尽くす。

 しかし彼が、この辺りは砂漠だったはずだ、などと考えるだけで世界はその通りに創り変えられて行く。地形どころか、ここにはこんな格好の動物がいるべきだ、と思うだけでその姿の獣が現れる。彼は試しに健康な妹を現出させた。妹は笑顔で彼を迎えてくれた。彼は思い付く限り、元の地球と同じように、そして出来るだけ自然環境を破壊しないように、世界を創り上げて行った。あらゆる物を創った。森を創った。泉を創った。田畑を創った。火山を創った。海を創った。町を創った。動物を創った。鳥を創った。魚を創った。虫を創った。目に見えない小さな生物達を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。人を創った。憎悪も何も無い世界を創れると思った。七日目に彼は狂った。

 世界を救おうとして、結果として一つの世界を無に帰したという事実は、一人の人間存在が背負うにはあまりに重すぎる罪だった。彼は自棄になって、世界に、これまでの生物規則を無視した動物達(と言いながら、何故かそれは駿河にとってはお馴染みのゼルガやフィルガ、ザロウロンなどだが)をどんどん創り出す。地形もがむしゃらに歪め、最後には世界を貫通するような巨大な穴を大地に穿つ(この国にそんな穴は無いので、大方誇大妄想の類だろう)。

 血の色に変えた海の前で泣きながら笑い、こう叫ぶ。

「私は魔王との契約の末、歪んだ星の道を選んでしまった! こんな私に、残された道など何も無い! 魔道をすら歩むことを許されないのだ! 私という究極の裏切り者に創られた世界で、偽りの楽園にすらなり損ねた世界で、お前達は常に悩み苦しむがいい! どうして生まれて来たのか! どうしてこの私に創り出されたのか! 何を為せば良いのか! 悩み、苦しみ、そうして生きろ! それが運命だ! 答えなど何処にも無い! 苦悩と生は同義だ! 答えを諦めた者だけが笑え! 笑い、笑い、笑い、そして死ね。……この私のように」

 彼は妹の制止を振り切り、赤い海に入水して自ら命を絶つ。

 ……夢は、そこからも続く。何もないまま続く。

 駿河はいつも夢の中で考えさせられる。もしも自分が同じような状況に陥ったらどうするつもりなのか、と。何かが問うて来る。

 駿河はいつも、それに返事をしない。

 そんなありえない状況のことを考えるくらいなら、次の日の朝餉の献立に思いを馳せる方が余程有意義だ。

 彼はずっと、そう考える。


 駿河というこの男は、国家で、いや、世界でたった一人、地球の『神』となる可能性を持っている。

 しかし、それがどうしたというのだろう。どれだけ重大な瑕疵を抱えていても、この『天体』は均衡を保っているし、人類は平等だ。

 何故なら、誰一人としてこの事実を『知らない』のだから。

 未知は、今日もこうやって世界の平和を守っている。



「そういえば、この国のゼルガってかなりの種類いますよね? あまり大っぴらに言えないんですが、あれの八割以上は、私の撒いた病原体による変異種なんですよ」

「あら、そうなんですの?」

「ええ。一万八千年前の時点でも、結構色々いたんですけどね。ここ一万年で、種類が爆発的に増えていますし、そうとしか考えられません。病原体が、ゼルガにも感染するように変質してしまったんでしょう……」

「そういえば、こちらにタイムスリップした時、町にいるのが見たこともないゼルガばかりでとても驚いた記憶がありますわ」

 確かに岩田の祖父も、古代と現代の違いとして『』を挙げていた。あれはゼルガの多様化のことを言っていたのか、と岩田はようやく納得した。

「私達の時代、小学校の飼育小屋で飼っているのは大抵手乗りゼルガと相場が決まっておりましたのに、現在は柔毛ゼルガが主流らしいですわね」

「ああ、懐かしいですねえ、手乗りゼルガ。そう言えば昔、小学校で手乗りゼルガだと思って飼っていたのが特攻ゼルガの幼獣で、社会科見学に連れて行ったら国会議事堂に向かって特攻してしまって、自衛隊が出動する騒ぎになった、という事件がありましたね」

「あれは傑作でしたね。青痣を拵えたモリ首相の会見は、面白過ぎてビデオに標準で録画しましたわ」

「おいおい、そっちだけで話をしないでくれよ……。一万八千年前のことなんて、俺らには全然わからないんだから」

「そうですわ」

「でしたら、亜大学に入って下さいな。デジルトンとは異なる、全く新しい過去へのアプローチで、この世界の謎を暴くという授業を主に行いますので」

「え? それって、殆ど歴史学じゃないか? より良い社会人を育成するとかいう目的と合致してるか?」

「良いのですわ。強制夢で対象の未来像を見せ、そこに映る過去の事象の座標を読み取り、その過去へ魂だけジャンプさせる……。こんな、手段と目的が撞着を起こしているような方法で、問題なく過去が暴けることが確かめられたのです。これを利用しない手はありませんわ。この方法なら、どんな過去だって暴けますもの。……上手く行けば、マオウが地球だった時代のことすらわかるのですわよ」

「……ちょっと待てよ! つまり、今回の俺達の行動って、亜大学の内容を決めるための実験台にされてるってことじゃないか!」

「あら、言いませんでしたか?」

「言ってない! 世界を救うための辻褄合わせだったとしか聞いてない!」

「本当にそれだけのことなら、私があなた方に座標を教えて、『ちょっと魂だけ行って来て下さいな』と頼めば済むではありませんか。わざわざ、こんなまどろっこしい方法はとりませんわ」

 岩田は悟った。結局、自分達は、祖母に遊ばれていただけなのだということを。祖母は、ルースの何倍も堂に入った上品さで笑った。

「知的好奇心を刺激され、『知ること』の面白さを存分に満喫したのではありませんか? 楽しかったのなら、それで許して下さいな」

 ……それも、一理あった。



「クラリス、やっぱりまだ、岩田さんに付いて行こうと思ってる?」

「……うん。嘘吐いて迷惑かけたこと、許してもらえたら、だけど」

「そんな貴女に中途半端に素敵なお知らせ」

「何?」

「師匠の奥方から伝言。『どうも、独立したがっているみたいですので、それを許可致しますわ。ただし、岩田の元に行く前に、最低一年間はルースの家で共同生活をして下さいな。あの娘は独りだと不摂生になりがちなので、あなたがいれば丁度助かるのですわ。それに、岩田の所へ行くのは、ルースを説得してからにしていただきたいですわ。ライバル同士一緒に暮らして、親睦を深めて下さいね』」

「……何それ? ルースさんに話は通ってるの?」

「さあ。僕は、たださっき擦れ違いざまに封筒渡されただけだから。ちなみに僕にも伝言があってさ。『姉が独立するのですから、ついでにあなたもしてしまいなさいな。まあ、実家に戻っても良いですけど、せっかくですので、岩田の家に厄介になるのが良いでしょう。もしかすると姉の夫になるかもしれない人物の人柄を確かめるのもそれ程悪くはないと思いますわ。敵状視察のつもりがあるかどうかは、あなた次第ですけれど』」

「……何それ?」

「弟に嫉妬しないでもらえるかな」

「碓氷はまさか、その通りにするつもりなんじゃないでしょうね?」

「クラリスがルースさんの所に行くなら、僕も岩田さんの所に行く」

「何それ? 自立度低過ぎよ」

「元々僕はこの家で働き続けるのも嫌じゃないわけで、むしろクラリスが心配だから一緒に独立するんだよ。いつでも様子を見に行けるように」

「だからって……」

「まあ、僕は別にクラリスがこの屋敷で修行と雑務一般に忙殺される日々を続けるのも悪くないと思うよ。料理だってそのおかげで上手くなったわけだし。ただ、ルースさんはたぶんかなり強力なライバルなわけだから、その手の内を暴くべく――」

「わかったわよ。行けばいいんでしょ行けば」

「そうそう。この家にいるより、岩田さんに会いやすくもなるしね。良いこと尽くめだよ」

「……あのさ、もし間違ってたらアレだけど、碓氷ってもしかしてルースさんのこと好きなの?」

「え……? どうしたの、藪から棒に? 僕、今日、初対面だよ?」

「でも、碓氷って師匠の奥様のことよく見てるじゃない? 奥様みたいな女性が好みなら、ほら、ルースさんはど真ん中でしょ」

「……いや、まあ、そうね。確かに嫌いではないけど」

「ふうん。そういえば話は変わるけど、鎌竃さんがメラシトルーレの水煮用に仕入れたクロファの水がいつの間にか減ってたらしいの。碓氷、心当たりある?」

「ううん、全然無い」

「…………」

「…………」

「何に使ったの?」

「……いや、飲んだだけ」

「一人で?」

「…………」

「…………」

「…………」

「碓氷」

「はい?」

「今日は、色々、ありがとうね」

「え……? あ、ああ、いや、別に……」



「そういえば言いそびれるところでしたが、明日、お家に帰る時にはお土産がありますわ」

「へえ、何さ」

 祖母はすぐには答えず、一拍の間を置いた。そして、

「あなたには、碓氷を連れて帰っていただきますわ」

「おい。あたかも愛玩動物を扱うかのような口調で言うな、そんなことを」

「了承して頂けますわね?」

「いや、いきなり連れて帰れと言われても」

「やはり、連れて帰るならクラリスのほうが良かったですか?」

「え、いや、それは――」

 ルースの方を見遣ると、笑みが引き攣っているのがわかった。

「かなり、困るな」

「では、頼みますよ」

 言うなり祖母は、正式な返事も聞かず、今度は座布団ごとルースに向き直る。

「そういうわけで、あなたがクラリスを連れて帰って下さいな」

「ちょっと、どうしてそういう流れになるんですの?」

「嫌なら、クラリスにはやっぱり岩田の家に行ってもらうことになりますわね」

 ルースは、微笑を顔面に貼り付けたままで器用に溜息を吐いた。

「……わかりました。引き受けますわ」

 折れた。

「おい、岩田ばあさん。俺には誰も付いて来ないのか? 最近命を狙われることも多いし、一人か二人ほど護衛が欲しいのだが」

 鳩々山に向けて祖母は、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

「この部屋の襖の修繕費と大広間の天井の修理費の請求書で我慢していただけますか?」

「断る」

 やれやれ。

 岩田は失笑した。

 碓氷を家で預かることになってしまった。年明け早々、何だか明日も大変な一日になりそうだ。

 西二〇〇〇一年……。この新世紀元年は、やはり自分にとって大きな転機になるのかもしれない。安易な期待はしたくないが、そんな予感めいたものがある。好奇心の趣くまま、積極的に動いてみるのも悪くない……。

 全ての騒動が収束した今、岩田の胸を満たしているのは、これまで感じたことのないような、心地良い爽快感だけだった。



 ――ちなみに。

 明日も大変な一日になりそうだという岩田の予想は見事に大当たりする。

 何しろ次の日の朝、この屋敷には武装したソトルザンの迎えがやって来て、岩田とルースはキリニャーグ室の扉の件で天空王の巣まで拉致されるからだ。

 無論その時の岩田に、今のような爽快感は皆無であった。

 連れて行かれた先で手に入れるダイヤモンドの話などもあるが、それはまた、別の機会に語ることとしよう。

 ギリギリまで語らなかった方が、その分長く平等でいられるだろうから――

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