第4話

 「……ふむ……うん」

 ……気まずい。自分が書いた話を目の前で読まれるというのは、こんなにキツいものだったのか。

 部室、もとい機材置き場に置いてある椅子に向かい合って座る、その向こうには紙束を片手にうんうんと唸る山口の姿がある。

 あれから、2ヶ月間を費やし紡いだ、僕の初めての脚本。それを一枚一枚、編集者が精査するように読み込んでいる。その表情や、紙をめくる動作に神経質になってしまう。

 本当に、面白くなっているだろうか――そう考えると、胃の痛みが止まらない。

 「これ、お前が書いたのか」

 最後の1枚をめくって、山口は原稿を見ながらそう言った。

 「あ、ああ……どうだ?」

 山口は僕を見て、ニヤリと笑った。

 「やっぱり、俺の言ったとおりだ……面白い、傑作だ。やっぱり書けるじゃないか」

 そう言って、原稿の束をこっちに投げた。僕は素直に安心してそれを受け取る。見られるのはいつも緊張するし、面白いと言われるのは、やはりいつであっても嬉しい。

 でも、今回ばかりは、まだ僕は喜びきれないし、安心しきれない。それは、まだこれは脚本段階で、作品として完成したわけではないというのが一つ。もう一つは――

 「だがな樋口、こいつは……映画として撮影しなきゃいけないんだ」

 一転して難しい顔に、プロデューサーとしての顔になった山口はそう言った。

 「わかってるとは思うが、俺達が抱える高校生という縛りは存外大きい。派手なアクションやらCGやらができないのは当然だが、それ以外にもキャスティングやロケーションにも制約が多い」

 その上で、と僕の目を見る。こう言われることは初めからわかっていた。

 「この映画は、その制約ギリギリなシーンが多い。なにせ……夜のカットが多すぎる」

 というか、ほとんど夜だろう。困ったように山口は言う。こう言われるのはわかっていたし、面倒であることも承知していた。

 「これを撮るなら、撮影時刻がかなり遅くなってしまう。この先日の入が早くなることを加味してもな」

 厳しい顔でそう告げられる。いつの間にか夏が過ぎ、そろそろ季節は秋になってきていた。

 「できないのか?」それは問いかけではなく、そこをなんとか、という頼みだった。

 「……できない、と突っ返すことができればそれで終わりだったんだがな。できないことはない。夜間の活動は何かと厄介ではあるが、なんとか頑張って申請を通せば、お望みのシーンは撮れるはずだ。しかし、スケジュールはカツカツ、現場での自由度もガタ落ちだ。それでもいいか?」

 僕は跳ねるように椅子から立ち上がって、卒業式でしかしないほどに背をピンとのばして頭を下げた。

 「構わない。どうか、よろしく頼む」

 「いや、おいおい、どうしたんだまた」山口はきょとんとした顔を一瞬見せ、僕を見て困惑したように笑う。

 「お前にも、部の皆にも苦労をかけることは書いている時点でよくわかっていた。でも……どうしても撮りたいんだ」

 「……今までにないくらい熱があるじゃないか、いいことだが……お前、本当にどうしたんだ?」

 僕は頭を下げたまま、机の上の原稿を見た。ただ、他の誰でもなく、あの人だけに――

 「見せたい人が、いるんだ」




 「こんばんは、サクヤさん」

 雪がしんしんと積もる季節になったその日、分厚いコートを着込んで映画館に来た彼女を僕は出迎えた。

 「樋口君?もしかして、ここでアルバイトでも始めたの?」

 「いや、そういうわけじゃないんですが」

 そう言って僕は、机の上に置いてあったチラシを一枚手に取り、サクヤさんに渡す。

 「今日の映画、シークレットになってたでしょう?今日上映するのはこれ。僕が撮った映画なんです」

 彼女は受け取ったチラシを、へえと感嘆の声を上げながらまじまじと見つめる。

 「監督・脚本、樋口晃……樋口君が監督なの?すごいじゃない」

 そう言った彼女の顔は、しかしどこか複雑そうだ。

 それも当然だ。パンフレットに描かれているのは、夜の闇にぼんやりと漂うネオンを背景に、ほとんどシルエットに見えるほど暗く映っている男女2人。

 暗い映画は好きじゃない。そう言ったことを忘れたわけではない。

 「サクヤさん。この映画は、あなたに見てもらいたいんです。そのために僕はこれを撮ったんです」

 「……私に?」

 嫌がらせかなにかと思われただろうか?いや、たとえ今そう思われたとしてもかまわない。ただ、ただこの映画を見てくれさえすれば、伝わるはずだ。

 「サクヤさんがこういう映画が好きでないことはわかってます。でも、見てもらいたいんです」

 「……ええ、わかったわ。一緒に見ましょう」

 何かよくわからない、といった顔のまま、2人でシアターに入る。いつもの席に座り込むと、それっきりもう僕は何も言わなかった。伝えたいことは、すべてフィルムに焼き付けてある。

 上映開始のブザーが、鳴った。

 走る車のランプやネオンの光に包まれた世界。夜を無気力に徘徊する少年が、偶然出会った一人の少女。自分は天使だと言い張る不思議な少女に、少年は惹かれていく。

 夜の静けさと涼しさ。街灯やテールランプの寂しさを感じる光。彼女の横に並び立つと感じる背丈の違い。僕が見下ろし、彼女が見上げる。目が合った時の、その黒。吸い込まれるような、目が離せない、美しさ。

 表現したいこと、伝えたいこと、撮りたいこと――彼女は、確かにそこにいた。

 ヒロインだけではない、映画そのものが、サクヤさんそのもの。儚く、美しく、唯一無二の輝き。僕は自分の力を全て使って、それを表現する。伝わっているはずだ。間違いない。

 ちらりと横を見る。彼女の顔は窺えない。でも通じているはずだ。

 見てくれ、これが、僕の好きな、焦がれた、輝き――


 監督・脚本 樋口晃

 最後にそのテロップが画面上にフェードアウトした。照明がついて、にわかに明るくなる。

 僕はすぐ、サクヤさんを見た。彼女は数秒間スクリーンを見たまま止まっていたが、やがて無言で立ち上がった。

 「サクヤさん……」

 通路を歩いて出口に向かう彼女。僕は席から立ちあがってそこから動かず、その背にただ声をかけた。

 彼女はドアに手をかけると、それを開ける前に一度、こちらを向いて――笑う。

 「ありがとう」

 そう言って、彼女はシアターから出ていった。

 僕はただ呆然として、誰もいなくなったシアターにひとり佇んだ。

 「やるじゃないか」

 背中からそう声をかけられた。振り向くと、初めて見るような優しい笑顔を浮かべた館長が立っていた。

 「大したことをするもんだ。伝わったか?」

 言いながら、館長は葉巻に火をつけた。その煙がふわりと視界に入ってくる。

 「ええ、伝わりました」

 上映が終わったスクリーンを見ながら、僕は言った。

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Late Show 武蔵恵 @muses-c-k

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