第3話

 「おーい樋口、来たぞー進捗は……っておい!また寝てるじゃねえか!」

 デスクに突っ伏している僕の肩が乱暴に揺さぶられ、またしても僕は叩き起こされる。

 「んあ……ああ、すまん」

 呆れ顔の山口を一瞥して、目の前のキーボードのエンターキーを押す。スリーブ状態だったPCのディスプレイが再点灯すると、作業途中だった編集ソフトの画面が出る。

 「だから寝ろって言ってるのに……なんか進んでなくないか」

 数日前にクランクアップとなった僕たちの映画。後は撮影データを編集ソフト上で料理していくわけだが、タイムラインはまだまだすっからかんだ。素材フォルダに眠ったままの映像はまだまだ大量にある。

 「いやあ……なんか改めて見てると、こうもっと撮り方あったなあとか考えてしまって。モヤモヤして進んでないんだ」

 もっと撮っておけばよかったと編集段階で思うのは今回に限った話でも、僕に限った話でもないと思う。しかし、今回はどうも納得のいかないカットが多いのが正直なところだった。

 「ふーん……ちょっと、今できたとこまで見せてくれや」

 そういえば僕もまだ、一度も通して見ていなかった。ここまでの編集でできたのは15分ほど、学生の短編映画なので、これでも全体のそれなりの尺ではある。再生ウィンドウを最大化させて、再生バーを最初へ。通して見れば何か気が付くかと思いながらスペースキーを押した。

 「……お前、なんか編集の癖変わったんじゃないのか?」

 「癖?」

 すべての再生が終わってすぐ、山口はそういった。編集の癖、そう言われてもさっぱり見当がつかない。別に、特段変わったことをした自覚はないのだが。

 「気のせいかもしれんが、なんというか、顔の……特に目だよな、目のアップと、それと俯瞰、この2つのショットがいやに多いような気がするんだが」

 言われてみると、そんな気がする。なぜだろう?撮影時は意識していなかったはずだが。いや、しかし、確かにいいショットがないと感じた時、決まって脳内のイメージに浮かんだのはその2つであったような。

 「マズいか?」

 「いや、別に問題はない。ちょっと気になっただけだが」

 何かに影響でもされたか?と問われる。しかし、しばし考えてみても思いつくことはない。

 昨日見た映画だろうか?そう、僕は昨日もまたレイトショーを見に行った。夜を題材にした、暗く、淋しく、繊細な絵だった。相変わらず、あの人のチョイスに外れはないなと思った。しかし、別に顔のアップや俯瞰が多かったような気はしない。結局、夜更かし気味で眠くなった以外の影響はなかったと思う。

 いや――そういえば、昨日はなぜかあの人がいなかった。サクヤさんが、レイトショーに来て会わなかったことがなかったあの人が、なぜか昨日はいなかった。

 僕はあの日からいつも、サクヤさんと一緒に映画を見ていた。映画は一人で見るものだと思っていた僕が、おかしなことに、誰かと一緒に映画を見ることを楽しみにしていたらしい。

 しかし昨日、僕は久しぶりに一人で映画を見た。それが――なにか、意外だったのか、あるいは淋しいと思ったのか――とにかくいい気分ではなかった。なかったが、それは関係ないだろう――

 「まあ、好きにやってくれ。締め切りだけは守ってくれよ。」

 「ああ、わかってる。」

 山口は机の上に持ってきたスナック菓子の袋を置くと、後ろのソファに座り込んだ。

 「そういえば、脚本の件なんだが」

 「ああ……」

 「やっぱり厳しいか?いや、実はそれならともう一本書いてきたところなんだ」

 そういって紙束をこっちへ放り投げた。速すぎるだろ、と素直に驚きながらページをめくる。

 「別に、急ぎで読んでもらいたいわけではないが」

 「いや、ちょっと作業が進まないからな。息抜きがてら読んでみるさ」

 ページをパラパラと捲りながら速読する。お前は読むのが速いと言われながら、綿密さを感じるその脚本を頭に入れていく。

 「うん……やっぱり面白いよ」

 相変わらず丁寧な仕事だ。快活な男子高校生達の、明るくエンタメ性に満ち溢れた青春物語。天賦の才と書き上げた文字数で紡いだ物語は、今回も読者のツボを的確に突いてくる。一体どうして、こんな話を書ける人間が他人に仕事を投げようとするのか?と思ってしまう。

 ただ――

 「ま、どうしても書けないというならこいつでも使ってやってくれ。ただ、俺は期待してるぞ」

 その期待が何から来ているのかは相変わらずわからないが、ところが僕は実際、なぜかこれを読んですぐ、自分で脚本を書きたいと思ったのだ。理由はさっぱり見当も――いや、理由はなんとなくわかっていた。

 絵が、映像としての描写が、しっくりとこなかったのだ。そしてなぜか、撮りたい、という欲望が、不思議と湧かなかった。

 「ああ、じゃあ、もう少し考えてみるよ」

 いったい、今の僕は何を考えているのだろうか?自分の思考が自分でわからない。こんなことは初めてだ。

 ああ、今日も、あの映画館に行こう。そう自分が考えていることだけはわかっていた。今日こそは――



 「そりゃお前、好きってことだろ、あの人が」

 瞬間、飲んでいた炭酸水が僕の気道に飛び込んだ。僕がひどくむせ返り混乱している間、館長はなんというか意地悪な笑顔をこっちに向けニヤニヤと僕を見ていた。

 編集作業もそこそこに、僕は今日もレイトショーに足を運んだ。例によって煙草を吹かす館長と映画談義を交わし、話が僕達の映画のことになった時、僕は抱えている悩み、というほどのことでもないが、山口と話していた時に自覚した違和感について話してみた。

 すると、これである。

 「いや、いやいや、何を言い出すんですか藪から棒に」

 「だって、会えなきゃ寂しいんだろ?顔見ると見惚れるんだろ?編集さえ手がつかないんだろ?」

 「いや、別に僕そんなこと言って……」

 いや、確かに似たようなことを言ったのは事実なのだが――流石にそれは飛躍なのではないだろうか。少なくとも編集が進まないことに関しては、本当に無関係だと思うのだが。

 好き、とは、恋愛ということか?自分のことなのに、さも他人事のように考えている。そのくらい現実味がないというか、僕からすれば、そんなものは魔法や超能力と同じようにフィクションの世界のものだと考えていたのだろう。

 「言ってるようなもんだ。それじゃ、自覚がないってだけだな」

 「そんな、まさか……」

 相変わらず館長は意地悪な笑顔を向けてくる。しかし実際、僕は「僕がサクヤさんを好き」ということに関して、肯定も否定もできずにいた。肯定するにはあまりにも実感がない。しかし否定しようとしても、確かに僕が見てきた映画の中に、似たようなセリフを言うキャラクターが出てきたりもしていたのだ。映画を見るときのように客観的に僕の心情を読めば、「恋愛感情を持っている」という結論に至るかもしれない。

 でも、一方で主観的に見れば実感がない。むしろ僕の混乱は悪化する一方に突入しようとした、まさにその時だった。

 「こんばんは……」

 その微かな声と、ドアの軋む音が、いやにはっきりと聞こえた気がした。

 「おっ!待ってたぞサクヤさん」

 逆に館長のその声はあまりに小さく聞こえた。僕の感覚器官はサクヤという女性以外をすべて背景と認識したようで、眼前の少女のような女性以外、全てがぼやけたように感じる。

 「サクヤさん……」

 僕は思わず立ち上がっていた。彼女は僕の顔を、を少し怪訝そうに見上げてくる。僕は首を下に向け、俯瞰――

 綺麗だ、と思った。

 いや、多分僕は、ずっと昔から、初めてあったときからそう思っていたのだ。でもそれはなぜか今になって、明確な実感とともに言語化されて、危うく口から漏れそうになっていた。

 「樋口君、やっぱり今日も来てたね。行きましょ?」

 彼女はそう言った。目が僕を見つめる。ドンと背中を叩かれた感覚があったような気がするが、それがサクヤさんではないことは明確だったので、よくわからない。

 あれから更に年季が入ったシアターのドアを、僕は押した。

 「昨日も来てたの?」

 いつもの席についてすぐ、彼女は言った。

 「え、ええ……サクヤさんは、いませんでしたよね?」

 「うん、そうね。昨日は行かなかった」

 「何かあったんですか?もしかして病気が……」

 「いや、そういうんじゃないわ、至って普通だから安心して」

 そう言って彼女は、まだ何も映っていないスクリーンを、そのさらに先を見つめるような目で見た。

 「昨日の映画、暗い映画だったでしょ?」

 予想外の質問だったが、確かに色々な意味で暗かったのはそうだ。ストーリー的にも、画面的にも。

 「ええ、確かに。でもとても面白かったと思いますが。暗い映画は苦手ですか?」

 「うん、あまり見たいとは思わないわ」

 少しだけ、口角が上がった。でもその顔は、楽しみの笑顔ではなく、何かを嘲る笑顔になって。

 「私自身が……夜の、暗いところでしか生きていられない人間だから。共感する……っていうのはちょっと違うかもしれないけど、でもなんだか自分が見えるようで、嫌になるの。せめて、映画の中でくらい、明るいものを見ていたくて。」

 それは、あまりにも悲しい顔だった。

 やはり、彼女は自分が好きではなかった。彼女がそう思っていることは、薄々ながらわかっていたような気がしていた。普通に日の下を歩けない体。普通の人のように成長しない体。暗闇にしか居場所がない自分。それを嫌がるのは、至って自然でさえある。

 でも――

 「僕は――」

 それが、そんなこの人が、とても綺麗に見えて、魅力的で。

 好きだと、そう思ったのだ。

 彼女は何かを言いかけた僕の顔を見たが、今この場でなにか言うことは、僕にはできなかった。自覚したばかりのこの感情は、まだ伝えられない。

 でも、伝えたいと思った。そして、僕は、映画監督の端くれで、クリエイターの端くれなのだ。

 やることは、一つしかなかった。

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